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演歌一筋の大御所が「曲の説明をしない」理由 角川博の逆張り仕事論

「CDの録音に100%の力は出さない」

来春デビュー45周年を迎える角川博さん=栃久保誠撮影
来春デビュー45周年を迎える角川博さん=栃久保誠撮影

目次

演歌歌手の角川博さん(66)は、「終わったことを振り返ってもいいことはない」と言い切ります。「自分が歌う曲の説明はしない」「CDに録音する際に100%の力は出さない」。そして「歌に感情は込めない」。実力派の歌手として40年以上活動してきたベテランに学ぶ、「逆張りの仕事論」について聞きました。(朝日新聞・坂本真子)

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クラブ歌手をしながら料理、バーテンダーも

角川さんは1976年に「涙ぐらし」で歌手デビュー。来春で45周年を迎えます。

「振り返ってもいいことは何もないです。終わったことですから。終わったことはどうしようもできないわけで、僕にとっては今が大事。これから進んでいくことが大事なので、そのために、自分がきちんとやるだけです」

デビューの同期にはピンク・レディーや新沼謙治さんらがいました。1978年に「許してください」でNHK紅白歌合戦に初出場。「博多川ブルース」「女のきもち」などのヒット曲で知られる一方、声帯模写が得意で、ものまね番組にもよく出演しました。

芸能人野球大会でも巧みなプレーを見せることが多かった角川さん。もともと野球少年で、地元・広島の名門、広陵高校の軟式野球部で活躍しました。父親は新聞販売店を営み、角川さん自身も10歳から約9年間、学校から帰ると毎日、店を手伝いました。夜は折り込み広告をまとめて新聞に挟む作業で忙しく、早朝に配達。寝る時間はほとんどなかったそうです。

そんな角川さんに転機が訪れたのは、高校を卒業してから。洋品店やボーリング場で働く中で、歌と出合います。

「何か面白くないなぁ、と思っていたときに、いとこが偶然クラブ歌手をやっていたんですよ。歌ってギャラをもらえるなんて、こんな楽が仕事があるんだ、ということで、やってみたんです」

ただし、実際には、歌うだけでなく、調理場に入って創作料理をお客さんに出したり、バーテンダーを務めたり。「全然楽じゃなかったですよ」と苦笑いしました。

「いろんなことに挑戦したのは、『できない』と言いたくなかったから、何もできない人間になりたくなかったからです。頼りにされて、前に進める人間になりたいじゃないですか。いろんなことをやったおかげで、いろんな人の気持ちがわかるようになりましたね」

「歌うときに自分の感情は一切いらない」

広島や福岡・博多のクラブで歌い続ける日々。それは、たった1曲、ほんの一瞬で評価が決まってしまう、厳しい世界でした。

「クラブ歌手はいつも生放送みたいなもんですから。生放送で、ああやっとけばよかったと後悔したら、大失敗ですよ。一発勝負でいかないと。クラブに遊びに来たお客さんに『うまかったなぁ。もう1回行ってみよう』と思ってもらうことが当時の僕の仕事。失敗したら、お客さんはもう来ないわけだから」

歌い方も学びました。

「クラブ歌手は、ホステスさんとお客さんがいい会話ができるようなBGMじゃなきゃいけない。だから、静かに歌うし、ごり押ししない。引いて歌うと、聞く人は『私のことを歌ってくれている』と思う。でも、自分の感情をごり押しすると、『あの人の感情』でしかなくなるし、ベタベタになっちゃうんですね。だから、歌うときに自分の感情は一切いらないんです」

昭和50年(1975年)、クラブで歌っていた頃=角川事務所提供
昭和50年(1975年)、クラブで歌っていた頃=角川事務所提供

このときの経験は、デビュー後にも生かされています。

「プロの歌手は聴いてもらわなきゃいけないんですが、自然に耳に入ってくる、耳障りのいい歌い方というものがあるんです。感情を込めないで歌って、聴いてもらう。難しいですけど、それを成し遂げられないとダメだと僕は思いますね」

歌に感情を込めないとともに、自分が歌う曲を説明しないのも角川さんの流儀。最新シングル「雨の香林坊」についても、多くを語らず……。

「『これはどんな歌ですか?』とよく聞かれるんですけど、歌を聴いたらわかるでしょう、と。歌は、僕が説明してわかってもらうものじゃなく、歌を聴いて、みなさんが感じることが正解なんです。僕が説明しちゃうと、それだけが正解になっちゃう。僕は歌う本人ですから、僕の歌を聴いて、ああ、なるほどな、こういう歌なんだな、と感じてもらうことが、歌い手として一番なんです」

昭和52年(1977年)、テレビ朝日のモーニングショーで当時の所属事務所のマネージャー撮影=角川事務所提供
昭和52年(1977年)、テレビ朝日のモーニングショーで当時の所属事務所のマネージャー撮影=角川事務所提供

「CDに100%入れちゃったら、コンサートより良くなっちゃう」

CDに歌を録音する際に、100%の力は出さない、とも言います。

「CDのレコーディングは70~80%で作ります。だってCDに100%入れちゃったら、コンサートよりCDの方が良くなっちゃうじゃないですか。残りの20%は、生の良さです。生で歌うとお客さんの反応もありますから、一番楽しいですね」

しかし今年は新型コロナウイルスの感染拡大により、生で歌う多くの機会が失われました。

「仕事をしたくても、ない。給料もないわけですからね。3月初めぐらいから、3~4カ月はステージもどんどん中止になって、ほぼ何もなかったですね」

それでも沈むことなく、次に歌う機会に向けて準備をしていたそうです。

「僕は、喉をいじめます。甘やかすと出なくなりますからね。風邪を引いても僕は声が出るんです。声は出すんじゃなくて、響かせるものですから。頭蓋骨の中に共鳴させるんです。喉は通り道です。喉で出したら続かないですよ」

40年以上、第一線で歌い続けてきたベテランの矜持(きょうじ)です。

「思い出は全部捨てる」

「振り返ってもいいことはない」と冒頭で語っていた角川さんですが、そう考えるに至った理由は、自らの経験にあったそうです。

「うちの親父は人が良くて、他人の借金にはんこを押しちゃうような人だったので、親父には勉強させてもらいました。ほかにも、水商売をやっていると失敗を見ることが多いですから、いろんな人を見て、勉強させてもらいましたね」

そして、たどり着いたのが、「思い出は全部捨てる」という境地でした。

「僕の人生で一番のキーポイントは、クラブ歌手のお兄ちゃんからプロの歌手になって、レコードを出せた、ということだけ。それ以外は忘れていくんです」

やわらかく澄んだ歌声と確かな歌唱力が印象的な角川さん。浮き沈みの激しい音楽業界で長く歌い続ける中で、多くの苦労と努力を重ねたのでは、と想像しますが……。

「それは言いません。やっていることが外に見えたら努力じゃないですよ。イチローも『努力しています』とは言わないですよね。見えないところでやるから努力。見えちゃったら普通のこと。苦労も努力も自分で言うことじゃないですから」

角川博さん(かどかわ・ひろし)1953年12月生まれ。広島県出身。1976年に「涙ぐらし」で歌手デビュー。趣味はゴルフと料理。特技はものまね、野球、お好み焼きを作ること。最新シングルは「雨の香林坊」(キングレコード)。

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