お金と仕事
「流れに身を任せ」実業団へ〝戦力外通告〟に納得…31歳からの決断
元ラガーマンのセカンドキャリア
大学卒業後、ラグビー選手として大手企業に就職をした柏原元さん(37)は、29歳で戦力外通告を受けました。引退後、同じ会社で仕事をするも「しっくりこなかった」。そして、30歳を超えて転職を決断します。今まで、「流れに身を任せるまま」だった人生。未経験業界の新天地でいきたのは、ラグビーを通じて身につけた柔軟さでした。「現役時代より引退後の方が時間はない。人生の選択肢を広げるための情報収集を」という柏原さんのセカンドキャリアを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)
柏原元(かしわばら・げん)
出身の秋田県秋田市では、小学校でラグビー部があり「友達がいるから」という理由で小2からラグビーを始めました。指示を出すのが好きだったこともあり、ポジションは司令塔の役割のスタンドオフでした。
私は地元が大好きで、大学進学も就職も、秋田県内を考えていました。ところが、現実は東京の大学へ行き、今も東京で働いています。そのきっかけとなったのは高校時代にラグビー部の監督に明治大学へのスポーツ推薦を勧められたことです。
ラグビーは好きだったので、これからも細々と続けたいと思っていたところ、ラグビー名門校への切符が目の前に差し出されました。その時、自分の中で埋もれていた好奇心がむくむくと出てきました。だた、東京の私立大に行くだけの経済力がない家でした。それを監督に伝えたところ、奨学金の制度を教えてもらいました。
奨学金のことを両親に話したところ、後押しをしてくれました。「4年間東京でラグビーをして秋田へ戻ってこよう」という心持ちで、明治大学への進学を決めました。
小中高と、全国区で戦うレベルの学校ではなかったため、明治大学のラグビー部に入部したときは、異次元に来てしまったと思いましたね。4年間を通し、試合に出る機会はあったものの、最後までレギュラー定着とはなりませんでしたが、それに対して大きな不満はありませんでした。
いい意味で「身の丈を知る」、逆を言うと「闘争心がない」性格で、その時々で流れに身を任せてきました。就職時も同じでした。ラグビーはもう「やり切った感」があり、働く道を選ぶつもりでした。それが、なぜ社会人になってからもラグビーを続けることになったのか。
それは、NTT東日本(現NTTコミュニケーションズ)で現役を続けるラグビー部の先輩からの、「ラグビー部員の枠があるからどうか」という声かけがきっかけでした。当時のNTT東日本は2部リーグに所属をしていました。
フルタイムで働き、夜に練習をし、信頼できる先輩と質の高いラグビーができることを魅力に感じました。それに、会社は大企業です。私は働いてお金を稼ぎたいという思いが強かったので、この条件はまさに「自分にちょうどいい」と思ったんです。
自分が選考の立場に立てるのであれば、挑戦しよう――。そう思い手を挙げました。監督との面接や、プレーのスキル面のチェックを受けた結果、縁あってNTT東日本への就職が決まりました。
当初は、仕事をしながら、30代後半までラグビーを続けようと思っていました。その計画が狂ってしまったのは、ある外部要因がありました。会社がラグビー部の強化に力を入れ始め、所属していたチームが、グループ会社の「NTTコミュニケーションズ」に移管されることになったんです。
練習時間は増え、積極的に選手が採用された結果、私たちは1部リーグに昇格することになりました。どんどんチームのレベルが高くなっていく中、モチベーション高くラグビーを続けることが厳しいと感じるようになりました。
そんな矢先、ある日監督に小部屋に呼ばれました。戦力外通告でした。当時29歳。思い描いていた引退時期より10年ほど早かったのですが、その結果をすんなり受け入れることができました。自分のプレーを客観的に見た時、納得感があったからです。
引退後、ほぼ100%の選手がチームの所属する会社員として働く中、その多くは、会社から与えられた仕事をする受動的な姿勢になっているのが現実でした。でも環境は恵まれています。自分も同じく、会社にとどまる選択をしました。でも新卒で入社した同い年の人とは、知識や経験は雲泥の差です。徐々に、「この仕事は自分に向いているのか?」という疑問が芽生えました。
私は引退度、人事の仕事を担当し、若手社員の研修の企画運営などをしていました。でも研修時に質問されても、知識が乏しく即答できない。1年間経験して気づいたのは、自分はNTTの社員として「育成する側」ではなく「される側」なのだということでした。
担当業務との相性の悪さ、そして他部署の業務への意欲も高まらない中、頭に浮かんだのが「転職」という言葉でした。
改めて、自分が何をしたいか考えた時、スポーツに関連した仕事をしたいという考えがまず頭に浮かびました。2012年当時はラグビーの知名度が低く、試合会場に観客がなかなか入らないのが現状でした。どうしたら集客できるのか。それを仕事にしたいと思ったんです。
「スポーツ 仕事」でウェブ検索をし、興味を持ったセミナーには終業後や土日などに行きました。行ってみると面白くて、10回以上行きましたね。同時に、NTTグループの中でも、自分の夢を叶えられる場所がないか探しました。
ツテを頼って社内外の人に話を聞きに行き、今の自分の心境、そして今後の展望などを伝え、進路相談にのってもらいました。私の長所の一つはフットワークが軽いこと。初対面の人と会うのが苦ではありませんでした。そして何より、今の会社の仕事が自分に合ってないという危機感を強く感じていました。
自分の市場価値を高めるためビジネススクールに1年通い、その実績も踏まえて転職サイトに登録をしました。スポーツに関係するビジネスの他にマーケティングやプロモーションも興味があり、イベント会社やPR会社を紹介されました。
自分に向いていそうな仕事や企業を紹介してもらえたので、それだけで視野が広がりました。そして、その中の一つが現在勤めている電通アイソバーでした。デジタルマーケティングの知見を生かし、企業の課題解決に取り組むデジタルエージェンシーです。
ウェブやアプリ、SNSでクライアントの課題を解決することが面白そうだと思い、面接ではソーシャルメディアについて熱く語りました。ゆくゆくは、スポーツに携わりたいということもアピールしましたね。その面接官が入社後の上司になるのですが、後に聞いたころ、面接では「ロジック立てて答えられるか」を見ていたそうです。
そうして、2015年7月に転職をし、現在の会社に入社しました。当時31歳だったのですが、配属となったソーシャルメディアの部署は年齢層が若く、女性が多いのも特徴的でした。未経験の中、どうやったら信頼を勝ち得るかを考え、大事なのは与えられた仕事をきちんとすること、わからないことは聞くこと、そしてプライドを持たないことだと考え、実行しました。
失敗した場合は、素直に非は認めて謝り、なぜそのようなことをしたのか理由を述べるようにしました。そして、その失敗をチームに共有して、改善をシェアするようにしました。
そして、チャンスが訪れたのはその年の秋です。2015年にイングランドで開催のラグビーワールドカップを、ツイッターとフェイスブックで盛り上げるという仕事の担当になりました。この大会は、あの五郎丸歩さんが活躍した時です。「スポーツに関係する仕事がしたい」という夢が早くも叶った瞬間でした。
現在もソーシャルメディアの事業の仕事をしています。改めて、働く上でラグビーの経験がどう生きているかを考えると、やはりチームワークは大きいと感じています。ラグビーも仕事も、後ろ向きだったり、キレやすかったり、新しいことを拒絶したり、様々なタイプの人がいます。その人たちのモチベーションをいかに高めながら目標に進んでいくか。
私が心がけていることは、二つあります。一つは、相手の話を聞き、受け入れること。もう一つは、やわらかい言葉で自分の意見を伝えること。相手のモチベーションを上げることは大事ですが、自分のモチベーションを保つことも大事です。和を重んじながら、自分の意見をきちんと伝えることは大切にしています。
そして、プライベートでもSNSを活用しています。トップリーグの選手から転職した話や、アスリートのセカンドキャリアの課題について書いています。
また、文字を読むのが苦手な人もいると思い、3カ月ほど前にYouTubeチャンネルも作りました。動画の方では、ラグビーの情報を発信しています。ルールをよく知らない人もいるので、「ラグビーの基本を知りたい人がいるのでは」と思い立ち、動画で解説することを始めました。
若手の選手に伝えたいことは、「その競技だけに人生を捧げない方がいい」ということと「引退後は時間がない」ということ。
「現役時代から引退後を考えるのは雑念だ」という考えを聞くことがありますが、それは間違っていると思うんですね。練習と休息の「休息」の時間を使えば、パフォーマンスが下がることは一切ないと思います。
アスリート時代は、トレーニング後や試合の翌日など、けっこう時間があります。その時間、もちろん遊ぶのもいいことですが、自分の興味関心を広げたり掘り下げてみたりしてほしい。興味があるものを勉強してみたり、ボランティア活動をしてみたりすることで、引退後の選択肢は広がると思います。
振り返ってみて、現役時代は見えている世界が狭かったと感じています。今はスマホ一つで簡単に情報を取りに行けるし、SNSで人ともつながれます。その利点を生かしてほしいですね。引退後の自分に目を背けないで、その先の将来もワクワクしながら思い描いてください。
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