お金と仕事
元Jリーガーの再就職 引退後の準備をすすめない「意外な理由」
社会を知るため「まずは競技を極める」
アスリートが引退したあとの「セカンドキャリア」をどう選ぶか。御厨貴文さん(36)は、平日は現役選手のキャリア支援、土日はサッカーの審判員を両立しています。選手として競技を極めた経験の価値の伝え方。引退後を考えるためあえて「その競技を極める」理由。働き方が多様化する時代、自分の強みを仕事にいかす考え方について、御厨さんに聞きました。
御厨貴文さん
みくりや・たかふみ 1984年05月11日生まれ。長崎出身。9歳からサッカーを始め、大阪体育大学スポーツ学科卒業。2007年よりプロサッカー選手として、ヴァンフォーレ甲府・ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)・カターレ富山でプレー。草津・富山ではキャプテンも経験。2014年シーズンを終え引退。2015年5月より㈱山愛(アスリートキャリアパートナー)に入社。仕事と両立し、審判としても活動。2019年に1級審判員となり、今年からJリーグの担当審判員。
――御厨さんはJリーグで最後に所属していた富山ではキャプテンもしていました。自身、引退後のキャリア、いわゆる「セカンドキャリア」については選手時代には考えていたのですか?
「引退」というのはいつか訪れるものなのですが、だれも想像もしたくないというのが本音です。みんな、小さいときからずっとやってきた競技で、それを職業にすることができた。そして、それが終わる、辞めなければならない、という自分を想像することから逃げるし、避ける。まさに自分が築き上げてきたアイデンティティが崩れるということなんです。でも、先輩が引退し、自分の年齢のことも考えると「考えなければならないな」と焦りが出てきます。私自身も引退後について考え始めたのは引退する約2年前の28歳くらいからです。
――選手間でセカンドキャリアの話をしたり、考えている人は周りにいましたか?
話すことは話すのですが、中身が無いのです。外の世界を知らないので。「どうするか」「どうしようか」、「悩むよね」「そうだよね」という感じです。選手の毎日の生活は、基本、クラブと家の往復です。なので、自分から情報を取りに行かないと、外の世界の人たちに会うことができないのです。
もちろん、移動のときに、本を読んでいる選手もいましたし、オフのときに、インターンをしている人もいた。資格の勉強をしている人もいた。でも、あまり多くはありませんでした。
――御厨さんご自身は、今のセカンドキャリアをどう見つけていったのですか?
私は他の選手よりも危機感があったので、引退の約2年前の28歳くらいからオフのときに「就職活動」のように色々な業種の方に会っていました。移籍をするのか、しないのか。サッカーを続けるのか、辞めるのか。それらを考えるためにも必要なことだと思ったからです。まずは、Jリーグの選手会を通じて、アスリートのキャリアの専門家に問い合わせました。営業マン、教員、公務員……足繁く通いました。「どういう職業ですか」「給料いくらもらえるのですか」と突っ込んで聞きました。
色々な人に会った中で、プロの審判員の方に出会いました。そして分かったのは、「まだ自分は活躍したいんだ」ということ。小さいときからサッカーで優勝したかったし、誰よりもうまくなりたかった。自分が幸せを感じられる選択をしたいと思いました。これまでJリーグに登録した選手が5千人弱いる中で、誰もなったことがないプロの審判員でしたが、選手を続けるより「新たな挑戦したい」と思うようになったのです。
ただ、審判のみで食べていけるのは十数人です。将来的にプロの審判員になるために、どのような働き方があるのかと考えたときに、今の会社を選択しました。土日に審判をするとなると、土日を休める仕事ということで、就職活動中で出会った今の会社を選びました。
――アスリートキャリアパートナーではどのような仕事をされているのですか。
選手たちが納得のいくキャリアを見つけるための戦略を一緒に練っています。
ほぼ9割がサッカー選手、ほかにはオリンピアンなど他の競技の選手もいます。
大学生やプロチームなどに、キャリアについての講演会を開いたり、アスリートを採用したい企業の開拓や、選手と企業の橋渡しもしています。
――プロの選手がセカンドキャリアを見つけるのはどのような難しさがありますか?
現実的に言うと、受け入れ先の企業はたくさんある訳ではない。一般の転職と比べると多くはないです。サッカー選手において言えば、実務未経験で、年齢も30歳近いというところが難しいです。取引先に「サッカー選手って使えるの?」と言われたことがあります。外から見たサッカー選手は、「サッカーが上手い人」というだけ。どちらかというと、アスリートは肉体労働に近いイメージを持たれています。
――選手が引退したあと、次のキャリアを見つけるためにまずするべきことは?
つらいですが、「その競技とどう決別するか」ということが大切です。プロの選手が引退したあとの「キャリアトランジション(移行期)」をどう過ごすかが大事です。その時にどう過ごすかが人生に影響してしまいます。
私自身もつらい時期はありました。やめた当初はサッカーの試合はあまり見たくなかった。けれど、それを乗り越えるために、色々な職種の人たちに会って、様々な声を聞いて、最終的に「自分ってこうなりたいんだ」と気づくことで、少しずつ進んでいくことができました。
引退後の気持ちをきちんと整理しないと、次のキャリアで頑張れません。苦しくなったとき、どうしてもアスリート時代を思い出し「ああ、あのときが一番よかった」と思ってしまいます。特に、プロ選手になるなど、夢を一回かなえた人たちはそうなってしまいがちです。
たとえば、引退後にあまり社会のことを知らない状況で、自分のことも見つめ直す時間も無いまま、「誘われたから」という理由で次のステップに進んでしまう。しかし、そんなキャリアの選択の仕方は「賭け」です。どんな仕事も大変なことが多いです。そんなときに、自分で選択していないと、なかなかその仕事に向き合うことができません。そのため、私は「キャリアトランジション」の時期の面談はすごく時間をかけてやっています。
それと同時に、生きていく上で自分がどうありたいか目標を見つけることが大切です。選手はその競技に対して「上手くなりたい」「勝ちたい」という動機があるから頑張れます。それと同じなのです。
――学生時代や現役アスリートのうちからやっておくべきことは?
まずは「自分の競技をもっと極めること」から始めた方がいいです。ちょっとこれは意外な考え方だと思います。
「現役時代から、英語を勉強したり、資格を取ったり、次のキャリアを見据えて動くことはしなくていいのか」と普通思うでしょう。もちろんそれは大切です。
ただ、多くのアスリートたちは普通やる気が出ません。なぜなら、強い動機がないからです。むしろ引退を連想させるため、英語や資格が大事だと頭で分かっていても中々行動に移せないのが現実です。アスリートには将来よりも、今その競技で活躍したいという強烈な動機があります。人は動機や危機感がないと、動くことはできません。
じゃあ、考え方を変えてみましょう。どんなアスリートも自分がその競技が上手くなるために、努力しているはずです。でも、「本当に競技がうまくなるために必要なことを全てしていますか」ということなのです。ただ、トレーニングをしたり、シュート練習をしたりすることだけがその競技で極めるための方法ではないのです。
サッカーがうまくなるためには、いろんな情報が必要だと思います。所属しているサッカークラブがどういうビジネス構造になっているのか知る。選手として海外で活躍したいなら英語を習いたいと思うし、他国のチーム情報を知るためには世界情勢だって知る必要がある。
つまり、その競技を極めることで、社会のことを知ることになるのです。そうすると、自然と引退後のキャリアにつながるきっかけや土台ができるのです。
高校時代、監督に、「サッカーだけやっていたら、サッカーが下手になる」と言われていました。そのときは「なんでなんだろう」と全く意味が分からなかったのですが、腑に落ちたのは、今の仕事をやってからです。
――自分がやってきた競技は、社会に出てから役に立つのでしょうか。
まず、アスリートにはみな「あなたの競技を、言葉に表して説明できますか」と聞いています。でも、今まで相談に来たアスリートで出来ない人が多いのです。その競技のことが分かっているようで分からない。でも言葉に表して説明することで、自分でその競技をより深く理解し、社会に出たときに役立つスキルに結びつけることができます。
たとえば、サッカーの競技の特徴は、「流動的」「不確実」ということです。常に45分間試合を続けて走らないとならない。ミスを繰り返しながらゴールという「成功」に向けてどうプロセスを踏むかということです。流動的で不確実な時代と言われる社会においても「成功に向けてチームでどう前に進むか」という点では、求められていることは共通していると思います。他にも、キャプテンとしてチームをまとめることは、経営者が会社マネジメントをすることと共通している。チーム内のコミュニケーション力は、社会でも必要です。
今までやってきた競技を極めるための努力や過程は社会にも転用ができるのです。
――いま、御厨さん自身は引退されて、今は仕事に審判に土日も休みがない生活ですが、やりがいは感じていますか
アスリートのキャリアを支援することで、選手たちが自分にしっかり向き合うことができるよう、一緒に戦っているつもりです。もやもやしている選手の表情がはれやかになったのを見て、この仕事をして良かったなと思います。平日は仕事とトレーニングを両立し、土日には、サッカーの審判をしていて、今年の1月にはJリーグの担当審判員になることができました。審判としてお客様が観てよかったと思える試合を届けることが僕の目標です。試合を通して、感動だったり、喜怒哀楽を感じて頂くことで、人々の生活を豊かにしたいと思っています。なので、忙しいなんて考えたこともないです。
私は、大学までフィギュアスケートの選手を続けてきました。フィギュアスケートはゴルフやテニスのようにプロとして試合に出ることはできず、すべてアマチュアです。そのため、ほとんどの選手は大学卒業後に引退するかどうか決断しなければなりません。
大学卒業後も選手として続けられる人たちは、国際大会で活躍し、スポンサーがついている日本代表の選手たちくらいです。大学卒業後もスケートに関わりたい人は、アイスショーに入るか、コーチになっていました。私の所属していた大学の部員はほとんどが引退し、社会人になっていました。
私は中学時代に出場した全国大会で、一学年下の安藤美姫選手の圧倒的な演技を見て「こんなすごい人がいたら私は絶対スケートで食べていけない」と悟りました。そして、高校時代にイラク戦争の報道を見てから、ジャーナリストにあこがれていました。このときから卒業後は新聞社かテレビ局で働きたいという夢を持つようになりました。そのため、スケートは大学生までと決めていました。
大学で引退してしまいましたが、選手時代の経験が仕事にいきていると思ったことはたくさんあります。
その一つが、勝負を決めるのは技術力だけはないという気づきです。
ジャンプのミスが続いたため、コーチからリンク内をひたすらスピードを出して滑り続ける「スケーティング」のメニューを課せられたことがありました。テクニックを磨くなら、ジャンプを繰り返し練習する方が上達は早そうに見えます。でも今は、コーチは、ミスにいたるまでの原因を考える時間を作ってくれたのではないかと考えています。
体力的にもきつく、精神的にも、もどかしい思いをしましたが、瞬間のミスが勝敗を分ける試合本番でいきたのは、この経験でした。
記者になりたての頃、事件の現場に駆けつけ取材を何日も続けた時、「なぜこの取材をしているのか」という原点を常に考えることがでたのも、学生時代の厳しい指導のおかげだと思っています。
今回、御厨さんのセカンドキャリアを見つける極意として、「自分の競技をさらに極めるために社会を知る」という言葉が、目からうろこでした。私は自分の競技と社会を結びつけて考えることはできませんでした。今現役のみなさんも、この考え方を知ったら「世界でプレーしたいから英語を頑張ろう」など、競技と社会をひもづけて考えるとより勉強もやる気も出るのだ、と分かりました。
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