連載
#63 #となりの外国人
「ひとりでやっていける国」で結婚した訳、となりの外国人と見る日本
話す人がいる幸せ
日本で暮らし、働き、生活をしている外国出身の人たちと言葉を交わす中で、普通に思えていた日本の風景が少し変わって見えることがあります。「ひとりでやっていける国」で結婚したインドネシア出身の女性の幸せから、考えます。
11月末、FaceBookのニュースフィードに、友人の結婚式のライブ動画が流れてきた。都内にあるモスクでの挙式。ZOOMで、国内外にいる新郎新婦の親戚や友人が「参列」する。
いつもより、メイクばっちりで、きれいに、幸せそうにほほえむ新婦が、2008年にインドネシアから来日した私の友人だった。
彼女が夫の手に口づけし、夫が彼女の額に口づけを返し、愛を誓った。
見ながら「ようやく巡り合えたんだなぁ」とつぶやいていた。
ちょうど1年前。まだ、コロナ禍が海外の出来事だったとき、新大久保のインドネシア料理屋で、彼女と定食を食べた。まだそのとき、彼女は「誰かいい人、いないかな~」といつものように冗談っぽく笑っていた。
彼女は日本の病院で看護師として働いてきた。
世話好きで、顔も広い。看護師や介護福祉士候補として来日した数百人の仲間内では「お姉さん」役。いつの間にか、「自立した人」というキャラが定着していた。
来日したときは、「日本で大学院に入って勉強をして、母国に帰ったら大学で看護の教授になりたい」と夢を語る、しっかり者だった。
インドネシアでは看護一筋で、キャリアを積んだ。
「日本で看護が学べる」と期待に胸を躍らせて、来日すると、日本では「資格」がないため、注射器にすら触れない状況だった。インドネシアでは最前線のナースだったのに、日本での仕事はシーツ替えや掃除。「上司」も「先輩」も自分より年下。
それでも、働きながら、必死に日本語と看護の勉強をして、日本の国家試験に合格した。
そんな3年以上の「下積み」時代を振り返り、彼女は「とても注意深い日本では必要な教育だったのよ」と話すぐらいに、日本の理解者になっていた。
しかし、彼女でも、6年前に一度、日本の仕事を辞めて、インドネシアに帰ったことがある。日本の看護師になって3年目。
頑張っても、今以上のキャリアが描けない。「日本人以上」に仕事ができる自分を描けない。「日本人も社会人3年目ってつらい時期じゃない?」
気づけば、35歳。「そろそろ結婚したい」。「これぐらいでいいかな」
ところが、彼女は1年半で、日本に戻ってきた。
理由を聞くと、母国で交差点に立っていた時、ふと、「『私はこの町が気に入らない』って気づいた」という。
礼儀正しさや、人の丁寧さ、年長者を敬う態度。「日本にいる間に、日本の『普通』が染みついていたみたい。自分の母国なんだけど、なんだか生活態度が合わなかった」
帰国を境に、彼女はすっきりとしていた。
大学教授になるという夢は、「きちんと事故なく仕事しながら、患者さんに愛されて、楽しく生活していく」ことに変わっていた。
「患者さんと関われる『現場』が、何より楽しいとわかった」
日本でこそできる「ひとり」の時間も謳歌していた。休みにバスツアーに参加し、一人旅も好きだった。
インドネシアでは、女性が一人で旅をしていると、「ひゃー、勇敢だね」と声をかけられることが多いほど、女性がひとりでいること自体が「普通じゃない」雰囲気があった。
彼女は「日本にいると、ひとりでもやっていけるって思うことは確かにあった。結婚しないで働いている人もいたし、60歳、70歳でも独身の患者さんもいたからね」と言った。
それでも、彼女は「いつか結婚したい」という気持ちを持ち続けていた。「宗教観もあるのかも」。彼女はイスラムを信仰していて、イスラムでは家族を持つことが励行されている。
新婚10日目の彼女と話した。
夜10時、仕事から戻った彼女に電話で「おめでとう」と伝えると、「長かったよ~~」と返ってきた。
彼女の病院でもコロナ患者が増え、専用病棟ができている。結婚後、新婚旅行もできず、職場に戻ったという。「今日は疲れきった顔だから、ビデオ通話はNG」というので、顔は見られなかったけど、照れ笑いしているのがわかった。
「夫とは友達の紹介で会ったの。最初はタイプじゃないって思ったけど、力仕事を手伝ってくれたときに、優しくて男らしい人だなって」。同じインドネシア人、イスラム教徒。
その後、新居に帰って来た彼女の夫にも、どこにほれたのか尋ねた。「それは、カリスマ性があって、やさしくて、柔軟で、傾聴ができて、料理も上手で、天使みたいで・・・」と止まらなかった。「『もう結構』って言われたって、いくらでも言うよ。妻の良いところを誇るのは、夫としての義務だろ」と話した。
結婚することが「女の幸せ」だと締めくくるつもりも、日本とインドネシアを比べて「どちらがいい」というつもりもない。彼女がいうように、どちらにも長所短所がある。
それでも彼女に聞いてみた。「結婚して、どう? 幸せ?」
「まだ、結婚して10日目だし、分からないけど……。でも、家族と離れて日本でずっと一人だったじゃない? 話す人がそばにいる。気にかけてくれる人がいる。これは、本当にうれしいことだね」
インドネシアの未婚率はと調べてみると、すぐには見つからず、目立った話題は「田舎の低年齢での結婚の多さ」だった。
インドネシアにある「結婚しなければ」という社会的プレッシャー。筆者が、インドネシアで生活していた6年の間でも、その強さを感じることは多々あった。世界的な婚活サイトも駆使し、ワールドワイドに夫を探し、欧州や中東に嫁いだ友人も複数いる。
日本を「ひとりでもやっていける国」と表現したのは、日本で子育てしているインドネシア人ママだった。「日本は公共サービスが整っていて、核家族でも、ワンオペでも、子育てできる。『ひとりでできる』人が多くて、『ひとりでできない』私はプレッシャーを感じる」とぼやいていた。
結婚を選んだ友人が日本の病院で最初に驚いたのは、入院すると、日本では看護師さんが身の回りのことまで手伝うことだった。それがないインドネシアでは24時間体制で親族や友人が付き添っていた。「ひとりでやっていけない」からこそ、当たり前のように支え合う文化があった。
彼女にとっての結婚とは、生活のためだけではなく、これからもこの日本で、自分らしく生き続けることを選択するための、支えのようなものだったのかもしれない。
「ひとりでやっていける」からこそ選んだ、二人の生活からは、日本にもインドネシアにもない新しい結婚への価値観が浮かび上がる。結婚の理由が「話す人がそばにいる」だって、いいじゃないと思えてくる。
日本で生きることを選ぶ人は多様になっている。急激な変化に戸惑う人がいるかもしれないけれど、彼女のような人たちがいるから、様々な価値観が組み合わさり、当たり前だと思っていた風景をバージョンアップしてくれているのかもしれない。
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