連載
#16 Busy Brain
数学が苦手だった小島慶子さんの疑問「どうしてこの公式を使うの?」
他の解き方があるかもしれないのに?と、気になって次に行けないのです。
40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが語る、半生の脳内実況です! 今回は、「数字の世界は白黒の単調な眺めで、退屈」に感じたという小島さんが、数学が苦手だった理由を振りかえります。
(これは個人的な経験を主観的に綴ったもので、全てのADHDの人がこのように物事を感じているわけではありません。人それぞれ困りごとや感じ方は異なります)
今回もまた“ADHDらしさ”とは関係のない話かもしれません。人間はいろいろな要素が複雑に絡み合って出来上がっているので、自分がやらかしたことがADHDであるがゆえに起きた現象なのかどうかを、自分で明確に区別するのは難しいのです。貝から真珠を取り出すようにつまみあげて「これです! 純度100%の発達障害ですよ!」と言えたら、わかりやすいのでしょうけれど。
私は数学が苦手な子どもでした。数字の世界は白黒の単調な眺めで、退屈なのです。いわゆる抽象的概念の取り扱いが苦手だったのでしょうね。
大人になってから数学が得意な友達と話していたら、彼女は「数ってなんて美しいんだ!」と思いながら解いていたそうです。逆に国語の授業では「決まった答えがあるわけじゃないのに、先生の思い込みを聞かされるなんて意味不明」と、すぐに眠くなっていたのだとか。私とは正反対だなあと、とても面白く思いました。
確かに数の法則は、それを扱う人物がどのような経験や価値観の持ち主であるかに関係なく、常に清澄な真理の光に照らされています。私はそんな数の世界に敬意を払いつつも、曖昧で姿が定まらず、いく通りにも解釈できる言葉の世界に魅了されていました。国語の記述回答や作文が好きだったのは、決まった答えがなく、自由に考えることができたからです。
日本の学校の算数や数学の授業では「この手の問題では、この公式を使う」と習いますよね。私はそこで毎度引っかかってしまい、前に進めなくなってしまうのです。え、ちょっと待って、なんでこの公式を使うって決まってるの?もしかしたら他の解き方があるかもしれないのに?と、気になって次に進めないのです。
友人に聞くとみんな「そこは流していいんじゃないの」と言います。そう言われるとますます理由が知りたくなります。「そうじゃないかも知れないのに?」という不安があるのです。不安というよりも、それについて納得できるまで説明されていないことへの不満です。まあ説明してもらえなくてもしょうがないですね、他の子よりも理解が遅かったのですから。
学校の授業というのは、最後の一人が理解できるまで待っていてはくれません。私のように、納得するまで理解したいとこだわる生徒に合わせていたら、数学が得意な生徒は焦(じれ)ったくて授業が嫌になってしまうでしょう。「普通の子に合わせて、一斉に」方式では、物分かりの遅い子も、人一倍早い子も、どちらもこぼれ落ちてしまうのです。
不登校の子どもたちの中には、学校の授業が退屈すぎて辛いという子もいます。学びがゆっくりの子も、うんと早い子も、その子に合わせた学習法で学べる環境に出合えることが大事です。最近ではeスポーツやプログラミングの特別授業などを使って、学校の授業では見い出されづらい才能を持っている子を発掘しようとする取り組みもあるようです。
ちなみにオーストラリアでは小学生から2年に1回の全国学力テストが行われ、上位数%に入った子どもは、通常の授業の他に特別なプログラムに参加することができます。アート、科学系などさまざまなアクティビティ(活動)に挑戦できるコースが用意されており、1学期ごとに違うコースを体験できます。ハイスクール(日本の中学・高校に当たる)にはGifted&Talentedの子どもたちのコースがあり、勉強やアートが得意な子は、その特性に合ったレベルで教育を受けることができます。
小学校のときから数の世界が苦手だった私は、授業を理解するのにうんと時間がかかったのに加えて、「それはそういうものだと思って先にいきましょう」という学習の進め方との相性が悪かったのかもしれません。
学習でも身支度などでも、こだわりスイッチが入ってしまうと厄介なのです。ここは流せばいいんだというアドバイスが合理的なのはわかっているのだけど、生理的にどうしてもスルーするのは気持ち悪い。周囲がうんざりしているのも、馬鹿げた意地だと言うのもわかっているのに、そこをクリアするまでは一歩も動くもんか、と決意してしまうのです。
なぜ「この手の問題ではこの公式」なのか、納得するまで説明してもそうですし、出がけに持っていこうとしていたものが一つ見つからないだけで、見つけるまで出かけない!ということも子どもの頃はよくありました。これでは周囲は大変ですよね。
こだわりといっても、決まった行動に執着するのではなく、スイッチが入ると、目の前の事から動けなくなるという突発型です。事態が自分の思うようにならないことに怒って、執着する。これはよくよく考えると、イメージした通りにできない自分への憤りなので、完璧主義が原因だったのかも。
大人になってからは、そういうことはほとんどなくなりました。子育てがいい訓練になりました。子どもという存在によって、鍛えられたのです。育児はこまごまとした家事の集大成なので、臨機応変に手際よくしないと回らないし、赤ん坊は全く思い通りにならず、予想外の出来事の連続。自分のこだわりなんか構っている暇はありません。完璧主義どころか、6割できてれば合格!と一気に基準が下がりました。
数学が苦手だった理由は、頭の中で映像化しにくかったからです。図形を扱う幾何はわりと好きでしたが、代数は壊滅的でした。そもそも数学は抽象的な概念を扱うものですから、頭の中で絵にならないのは当然です。
高校の時、先生の説明を聞いても、サイン、コサイン、タンジェントの数式が表すものが頭の中で全く映像化できませんでした。そこで手をあげて「あのすみません、先生。今私たちは、この世界の何についての話をしているんでしょうか」と尋ねたら「三角関数ですよ」というので、「だからその三角関数というのは、具体的に私が生きている世界の何の仕組みを明らかにしているんですか」「数学は抽象的な思考訓練のために必要なのです」「いや、でも今自分が何について思考しているのかがわからなければ意味がないでしょう」などと問答になり、結局大喧嘩になってしまいました。
「そもそも高校になってからも数学が必修の意味がわからない、こんなものなくても生きていける」などと反抗して、人生に数学が無用であることを証明するために内部進学試験でわざと数学で0点をとり、国語や生物や歴史など他の科目で満点近くをとって、志望通り人気の学科に進学したそうです。
そうです、というのはそれをすっかり忘れていて、40歳くらいになったときに母校で再会した生物の先生から教えてもらったのです。なんという無駄な反抗でしょうか。しかも数学は確かに人生に必要だと、年齢を重ねるにつれてわかりましたから、あの先生は正しかったのです。
でももしあのとき「ピザをきちんと切り分けるためですよ」とか「星までの距離を測るのに便利なんですよ」などと、なんでもいいから目に見えるものの話をしてくれたら、私は三角関数が「なんの話」なのか想像できて、安心したでしょう。
「なるほどピザを正しく切り分けるのは楽しそうだ」とか「星までの距離って、言われてみたら測り方わかんないな」と、頭の中でこねくり回していろいろ想像できる図柄を与えてもらえたら、先に進むことができたはずです。
もしかしたら、数学が得意な人は、数式を見ると頭の中で華麗な抽象画のような映像が展開するのかもしれませんね。あの無機質な数字と記号の羅列からそんなカラフルな世界を思い浮かべられるのだとしたら、すごいなあ。他人の脳みそは覗くことができないので、「数学がわかる」ってどんな感じなのか、私には想像もつきません。
小島慶子(こじま・けいこ)
エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。
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