連載
#6 マスニッチの時代
ネットで暴れる「極端な人」との付き合い方 「見ない自由」で遮断
「実名制」では解決しない理由
「何か意見を言いたい人」が目立つネットの世界で、「物言わぬ」大多数の存在は見えにくいのが実情です。ネットの「炎上」の専門家である山口真一さんは「極端な人は変えようがない」と言い切ります。その上で「重要なのはネットの根源的なメカニズムを理解すること」と説きます。どうしたってなくならない「極端な人」への向き合い方について、山口さんの言葉から考えます。(withnews編集部・奥山晶二郎)
山口さんは『正義をふりかざす「極端な人」の正体』(光文社新書)で、「2019年の炎上発生件数は、年間1200件程度」あったと指摘。「一日当たり3回以上、どこかで誰かが燃えているのが現実」と述べています。
その背景として挙げるのが「発信したい人しかいない」というネットの特徴です。
山口さんが、ネットに見られる「極端な人」の分布を「賛成・反対」を横軸にグラフ化したところ、「谷型」になりました。つまり、中庸な意見である真ん中部分がぽっかり空いて、左右が盛り上がってしまうのです。でも、現実世界では、「極端な人」は少なく、中庸が多い「山型」です。
そんな状況に対して山口さんはwithnewsの取材に対し「インターネットの創設者も想像していない状況なのではないか」と答えます。
「部下に強くあたったり、お店に理不尽なクレームを入れたり……数パーセントに過ぎない一部の攻撃者が、社会にいるということをあぶりだしてしまった。そして、どうしても出てきてしまう『極端な人』に力を持たせてしまった」
背景には、高齢者でもスマホを使うようになった時代の変化があります。ネット黎明期は詳しい人だけの閉じた世界だったのが、多くの人に〝開かれてしまった〟ことで問題化したのが「言いたいことはひたすら言える」というネットの特性です。
「とにかく多く発信する。それを止める人もいない。そんな中で極端な人の言説がマジョリティーのように見えてしまっている」
2020年8月、ツイッター社は、自分の投稿に対して返信できるユーザーの範囲を設定できる機能を導入しました。
新機能についてツイッター社は、「ノイズ(不要な情報)を遮断する新たな方法」と説明。新機能によって「嫌がらせに直面している利用者は、こうした設定が非常に役に立つと感じています」と伝えています。
自由な発信ができるネットでは、建設的な議論が起きる可能性がある一方、「極端な人」によって、議論に参加している人が傷つけられることも少なくありません。
表現の自由を守りながら不適切な投稿による不幸を防ぐためツイッター社がとったのが「見せない」という対策だったといえます。一方で、今回の対応は、ユーザーにとって有益な情報に出会うきっかけを閉ざしてしまうリスクにもなり得ます。
山口さんは「誤ったことを発信しても外側から指摘できないというデメリットがないわけではない」とした上で、「それでもメリットの方がはるかに大きい」と評価します。
「SNSの社会において『見ない自由』というのは、みんなに与えられるべきもの。ツイッター社の措置は、自分の意思で受け取る情報をコントロールできる仕組みにつながる」
これまで「言論の自由」は、発信することを妨げないという意味で使われることが一般的でした。しかし、ツイッター社の対応からは、「極端な人」を含む誰もが情報を発信する時代には何を受け取るのか選ぶ自由にも配慮しなければいけない状況にあることが浮かび上がります。
情報の受け取り方とセットで考えなければいけないのが、発信側の課題です。
その際、「極端な人」による攻撃的な発言をおさえる施策として挙がるのが実名制です。現在でも法的手段に訴えれば、ある程度の個人情報を把握することは可能ですが、発信する時点で誰によるものかがわかる実名制の方が、抑止効果が期待できそうです。
しかし、山口さんは実名制には否定的です。
「攻撃的な発言をする人は、自分が正しいことをしていると思ってやっている。実名制を導入しても、中庸で一般的な発言が減るだけ。『極端な人』による攻撃をやめさせることは期待できない」
山口さんは、2007年にネットで匿名での発信を禁止し実名制にした韓国について「抑止効果は限定的だった」と言います。
韓国のネットの実名制は表現の自由への侵害などが問題視され2012年に違憲判決が出ますが、山口さんは、そもそも発信者への罰則を強めることは社会にとって「利益は少ない」と指摘します。
「何が誹謗中傷にあたるのかは、線引きが難しく拡大解釈される危険がある。常に、20年くらい先のことを考えなければいけない。悪用され弾圧などに使われるようになった時のリスクの方が大きい」
法律面で山口さんが求めるのが「攻撃を加えられた人への救済」です。
「ネット上で攻撃された人が裁判で勝訴しても賠償金払われてないケースがある。何かを規制するではなく、攻撃を加えられた人を救済するような、被害者に寄り添う法整備が求められている」
SNSの書き込みは一般ユーザーによるものが多いと思われていますが、その「源流」をたどると旧来のメディアの存在が浮かび上がってきます。
山口さんは、『正義をふりかざす「極端な人」の正体』で、テレビの影響の大きさを指摘しています。
「情報摂取の手段が多様化する中、メディアは経営を維持するため批判的な感情をあおる手法に傾いている。怒りの感情は伝播しやすいので、テレビであれば番組の認知度は上がり視聴率が保てる。だから新型コロナウイルスで『感染者たたき』をやってしまう」
ビジネス的に厳しい状況だからこそ、山口さんはメディアに対して中長期の視点を持つよう求めます。
「感情をあおることは短期的には利潤最適化の中でありかもしれない。でも、中長期的にはマイナス。メディアは多様な視点を提供する役割に徹するべきで、気づきを与える存在になってほしい」
旧来メディアは、世の中の不正や、悲劇的な事件事故を、同じような問題を繰り返さないための「啓蒙」として取り上げてきました。その際、大ニュースと呼ばれるほとんどは、多くの人が人生で経験することがない極端なケースです。
様々な問題で不利益を被っている弱い立場の人を守ることは、これからもメディアの大事な役割でしょう。その一方で、生活水準が上がり、人々の人生の目標とその裏返しである課題が多様化した今、共感できる「みんなの問題」を提示することは、難しくなっているという現実があります。
発信側のメディアは「みんなの問題」だと思っていても、読んでいる側は、普段の生活では関わらない、関わり合いたくない「極端な人」の世界だととらえてしまう。このギャップが、結果的に、「極端な人」に燃料を与える報道につながっているのかもしれません。
「政治的に右寄りの人が左寄りになることはあるが、中庸になることはない」と強調する山口さん。今の状況を「昔からいた人を可視化しただけ」と言います。
「極端な人は変えようがない。世の中には色んな人がいるので、それはしょうがない。『変えるのは無理』でいい」。その上で重要なのは「極端な人」を生みだしたり、その発信力を大きくさせたりしているネットのメカニズムを理解することだと説きます。
「非対面だと相手が人間であるという意識が薄れてしまい、いっそう攻撃的になるという社会心理学の調査結果がある。膨大な情報が存在するネットは、常に情報の取捨選択をユーザーに迫っているようなもの。だから、見たいものしか見ないようになるし、アルゴリズムもそれに拍車をかけてしまっている」
同時に山口さんは、「中庸的な意見は、けっこう変わる」と指摘します。
「間違った方向に向かわせる偏った情報でも、そうではない情報でも、中庸の立場をとる人は自分の意見を変えやすい。それならば、本人が考えてもいない情報の〝ノイズ〟を与えることで、『極端な人』になることが防げるはず」
「極端の人」を変えるのは無理――。それは、ネットに限らず日常生活全般に重なる考え方だと言えます。電車の中、スーパーのレジなど、不幸にも「極端の人」に出会ってしまったら、家族や親しい人でもないかぎり、わざわざ関係を作ることはありません。
ネット特有の事情で、「極端の人」の存在は目立ちがちですが、実際に世の中の大多数を占めているのは中庸の人であること。その上で、「極端の人」を生んでしまうネットの構造に目を向けながら、日々の情報に接することが大事になっています。
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