火事は、誰もが当事者になる可能性があるにも関わらず、共有できる情報が意外と少ない。火事にあったことをネットで発信したことが縁で、出会った火事経験者の3人。実際に被害にあった人しかわからない問題に悩んだ一方、火事にあったからこそ得られた発見もあったという。当事者だからこそ感じた火事の実態とは? 3人の言葉から、火事被害の課題について考える。(FUKKO DESIGN 木村充慶)
3人が出会うまで……
昨年2月、復興支援を行う社団法人「FUKKO DESIGN」を一緒に立ち上げた河瀬大作さんが火事にあった。
火災当日も行動を共にしていたのだが、奥さんから火事が起きたことを知らせる電話が来た時も隣にいて、一緒に現場にも向かった。
仲間であることはもちろん、普段から被災者の支援をしていることもあり、自分の経験を生かし、可能な限りサポートをした。
そんな中、同じく火事の被害にあった二人と話をした。
一人は会社の後輩の下枝弘樹さん。
河瀬さんが火事に遭う数日前に、自身が火事にあったことを書いたnoteを公開していた。
その記事を見た時はただ驚いただけだったが、数日後に河瀬さんが火事にあったので何か不思議な縁を感じた。
そこで、河瀬さんの火事のことを話し、是非アドバイスをしてくれないかと連絡した。
彼は快諾し、わかる事を色々とまとめて教えてくれ、その内容をそのまま河瀬さんに送った。
火事の当事者である彼のアドバイスはとても助かったという。
そして、もう一人はタップダンサーの村田正樹さん。
火事になった2週間後、村田さんから連絡をいただいた。
以前から知り合いだったが、しばらく話していなかった。
河瀬さんが火災後すぐに書いたnoteを、村田さんは読んでいていて「noteを見て勇気付けられた。実はボクも10年前に火事にあったんです。落ち着いたら是非会わせてもらえないか」とメッセージを送っていた。
河瀬さんはその後、仕事にも復帰し、少しずつ生活も落ち着いてきた。
そこで、改めて、みんなで会って火事について話をする機会をもった。

下枝弘樹(しもえだ・ひろき)
広告プランナー。3年前に火事にあう。賃貸のマンションに奥さんと二人で住んでいた。火事当時は二人とも外出中。帰宅するとマンションの自室が燃えていたという。出火原因は不明。火事がきっかけで借りていたマンションの大家さんと関係ができ、今では公私ともに付き合いがあるという。
河瀬大作(かわせ・だいさく)
テレビプロデューサー。昨年2月に火事に自宅があう。5人家族だが、火事にあった時、夫婦ともにすでに仕事に出かけていた。自宅には子供3人がいたが、幸い全員無事だった。出火原因は不明。現在、被害のあった家を修復中で2月に再建予定。
村田正樹(むらた・まさき)
タップダンサー。10年前に火事にあう。賃貸の一軒家に一人で住んでいた。火事当時は自宅2階で就寝していたが、1Fの風呂場から火が上がったという。現場検証の結果、放火と言われている。今まで火事について語ってこなかったが、この出会いを通じて火事のことを話すことにしている。
【関連リンク】不思議で素敵な出会いのお話|村田正樹|note
火事にあった人と初めて会いました
初めまして。火事にあった人と初めて会いました(笑)。
ボクは10年前、火事にあいました。
その後、ずっと火事についてネットで調べていたのですが、当時はなかなか情報がなかったんです。
そんな中、最近ふとSNSを見ていたら、河瀬さんのnoteの記事を見たんです。
普段コメントなんてしないのですが、この時はメッセージを書きました。
なんというか、その記事を見て、とても心が揺さぶられ勇気をもらえました。
火事にあって、すぐによく記事を書けましたね。
河瀬さん:
昨年、2月に火事にあったのですが、その後すぐにnoteで記事を書きました。
それは火事が起きた時に周りに仲間がいたからかもしれないです。
仲間2人(そのうち一人が著者)と千葉へ向かっていました。
その車中で、いきなり妻から火事にあったと連絡がきました。
普段からよく電話がくるから「またいつものように電話が来たな」と思って出たら、ちょっと違う様子で。
「家が火事だ」と。息子から連絡が来たようで、妻はとにかく慌てていました。
正直、はじめは何のことかわからなかったのですが、すぐに現場に向かいました。
途中、家の近くまで来た時、大きな消防車が我が家の方にむかっていました。
これはただことじゃないと感じました。
家のすぐ近くまでつくと映画でみるような「立ち入り禁止」と書かれた黄色いテープが辺りに張り巡らされていて。
そこをくぐると、消防士さんたちが消火活動をしているのが目に飛び込んで来ました。
息子と娘2人の3人が家にいました。
ボクは早朝に出かけていたし、妻も仕事で朝早く家を出ていて。
まず娘2人が火に気づいて、下で寝ていた長男を起こしました。長男が119番をしているあいだ、鍋に水をいれて火を消そうとしたみたいですが、あっというまに火は大きくなり、あわてて避難したようです。
そんな火事にあって慌てている自分の姿を仲間たちに最初から見られていたので、火事のことを人に話すことは、わりと自然にできましたね。
ただ、一旦noteに一部始終を書いてみたものの、公開するかどうか正直悩みました。
後輩にも相談したら、すぐに公開せず、少し寝かした方が良いのではとアドバイスをもらいました。
たしかにそうだなと思ったのですが、翌朝、公開してしまいました。
そうしたら、いろんな人からコメントいただいて。
村田さんとはその時、面識はありませんでしたが、そこにメッセージをいただいたんです。
ボクは火事のことは今までほとんどまわりに言わなかったです。
タップダンスをやっているのですが、その仲間たちは火事の時、親身になって助けてくれました。
そういった人たちには当時、困っていたことを話していましたが、他の人には決して言えませんでした。
言うことで引かれてしまうのではと思って。
やっぱり、普通の出来事じゃない。怖いと言われるのではという恐れがありました。

どうすればよいのか情報が出てこなかった
下枝さん:
ボクは話すこと自体は苦じゃなかったです。
多くの方に迷惑をかけたけど、持ち家でなく賃貸であったこと、
オーナーや周りの方が優しかったこともあり、救われた部分が多かった気がします。
あとは、妻とボクの家族は怪我もなかったことも大きいです。
ボクの場合は、家に着いた時、住んでいたマンションがもう燃えていて、まわりの人も近くに避難していました。
はじめはなんのことかわからず、マンションの前に立っていたのですが、消防の隊員が「何号室の人ですか」と質問してきました。
それで部屋番号を伝えたら「あなたのお部屋が火元です」と言われました。
すぐには、理解できませんでした。
ただ、妻がそこにはいなかったので、慌てて電話で連絡したのですが、まだ妻は働いていて。
それで、火事だからすぐに帰って来てと伝えました。
その後、合流して、外でずっと待っていました。
その日は寒い日でしたが、鎮火されるまでずっと外にいました。
管理人の方に、みんな1Fの待合室で待つようにと言われたが、自分のせいでみんなそこにいて、とても入ることはできませんでした。
火事になった後、ネットで火事になったらどうすればよいのか調べていました。
でも全く情報が出てこなかった。それなら、書こうと思ったんです。
それから火事があってからの経緯を手帳に書き溜めていきました。
ある程度まとまった後、このような経験を本にできないかと考えていたのですが、それからしばらくしたら、中国への転勤になってしまい流れてしまいました。
そんな経緯で止まってしまったのですが、やっぱり火事で困っている人もいるし、多くの人に伝えたいと思って今はnoteで火事のことを記事に書いてます。
【関連リンク】自宅が火事になりまして|Hiroki Shimoeda|note

土下座して泣いて謝り続けた火事の後
ボクは当時、古い一軒家を借りていたんです。
火事の日、仕事が終わったあと家に帰って2階で寝ていました。
夜中、花火みたいな匂いがして、「おかしいな」と思って一階に降りたんです。
そしたら、一階の離れにあった風呂場の浴槽が燃えていました。
慌てて火を消そうとしたのですが、どうにもなりませんでした。
それで、すぐに消防に電話をしました。
すぐに外に出て「火事だ!火事だ!」と叫びまわりました。
ただ、なすすべもなく、家はどんどん燃えていきました。
その後はほとんど記憶がないのですが、Tシャツとパンツの姿で、ケータイを握りしめて、外から燃える家を見ていたことを覚えています。
火事で家は全焼してしまった……。
しかも自分の家だけでなく、隣の家にも燃え移って半分焼けてしまいました。
命は無事だったものの、多くの人にとんでもない迷惑をかけてしまいました。
次の日、警察や消防の人が来て現場検証をしました。
何が原因だったのか当初はわからなかったのですが、火元である浴槽には、あるはずのないダンボールがあり、放火の可能性が高いと言われました。
ただ、多くの人に迷惑をかけたことが何より辛かったです。
火事の後、近所の方々から「どうして火事になったのか聞かせてほしい」という話があり、火事について説明する会がありました。
心配した母親も仙台から来てくれて、10名以上集まった近所の方に誠心誠意説明しました。
「ゴミは出していなかったのか?」「風呂を空だきしていたのか?」などと聞かれました。
どうして火事になったのかいろいろな質問を受け、それにお応えしました。
怒られているわけではないのですが、どうしても引け目を感じていきました。
当時ボクは30歳で、ちょっとやんちゃな見た目の問題もあり、信用されていないと自分で思っていたのかもしれません。
一生懸命質問に応えましたが、みなさんに納得いく話ができませんでした。
たくさんの迷惑をかけたので、「放火だったようです」と応えるのも、言い訳がましく、どうも違う気がして。
母親と一緒に、土下座して泣いて謝るだけでした。
当たり前かもですが、こんなにも人に迷惑かけているのだと思い知らされました。
なので、周りに言えることじゃないなと。
それがあって周りには火事のこと言えなくなりました。
河瀬さん:
ボクの場合も同じく近隣の方々に迷惑をおかけしました。
延焼はほとんどありませんでしたが、お隣の家の屋根を焦がしたり、火事で割れたガラスで車に傷がついたりしたんです。数日後、周囲の家すべてにお詫びに行ったのですが、「ウチのことはいいから。河瀬さんの家の方が大変だから、自分の心配をして」と声をかけてくれました。
周りの人の優しさがありがたかったです。

火事がきっかけで、大家さんと付き合いができた
ボクの場合は、大家さんがとても良い人でした。
火事の後、その日からどこに滞在しようかと考えていたら、大家さんは別棟を所有していて、「大丈夫か? 部屋あるから使ってくれて良いよ」と言ってくれました。
部屋は前の居住者が出て行ったばかりの部屋で、クリーニングがされていなかったのですが、大家さんの奥さんが綺麗に掃除してくれていました。
しかも、ただ掃除するだけでなく、「火が怖いだろうから」とIHにしてくれたり、キャンプ用の椅子を用意してくれたり、いろいろ細かいところまで気を使ってくれました。本当にうれしかった……。
火事のことを謝罪した時も、「起きてしまったことは仕方がないし、下枝さんが何か悪いことをして起きた火事ではないんだから。無事でよかった」とやさしく声をかけてくれました。
もともと、ほとんど話したことがなかったのですが、火事が縁で色々話ようになりました。
河瀬さん:
火事になると、善意が大挙して押し寄せてきますよね。
ボク自身は、ながらく仕事人間でしたので、ご近所付き合いは妻まかせで、地域とつながるみたいなことはほとんどありませんでした。
火事の後、家の近くのAirbnbの部屋を借りていたのですが、子どもの友達のお母さんたちが毎日きてくれました。
「これをもってきたよ」と食事や服などたくさんのものもってきてくれました。
この人が息子の友達のお母さんで、この人が娘の友達のお母さんで、と次々に繋がっていきました。
火事にあうことで、人の輪の中で生きていることを実感したんですよね。
今も結構仕事しているけど、軸足が変わったなと感じています。
会話がテンプレ化する(笑)
会社でも色々声をかけてもらいました。
みんな心配してくれてありがたいです。
でも、本当に多くの人が聞いてくるから、会話がテンプレート化しました(笑)。
河瀬さん:
わかるわかる(笑)。
3分ならこの話かな、5分ならこれだな、と引き出しができた(笑)。
下枝さん:
深刻な感じではなくて、面白く話していた気がします。
火事あるあるですね(笑)
河瀬さん:
火事があった人と話すとすごいなあ。
やっぱり共有できますよね(笑)