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「R-1」の〝10年制限〟に危機感…ベテラン芸人のため新たな賞レース
芸人にとっての10年の重さ
2002年に大阪で誕生し、やがて全国区となった『R-1グランプリ』。いつしか『M-1グランプリ』『キングオブコント』に次ぐ大きな賞レースとしての地位を獲得しました。ところが、2020年11月25日の会見で、「プロは芸歴10年以内、アマは大会への参加が10回目以内」という規定が設けられました。そんな中、出場できなくなった芸歴11年以上の芸人を救おうと生まれたのが『Be-1グランプリ』です。手作り賞レースは、どのようにして生まれたのか。2月21日の決勝を前に、誕生秘話を聞きました。(ライター・安倍季実子)
話を聞いたのは、『Be-1』の主催者のシュースケさん。実弟のリョースケさんとお笑いコンビ「うすくら屋」を組んでいる芸人さんです。漫才協会に所属しており、普段は浅草にある東洋館の寄席に出演するほか、毎月お笑いライブを開催しています。
――昨年末、『R-1』に芸歴制限が設けられたことが大きなニュースとなりましたが、そもそも「ピン芸人」は、お笑い界の中でどういった立ち位置なのでしょうか?
「一言で説明するのは難しいのですが、『個の強さがものを言う存在』のような気がします。舞台に一人で立つ度胸もないといけませんが、その前のネタ作りにしても、漫談・コント・フリップ・歌といった幅広い中から、どのタイプにするのかも一人で選ぶ必要があります」
「芸のタイプを選ぶ基準も色々あると思いますが、たとえば漫談なら、日常生活の中で発見した矛盾や不運な出来事を織り交ぜて、笑いと共感を誘う話し方のテクニックが必要です。コントの場合は、ボケた後に起こる絶妙な空気で笑いを広げたり、有名人に扮して、そこから独自の笑いに発展させるなど、それぞれに違った技術で笑いをとっています。こういったことから、ピン芸人の多くは芸達者な人が多いんだと思います」
「また、楽しいことばかりではなく、ネタ練習はいつするのか、どのくらいするのか、ライブに出るか出ないのかといったように、ネタ以外に関しても、一人の意志で決まる所が多いんです。コンビやトリオだったら得意不得意を分担できますし、どちらかが立ち止まってしまっても、もう片方が引っ張っていくことができます」
「でも、一人の場合は、手を抜こうと思えばいくらでも手を抜けるし、ストイックにやろうと思えばどこまででも自分を追い込めます。やるもやらないもすべて自分の意志ひとつなので、コンビやトリオよりも背負うものは大きいでしょうね。そういうことを理解した上でピン芸人のネタを見ると、すごく刺激を受けます」
――ピンの方がハードルが高いということですか?
「ピン・コンビ・トリオは同じ芸人ではありますが、『お笑い』というジャンルの中でも畑が違うんで、どちらがいい悪いとか、どちらが簡単難しいとかの区別をすることが、まずできません。同じジャンルでくくられていますが、その中身は全く違うものなんです」
――最近では、賞レースが話題になることが多くなりました。
「今のお笑い業界は、『M-1』『キングオブコント』『R-1』といった大きな賞レースを行うことで、若手を応援しようという流れがあります。これらの賞レースのチャンピオンという称号は、人気芸人へのチケットのようなもので、『優勝した次の日から生活が激変する』ともいわれます。それまで、どんなに知名度が低くて売れていなかった芸人だったとしても、たった一夜で人生が一変するくらいの大きな夢や希望が詰まっているんです」
「また、ここ数年はチャンピオンに限らず、ファイナリストになったり、MCとの絡みが面白かったりすると、それが話題になって注目度や認知度が上がることもあります」
「どの芸人も大きな賞レースで優勝するためにがんばっていると思われがちですが、これは、ピン・コンビ・トリオといった形に関わらず、人によって違うと思います。もちろん、優勝したり爪痕を残したりして、売れるきっかけを作りたい芸人がほとんどだと思うんですが、僕にとってはその年のマックスを出す場所、いいネタを発表する場所という意味合いの方が強いですね」
「個人的には、審査員にウケることや優勝するということよりも、純粋に渾身(こんしん)の新ネタでお客さんに笑ってもらうことの方が大切なので、『M-1』というバロメーターで、その年の成長をはかっているところもあります」
――『R-1』は、今年から出場資格が10年未満となりましたが、この10年というのは芸人さんにとって大きなものなのでしょうか?
「よく言われるのが、10年を超えるとオーディションに呼ばれなくなる、ライブで若手と絡むのが気まずくなる、バトルで後輩芸人に負けるのが苦痛になる、などです。同期や後輩が売れていると焦る気持ちもあるでしょうし、人によってはたくさんの複雑な気持ちを抱えることもあるんじゃないでしょうか」
「生活面でいうと、アルバイトが大きな収入源で、そこにライブや営業がちょこちょこ入るといった感じだと思います。どこかで大きく売れない限り、若手の頃と同じような生活がずっと続くので、同世代で会社勤めをしている人と比べるとやはり不安定ですが、ぜいたくをしなければ普通に暮らしてはいけます。大きな出費があるときは、『バイトを増やすか、新しいバイトを探せばいいか』と思うので。でも、結婚していて、お子さんもいる場合は話が変わります。すでに家庭を持っている芸人さんからは『生活が大変だ』というような話も聞きます」
――10年がもたらすものは、人によって全く違うんですね。
「芸歴10年を超えるメリットとしては、ネタが幅広い世代に響くようなることだと思います。僕たちが所属する漫才協会は、40代でも若手扱いになる、ちょっと変わった場所ということもあるからだとは思いますが、たとえば若い人たちにはウケやすいような、ボケ数が多いけれど明確なオチがない漫才だと、 東洋館に足を運ぶような年配のお客さんには軽く受け流されることが多いんです。でも、芸歴を重ねていくと、自然と扱うネタのテーマが変わってきますし、年配の方からの共感も得やすくなって、すんなりと聞き入れてもらえるようになります」
――『R-1』で出場制限が出たときの11年目以上のピン芸人たちの様子はどうでしたか?
「みんな意気消沈状態でした。これから予選に向けて本腰を入れるぞというタイミングでの発表だったのも、ショックを大きくしたと思います。変更内容が『今年が最後』というようなものだったら、ショックはショックに変わりませんが、それぞれがベストなネタをやろうと努力したと思います。でも、実際にはこれからというときに、急にはしごを外されたようなものなので、『ライブに出てネタをする意味がない』となって、ベテラン芸人が次々にライブをキャンセルしだしたんです」
「僕は『うすくら屋』として毎月ライブを主催していることもあって、運営者側としても『これはまずい』と思いました。でも、自分が同じ立場だったら同じようにやさぐれてしまうかもしれないと思ったので、ベテラン芸人たちを責めることはできないなと思いました。それに、コンビ解散後にピンになった場合、ピンとしての歴は浅くても、芸歴が10年を超えているから出場できないという人もいます。この人たちをどうにかするには、11年目以上のピン芸人しか参加できない新しい賞レースを作ってしまえばいいと思ったんです」
――賞レースを作るのは簡単なことではないですよね?
「もちろん、簡単ではありません。ちょうどその頃、『Win Win Wiiin』というYouTube番組が始まりました。雨上がり決死隊の宮迫さんとオリエンタルラジオの中田さんによるトークバラエティー番組です。自分たちでスポンサーを募って、ゲストへオファーして、スタジオセットも準備して、テレビで放送されている番組と遜色ない疑似テレビ番組をつくってしまったんです。これを見たときに、自分たちでコンテンツをつくれる時代になったんだと思いました」
「長く『うすくら屋』としてライブの主催 をしてきたこともあって、ライブのつくり方は知っています。賞レースをゴールから逆算してみたら、日程的にも製作的にもできなくはないと思いました。すぐに知り合いに大会のチラシを作ってもらって、仲のいいスタッフや先輩芸人に相談をして、参加者の集め方や大会の内容を少しずつ固めていって、12月の頭に大会のエントリーと運営費などを集めるためのクラウドファンディングをスタートしました」
――すごいスピードで大会を作られたんですね。
「参加者集めとクラウドファンディングがスタートした後は、芸歴11年以上の知り合いのピン芸人さんや主催ライブに参加してくださった方々に、個別で連絡して参加をお願いしました。大会に箔をつけるには審査員も重要だということで、これまた知り合いのスタッフや先輩芸人をつたって、放送作家の元祖爆笑王さん、『R-1ぐらんぷり2014』チャンピオンのやまもとまさみさんに、『号泣』の赤岡さんにはTwitter経由で特別審査員をお願いしました」
「ほかにも知り合いを当たってスポンサーになってくれる方も探したり、代理店に相談したりして、FM横浜で自主製作ラジオCMを流してもらったりと、少しでも興味を持ってくれる人や参加者を増やそうと、考えられることは全部やりました」
――1回戦・2回戦をやってみて、苦労したことはありますか?
「特に大きなトラブルはなく、順調に進んでいると思うんですが、エントリー可能なピン芸人たちと『Be-1』に対する熱量に大きな違いがあったことはショックでした。というのも、『R-1』に出られなくなって怒っていたのに、『Be-1』にエントリーしなかった人もいるんです。参加するかどうかは個人の自由だとわかってはいますが、『M-1』の審査員もつとめる作家さんを審査員に招いたり、ある程度まとまった額の賞金を準備したり、ネタをするには申し分のない会場をおさえたりと、規模は小さくても中身はしっかりした大会を用意しているつもりだったので。また、エントリー締め切り後に何件か『参加したい』という問い合わせも来ました。参加者が多い方が盛り上がるのはわかっていますが、大会ルールを守るために断らせていただきました」
「ほかには、過去にバズッたテッパンネタやノリで予選を乗り切ろうとした人もいました。そういった人たちは、軒並み1回戦で落とされていました。そこでようやく、『知名度に関係なく落ちるんだ』、『予想以上にしっかり審査されているんだ』と気づいたのか、2回戦ではほとんどの人がネタを変えて、真剣に挑戦してくれるようになったんです」
――審査基準は設定されたんですか?
「基準は特にオーダーしませんでした。でも結果を見ると、ウケ具合に関係なく、オリジナリティーのあるネタをした人やテレビに向いてるだろうなと思われる人に得点が集まったという印象です。参加者の中には、名古屋から参戦している人もいるんですが、2回戦の審査員からTwitterで絶賛されていました。これは、東京・大阪に比べて発掘される機会が少ない名古屋芸人にとって大きな励みになったと思います」
「参加者もだんだん本気になってきているようで、規模に関係なく賞レースに真剣に向き合うことの意義なんかをTwitterでつぶやいている人もいます。くすぶりかけていた11年目以上のピン芸人たちに火をつけることができたようで、開催して本当によかったなと、心の底から思いました」
「とはいえ、まだまだ頑張らないといけなくて、『何、この大会?笑』みたいなつぶやきを見ることもあります。ショックには変わりませんが、『絶対に成功させてやる』『来年も開催するぞ』という気持ちにもなりました。それに考えてみると、『M-1』も1500組くらいからスタートしていますが、今では5千組以上が参加しています。中身がちゃんとしたものだったら、規模は徐々に大きくなっていき、認知度や信頼度も上がってくるはずです。本当に真面目につくっている賞レースなんで、たくさんの人に知ってほしい。そして、11年目以上のピン芸人の中にも、面白いは人たくさんいると気づいてほしいですね」
🌀重大発表です🌀
— Be-1グランプリ2021 (@Be_1GP2021) December 29, 2020
日頃よりクラウドファンディング、スポンサー様の御支援ありがとうございます🙇🙇
エントリー締切間近の年の瀬🔔
なんと優勝賞金の増額が決定しました‼️‼️
しかもその額……
✨✨🎉500,000円🎉✨✨
詳しくは⏩️https://t.co/fz25QGzBht
エントリー締切は12月31日23:59まで✉️💨 pic.twitter.com/hp1JJtOXNW
取材中、真剣な表情で「本当に真面目につくっている」と話していたシュースケさん。その思いはまわりの人に伝染していき、決勝戦が行われる松竹角座には、撮影陣にWOWOWの製作スタッフが入ってくれることになったそうです。
テクノロジーが進化して、個人でもコンテンツ制作が可能になったいま。自分のためではなく、「芸歴11年目以上のピン芸人に輝ける場をつくりたい」という一心で、大きな挑戦を決断して全力で走っている姿に感化されたのでしょう。
YouTubeでは、実力を持つ芸人さんたちがテレビ番組にも負けないコンテンツを生みだしており、それはシュースケさんが『Be-1』をつくるきっかけにもなりました。
『R-1』の資格変更という逆境によって生まれた『Be-1』は、日本のお笑い界の〝地層の厚さ〟を証明する動きだといえそうです。
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