お金と仕事
引退後に用意された椅子をけって転職 主将が選んだセカンドキャリア
「もし将来会社が潰れて、その時50歳だったら……」
お金と仕事
「もし将来会社が潰れて、その時50歳だったら……」
引退した選手の99%が、所属する企業の社員として残るラグビーの実業団の世界で、トップリーグチームNECの主将だった森田洋介さん(32)は、あえて転職を決断しました。大学時代の〝後悔〟をバネに、社会人リーグでつかんだ手応え。そこで学んだチームビルディングが、セカンドキャリアにいきていると言います。「個」の時代に必要な生き方について、セカンドキャリアを成功させた森田さんに聞きました。(ライター・小野ヒデコ)
森田洋介(もりた・ようすけ)
あこがれだった同志社大学のラグビー部では、レギュラーの選手としてプレーできました。卒業後の進路については、「仕事をしたい」という気持ちを強くもつ一方、ラグビーも続けたいという思いも抱いていました。そんな中、大学3年生の時に2年上の先輩でNECに入社してラグビーを続けている釜池真道さんに、「(NECの)ラグビー部に来ないか?」と声をかけてもらったんです。
「仕事はこれからいくらでもできるが、ラグビーは今しかできない」と釜池先輩に言われたのがきっかけで、トップリーグという環境でラグビーができるのは一握りの選手のみ、ということに気づきました。それだったら、仕事のキャリアは一度手放してラグビーに集中しようと決断し、NECに入社を決めました。
私は体が大きくなく、代表選手経験もなく、おまけに学生時代の古傷を抱えていました。正直、ついていけるのかという不安を感じていました。
実際、「こいつは何ができるのか?」「すぐにやめるだろう」という周りからの視線を感じ、それがとても悔しかったですね。いつか自分のことを認めさせたいという思いをずっと心の内に秘めていました。
私のポジションはスタンドオフで、同期で同じポジションに、あの日本代表の田村優選手がいました。1年目の時、注目されるのは田村選手をはじめとする他のルーキーばかり。「俺もいるのに…!」と、これまた悔しい思いを味わっていました。
でも、実際にプレーをして思ったのは、「周りとそこまでレベルの差はない」ということ。大学時代に活躍していた名の知れた選手も、弱点があることを知りました。“トップリーグ”とはただの先入観で、「これは自分の立場をひっくり返せる」と思ったんです。
社会人でラグビーをする中で、転機となったことが二つあります。一つは、2015年の日本選手権で帝京大学に負けたことと、2016年にトップリーグ最下位となりNEC初の入れ替え戦を経験したこと。
この時期、ヘッドコーチと選手の間の信頼関係がうまくいっていませんでした。チームに徐々に亀裂が入り、壊れた結果がこの成績でした。私は「なるべくしてなった結果」だと思っています。この経験により、「強いチームとは」「リーダーシップとは」ということに、強い関心をもつようになりました。
もう一つは、29歳のとき、ラグビー部主将に指名されたことです。その2シーズン前、主力選手が10人ほど抜けてしまい、誰もが「勝てないだろう」と思っていた中、私が司令塔として中心に立ち、チームの立て直しを図りました。結果的に、トップリーグ10位から8位にランクが上がったこともあり、その実績が評価されたと自負しています。
主将にと声がかかった時、思い出したのは大学時代に主将を辞退して後悔をした時のことでした。その時は、ケガへの心配や「内部生」という劣等感から、日本代表にも選出されていた大平純平さんに譲る形になりました。
「次に機会があれば躊躇なくやろう」と決心していたので、迷わず引き受けました。
当時、チームの課題と思っていたのは、「主体性の弱さ」。スター選手数名に、チーム全体が頼り切っていると感じていたため、メンバーの「こうしたい」という気持ちを引き出すことに注力しました。その結果、「チームが元気になった」と周りから言われるように。一致団結力も強まりました。
長年のケガが悪化したのもあり、1年間で主将はおりましたが、その1シーズンでチームが変わったことを実感しました。
入社した時は誰からも期待されていなかった人間が、地道に実績を積み上げ、50人の選手を引っ張っていく立場になりました。その経験は大きな自信につながりました。
主将を降りた時、私は30歳で、ちょうどヘッドコーチも代わるという節目の時でした。この先を考えた時、これ以上気持ちを高めてラグビーを続けるパワーはもうないと思いましたし、ラグビーはもうやり切ったとも感じました。
元々、ビジネスにも興味があったので、「引退」という考えが頭に浮かんだのはこの時です。とはいえ、シーズンの途中で、ベテラン選手が欠けることはチームにとって大打撃になります。
大好きなチームでしたし、無名だった私を拾い、成長の場を与えてもらったことは心から感謝していました。でも、自分の人生に責任を持つのは、自分です。苦渋の決断でしたが、シーズン中のタイミングで引退を決意しました。
この時は、後ろを振り向かず、ひたすら突っ走りました。引退を告げる前日、当時の主将やお世話になった釜池先輩などに報告しに行きました。「お前の意思決定だからしょうがない」と言ってもらったことは、今でも鮮明に覚えています。
そうして、2019年10月、20年間のラグビー人生に終止符を打ちました。
NECは大手企業ですが、業績が悪化した時、クビになった社員の人がいました。その時、私は大した仕事をしていないのに、“ラグビー部”ということで会社に守られていることを痛感しました。
「もし将来会社が潰れて、その時50歳だったら……」と想像した時、裸でサバンナに放り出されるのと同じだと思いました。引退した選手の99%が会社に残るのが現実です。私もそのまま恵まれた環境で働くという選択肢がありましたが、これからは「個」の時代と言われています。「自分で生きていくとはどういうことか」を考えました。
自分のスキルを高めていくために、まず自分が何に興味があるか掘り下げたところ、一つはラグビーを通して「チーム」や「人」に関心があるということ。
ラグビーを通して学んだことは、「チームは変わるけど、変わらない」ということです。選手は変わらないのに、ヘッドコーチ次第で良くも悪くもなるチームってありますよね。
本当の意味でチームが変わるというのは、監督という外部要因に左右されず、選手全員が主体的に考え、実行する力をもつことなのではと思うようになりました。それが結果的に「本質的な強さ」なのだろうという結論が、ラグビー人生20年間の答えでした。
そう考えた時、相手の課題を引き出し、解決策をいっしょに探っていくコーチングやコンサルティング、そしてラグビーで培ったチームビルディングを追求してみたいと思ったんです。縁があり、昨年からコンサルティング会社で働いています。
全く違う分野への転職で、毎日がてんてこ舞いですが、ラグビーで学んだリーダーシップやコミュニケーションスキルの本質が仕事に生きていると感じています。
そう思えるのは、大学では主将を辞退したことで後悔し、NEC時代には再び巡ってきたチャンスを掴み取ったこと。そしてどちらのチームでも、空前絶後と言えるほどの低迷時にプレーをした経験があったからと言えます。
セカンドキャリアにおいて、現役時代のスキルすべてが役立っていると感じています。その中でも際立って思うことは、「一歩を踏み出す力」です。
例えば、走り込みの練習がある日は、朝から気が重いものです。練習が始まり、いざスタートラインに立ち、笛が鳴った瞬間――。
アスリートは第一歩を踏み出し、それを継続し、やり切ります。それはビジネスでも同じだと考えます。やりたくないことや理不尽な仕事もある中で、まず一歩を踏み出し、加速する。その力は、アスリートの誰もが持っている強みだと思います。
若手選手に伝えたいことは、その競技において「自分は何に興味があるのか」という関心を持っておくこと。私の場合は、それが「チーム」や「人」でした。中には、「食」だったり「コンディションの保ち方」だったり、「映像」に関心を持つ人もいるかもしれません。
一つの競技においても、様々な要素が含まれます。どの領域に関心があるかを見つけることができたら、それが今後のやりたいことにつながるかもしれません。
選手は自分の体を使って実験を繰り返す「研究者」と言っても過言ではないと思います。競技の“側面”を見て、自身の興味や関心を掘り下げていってください。
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