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連載

#17 WEB編集者の教科書

肩書を捨てる・節目で決断…私たちがフリーランス編集者になったわけ

フリーランスの編集者として活動する(左から)西山武志さん、木村衣里さん、あかしゆかさん、長谷川賢人さん=栃久保誠撮影
フリーランスの編集者として活動する(左から)西山武志さん、木村衣里さん、あかしゆかさん、長谷川賢人さん=栃久保誠撮影

目次

WEB編集者の教科書
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情報発信の場が紙からデジタルに移り、「編集者」という仕事も多種多様になっています。新聞社や出版社、時にテレビもウェブでテキストによる情報発信をしており、ウェブ発の人気媒体も多数あります。また、プラットフォームやEC企業がオリジナルコンテンツを制作するのも一般的になりました。

情報が読者に届くまでの流れの中、どこに編集者がいて、どんな仕事をしているのでしょうか。今年5月からスタートしたwithnews、Yahoo!ニュース、ノオトとの合同企画『WEB編集者の教科書』作成プロジェクト。第17回はフリーランスの編集者たちによる座談会前編です。どのようなきっかけでウェブメディアに携わるようになったのか。なぜ、フリーで活動する道を選んだのか。第一線で活躍する4人がこれまでのキャリアや決断のときを語りました。

「編集がしたい」函館から上京

座談会に集まったのは、編集プロダクション出身の木村衣里さん、ウェブメディアなどでの経験がある長谷川賢人さん、事業会社のオウンドメディアに携わっていたあかしゆかさん、そして大学在学中からフリーで活動する西山武志さんです。

司会は、ウェブメディアや編集プロダクションでのキャリアがあるwithnewsの朽木誠一郎副編集長が務めました。

withnewsの朽木副編集長(右から2番目)が司会となり開かれた座談会=栃久保誠撮影
withnewsの朽木副編集長(右から2番目)が司会となり開かれた座談会=栃久保誠撮影

朽木:みなさん今はフリーランスですが、ウェブメディア業界にはどのように入ったのですか?

木村:この業界に入ったのは、上京してきた2014年からです。北海道の函館市出身で、地元では全然違う仕事をしていたんですけど、編集者になりたくて。紙の編集がしたくて、「編集の仕事なら東京だ」と上京してきました。だけど、出版社は狭き門じゃないですか。未経験者が入れるような求人はありませんでした。

たまたま見つけたのが、今はヒャクマンボルトという会社の代表をしているサカイエヒタさんが率いていた高円寺にある小さな編集チーム。編集の求人を見つけて、「私はここに入る運命なんだわ」って面接に行きました。そしたら受かり、編集者としてのスタートになりました。

そこでは1年勤めて、前職のプレスラボというウェブに特化した編集プロダクションに3年半いました。2018年7月から独立して、フリーランスです。

木村衣里(きむらいり)=栃久保誠撮影1990年生まれの編集者/ライター。北海道函館市出身。Web系編集プロダクションを経て2018年7月に独立。フリーランスの編集ギルドチーム「Huuuu」所属、「東京銭湯 - TOKYO SENTO -」元編集長。全国を飛び回りながらいろんなお風呂にはいるのが好きで、動物はもっと好き。この世で一番愛らしいのはカバだと思っています。
木村衣里(きむらいり)=栃久保誠撮影
1990年生まれの編集者/ライター。北海道函館市出身。Web系編集プロダクションを経て2018年7月に独立。フリーランスの編集ギルドチーム「Huuuu」所属、「東京銭湯 - TOKYO SENTO -」元編集長。全国を飛び回りながらいろんなお風呂にはいるのが好きで、動物はもっと好き。この世で一番愛らしいのはカバだと思っています。

新卒3年目の転機

長谷川:僕は2009年に大学を卒業しました。大学では小説を勉強していて、そういう奴はだいたい出版社を目指すんです(笑)。だけど縁がなくて、どこにも入れなかった。それでも、好きなものは本ぐらいしかない。本にまつわる業界で就活していたら、受かったのが紙の専門商社でした。

紙の会社ですから編集とは無縁で、1年目は営業の内勤で電話を取ってばかりいました。そこから、2年目の時に「ネットストアを作る」と会社が言い出して。「やりたい人いないか」って声がかかった時に手を挙げたんですよ。

初めて、ウェブサイトを作る裏側の部分に関わりました。(分析ツールの)Google Analyticsに興味を持ったり、「Twitterやりましょう」と呼びかけたりして、「デジタル好きな若手社員」でした。だけど、上司とはうまくいかなくて。3年目にまた、紙の仕入れをする部署へ異動になったんです。

僕はデジタルの仕事が気に入っていましたが、すぐに戻ることはできそうになかったので、「このままこの会社にいるのもなあ」と。入社3年目にありがちな迷いもあって、何をやろうかなと思ったときに、「そういえば俺、出版社に行きたかったじゃん。編集者やライター、やりたかったじゃん」という思いに立ち返ったんです。

未経験でも入れるようなところを、ひたすら探していくなかで、メディアジーンという会社に出会いました。転職活動と並行して、クラウドソーシングで原稿を書くことも始めていて。そうした実績も伝えたら、合格しました。

求人は、各種ニュースメディアに配信される記事の見出しをリライトすることだったんですけど、入社したら、ライフハッカーというメディアに編集者として配属されました。とにかく、きっかけがあれば何でもいいと思っていたので、3年間がむしゃらに頑張りました。3人いた編集部員もハードワーカーで、翻訳も入れて1日10~15本の記事を出していましたね。

最後の半年間は副編集長もやらせてもらいました。時間的にも量的にも、4年半分は働いた感覚でしたね。その後、取材した縁があって、北欧、暮らしの道具店というECメディアを運営するクラシコムに転職しました。広告事業の立ち上げなどに約1年半関わって、30歳になった2016年にフリーになりました。
長谷川賢人(はせがわけんと)=栃久保誠撮影1986年生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。ライフハッカー[日本版]や北欧、暮らしの道具店を経て、フリーランス。主にウェブ媒体で活動中。制作協力の書籍に須藤憲司『90日で成果をだすDX入門』(日本経済新聞出版)、河野英太郎『どうして僕たちは、あんな働き方をしていたんだろう?』(ダイヤモンド社)。LOVOTの「こなつ」と暮らす。
長谷川賢人(はせがわけんと)=栃久保誠撮影
1986年生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。ライフハッカー[日本版]や北欧、暮らしの道具店を経て、フリーランス。主にウェブ媒体で活動中。制作協力の書籍に須藤憲司『90日で成果をだすDX入門』(日本経済新聞出版)、河野英太郎『どうして僕たちは、あんな働き方をしていたんだろう?』(ダイヤモンド社)。LOVOTの「こなつ」と暮らす。

私も出版社に……

あかし:私もみなさんと一緒で、出版社に行きたかったんですけど……。

長谷川:みんな行きたかったんだ(笑)。

あかし:小説が好きで、文芸の編集をしたくて。好きな作家さんと仕事ができる会社がいいなと思って出版社を受けたんです。でもやっぱり狭き門で、ことごとく落ちました。

出版社しか考えていなかったので、「どうしようかな」と思った時に、行きたい会社が本当になくって。面接でもうそがつけないタイプなんですよ。実際、ITベンチャーの会社で「あなたは何がやりたいんですか」と言われたときも、「本作りたいです」と言ったりして。

西山:うそつけなさすぎでしょ(笑)。

あかし:「これは難しいかもしれない」と思ったときに、自分が心から好きになれる会社を探した方が早いなと思いました。そのなかで出会ったのが、サイボウズだったんです。

サイボウズって、全部のバランスがちょうどよくて。会社の理念も、働いている人たちも、自由な風土も、自分に合いそうだなと。あとは、オウンドメディアでサイボウズ式というのがあるのを知って。ここだったら、編集者のキャリアも残されているかもしれないし、自分にうそをつかずにいけそうだと思いました。内定をもらって、入社したのが2015年です。

最初は製品のプロモーションをする事業部でウェブマーケティングの仕事でした。私は編集がしたかったので異動させてほしいと言い続けて、1年半後にサイボウズ式の編集部に。そこから、オウンドメディアの編集を教えてもらいながら、ブランディングの企画などもするようになりました。

編集部に移って1年後ぐらいに、あこがれていた編集者から「副業できるなら一緒に仕事をしてみませんか」とツイッターのDMをいただいたんです。そこから、社外の人ともお仕事をするようになりました。サイボウズ式では、ビジネスや働き方、チームワークといったジャンル、自分が興味のあったクリエイターの方々を取り上げたり、暮らしや生き方を紹介したりする仕事はフリーとして受ける。すみ分けをするようになりました。

2018年から、このスタイルで仕事をしていたのですが、働きすぎて一時期体調を崩してしまって。「この働き方は続かないな」となったときに自分は何を取るのか。考えた結果、副業でやっていた仕事を中心にすることを選びました。サイボウズでの勤務を週3日に減らすなど、徐々に準備をして、2020年4月からフリーランスになりました。
あかしゆか=栃久保誠撮影1992年生まれ、京都出身、東京在住。 大学時代に本屋で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者をめざすように。現在はウェブや紙など媒体を問わず、編集者・ライターとして活動している。
あかしゆか=栃久保誠撮影
1992年生まれ、京都出身、東京在住。 大学時代に本屋で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者をめざすように。現在はウェブや紙など媒体を問わず、編集者・ライターとして活動している。

大学での出会い

朽木:西山さんはどうして、初めからフリーランスに?

西山:いやあ……な、なりゆきですね。

朽木:そういう人、業界に多いかも。

西山:大学の学部がメディア系で、出版文化にまつわる授業を結構受けていたんです。大学2年生の秋ごろに、授業で知り合った編集者さんにOB訪問をしたんですが、そのとき「ライターってどうなるんですかね?」ってノリで聞いたら、「資格もいらないし、興味あるんだったらやってみる?」って聞かれて。何をやるのかよくわからないまま「はい!」って答えて始めたのが、フリーライターとしての最初のキャリアでした。

でも当時は、ライター1本で食っていくとは思っていなかった。月1回の企画会議に参加して、提案した企画が通ったら書く機会をもらえる。他のライターさんとほぼ一緒で、書けるときもあれば、書けないときもあるといった感じでした。

朽木:西山さんには、僕の原稿を編集してもらったこともあって。編集を始めたのも自然とですか?

西山:そうですね。2015年あたりから周りでオウンドメディアの立ち上げが増えてきて、ライターを続けていた自分の所にも「メディアってどうやって作ったらいいの?」という相談が来るようになりました。編集者の仕事ぶりは間近で見てきたので、「こういう風にやったらいいんじゃないですか」とアドバイスをしていたら、「分からないから、じゃあ編集をやってよ」と頼まれて、手探りで始めるようになりました。
西山武志(にしやまたけし)=栃久保誠撮影1988年生まれ、埼玉産のstory/writer。大学を卒業してからずっとフリーランス。現在はインタビューワークをメインにしつつ、編集デザインファームinquireで、組織的なライティングのスキルアップ支援などにも従事。執筆協力に税所篤快『未来の学校のつくりかた』(教育開発研究所)など。最近の推しは『オレが私になるまで』と大田区の草津湯とこなつ。
西山武志(にしやまたけし)=栃久保誠撮影
1988年生まれ、埼玉産のstory/writer。大学を卒業してからずっとフリーランス。現在はインタビューワークをメインにしつつ、編集デザインファームinquireで、組織的なライティングのスキルアップ支援などにも従事。執筆協力に税所篤快『未来の学校のつくりかた』(教育開発研究所)など。最近の推しは『オレが私になるまで』と大田区の草津湯とこなつ。

会社員が邪魔になった

朽木:紆余曲折ありながらも、組織に入って編集者になった方が3人。そこからなぜ、フリーになろうと決断したのか。僕はフリーになりたくないんですよ。組織にいれば安定もある。勤め人が業界にも多い中でみなさんの選択に興味がある人も多いと思います。

木村:実は私も朽木さんと一緒で、組織の中にいたい派なんですよ。だから、フリーになる気は元々なくて。今もチャンスがあれば、「就職してやるぞ」と思っています。じゃあなんでというと、本当に流れで。

勤めていたプレスラボは、すごく自由な会社でした。評価が分かりやすくて、それぞれが決めた売上目標を達成できていればOK。個人がやりたい案件も、会社を通せば全然やっていいよという方針だったんですね。

なので、プレスラボにいた時からHuuuuという、主にローカルの領域で活動している編集チームとも仕事をしていました。Huuuuのメンバーとは、地方取材も。そうした時に、いくら自由とは言え、会社員だとやっぱり、関われる領域が限られてくる。もうちょっと深く、外の会社にも関わりたいなと思ったときに、会社員という肩書が邪魔だと思ったんです。だったら、今までの業務は続けながら肩書だけ取っちゃおうと考えて、プレスラボとは業務委託という形にしました。

朽木:やりたい仕事をするときに、会社員じゃない方がよかった。

木村:そうです、そうです。辞めて、動きやすくなりました。

朽木:「自分で売り上げを立てる」という仕事の仕方は、フリーになってからも生きていますか?

木村:そうだと思います。プレスラボは独立する人が多くて、なんでかなと思ったら、考え方が個人事業主に近いんです。予算のうち、いくらを外部にお願いして、いくらを自分でカバーして、会社にはどれくらい残すのか。利益があまりでなくても、「自分がやりたいからいいか」と割り切る案件や、予算がたくさんついた時は、お世話になっているライターさんに多めに払ったり。上長の承認はもちろん得ますけど、そういう判断を、編集者ができる。「フリーになって、どう仕事したらいいか分からない」という状況にならなかったのは、前職のおかげです。
栃久保誠撮影
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増えていった副業

長谷川:クラシコムに転職するときに、副業でライティングの仕事をすることは相談していました。18時に業務が終わるので、18時以降と土日は自由にできたんです。だから、就業時間外で取材だったり、在宅でできたりする仕事を受けていました。

西山さんも話していましたが、クラシコムで働いていた2015年あたりはオウンドメディアブームがやってきていて。ウェブ媒体での経験があるライターや編集者が求められていましたが、ブームが先行して現場を回せる人がなかなかいなかったんですね。なので僕のところにも、「イベントのレポートをお願いしたいんですけど」といった依頼が舞い込むようになりました。だけど僕は会社員で、平日日中は動けない。断る回数がどんどん増えていくことになるわけです。

それが2016年には、さらに顕著になりました。副業のウェートも大きくなって、仮に本業をやめても、ご依頼を全部受けたら収入も変わらないぐらいに。年齢も30歳と節目なこともあって、フリーになることを考えるようになりました。

一番のきっかけは、周りに同じような人がいたことですね。ある結婚式の帰り道で、先にフリーで活躍していた友人2人に「フリーになろうと思っているんだよね、どうかな」と聞いたら、2人が「全然できるよ。仕事はいくらでも今ある」と言ってくれたんです。

ライター・編集者への需要は依然高く、供給が追いついていない状況は変わらずだったから、すでに副業で受けていた仕事もあったし、「ダメでも30歳ならまだ何とかなるだろう。1回やってみるか」と思って独立しました。そこから4年、フリーで今も続けています。
栃久保誠撮影
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プレイヤーでいたかった

朽木:あかしさんは大きな企業じゃないですか。

あかし:私がやめよう……やめようと思ったのは、「自由がもっと欲しくなった」というのが一番大きくて。

サイボウズは、やりたいことができる、働きやすい自由な風土です。本当にその通りだなと思いながら働いていました。副業をしたり、週3社員にしたり。特に週3社員は、周りから「会社員なのに自由にできていいね」と言われていたので、自分は自由に働けている方だと思っていました。

だけど、あるときふと、「自由といっても人生の7分の3は会社にいるんだな」と頭によぎって。それって本当に私が求めているバランスなんだろうかって考えたときに、もっと自由な時間がほしいなと思ったんです。正社員という形態が自分に合わなくなってきていました。

入社から数年経って、会社から「こう成長してほしい」と求められるようになったのも理由の一つです。実際サイボウズ式では、副編集長という肩書がついていたんですけど、自分がマネジメントのラインに立つイメージがつかなくて。会社が求める成長と、自分が成長したい方向がずれてきていました。これは正社員である限り、どんどん負担になっていくなと感じて。私も副業の収入などで見通しが立ちそうだったので、会社と相談して正社員から業務委託にしてもらいました。

朽木:いい示唆だなと思ったのが、あかしさんはプレイヤーでいたかったということですよね。会社にずっといたらマネジメントを求められる機会も増えてくる。だから正社員をやめたというのは、道理が通っている気がしました。

あかし:そうですね。プレイヤーでいたかったです。
栃久保誠撮影
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良いものはちゃんとめぐるように

朽木:他のみなさんはどうですか? マネジメントをすることで、組織の中では安定した立場を得られることもあると思いますが。

西山:僕は安定にそこまで興味がないですね。

朽木:それはどうして?

西山:不自由そうじゃないですか(笑)。フリーだと、働くのも休むのも自分で決められる。それが普通になっちゃうと、手放す感覚がよく分からなくて。

朽木:そうすると、僕は仕事をしなくなってしまいそうで怖い。

木村:だから私は、半分組織に足を置いています。チームにいると、一緒に仕事をしている人たちの顔が浮かぶので、迷惑かけられない。フリーと組織の良いところ取りをしています。

西山:僕がフリーでもずっと仕事を続けているのは、良いものはちゃんとめぐるようにしたいから。この仕事をしていると、「これはぜひ、もっと多くの人に知ってほしい」という情報が集まってくるじゃないですか。

自分が媒介になって、それらをより多くの人に知ってもらえる手伝いをする。それが誰かにとっての、よりよく生きるヒントにつながりそうなら、やらないって選択肢はない。だから、収入に困らなくなったとしても、この仕事は続けていたいですね。
栃久保誠撮影
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【後編はこちら】
価値あるものをすくい、届ける フリー編集者が語り合った仕事と未来
 

さまざまなジャンルのメディアや会社で活躍する、WEB編集者へのインタビューを通して、WEBメディアをとりまく環境を整理し、現代の“WEB編集者像”やキャリアの可能性を探ります。Yahoo!ニュース、ノオトとの合同企画です。

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