連載
#29 現場から考える安保
あの戦闘機、戦車は…50年分「防衛庁記録」YouTubeに なぜ今?
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年末年始、スマホで動画めぐりをした方も多かったのでは。私がはまったのが「防衛庁記録」でした。自衛隊創設間もない頃から半世紀にわたる映像を防衛省が一挙公開。その一部を紹介しつつ、いま公開の背景を聞いてみました。(朝日新聞編集委員・藤田直央)
「防衛庁記録」は、2007年に「省」になる前の防衛庁が、管理している陸海空自衛隊の活動を中心に紹介するため作ってきた映像記録です。これまでは複製が各地の部隊や一部自治体の図書館に配られるぐらいであまり知られていませんでしたが、昨年末にYouTubeでまとめて公開されました。
対象は自衛隊創設4年目にあたる1957年から2006年までの50年分。年ごとに20~30分に編集されています。昭和半ばから平成半ばにまたがるその内容をざっと見ると――。
まずは自衛隊発足当初の兵器の調達ぶりです。1960年の映像では戦後初の国産戦車「61式」や国産潜水艦「おやしお」が、61年の映像では初の試験飛行をする戦闘機F104Jが登場。いまは全て退役しています。
これらを「陸海空自衛隊の充実」と題して数分を割き紹介。敗戦による日本軍解体の9年後にできた自衛隊が、新憲法の下で自衛の範囲を超える「戦力」は持てないとされながらも、徐々に態勢を整えていく様子がうかがえます。
自衛隊の最高指揮官である時の首相の映像も見られます。防衛省に残る最も古い1957年の「防衛庁記録」では、岸信介首相が東京・明治神宮外苑での観閲式で訓示。「自衛隊は国民の自衛隊であらねばならない。国民の理解と協力なくして国の防衛はありえない」との肉声が聞けます。
1971年には、自衛隊幹部らとの会合に臨む佐藤栄作首相(岸氏の弟)と中曽根康弘防衛庁長官(後の首相)のツーショット。2006年の最後の「防衛庁記録」で洋上での観艦式に参加した首相は、岸氏の孫の安倍晋三氏でした。
編集のスタイルも時代を映します。1960年代までの「防衛庁記録」はBGMに吹奏楽のマーチが流れ、戦前のニュース映画のよう。70年代に入るとBGMはジャズやクラシック、ニューミュージックと多彩になり、映像もカラーに。テレビが普及した影響かもしれません。
そして1991年、「激動の年、平成3年は…」と急にドキュメンタリータッチに。この年は湾岸戦争後の機雷除去で自衛隊が初めて海外に派遣され、米国と対立してきたソ連が崩壊しました。自衛隊はその後、PKO(国連平和維持活動)や中国・北朝鮮への対応、災害派遣などに忙しくなり、「記録」はそれらをアラカルト風に紹介する形になっていきます。
この「防衛庁記録」50年分を一気に公開したきっかけと狙いは何なのでしょう。担当の防衛省広報課に聞いてみました。
防衛庁が防衛省に昇格した2007年以降の「防衛省記録」は、05年に始まったYouTubeで基本的に翌年に公開されてきています。それで昨年3月公開の2019年「防衛省記録」のDVD版を広報課員が省内の倉庫に収めに行ったところ、1957年以降の「防衛庁記録」がずらっと保管されていることに気づき、これも公開してはという話になったそうです。
「防衛庁記録」の古いものはビデオテープ、さらには8ミリフィルムなので、YouTubeで公開するにはデジタル化が必要でした。それが昨年末に終わり、年末年始の休みにコロナ禍で出歩けない人たちに刺さるのではということで、間を置かずに一斉公開。ツイッターで拡散しました。
【防衛庁記録】
— 防衛省・自衛隊 (@ModJapan_jp) December 28, 2020
防衛省公式YouTubeチャンネルでは、昭和32年以降に制作した自衛隊の活動記録を配信しています。
ここでは、昭和39(1964)年の東京オリンピックなどの昭和の貴重な活動記録もご覧いただけます。
この機会に是非ご視聴ください!https://t.co/9Vsl9MHTdW
今年は東京五輪が控えていることもありました。「防衛庁記録」には、過去3回の日本での五輪(1964年夏・東京、72年冬・札幌、98年冬・長野)で自衛隊が会場設営や運営を支援する映像が出てきます。五輪の年に、深く関わってきた自衛隊をアピールしたいというわけです。まさに私は年始にこたつで映像を楽しみましたが、防衛省の狙いはもっと若い人たちへの入隊勧誘にあるようです。
防衛省広報課では、「防衛庁記録」以外の昔のテーマ別の映像もYouTubeで公開することを考えています。その中には前回の東京五輪への自衛隊の協力ぶりや、注目を集めた戦闘機の開発に焦点を当てたものもあるそうです。川上直人課長は「その時々の世相もわかる貴重な映像です。国民の財産としてデジタル化を進め、多くの方に見てもらえれば」と話しています。
最後に、「防衛庁記録」を見た私の感想をもう一つ。そこには、戦後に憲法との関係で様々な議論が起きた自衛隊と、その管理組織である防衛庁が、国民に近づこうとする姿勢が率直な形で表れていました。
それはもちろん、防衛庁・自衛隊の活動ぶりや国民との交流をアピールする編集にも見られますが、意外だったのは不祥事やトラブルも避けずに取り上げ、国民に向けて見解を示していた点です。
例えば1978年の「栗栖発言」。自衛隊「制服組」トップの栗栖弘臣・統合幕僚会議議長が、日本が攻撃される有事に自衛隊が動くための法律が整っていないとして「超法規的にやる以外にはない」と語り、文民統制上問題だとして解任されました。
ただ、この騒動を機に政府の有事法制研究が本格化したことをふまえ、この年の「防衛庁記録」はこう締めくくっています。「昭和53年、今年は安全保障、防衛政策をめぐる論議に総括的な一応の結実をもたらした年である。そしてさらに今後の安全保障、防衛論議を全国民の支持の下、より現実的、具体的に発展させる魁(さきがけ)の年であった」
2006年の最後の「防衛庁記録」には「背広組」と呼ばれる事務方でトップの守屋武昌・事務次官が登場し、陸海空自衛隊の統合運用を進めるといった組織改革について説明しました。しかし翌07年の初の「防衛省記録」では、その守屋氏が同年に収賄容疑で逮捕(後に有罪確定)となったことを事務次官退任時の動画を添えて触れ、「防衛行政に対する国民の信頼を損なう深刻な事態」だと反省を述べています。
それに比べ、ここ数年の「防衛省記録」には違和感がぬぐえません。長くても約20分と「防衛庁記録」よりも短く編集し、「厳しさを増す安全保障環境」にどう対応するかを中心に説明しています。ただ、自衛隊の役割を拡大し国論を二分した2015年の安全保障法制成立や、2017年に防衛相辞任に発展した南スーダンPKO文書隠蔽問題については何も語っていません。
いまの「防衛省記録」は進めたい政策を説いてはいますが、国民に防衛省・自衛隊の現状を伝える「記録」になっているでしょうか。素朴な作りに実直さがにじんでいた「防衛庁記録」との隔たりを感じます。