話題
うしろシティ阿諏訪さんのいじめ体験 親に言い続けた「学校楽しい」
「当時のことはいまだに許せません。SNSのDMとかで、いじめっ子からたまに連絡が来るんですよ」
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「当時のことはいまだに許せません。SNSのDMとかで、いじめっ子からたまに連絡が来るんですよ」
小学生時代に無視、中学生になると暴力によるいじめを受けていたという、うしろシティの阿諏訪泰義さん。当時はいじめらているという現実を受け止められず、誰にも相談できなかったと言います。そんなうしろシティ阿諏訪さんに、いじめから自分の心を守る方法や、いじめ被害にあっている方へのメッセージを笑下村塾のたかまつなながYouTubeでインタビューしました。
――うしろシティ阿諏訪さんは実は、学生時代にいじめにあわれていたそうですね。
阿諏訪さん:今までしゃべる機会がなかっただけで隠していたわけでもないんですけど、小中学校時代にいじめられていました。いじめのきっかけは、小学校の4年生のとき。近所の団地で鬼ごっこをしていたんですけど、僕が鬼になると誰も見当たらないんですよ。1時間くらい探しても見つけられなくて、団地からちょっと外れた公園に行ってみたら、僕以外のみんながそこで遊んでいたんですよ。それで腹が立って何も言わずに帰ったら、次の日から全員に無視され始めました。
――最初は“いじり”だったんですかね。
阿諏訪さん:たぶん予兆はあったんですけど、はじめは遊びの一貫だったと思います。子供のいじめって些細なことから始まるんですよね。「無視しようぜ」とか「あいつとしゃべっちゃダメ」とか、最初は遊びのつもりがだんだん加速して…。僕の場合もそういうことから始まったんじゃないかな。
――無視はいつまで続いたんですか?
阿諏訪さん:小学校を卒業するまでずっとですね。いじめというか、いないものにされるというか。休み時間や放課後にみんなで遊びに行くという、小学生の当たり前のイベントに僕はいませんでした。
――ひとりでどうやって過ごしていたんですか?
阿諏訪さん:最初は一生懸命、みんなの中に入ろうとしたんですけど、無視され続けるので諦めました。だから結局、近所の年下の友達と遊んでいましたね。同級生全員から無視されていたので。
――全員ってなかなかひどいですね…。学校には通い続けたんですか?
阿諏訪さん:当時引きこもるという選択肢はなかったですね。だからといって、寂しいという気持ちもなくて。自分でもどんな言葉で表現したらいいかもわからなかった。ただもう、どうしようもできない。そんな感じでしたね。
――それは辛いですね。どうやって気持ちを処理していたんでしょうか?
阿諏訪さん:処理できてなかったですよ。親にも相談できなかったので、ずっと自分の中だけに溜め込んでいました。小学生の僕には解決策もなく、どうしたらいかわからないまま毎日がただ過ぎていくだけでした。
――やはり、親御さんには言いにくい?
阿諏訪さん:そうですね。学校の感想なんかを聞かれたら、「楽しかったよ」って答えていました。いじめられていることがかっこ悪いと思っていたんですよね。だから親にも先生にも言えませんでした。
――小学校卒業後、いじめはどうなったんですか?
阿諏訪さん:中学校でもがっつりいじめられていました。小学校では無視されるといういじめでしたが、中学校に入るとそれとは真逆で…。3年間、暴力によるいじめを受けていました。
――暴力ですか…。
阿諏訪さん:リーゼント頭のボンタンを着た、いわゆる不良と呼ばれる人たちに殴られていました。「顔がムカつく」という理由で殴られたり、「500円持ってこい」とカツアゲされたり…。無視が暴力に発展しても誰も相談できなかったですし、小学生のときと変わらず、いじめにあっていることを考えるのがイヤでした。いくら殴られても、いじめにあっている自分を認められなかったんです。だから家にいる時間も苦痛でしたね。
――逃げ場はあったんですか?
阿諏訪さん:小さい頃からゲームが好きだったんですけど、いじめにあってからはそれもできなくなって…。なぜかと言うと、例えばロールプレイングゲームだと、ある村から魔物が住む洞窟まで行く間って、特に何もすることがないんですよ。だからその間、いじめのことを考えちゃう。こういう作業的な工程が生じるゲームができなくなってしまったんです。
――それからゲーム以外のものにも、目を向けるようになったんですか?
阿諏訪さん:現実を直視しなくてもいいようにと見始めたのが、お笑い番組でした。なかでもよく見ていたのは、ネタ番組。VHSのビデオテープで6時間、ネタ番組をみっちり録画していたんですよ。それが絶対必要なんです。寝ている時も学校のことを考えると寝られないから、それを擦り切れるまでずっと流して見てましたね。
バラエティ番組じゃなくて、ネタ番組がいいんですよ。コントの設定や展開について考えている時間は、学校生活のことを思い出さずにすむので。寝ている時間も録画した番組を流してみたら夜眠れるようにもなって、なんとか中学生活を乗り切ることができました。
――高校はどうだったんですか?
阿諏訪:中2のときから決めていたんですけど、同級生と仲良くしようとするからいじめにあうんだと思って、高校では友達を一切作らないことにしたんです。同級生に「おはよう」も「バイバイ」も言わない学生生活でしたが、いじめにあわなくなって最高でした。もう人生バラ色って感じで。
――すごい選択肢ですね。
阿諏訪:自分的には最良の選択だったと思います。友達がいない分、家族との会話を増やしたり、ひとりで趣味を満喫したり、そういう時間を持つようになりました。そのときに始めたのが楽器なんですが、一般的には「バンドやろうぜ」って始める人が多いですけど、僕は家でひとりで練習。ギターもベースも弾けるようになって、打ち込みでドラムも入れられるけど、バンドを組んだりはしませんでした。
だから、意味のない「今日暑いね」という会話とかがコミュニケーションになっていて、そういうものをしなきゃいけないというのを、20歳ぐらいにお笑いの養成所で習ったんです。
――ひとり時間を楽しく過ごるということが、料理やキャンプについて発信するといった、今の仕事のスタイルにも活かされているんですかね。
阿諏訪:今って凝り性の人が求められるじゃないですか。そういう意味では、本当に好きなことを掘り下げて自分のものにするのが得意なので、今の仕事の仕方にも通じている気がします。
――13歳からネタ作りを始められたと聞きましたが、芸人の道を選んだきっかけはありますか?
阿諏訪:中学生のときは、吉田戦車さんとか和田ラヂヲさんとか、そういう4コマ漫画がすごく好きで、漫画家になりたかったんです。当時、友達もいなかったから、自分でも漫画を描いていたんですよ。それがお笑いのネタというか、ショートコントに転じていった感じですが、そのときは芸人を目指していたわけではないんです。
芸人を目指すきっかけは、19歳のときにバナナマンさんのDVDに出会ったこと。あまりにもおもしろくて、直感的にこれがやりたいと思ったんですよね。それでハタチのときにお笑いの道に進みました。
だけど、引きこもりの人間が舞台でネタをやるのは、やっぱり大変でした。置き忘れた漫才のマイクにも気づかずに、コントを披露し続けたこともあったし、最初は本当に緊張の連続で…。いじめられっ子の引きこもりのやつが、よくやったなぁと思います。だから、キングオブコントの決勝にいけた時はバナナマンさんが審査員だったので、嬉しかったです。今でもバナナマンさんに会うと緊張しますね。
――芸人になった今、いじめの経験をどう捉えていますか?
阿諏訪:いじめの経験があったからお笑いに出会えたのは事実ですけど、当時のことはいまだに許せません。SNSのDMとかで、いじめっ子からたまに連絡が来るんですよ。「飲もうよ」って。僕がどれだけお笑いで活躍しようが、なんていうかそいつらって無敵なんです。いじめていたことを覚えてないから。
あと、姉が2人いまして、小さい頃から、リカちゃん人形や、シルバニアファミリーとかで遊んでたんですよ。僕をいじめる人は男の人なんですよ。だから女性のほうが一緒にいて楽なんです。男の人と二人っきりになるのってすごい緊張します。
――いじりといじめって何が違うと思いますか?
阿諏訪: 芸人の場合、オチがあるかどうかだと思います。「あれやってみろよ」と言った時に、言った人が面白くしなきゃいけないし、できなかったとしても、めちゃくちゃ笑って盛り上げないといけない。でも、それが何もない、ただ「お前これやってみろよ」とやらせて終わりとかは、いじめだと思います。
僕の場合、後輩をいじる場合は、信頼関係ができているか、はっきりとしたオチが見えているときはふって、何かやらせて落とすとかはありますけど、そんなにきついことは言わないですね。
ただ、いじめって、なくならない気がします。一定数必ず「いじめたい気持ち」は、あることだと思うんですよね。それをどう回避させるかということですよね。バイオレンスなお笑いがどんどん地上波とか、そういったところで流れないようにはなっていったほうがいいとは思いますけどね。
――周りの人にやってもらって、嬉しかったことはありますか?
阿諏訪:中学校3年の時、知り合いのおじさんが夏休みずっと家にいるから、北海道まで旅行に連れて行ってくれたんですよ。嫌なことから逃げれるから楽しかったんですよね。違う場所に行ってみるってことがいい気がしますね。自分ってなんてこんなちっちゃいところでくよくよしてたんだって思うような場所がいいですね。
海外とか、海とか、キャンプとかもいいと思いますよ。今の嫌なものを全部脱ぎ捨てて、バッてどこか行ける場所に連れて行くみたいなことは、周りにいる人が、本人が、私は窮屈な場所にいたんだって思わせられる一個の方法かもしれないですね。
――いじめられていた当時の自分にかけてあげたい言葉はありますか?
阿諏訪:「セーフ」って言いたいですね。小中学生時代、いじめにあっている事実を受け入れないことで現実から逃れていましたけど、あそこで一歩間違っていたら、悲しい結末を迎えていた可能性だってあります。だから、かつての僕と同じような目にあっている人がいるならば、現実から逃げてセーフになってもらいたい。
いじめに直面している今は信じられないかもしれないけど、本当にすごく狭い世界で生きていることに気づいてもらいたいですね。親の力を使ってもいいし、自力で逃げ出したっていい。今は相談の窓口もいっぱいあります。どんな手段を使ってでも、今いる辛い環境から早く逃げてもらいたいです。
僕は当時、言っても大人は相手にしてくれないと思っていました。でも、大人の方がいろいろ経験しているし、自分の見たことないものを見ているから、一人に言って響かなくても、いろんな人に言っていけば、絶対いい方向に向けてくれる大人はいます。だから、相談したほうがいいぞと当時の自分に言いたいですね。
――最後に今いじめられている子、苦しんでいる方にメッセージをお願いします。
阿諏訪:僕がよく思うのは、人生って楽しくないことばっかりだということ。でも命を絶つほどつまらなくもないんです。言葉にするのは難しいけど、勇気を出してみると、絶対に生きていてよかったと思うことがあります。
僕は小中学校ずっといじめられていて、その不安から眠ることもできなかった。高校以降は友達を作ることを諦めることで、毎日楽しく生きて行け、お笑いと出会って賞レースにもテレビにも出させていただくようにもなった。それはそれで楽しかったけど、ずっと心のどこかで人を信用できない自分がいて…。
でも30歳を超えたあたりで、「あぁこの人、信用できる」という友達ができたんです。初めて生きていてよかったと思えた瞬間でした。大人になった今、いじめで悩んでいる方に伝えたいのは、一歩外へ足を踏み出せば、自分の知らない楽しいこと・人がたくさん待っているということ。今いる場所が辛くても、世界は広いからきっと大丈夫です。
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