連載
#21 WEB編集者の教科書
TechCrunch Japanに聞く、イベント運営ができる編集者の力
コミュニティを支える使命、イベント×メディアのこれから
情報発信の場が紙からデジタルに移り、「編集者」の仕事も多種多様になりました。新聞社や出版社、時にテレビ局もウェブで情報発信し、一方、ウェブ発の人気媒体もどんどん登場しています。また、プラットフォームやEC企業がオリジナルコンテンツを制作するのも、もはや珍しいことではありません。
情報が読者に届くまでの流れの中で、どこに編集者がいて、どんな仕事をしているのか。withnewsではYahoo!ニュース・ノオトとの合同企画として、『WEB編集者の教科書』作成プロジェクトをスタートしました。
当連載の第21回に登場いただいたのは、スタートアップの情報に特化したWebメディア「TechCrunch Japan」3代目編集長の吉田ヒロさんです。同メディアは、タイアップ記事や広告など従来メディアの収益構造から脱却するため、イベントに注力する運営体制を作り上げました。
しかし、新型コロナウイルス感染症拡大によって、2020年のイベント業界は大きな打撃を受けました。想定外の災厄に直面した「TechCrunch Japan」は、この荒波をどう乗り越えようとしているのでしょうか? ウェブメディアとイベントのこれからについて伺いました。(鬼頭佳代/有限会社ノオト)
TechCrunch 吉田さんの教え
・「ここに来る価値」をイベントの中で生み出す
・編集者は「モデレート力」と「専門性」が武器になる
・読者の所属するコミュニティを育てる
Webメディア「TechCrunch」が誕生したのは2005年、シリコンバレー。当時、アメリカで盛り上がり始めていたスタートアップ企業やプロダクトの紹介、スタートアップコミュニティの重要なニュース、イベントレポートなどを掲載するメディアとして始動しました。
翌2006年6月には、日本語翻訳版のTechCrunch Japanがスタート。その後、2010年の運営会社変更をきっかけに、日本市場独自の視点を交えた国内スタートアップに関するオリジナル記事を拡充していきます。
スタートアップイベント「TechCrunch Tokyo」の初開催は、新体制に変わった翌年2011年秋。当時、アメリカで盛況となっていた米TechCrunchの主催イベント「Disrupt」を日本ローカライズする形でスタートしました。
その後、同イベントは規模を徐々に拡大し、2018年の参加者は2300人超に。会場の渋谷ヒカリエでは立ち見が続出し、2019年は参加人数を調整するほどに成長しました。
「この数年は特に、起業家や投資家だけではなく、スタートアップと提携したい大手企業の担当者、そして東京にあるスタートアップコミュニティとの最初の接点を求めるプレ起業家の参加が増えました。日本社会でも、スタートアップへの注目の高まりを感じています」(以下、吉田さん)
「TechCrunch Tokyo」は10年近い歳月を費やし、日本最大級のスタートアップ・テクノロジーのイベントに成長しました。起業家と投資家の出会いに欠かせない場として注目されています。
加速する「TechCrunch Tokyo」の成長。しかし、2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、当然TechCrunchのリアルイベント実施が不可能になり、開催を断念せざるを得ない状況になりました。
日本と同じく、アメリカもコロナ禍に直面しています。そこで、アメリカのTechCrunch USが主催する「Disrupt 2020」は全セッションをオンライン開催に切り替えました。
「TechCrunchでの完全なオンライン化は初めての試みです。もちろん言語の壁を含め、さまざまな改善点が浮き彫りになりました。けれど、同時に今までになかった進化と可能性も感じました」
「Disrupt 2020」で用意されたのは、キーノートセッションを提供するバーチャルステージや、オンライン上で参加者と起業家、投資家が相互コミュニケーションできるマッチングツール、デモ体験や開発者と直接やりとりができる展示ブースなど。
テクノロジーを専門領域とするメディアらしく、さまざまなツールへの本格的な投資を行い、オンライン上でリアルイベントに近い体験ができる多くの工夫を凝らしました。
TechCrunch Japan編集部は、アジア向けセッションのゲストスピーカーをブッキング・サポートや日本でのチケット販売を担当。SmartNews COOの浜本階生さんのオンライン登壇も、TechCrunch Japan編集部からのリクエストで実現したそう。
「オンライン化によって、世界中のさまざまな地域からゲストを呼べるようになりました。また、日本を含むアジア、そしてヨーロッパからも、イベントにオンライン参加できる仕組みを作ろうと試みたのも大きな変化です。その点では、コロナ禍がプラスに働きましたね」
TechCrunch Japanにとって「TechCrunch Tokyo」のイベントは収益の柱になりつつあります。参加チケットは1枚4万円以上と、メディアが主催するイベントとしては非常に高価格帯です。
しかし、それでも集客ができるのは「ここに来ればいい出会いがある」という実績とブランドがあるからだ、と吉田さんは話します。
「私がTechCrunch Japan編集部に転職した直後は、参加費の高さに『本当に人が集まるのか?』と思っていたくらいです。しかし、参加者はここまで増え続けてきました。これは、高いお金を払ってでも参加する意味がある、ここにしかない出会いがあると思っていただけているからでしょう」
その言葉の通り、「TechCrunch Tokyo」の参加者は毎年増え続け、起業家と投資家のマッチングブースが盛況を博しています。
今後、オンラインイベントを継続するとしても、良い出会いや繋がりをどのように作っていくかが、イベントの成否を分ける大きな鍵になると話します。
「Disrupt 2020では、プロダクトのデモ映像を表示し、開発者にいろいろな質問ができるブースサイトが用意されました。従来のリアルイベントでは、開発者とのコミュニケーションは特定の時間にブースを訪れる人だけの特別な体験です。しかし、オンライン化によって、場所や時間の制限がなくなれば、より多くの方がプロダクトやサービスについて柔軟に情報を得られるようになるでしょう」
「オンライン化でより柔軟なコミュニケーションができるようになれば、商談率は対面のときよりもむしろ上がるんじゃないかとすら思っています。『オンラインリアルイベント』とでも言えばいいんでしょうか。次回以降は、イベント全体の参加者数をできるだけ増やしつつも、個別のコミュニケーションを少人数でしっかりとれるようなオンライン会場の設計が重要になっていくでしょう」
同社でイベント運営を担当するのは、TechCrunch Japan専属の編集者とライター計5名。その役割はメインテーマ決めから登壇者選び、招待客リストの作成、そして海外スピーカーとの出演交渉、当日の登壇まで多岐にわたります。
とはいえ、担当編集者はその間、メディアに掲載するコンテンツの企画や取材、執筆、編集などの通常業務を止めることはできません。そのため、イベント開催の直前は、どうしても多忙を極めることになるそうです。
さらに、TechCrunch Japanの編集者は当日のパネルディスカッションの司会進行などを務めることも。そのため、裏方業務だけではなく、モデレーターとして「前に出る能力」も求められています。
「私自身もそうですが、人前に出て何かをアピールしたり伝えたりするのがあまり得意ではない編集者は、わりと多いと思うんです。人前で話すような役割は、従来『編集長』と呼ばれるような立場の人間が担っていました。しかし、メディアとしてイベントを本格的に運営していくならば、現場にいる一人ひとりの編集者にも話す力が求められるでしょう。上達の近道はなく、とにかく場数を踏んで努力するしかありません」
人前でしっかりと話せる土台を作るために、中立的な立場でいるだけではなく、自身の専門性や意見を磨きあげておくことも重要だと続けます。
「TechCrunch USのライターは、さまざまな媒体を横断して書くのではなく、メディア専属なんです。さらに、バイオテックや宇宙など、特定分野の専門家として活躍している方が多い。単なる書き手としてだけではなく、専門家と一緒にトークセッションできるほど深い造詣を持つことで、活動の幅を広げている人も多いんです」
そのライターの記事はTechCrunchでしか読めないという状況を作ること。これは、メディア独自の色を読者にアピールすることにも繋がります。
「日本では、政治や経済の分野なら、ライターや編集部員がコメンテーターや解説者を務めることってありますよね。ただ、IT・スタートアップ分野では、その役割を担えている人が決して多くありません。まだまだチャンスがある領域なのではないでしょうか」
チケットだけではなく、TechCrunch Japanのイベントはスポンサーにも支えられています。ただし、記者と特定の企業が親しくなりすぎることによって、報道の独立性が保てなくなることを防ぐため、スポンサー探しはビジネスチームが別途担当しています。
スポンサー選定と交渉に関して、吉田さんは一つだけビジネスチームに注文をつけたそうです。
「食品や農業など、より多様な業界からスポンサーを探してほしいと頼んでいます。これまでスタートアップコミュニティのイベントのスポンサーの中心はネット企業でしたが、そうやってスポンサーが偏ってしまうと、やはりどうしてもテクノロジー企業に賞をあげてしまいがちになりますから」
「農業や医療は立ち上がりが遅く、投資期間が長いため、スタートアップにとってはしんどい分野なんです。テクノロジー企業だけではなく、さまざまな分野で挑戦をするスタートアップを支えられる体制を作っていきたいですね。スタートアップコミュニティをきちんと支援する仕組みが整備されないと、企業は伸びないし、海外勢に負けてしまうかもしれませんから」
さらに、吉田さんはアカデミックな領域が社会実装されていないことにも問題意識を持ち、先進的な研究に取り組む地方大学を盛り上げていきたいと考えているそうです。また、イベントの主催者として、ジェンダーバランスの是正についても取り組みを始めています。
「海外のスピーカーから、TechCrunch Tokyoの女性登壇者の少なさを指摘されたことがあります。確かに、スタートアップバトルの出場起業家の多くが男性。もちろんわかってはいたのですが、グサッときましたね」
男女の人口は半々。しかし女性起業家は母数が少ないため、メディアに注目する段階まで事業を伸ばせる女性起業家の人数はどうしても限られてしまいます。
「私たちもメディアとして、女性起業家の母数を増やすための努力をしていきたいですね。そんな思いから、女性起業家をフォーカスする連載もはじめています」
さまざまな形でスタートアップコミュニティを支えるTechCrunch。コロナ禍による影響はもちろん、そもそも編集者がメディア運営と同時にイベントを続けるのは大きな苦労が伴います。最後に、吉田さん自身がどうやって乗り越えているのかを伺いました。
「正直、イベントを継続していくのはめちゃくちゃ大変です。僕自身、もともとは記事を書くほうが得意で、人前に出てイベントを開くことにはそこまで興味はありませんでしたから。でも、TechCrunch Tokyoの企画を通し、こんな人同士をマッチングできたとか、聞きたかったことをリアルタイムでオブラートに包まずに聞けたりすると、編集者としてもすごく達成感がある。それが楽しいから、イベントをやっていくこと自体がモチベーションにも繋がっているのかな、とも思います」
TechCrunch 吉田さんの教え
・「ここに来る価値」をイベントの中で生み出す
・編集者は「モデレート力」と「専門性」が武器になる
・読者の所属するコミュニティを育てる
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