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コロナの防疫くぐり抜け…ヨットで入国したカナダ人「お前スパイ?」
2週間の大航海で得た〝気づき〟韓国沖ではヒヤリ…

コロナ禍のさなか、ロシアからヨットに2週間乗って日本にやって来たカナダ人がいます。
朝鮮半島沖に現れた謎の「6つの光」、台風14号との「レース」、航海6日目に知った「意外なニュース」・・・・・・。
ネットもシャワーも使えない「大航海」は、予想外の連続でした。そして、旅が終わって、気づいた大事なこととは――。(朝日新聞記者・小川 尭洋)
息子に会うため海路で2週間
「ヨットで2週間かけて日本に着きました!」
10月中旬。日本に戻りたい外国人の間で情報交換するフェイスブックのグループページに、あるカナダ人の投稿がありました。

記者が本人に、フェイスブックでダイレクトメッセージを送ると、翌朝に返信がありました。
「タカヒロさん(記者)、私の話に興味を持ってくださり、ありがとうございます」
彼は、コリン・ローワットさん(49)。イギリスのバーミンガム大学で講師として働くカナダ人です。
ローワットさんの2週間のホテル隔離が終わった11月初旬、ビデオ会議で話を聞きました。
隔離の疲れを感じさせない笑顔に、好奇心に満ちた少年のような瞳。そして、開口一番に「日本に来られてワクワクしてる。『忠臣蔵』『沈黙』『もののけ姫』。映画も小説もアニメも大好きなんだ」と日本愛を語ってくれました。
ローワットさんの来日の目的は、東京で元妻と暮らす長男と次男に会うことでした。
かつてはロンドンで家族と暮らしていましたが、数年前に離婚。元妻と子どもたちは諸事情で、東京に移住しました。以降、ローワットさんは、子どもたちに会うため、年に3回ほどのペースで来日しています。カナダ人のビザなし渡航が制限される前の今年3月も、日本を訪れました。
ロシアの船会社から「お前はスパイか?」
ローワットさんが日本へ入国する方法を調べ始めたのは、6月。まず、日本外務省のホームページにある入国制限の情報について、確認しました。
日本政府は、4月、イギリスやロシアなどを上陸拒否の対象に指定(11月1日現在、計152カ国・地域が対象)。対象の国・地域に2週間以内に滞在していた外国人は、ビザなしでは日本に入国できなくなりました。ビザがないローワットさんも、仮に飛行機でイギリスから日本に向かったとしても、イギリスに滞在歴があるので、入国を拒否されてしまいます。
そこで、ローワットさんは、「上陸拒否国で2週間以内に滞在していたらNG」という条件に着目しました。「もし、出国後、2週間以上かけて移動したら、2週間以内にどの国にも滞在していないことになり、入国条件をクリアできるのでは」と考えたのです。そして、様々な乗り物を検討する中で、「ヨットなら、燃料を使わず、ゆっくり2週間以上かけて移動できる」と気づきました。
日本までヨットで行ける範囲の地域を調べる中で、最終的にロシアが唯一の候補として残りました。ロシアはイギリス在住者の入国制限を解除したばかりでした。
ロシアの船会社に相談したところ、はじめは、「お前はスパイか?」と疑われたそうです。「無理もないよね。このコロナ禍の中、カナダ人が『ヨットで2週間かけて日本に行きたい』と、変なことを言い出すんだから」

「法律上、問題ないが・・・」入管庁もびっくり
事情を説明し、疑惑は晴れたローワットさん。交渉は順調に進み、9月24日に飛行機でロンドンを発つことになりました。
そして、ウラジオストクに到着後、29日に出航する準備が整いました。

後日、この「海上で2週間作戦」について、記者が、出入国在留管理庁に尋ねたところ、担当者も「法律上、まったく問題はないが、コロナ禍の入国制限の中で、こうしたケースは聞いたことがない」と驚いた様子でした。

ちょうど、コロナによる世界の死者数が1万人を超えた日でした。「嫌な日でしたね。でも、私はロンドン出国前にPCR検査を受けて陰性だったので、準備は万全でした」

船長は、ロシア人で、ヨットで日本一周もしたことがあるベテラン。ほかに、料理や雑務などを担当するロシア人の船員2人も乗り込みました。東アジアの航海に慣れた、頼もしいメンバーでした。
ヨットは、全長13メートルほどの「ティブロン」(ニュージーランド製)。速度は、速い時で8ノット(時速15km)ほどです。
動力は風とディーゼルエンジンで、照明などのために発電機もありました。ガスタンクもあり、コンロで調理もできます。
ローワットさんが、終始苦労したのが、船の揺れです。夜は寝つけない日もあったそうです。
「ベッドから落ちないよう、しがみつくだけで精いっぱい。残念ながら、私の専門分野である経済学は役に立たなかったね」と振り返ります。

韓国沖で「6つの光」に遭遇
幸いにも、今回は、北朝鮮沖で危険な目に遭うことはありませんでした。
《航海5日目 10月3日(土)》
北朝鮮沖を抜け、韓国沖に入った日。夕食後、ローワットさんたちは、「6つの光」を見つけました。「複数の漁船のようでしたが、どこの国の船なのかは分かりませんでした」。船内に緊張が走りましたが、それ以上はお互い近づくこともなく、そのまま通り過ぎることができました。
「恐怖よりも、好奇心や『美しい』という感覚が勝って、写真を撮ってしまったよ。夜はずっと真っ暗で退屈だったからかな」

韓国沖で「Wi-Fiが拾えるぞ!」
韓国の沿岸寄りに進んでいる時、船員の声が聞こえました。
「この辺りは、無料の公衆Wi-Fiが拾えるぞ!」
ローワットさんは、スマートフォンをネットにつなぎ、ニュースサイトで「コロナ感染のトランプ大統領が入院中」という見出しを目にしました。
「あれだけ豪語していた人が感染するなんて、驚きました。彼も我々のように、船内で隔離されていれば、安全だったかもしれないのにね」
韓国沖に入ってからは、ヨットは帆を小さくたたみ、減速しました。通常のスピードで進めば、2日もあれば着いてしまいますが、それでは、日本の入国条件を満たすことができないのです。ロシア出国から、まだ6日。海上で2週間過ごすために、九州へ、ゆっくり1週間以上かけて進む必要があります。

「ああ、私って経済学者だったんだ」
残るリスクは、当時、四国沖を北東方面に進んでいた台風14号(チャンホン)でした。「もし、北寄りの進路で進めば、私たちのヨットも暴風域に入り、航海中止の可能性がありました。私たちと台風のどっちが速いか、手強いレースでしたね」
幸い、台風14号は、10月11日にかけて伊豆諸島に近づいた後、南寄りの進路でUターンしました。
前の週からノーベル賞ウィークが始まっていました。経済が専門のローワットさんは、毎年、経済学賞に注目していましたが、「今年はヨットの上で、経済学賞の日程もすっかり忘れていたよ。家族が『オークション理論の研究が受賞した』とメールしてくれて、やっと思い出したんだ。そして、ああ、私は経済学者だったんだと(笑)」。
「海の上では国籍も、年齢も、難解な経済理論も関係ない。航海という非日常を楽しむ、シンプルにそれだけでいいんだよね」

航海も人生も同じ「ゴールは大事だけれど」
ロシア出国から15日間が経ったこの日。午前10時すぎ、ヨットは博多港に入りました。上陸許可のスタンプをもらい、福岡市内の民泊マンションへ。そのまま、ぐっすり寝たそうです。
「前夜、風に揺られていたので、どっと疲れが襲ってきたんだ。シャワーやベッド、洗濯、コンビニ。『普通の生活』に感動したよ」

そこまで疲れたなら、やはり船より飛行機の方が良いと思いませんでしたか?
「もちろん、飛行機の方が楽だけど、海の上だったからこそ、見えた世界があった。最新のニュースが分からない生活でも、毎日、予想外の発見があったからね!最初は子どもに会うことが最大の目的だったけれど、移動の途中にも大切なものがあることに気づいたよ」
ローワットさんは、子どもと離ればなれになっていますが、この旅で「人生の捉え方も少し変わった」と言います。
「ヨットの旅も、人生も、同じじゃないかな。ゴールは大事だけれど、その過程で、どんな出会いや発見があって、どのように進んだかも、かけがえのない思い出になる。たとえ、思い通りにいかなくてもね」
ローワットさんの滞在期限は、来年の1月中旬まで。「子どもや友人たちと会ったり、研究論文を書いたりして過ごしたい」と話しています。

「寄り道も楽しもう」 大航海が教えてくれたこと
ところが、ローワットさんから話を詳しく聞くと、腑に落ちた部分もありました。息子に会うこと以外にも、旅の途中には貴重な体験や発見が数多くあったのです。
印象的だったのは、入国制限や、息子との遠距離生活、不便なヨット生活について、悲観的どころか、むしろ楽しそうに語るローワットさんの様子でした。
制約がある中でも「ゴールだけでなく、寄り道も楽しもう」というローワットさんの生き方が、今回の「大航海」にも表れているように見えました。
「効率の良さ」が優先されがちなコロナ禍の今だからこそ、心にとめておきたい姿勢だと感じました。