地元
2歳ごろから「自分は女の子」いっちゃんが自分の居場所をつくるまで
「男として育てる努力をしては」の声に父は…
性的マイノリティーであることで苦しむ人は、大人だけではありません。大津市では、6歳の園児の受診歴などが保育園のホームページ上に無断で公開されていたことが発覚。当事者の望まないことを暴露される「アウティング」の被害を受けたとして、運営する市を、園児の両親が訴えました。記者はこの話を聞き、別の市のイベントで出会ったトランスジェンダーの「いっちゃん」(仮名)を思い出しました。現在は小学4年生となったいっちゃんも、保育園で性への違和感に気づきました。当時は笑顔で遊ぶ姿を見せてくれましたが、改めて話を聞くと、周囲から心ない言葉をぶつけられながらも、自分の居場所をつくってきた道のりがありました。(朝日新聞大津総局・新谷千布美)
今回、LINEのビデオ通話でいっちゃんは取材に応じてくれました。大津で起きたことを簡単に説明すると、「わかる」とうなずきながら、こう話してくれました。
「私も保育園でいじめられてて、味方は誰もいないと思っていました。1人で頑張るしかないかなって。私のことは私しかわからないから」
同席したお父さん(49)によると、いっちゃんは「次男」として生まれました。ただ、2歳ぐらいになると、かわいい女の子向けの服やおもちゃを好むように。言葉をしゃべれるようになると「自分は女の子」と話し始めました。
保育園には当初「男の子」として通っていました。着る服も青色といった「男の子向け」ばかり。「それがいやだった。かっこいいよりもかわいいって言われたくって。ピンクが好きでした」といっちゃん。箸などの持ち物を「女の子向け」のキャラクターのものにしたり、おままごとをしたりして遊んでいたそうです。
すると同じ組の他の園児から「きもい」「男なのにおかしい」と言われるように。「私は私だからいいじゃん」と言い返していたそうです。
ただ、ちょうどその頃、自宅でいっちゃんの髪をお母さんが切ってくれたのですが、思ったより短くなってしまいました。いっちゃんは「泣いちゃいました。長く伸ばしたいって言っていたのに……」。
お父さんは当時のことを「何をどうしていいかわからなかった」と振り返ります。教育関係の仕事をしていたものの、性的少数者に関する知識はゼロ。「それでも本人が明るく振る舞うことが多かったので、その強さに甘えていました」
きっかけは、年長クラスに学年が上がる頃のお母さんの一言。「スカートはかせてあげたいね」。なんでそれをさせてあげてなかったのかと目が覚める思いだったそうです。家族で話し合い、「女の子宣言」をすることにしました。
保育園の先生に説明すると「わかりました。じゃあ女の子でいきましょう」と二つ返事。いっちゃん自身、「すごく軽い調子で先生が言ってくれたのを覚えています。とてもうれしかった」。先生から他の園児に「いっちゃんは今日から女の子だからね」と説明してもらいました。
お父さん自身も、参観日に開かれた保護者会で「本人の意思を尊重したいので、知っておいてほしい」と他の保護者に説明したそうです。いっちゃんの本名が男の子しか使わない響きを含んでいたので、改名もしました。
その後も、「気持ち悪い」という園児はいたそうですが、他の園児が「いっちゃんはいっちゃんだからいいじゃん」とかばってくれたそうです。
「その子に勇気づけてもらいました。逆に気持ち悪いって言ってくる子も、だいたい一緒です。小学校になっても何度もケンカしました。でも今は心理戦に持ち込んで相手に謝らせる方法がわかったので、もう怖くないです」
ただ、小学校に入学する直前にはいくつもの困難に直面しました。事前に校長に会うと、元の名前を「くん」づけで呼ばれ、「女の子として通うのはちょっと」と言われたそうです。診断名を求められ、主治医に相談して「それでうまくいくなら」と「性同一性障害」と診断してもらいました。
お父さんも、保育園と同じように保護者への説明の機会を設けてほしいと校長にお願いしましたが、返ってきた言葉は「ちょっとやめておいて」だったといいます。地元の教育委員会に打ち合わせに行くと「思春期までわかりませんよ」「男として育てる努力をしては」と言われました。
お父さんは内心で憤ったといいます。
「確かに、思春期になったらどうなるかはわからない。変わる子ももちろんいます。でもそれはその時に考えれば良い。いっちゃんはずっと一貫しているタイプで、それなのに男の子として扱うのは、この子自身を否定することだと思いました。今の一人ひとりを見て、対応してあげてほしいのに」
交渉を重ねた結果、小学校からの回答は「女の子として通うことを許可する」だったそうです。
入学後、校長が変わって「話を聞いてくれる人になった」といういっちゃん。それでも4年生になった今、「学校はストレスがたまる」と話します。
学校には行ったり行かなかったり。楽しみは地元とは別の市で開かれる性的少数者の子どもとの交流会です。同じ境遇の子どもも参加しています。「いろいろ話せるから居心地がいい」とのことでした。
最後に、大人へのメッセージを聞きました。
「世界に同じ人はいない。個性を見て、わかってほしい。人間という同じ生き物に生まれたんだから、支え合えるようになった方が得だと思う」
いっちゃんを受け入れた保育園の園長にも電話で話を聞きました。
いっちゃんが女の子向けの小物やおもちゃが好きなのは、ふるまいを見ていてわかったそうです。「好きなんだったらどうぞどうぞ」と受け入れていたとのことでした。いっちゃんが「女の子宣言」した後、「気持ち悪い」と言う子もいましたが、すぐに「そういうことは言っちゃだめ」と諭したそうです。
「むしろいっちゃんに教えてもらいましたよ。ある行事で使う持ち物の色が『男の子は緑、女の子はオレンジ』と決まっていたんですが、いっちゃんが『オレンジがいい』と。その時、『なんで分けていたんだろう?』と気づきました。卒業アルバムの表紙の色も、毎年男の子が青、女の子がピンクだったんですが、いっちゃんの年から一人ひとり好きな色を選んでもらうことにしました」
「性同一性障害」の診察を20年以上続けてきた岡山大の中塚幹也教授(生殖医学)によると、受診した1167人のうち、56.6%にあたる660人が小学校入学の前に性別への違和感を持ち始めていたといいます。
ただ、「性同一性障害」という言葉は今後変わる可能性が高いとのこと。世界保健機関(WHO)が2022年に発効する新たな国際的な分類方法では、精神疾患の分類から外れ、妊娠などと同じ個人の状態を示す分類にまとめられ、名前も「性別不合」に変わるからです。
中塚教授は「体の性と自分が感じる性が異なることや、それに違和感を覚えること自体は病気でも障害でも無いんです。『障害』はその人にあるのではなく、無理解や差別などが存在している社会の方にあります。人生の早い段階で望む性での生活のスタートラインに立てれば、あとは『個性』だと言えるのではないでしょうか」と話します。
取材を経て、考えたことがあります。それは、私たちは「男」と「女」で分け、イメージで思い込んでいるのではないかということ。あるいは、「子ども」ということで思い込んでいることもあるかもしれません。大津のような問題を再び起こさせないため、一人ひとりを見つめることが必要だと改めて感じました。
また、記者の私自身は女として生まれましたが、保育園のときにピンクのものやスカートを大人たちから勧められても「いや」と言う子どもでした。今でも抵抗があります。トランスジェンダーでなくても、ピンクが好きな男の子や、青が好きな女の子はいます。自分がもし子どものときにいっちゃんと同じクラスだったら、私も好きな色を選べて、より素敵な子ども時代だったろうと思います。
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