連載
#8 金曜日の永田町
秘書官も慌てた「ガースー」発言 空回りする「万全」まるで精神論
2代続けて崩れた言葉への信頼
【金曜日の永田町(No.8) 2020.12.19】
政府が集中的に新型コロナウイルス対策を講じる期間と位置づけた「勝負の3週間」は、感染拡大に歯止めをかけることができませんでした。「敗北の3週間」と酷評されるなど、菅義偉首相にとって厳しい政権発足3カ月となりました。政権側はワクチンを行き渡らせることで感染を下火にし、来年夏に東京五輪・パラリンピックを開催することを描いていますが、そこにも立ちはだかる壁が――。朝日新聞政治部(前・新聞労連委員長)の南彰記者が金曜日の国会周辺で感じたことをつづります。
新型コロナウイルスの死者数が30万人を超えた米国で12月14日、ワクチンの接種が始まりました。トランプ政権で新型コロナ対策を担うペンス副大統領も18日、自身が接種を受ける様子を公開しました。
次期大統領への就任を確実にしたバイデンさんも16日の記者会見で、「私が接種する時は、皆さんが見ることができるよう公開する」と約束しました。国民に安全性を示すためです。米国では、ワクチン接種を進めるためにクリントン、ブッシュ、オバマの歴代3大統領もテレビカメラの前で接種する用意があると表明しています。
こうした新旧大統領の行動の背景にあるのは、ワクチンへの期待と共に、副作用などを懸念する世論の存在です。たとえば、世論調査会社のギャラップ社が11月に行った調査では、「今、ワクチンを無料で接種できるなら、接種に同意するか」という質問に、9月の50%から減ってはいるものの、37%の人が「NO」と答えています。
これは日本の政治家にとっても、他人事ではありません。
先の臨時国会(10月26日~12月5日)では、国が承認すれば、無料で接種できるようにするため予防接種法を改正しました。この改正法では、国民に接種の「努力義務」を課しています。ところが、NHKが12月11~13日に実施した世論調査では「接種したくない」と答えた人が36%。「接種したい」は50%にとどまりました。
12月4日の記者会見で、自身の接種について問われた菅さんは「最初は医療関係者とか、高齢者とか、これからそうした(接種の)順番を決めるわけであります。そういう中で、自分に順番が回ってきたら接種させていただきたいと思います」と述べました。
ただ、同じ日の午前中の記者会見で同様の質問を受けた加藤勝信官房長官は「接種するかどうかは最終的にはお一人お一人、自らの意思で決定していただく」と述べ、自身の対応については明言をしませんでした。
接種しない人に対して差別やいじめ、不利益な取り扱いをしてはならないことは、国会の付帯決議で、政府に求められたことです。「1人1人の意思」という加藤さんのようなスタンスの幹部が政権中枢にいることはバランスを働かせる意味では悪くありません。
一方で、多額の国費を投入して、ワクチンを準備した政府としては、いずれ米国の新旧大統領が考えているようなテレビカメラの前での接種も必要になるかもしれません。しかし、そうしたことが菅さんにできるのだろうか、と疑問に感じる事件が起きました。
新型コロナの感染拡大に歯止めがかからない状況のなか、12月11日に生出演した「ニコニコ動画」での一幕です。
司会のジャーナリスト、鈴木哲夫さんから「最初に番組をご覧の皆さんにメッセージをちょっとお願いしたいんですが」と振られた菅さんは「皆さんこんにちは、ガースーです。どうぞよろしくお願い申し上げます」と答えたのです。
「それだけですか?」
鈴木さんが思わず突っ込みましたが、菅さんは「どれぐらい言っていいかわからなかった」というだけ。ほぼ同時刻にテレビ各局が、東京都の新規感染者が「過去2番目の595人」と速報するなか、間の悪さが際立ちました。
鈴木さんは15日のラジオ日本の番組で、こう振り返っていました。
「秘書官の人たちもあのときはいっぱいいて、10人ぐらいいたかな。『ごあいさつどうぞ』といったら、いきなりあの『ガースーです』でしょ。秘書官の皆さんもみんなびっくりですよ。誰かが仕込んだんじゃないかという話もありましたが、秘書官の人たちもびっくりしていて、みんな知らない。菅さんが自分で考えたんですよ。僕らも失笑じゃないけど、びっくりして。思わず、僕も『それだけ?』と突っ込んじゃって」
「勝負の3週間」に有効な手立てを打てずに感染者を拡大させながら、緊張感を欠くリーダーの姿は、週末のテレビの情報番組で繰り返し流されました。
さらには、政府として感染拡大防止のため、「5人以上の会食」や「はしご」を避けるよう国民に呼びかけているにもかかわらず、自身が高級ステーキ店で二階俊博幹事長ら5人以上と忘年会に出席するなど、はしごを重ねていたことが批判を浴びました。複数のメディアによる世論調査で、内閣支持率は急落しています。
こうした批判を受けたことを意識したのか、菅さんは政権3カ月の節目となった12月16日、17日は夜の会食をせずに、赤坂の衆院議員宿舎に戻りました。
観光振興策「GoToトラベル」の全国一斉停止に舵を切るとともに、医療機関・従事者への追加支援も打ち出し、自民党からは新型コロナ対策の特別措置法の改正に向けた表明も相次いでいます。
しかし、特別措置法の話も、医療機関・従事者への支援が行き届いていないことも、10月26日に始まった臨時国会の冒頭から再三、野党側が指摘し、早期の改善を求めていました。
ところが、菅政権の腰は重く、新型コロナ関連で臨時国会中に成立させたのは、ワクチン接種に関する改正予防接種法だけです。新たな補正予算の提出もなく、臨時国会が終わった後の12月11日になって3856億円の予備費支出の閣議決定がされました。
生活が苦しいひとり親世帯を支援する「臨時特別給付金」の再支給にあてる費用も含まれていましたが、その8割は「GoToトラベル」の追加経費。医療機関・従事者などへの支援は盛り込まれていませんでした。政府・自民党の対応が後手に回っているのです。
臨時国会の審議をみていて、菅さんの新型コロナ対策の答弁はなかなかニュースにしにくいなと感じていました。具体的な対策が示されず、精神論のような答弁だからです。改めて議事録を読み返すと、浮かび上がったのは「万全」という言葉です。
「経験や科学的知見も踏まえて、地方自治体とも密接に連携して、国が主導して、万全の準備、対策を講じていきたい」(11月2日の衆院予算委員会)
「国民の命と暮らしを守り抜くという強い決意の下、地方自治体とも更に連携を強化し、それぞれの地域の実情に応じた万全の対策を講じていきたい」(11月25日の参院予算委員会)
辞書で念のため「万全」の意味を確認すると、「すべてに完全で少しも手おちのないこと」(岩波書店『広辞苑第7版』)と定義されています。
この「万全」という言葉は、「お答えを控える」という遮断の言葉と並んで、2020年の国会を象徴する用語でした。
安倍前首相と菅首相が「万全」という言葉を国会で使ったのは、127回にのぼりました。
1989年(平成元年)以降の国会で、首相が「万全」と口にした回数を調べてみると、1年間の平均が58.5回。今年は新型コロナ禍があったとはいえ、阪神大震災が起きた1995年の99回、東日本大震災・東京電力福島第一原発事故が起きた2011年の98回などを上回り、最多でした。
自分たちは完璧にやっている、理由は言えないけど、信用して任せてくれ――。
「お答えを控える」という答弁と合わせると、このような政権の姿勢が浮かび上がってきます。
東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長の森喜朗さんは、今年3月に「1年延期」を決めた経緯を語る朝日新聞のインタビューのなかで、「2年延ばした方がいいのではないですか」と安倍さんに尋ねたところ、安倍さんが「ワクチンができる。大丈夫です」と応じたと明かしています。
新型コロナの感染拡大に歯止めをかけられない状況のなか、「最大の政権浮揚策」と位置づける五輪・パラリンピックの開催に向けて、政権与党はワクチン頼みです。
しかし、ワクチンについては、まだわからないことがたくさんあります。菅さん自身も予防接種法の審議のなかで「新型コロナワクチンについては、いまだ開発途上であり、その安全性及び有効性については、現時点では明らかとなっておりませんが、引き続き、情報を収集しつつ、感染症予防の効果や副反応のリスクを含め、正確な情報について、国民への周知、広報にしっかりと取り組んでまいります」と答弁していました。
米製薬大手のファイザーは12月18日、新型コロナワクチンの製造販売の承認を厚生労働省に申請しました。日本政府は承認に先立つ同社との交渉で、来年6月末までに6千万人分(1億2千万回分)の供給を受けることで基本合意しています。政権は早期の承認に向けた動きを強めていくでしょう。
承認後には、米国のように、菅さんや安倍さんがテレビカメラの前で接種をする映像を流す手法も、本来ならありえます。
しかし、日本では難しい状況です。安倍さんをめぐっては、自身の政治資金規正法違反の疑惑について、「事務所に確認した」「私がここで首相として答弁するということについては、全ての発言が責任を伴う」とまで言いながら、国会で虚偽の答弁を重ねていた疑いが強まっています。
その一連の答弁には菅さんも「(安倍)総理が答えたことは事実」と加担していました。この新型コロナ渦という未曽有の危機において、2代続けてリーダーの言葉が信頼できない状況に陥っているのです。
来年の選挙イヤーへの影響を恐れる自民党は早期の幕引きをはかるため、安倍事務所に対する東京地検特捜部の処分が決定次第、年内にも国会で説明させる場をつくる方向で調整に入りました。「議院運営委員会の理事会」という非公開で議事録にも残らない場での開催も模索しています。過去には首相経験者が証人喚問に応じている事例もあります。「虚偽答弁」という議会制民主主義を壊す罪の重みをかみしめれば、公開の予算委員会でしっかり国民に謝罪をし、質疑にも応じるのが筋です。
安倍さんは、新型コロナ対応・民間臨時調査会が9月11日に行ったヒアリングに、4月の緊急事態宣言発出が「最も難しい判断」だったと振り返り、「あの法律の下では国民みんなが協力してくれないことには空振りに終わっちゃう」「(緊急事態宣言を)空振りに終わらせないためにも国民の皆さんの気持ちを合わせていかなければならない」と述べていました(同調査会の「調査・検証報告書」)。
いまの危機を乗り越えていく力を損ねているのは、信頼を失った政治の言葉でないでしょうか。信頼を回復させるにはどうしたらいいのか。菅さんや安倍さんには真剣に考えてもらいたいと思います。
《来週の永田町》
12月21日(月)2021年度予算案の閣議決定
12月23日(水)衆院国土交通委員会で新型コロナ対策に関する閉会中審査
12月24日(木)参院国土交通委員会で閉会中審査
12月25日(金)第5次男女共同参画基本計画を閣議決定。第4次計画まであった「選択的夫婦別氏制度の導入」の文言が自民党の反対で削られる見通し
◇
南彰(みなみ・あきら)1979年生まれ。2002年、朝日新聞社に入社。仙台、千葉総局などを経て、08年から東京政治部・大阪社会部で政治取材を担当している。18年9月から20年9月まで全国の新聞・通信社の労働組合でつくる新聞労連に出向し、委員長を務めた。現在、政治部に復帰し、国会担当キャップを務める。著書に『報道事変 なぜこの国では自由に質問できなくなったのか』『政治部不信 権力とメディアの関係を問い直す』(朝日新書)、共著に『安倍政治100のファクトチェック』『ルポ橋下徹』『権力の「背信」「森友・加計学園問題」スクープの現場』など。
※配信時にあった「子宮頸がんワクチン」についての記述は削除しました(2020年12月20日)
1/5枚