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コラム

アルビノだけどアルビノ萌え 〝素直な憧れ〟が軽くしてくれた劣等感

「思ったまま『素敵』と伝えてみてほしい」

アルビノの雁屋優さんが中学時代、クラスメートから言われてうれしかった一言とは…(画像はイメージ)
アルビノの雁屋優さんが中学時代、クラスメートから言われてうれしかった一言とは…(画像はイメージ) 出典: PIXTA

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肌や髪の色が薄く生まれる遺伝子疾患、アルビノ。弱視などの身体的ハンデが強調されがちな一方、特徴的な外見に美しさを覚える人々もいます。雁屋優さん(25)は、自らもアルビノでありながら、他の当事者に憧れを抱く一人です。「喜んで受け取ってくれる相手には、思ったまま『素敵』と伝えたい」。あえて「萌(も)える」ことで、「ふつう」でない容姿も受け入れられる。そう思えるまでの日々について、つづってもらいました。

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「セーラームーン」に重ねた金髪

特定の人物や事物に注ぐ、強い好意を指す言葉「萌え」。「眼鏡萌え」「妹萌え」など、様々なジャンルが生まれ、既に世間一般に浸透したと言えるだろう。

私自身が萌えを感じる対象、それは他ならぬ「アルビノ」だ。自分の顔を鏡で見たって萌えないけれど、他のアルビノの人には、萌える。その萌芽は、幼少期にあったように思う。

小さい頃、アルビノの私を、「白くてかわいいね」と褒めてくれたのは祖父母だった。
お気に入りのアニメ「美少女戦士セーラームーン」の主人公は金髪で、母は保育園で他の子に、私の髪が金色である理由を聞かれて「将来セーラームーンになるから」と答えていた。

セーラームーンにはなれなかったけれど、中学校に入る頃には、金髪はミルクティーブラウンへと濃く変化した。アルビノは一生髪の色が変わらない人もいれば、成長すると色が濃くなる人もいて、私は後者だった。

髪の色がいくら濃くなろうと、黒髪の同級生しかいない地方都市では、私の髪の色は目立った。国際交流がさかんな高校に進学し、疎外感は薄まったものの、頭髪検査なども存在しており、「自分は例外なのだ」と感じることもあった。

当時は気づかなかったけれど、疲弊していた。

テレビで見たアルビノ女性に目が釘付け

そんなときだった。テレビで、同じアルビノの女性が出演しているのを見たのだ。

髪は金色。肌は日光に溶ける雪のように、淡く、美しい。目が釘付けになった。クラスにもかわいいと思う女の子はいた。けれど、その人の美しさは、彼女達とは一線を画していた。

「この人に会いたい」という思いで直接連絡を取り、数年後に初対面を果たした。今でも時折顔を合わせるが、その人の前にいると、とても幸せそうだと友人から言われる。声も、表情も、格段に変わるらしい。

そこから、私のアルビノ萌えは始まっている。当事者の方と会うたびに、「きれい……」とつぶやいていた時期もあった。自分の容姿を悪くないと思い直せたのも、そんな経験があってのことだ。

「かわいそう」より「いいじゃん」がよかった

中学、高校、大学と進学していくにつれ、アルビノに理解ある人は増えていった。大学では生物学専攻だったこともあり、「アルビノ」の一言だけで症状が伝わったので、本当に楽でやりやすかった。

どんどんやりやすくなっていっているのだから、不満はない。ないはずだった。

けれど、疾患の症状である弱視や、日焼けのしやすさからは逃れられなかった。「これ、見えてる?」「日差し、大丈夫?」と、周囲の人たちに気遣ってもらうたび、ありがたいのだけれど、何かがすり減っていった。

削れたのは、きっと自尊心とか、そういうものだと思う。もちろん、みんなは親切や優しさで気遣ってくれていて、背景にあるのは善意だった。

でも、それはきつかった。「できないことがあってかわいそう」と、一段下に見られているように感じてしまったから。「私は他の人ができることでも、人に頼らないといけない、劣った存在なんだ」と落ちこんでいた。

そんなときに、大学よりもアルビノに慣れている人が少なかったはずの、中学時代を思い出すことがあった。

ちょっと不良っぽい子が私の髪の色を「いいじゃん」と言ったこと。この色をミルクティーブラウンと呼ぶのだと教えてくれたこと。あのとき、私は「かわいそうな障害者」ではなかった。「憧れの色を宿した人」だったのだ。

「かわいそう」と思われるより、「かわいい」「素敵」と憧れられる方が、私は心が軽くなる。インターネットを通して知り合った初対面の友人が、私の容姿をひたすら褒めてくれたとき、そう気づいたのだった。

「アルビノはかわいそう」コメントに違和感

以前、あるYouTuberが、「アルビノになりたい」と髪を白く染めて炎上した。そのとき、私はひどく怒った。その人に対してではない。発言をたたいた人たちに、だ。

私は当時、リアルタイムで動画に書き込まれた感想を読んでいた。「アルビノはつらいから」「かわいそうだから」――。そんな言葉が並んで、最後には「だからそんな風に扱ってはいけない」と締められるコメントの数々に違和感を抱いた。

YouTuberの発言自体は、確かに軽率だったかもしれない。でもコメントを書き込んだ人々が、アルビノの当事者と非当事者を、無意識に線引きしているという見方もできるのではないか。

車いすユーザーの知人が昔、「『かわいそう』じゃなくて『あのかっこいいのに乗ってみたい』と言われたい」と話していた。支援が必要なことも、できないことがあることも、言葉一つで変わりはしない。でも当事者の感じ方は、かなり違ってくる。

誰かを「かわいそう」だと思うとき、相手を一段下に見ているかもしれない。そして、そのことがめぐりめぐって、差別を強化する可能性もある。

「萌え」が救いになることもある

「かわいそう」より、「かわいい」「素敵」と言われたいと考え、行動する人々がいる。身体の一部が欠損している当事者が運営する、「欠損バー」のスタッフたちも、そうだ。

私自身、かわいい義足の画像を、Twitterにアップしているスタッフの投稿を見たことがある。「あ、なんかいいな」と感じたものだ。義足をかわいいと思っていい。その発想自体が、新しかった。このことは、アルビノについても同じだろう。

「あなたの髪の色なら、私じゃ似合わない服が着られる。うらやましい」。ある人から、そう言われたこともある。色素が薄いからこそ、似合う色や服がある。それを楽しめることはアルビノのアドバンテージだ。

とはいえアルビノ萌えが、アルビノの現状に対する最善の解決法ではないことは、私も承知している。萌えはあくまで幻想的なものであり、就職活動などの現実には、なかなか還元されないからだ。

それでも私は、「かわいそう」と言われ続けるより、まっさらな気持ちで憧れられた方がいい。

もちろん、「かわいそう」とも「素敵」とも言わず、放っておいてほしい当事者の方もいるかもしれない。しかし私に限れば、「素敵」と言われたいし、「素敵」って言いたい。

相手が望まないとわかれば言わないけれど、喜んで受け取ってくれる相手には、思ったまま「素敵」と伝えたい。当事者の中にも、色々な人がいる。

支援すべき障害者として気遣ってくれることもありがたい。でも、たまには、「素敵だね」と思ったら、それをフラットに伝えてみてほしい。

そして、「素敵だね」と眺めるだけじゃなくて、隣にいて当たり前の存在として見られたら、それは多様性を認め合える社会への一歩になるのではないだろうか。

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