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連載

#17 Busy Brain

「字の多い本が大嫌い」だった小島慶子さんが読書を克服するまで

ADHDはよみとばしや早とちりなどが多いと言われますが……

小島慶子さん=本人提供
小島慶子さん=本人提供

目次

BusyBrain
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40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが語る、半生の脳内実況です! 今回は幼いころ、字の多い本が嫌いだったという小島さんが、苦手意識を克服したきっかけについてお話します。
(これは個人的な経験を主観的に綴ったもので、全てのADHDの人がこのように物事を感じているわけではありません。人それぞれ困りごとや感じ方は異なります)

字を読む時はいつも“返し縫い”

 前回は数学が苦手だという話をしました。おっと「そうか、ADHDは数学が苦手なのだな」と早合点しないでくださいね。「小島慶子は数学が苦手だ」という話です。私の全てがADHDによって決められているわけではありません。でもその影響で困ることがあるのも確かです。ややこしいですね。

 国語も、最初から好きだったわけではありません。幼い頃は字の多い本が大嫌いで、挿絵のページばかり眺めては勝手に想像を膨らませていました。文字は白黒でどれも似ており、読むのに骨が折れます。これは実は今も同じで、字を読む時はいつも“返し縫い”です。

 一度目を滑らせただけだと記号が意味に変換されないので何度か繰り返し見て、脳みそまで届くようにしないといけないのです。「見たけど読んでない」という感覚でしょうか。読もうとすると文字がちょろちょろ逃げてしまうような、飛び飛びに文字が抜けているような、もどかしい感じ。

 すごく感度の悪いバーコードリーダーを思い浮かべてください。あれ、イライラしますよね。会計の時になかなかピッと読み取ってくれない、あれです。スーッと文字の上を滑らせてピピピと意味化されるなら楽なのですが、エラーを連発するので何度も同じ場所を読まなくちゃならない。

 ADHDがあると読み飛ばしや早とちりなどが多いとも言われますが、この現象はそれが理由かもしれないし、そうじゃないかもしれない。読み始めて興がのると速くなるのですが、これまたもう一つ問題があって、どんなに面白がって読んだ本でもすぐに忘れてしまうのです。これまたADHDが関係しているかどうかは知りません。そういう人は珍しくないんじゃないでしょうか。

 むしろ全てを克明に記憶して、いつでもすぐに引き出せるようになっている人の方が特殊で、頭の中にとびきりのメモリーと検索機能を持っている稀有な人が、研究者やビジネスの成功者などになるのだと思います。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

音読するとなぜか黙読よりつっかえない

 本が読めるようになったのは、9歳年上の姉の読み聞かせのおかげです。よく風邪をひいて寝込んでいた私の枕元で、姉はいろんな子ども向けの本を読んでくれました。あんまり面白がってせがむので疲れたのでしょう、姉はある時、幼い妹が自力で読めるように仕込むことにしました。

 当時まだ中学生だった姉は、生来の優れた教師でした。「慶子、自分で声に出して読んでごらん」というので、音読してみたら喝采(かっさい)してくれて、気をよくして読んでいるうちに滑らかに音読できるようになってきました。

 すると「こそこそ声で読んでみてごらん」というので、声帯を震るわせないで息だけで読むようにしたらまた絶賛。それをやっているうちにだんだん声なしでも読めるようになって、姉はめでたく読み聞かせから解放され、私は読書の喜びを知ったのでした。

 今も読むときは返し縫いですから、効率は良くありません。表意文字は絵に似ているので漢字混じりの日本語は意味がつかみやすいものの、厄介なのは英語の文章で、全て表音文字なのですごく読みにくい。単語を一塊の図柄として覚えようにも形が単調で似ているし、読んでいるうちに視点がぶれてすぐに迷子になってしまいます。

 本当は、単語を分解してそれぞれの意味や元の意味にあたり、熟語のように覚える語源学習法を身につければいいのでしょうが、時間がなくてそこまで手が回らず、仕方がないので急いでいる時は音読します。音読するとなぜか黙読よりもつっかえないし、意味が頭に入ってきやすいのです。日本語でも何度も読み取りに失敗する時は、ぶつぶつ声に出して読んだりします。

 アナウンサーをやっていた時に我ながら不思議だったのは、テレビのニュースでもラジオのリスナーからのメールでも、初見の原稿を下読みなしでつっかえずに大変すらすら読めることでした。

 アナウンサーの訓練では、声に出しているところの数文字先を目で読むように言われます。先回りして文字を見ておくと、音声化がスムーズに行われるということのようですが、それにしても他人より随分すらすら読める。便利な脳みそに生まれたなあと思っていました。

 これはもしかしたら音読だったからこそ、上手にできたのかもしれません。もちろん慣れとか、文意や文脈をつかむのが得意とか、いろんな理由があると思いますが。

 iPhoneのホーム画面を編集するとき、アイコンがウヨウヨ動いている状態になりますよね。ちょっと指で触れると動いたり消えたりしてしまう。私が黙読するときの文字列の見え方はちょっとあんな感じです。でも音読すると、読んだ文字はスマホ画面の編集モードを完了したときみたいにピタッと動きが止まって、あるべき場所に固定されます。だから今自分がどこを読んでいるのかが分からなくならず、つっかえずに読み進めることができるのです。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

紙とペンで書くことは神業

 一方、書くことで言えば、私はキーボードと画面なくしてはものを書く仕事はできなかっただろうと思います。とにかく書き直しが多いし、一文書くのにも文節が前後したり時制が違ったりもう、修正ばかり。打っては消し、打っては消しで画面上で文章を作っていくので、紙にスラスラなんてとても無理です。

 麻雀牌(パイ)箱からざあっとぶちまけてガシャガシャかき混ぜてから並べて、新しい牌が来るたびに並べ替えて入れ替えて……ってのとちょっと似ています。そんなことができるのはデジタル技術のおかげです。子どもの頃は辛かったなあ。原稿用紙やノートに鉛筆でしたから、紙がべこべこになるまで何度も消しゴムで擦(こす)って、破ってしまうこともありました。

 文学館なんかで毎度驚嘆するのは、昔の作家の原稿って万年筆で、しかも書き直しが驚くほど少ない。そういう部分を選んで展示しているのかもしれないけど、それにしても超人ですよね。

 林真理子さんも万年筆でお書きになっているそうで「頭の中で出来上がったものをそのまま紙に書く感じ」とおっしゃっていました。一晩で一気に原稿用紙50枚書いたこともあるとのこと。わああ。もしかしたら林さんは特別で、編集者さんたちはいろんな作家の混沌とした地獄のような原稿をたくさん見ているのかもしれないけれど、それだって紙とペンですから、私から見れば神業(かみわざ)です。

 今は紙資源を大切にしなくてはならないし、私が紙とペンでものを書くことは死ぬまでないと思います。


写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

宇宙飛行士と考古学者も喜びは同じ

 前回書いたように、私にとっては数の世界はモノクロで文字の世界はカラフルです。でももしかしたら数学が得意な人には、数の世界こそがカラフルで無限の可能性に満ちて見えるのかも知れませんね。言葉の世界は独断や偏見によって歪(ゆが)められ、人間が勝手に書いたインチキな書き割りのように見えるのかも。

 人間世界の外側に向かって視野を広げていくのが数の旅なら、内側の淀みの中に分け入っていくのが言葉の旅。人が作ったのではない世界の法則を美しいと思うのも、人を成り立たせている得体の知れない仕組みに魅了されるのも、「知らないものを知るのは面白い」ということでは同じです。

 たとえば宇宙飛行士と考古学者は、探っている場所は正反対ですが、どちらも知の喜びを尊ぶことに変わりはなく、どちらもわざわざしなくてもいいことに人生を費やしているとも言えます。しかし、そうせずにはいられないのが人間なのですね。

 大脳新皮質が肥大化したばかりに思考のエナジーを持て余して、余計な苦労を買ってでるような進化を遂げた人類は、この知りたがり屋の貪欲な脳みそにふり回される宿命なのでしょう。発達障害はその厄介な進化の複雑な態様の一つなのだと思えば、さほど珍しいものでもないのかもしれません。



小島慶子(こじま・けいこ)

エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。

 
  withnewsでは、小島慶子さんのエッセイ「Busy Brain~私の脳の混沌とADHDと~」を毎週月曜日に配信します。

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