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ベテラン神奈月が激白〝ものまね〟の奥深さ「似てる」の敷居を下げる
ムタ降臨…深夜枠で花開いたニッチ路線
武藤敬司さん、石原良純さん、井上陽水さんなど、幅広いものまねレパートリーを持つ神奈月さん(54)。今でこそ動きや仕草を誇張したスタイルで人気だが、修業を始めてからテレビ出演までには6~7年の時間を要した。目指すのは「ものまねをしなくてもいいタレント」という神奈月さん。ライブとテレビの狭間で抱えた苦悩、ニッチネタが注目を浴びた理由、今のものまね番組に提言したいことなど、赤裸々に語ってもらった。(ライター・鈴木旭)
神奈月
――神奈月さんのものまねって王道から絶妙にズレてる気がするんですが、それは意図的なものなんでしょうか?
今はもうズレをガンガン意識してます(笑)。ただ、それがメインになってきたのはこの10年ぐらい。昔はやっぱり王道をやらないといけなかったんですよね。王道しか認められないというか。
僕の若手の頃はニッチなものまねやっても、「よくわからない」っていう反応で終わりでしたから。でも僕はそういうのが好きだったから、「7割ぐらいが王道、3割ぐらいが外れてる」っていうパターンでやってましたね。
――小学生くらいの頃はニッチなものまねが好きだったんですか?
そんなこともないですよ。テレビで見て「変だな」って感じたり興味を持ったりしたものなら、プロレスでも歌でも自然とやってました。それは素人時代も、芸人を始めてからもそうです。王道のものまねを表に出す機会がなくなってしまっただけで。
僕らの先輩である“ものまね四天王(清水アキラさん、ビジーフォー(グッチ裕三さん、モト冬樹さん)、栗田貫一さん、コロッケさん)”がやっていた「歌をベースにしたものまね」って、実はすごく意味があって。自分のことを知らなくても、王道をやっておくことで「ものまねの人だ」っていうふうに見てもらえるんですよね。
だから、始めはそこを押さえて少しずつ外れていったと。たぶん、名もなき若手が最初から長州力さんのまねしても、「どういうこと?」ってなってたでしょうし(笑)。「まずは井上陽水さんから始めてみよう」とか、そんな感じでスタートしましたね。
――ご自身のものまねは、どんな方に影響を受けていると思いますか?
ものまね四天王の方々もそうですけど、その前に見ていた関根(勤)さんや竹中直人さんみたいな方もすごく好きで。「オレしかわかんないんじゃないかな」って思わせてくれるようなワクワク感がありましたよね。
王道をやってる人と比べると、僕はそっちのほうが腹を抱えて笑ってたんです。出身が岐阜だから、吉本新喜劇とか漫才ブーム、(オレたち)ひょうきん族を見て育った影響もあるかもしれない。きっと刷り込まれてるんでしょうね、子どもの頃から。「自分がやるならこっちのほうがいいな」って思いがどこかにあった気がします。
――その要素はすごく感じますね。高校卒業後に上京してショーパブで働きながらものまね修業をされていますが、生活に困ったり芸風を確立するのに苦しんだりしたことはありましたか?
その頃は、ショーパブみたいなお店が全盛期で。たまたま僕は池袋に住んでいたので、近場で探してた時に「青春の館」ってお店を見つけたんですよね。そこでウエイターやりながらショーにも出るみたいな感じでやってました。
下積みと言ってもすごく苦労したみたいな経験はなくて。月に17~18万円ぐらいは稼げてたし、お客さんにもけっこうウケてたから楽しかったですね。「2億4千万の瞳」みたいな曲でものまねメドレーやったり、ドラマのものまね、女装、お尻で割り箸を割ったりと本当にいろいろやりました。
見てる人もお酒飲んでるし、下ネタ系もぜんぜんありで。しかも近くの学校に通ってる大学生が飲みにきてたから、世代的にも僕とドンピシャだったんですよね。
――聞いているだけでも楽しそうですね。ただ、その半面で全国区の番組に出られないというもどかしさはなかったですか?
初めて『ものまねバトル』(日本テレビ系・1995年3月の放送回)に出演したのが29歳。ショーパブでやり始めたのが21~22歳で、同時期にお笑いのライブとかにも出始めて。そこから6~7年は、ものまね番組に出られなかったですね。
今振り返ると、たぶん自分のやってたことが、その時代にマッチしてなかったんだと思います。当時から陽水さんもやってたし、長州さんもライブでやってウケてたんですよ。でも、オーディションで受かるのは歌まねの人。その狭間で「なんでだろう?」ってずっとモヤモヤしてましたね。
――テレビによく出演するようになってから、一時期は「神奈月さん=長嶋茂雄監督」というイメージが定着していました。そのほかのネタを見せられない辛さは感じませんでしたか?
最初のほうは「嫌だな」って気持ちがありましたね。今思えばそこまでレパートリーが多かったわけでもないんですけど、当時は「また長嶋さんのリクエストか……。ほかにもネタあるのに」っていう。3年間ぐらいは、そんな感じだった気がします。
ただ一方で、それをやり続けてたから「よく長嶋監督やる人だよね」ってたくさんの人に知ってもらえたところもあって。僕の名刺代わりになっていたことに気付いてからは受け入れられるようになりましたね。
――苦悩もメリットも大きかったと。長嶋監督のイメージを脱したのは、なにかきっかけがあるんですか?
深夜枠の『やんちゃ』(日本テレビで放送されていた関東ローカルの番組。1997年10月~放送開始。その後、何度かタイトルを変え、『ものまねバトル☆CLUB』から月1回程度の放送となり2009年3月終了)って番組だと思います。僕とかイジリー岡田さん、ちょっと後にコージー(冨田)くん、原口(あきまさ)くんとかが出演していた番組で、2カ月に1回ぐらいのペースで“お試しネタ”を披露する企画があったんですよ。
その頃は、ものまねする対象の方がメジャーじゃないと認めてもらえない時代。ただ、その時のスタッフさん発信で「深夜だから、試しでマニアックなヤツもやっちゃおうよ」って盛り上がって。番組の体としては、「もし反応がよかったらゴールデンに持っていきましょう」みたいな感じで始まったんですよ。
そこで僕は、萩原流行さん、新庄剛志さん、武藤敬司さんとかをやり出して。そりゃ仲間でやってるし、深夜枠だから爆笑しますよ。ただ、予想外だったのは周囲が次につなげてくれたこと。その番組は『ものまねバトル』とスタッフさんが一緒なんですけど、「萩原流行さんのものまねが面白いからこっちでもやってみましょうよ」ってプロデューサーさんと闘ってくれたんです。
当時は、流行さんご本人もバラエティーに出るようになる前で、「あの名脇役の人ね」ぐらいのイメージ。そんな時期にスタッフさんが闘ってくれたから、「長嶋さん以外にもできるんだ」って印象を持ってもらえるようになりました。本当にありがたいですよ。
――番組のスタッフさんがきっかけだったんですね!昔のものまね番組ってキャラ重視の「しのざき美知(現・しのざき見兆)」さんをはじめ、幅広いタイプの方が出演していましたよね。神奈月さんは、昔と今でものまね番組に違いを感じるところはありますか?
今って「まずは似てないと番組に出られませんよ」っていう敷居になってますからね。そこは、僕も提言したいところではあるんです。ものまね番組に、似ているかどうかは別としてシュールさが売りな(ハリウッド)ザコシショウが出てたら面白いじゃないですか(笑)。それぐらいの枠を広げてもいいと思う。「なにを真剣にやってるのかな」って感じですよね。
――なにをマジメに歌ってるんだと(笑)。チョコレートプラネットのお二人、霜降り明星・せいやさんなど、漫才やコントを軸にしつつ、ものまねを披露する芸人が増えている傾向についてはいかがですか?
もうぜんぜんやって欲しい。ものまねの芸人さんって嫉妬しないとダメだと思うんですよ。「似てるね」とは言われるかもしれないけど、「お笑いの芸人さんのほうが爆笑とってる」ってことを悔しいと思わなきゃ。爆笑もとれてうまいのがものまね芸人だと思うべきですよ。まぁそんなこと言ってると、「お前似てねぇじゃん!」って叩かれちゃいそうですけど(笑)。
勢いでくる人、マニアックな人、王道の人……。バラエティーに富んだほうが絶対に楽しいし面白いですよ。昔の『ものまね王座』とか見てると、いまだに面白いなって思いますもん。お笑いの人って、ものまね芸人にはない目のつけどころってあるじゃないですか。そのへんの刺激を与えないといけない気がしますね。
僕なんかチョコプラのものまね見て、「本職がコントだから持ってき方うまいなぁ」とか「そこでうまいことオチでものまね使うんだ」とか感心して見てますよ。
――約3カ月前にYouTubeチャンネル『神奈月のカンチャンネル』を開設されています。瑛人さんのMV『香水』のものまね動画がバズッたりもしていますが、どんなことを意識して動画をつくられていますか?
再生回数を伸ばすならストレートなものまねがいいと思うんですけど、僕自身はそこを求められてないのかなって感じはします。バズることを狙っていかないほうが、僕らしいんじゃないのかなと。ものまね番組で言えば、優勝することが目的ではないってことに近い感覚というか。
とはいえ、流行はキャッチしつつ、自分なりの出し方を考えていこうと。まぁ「プロレスファンが見てくれたらいいや」ぐらいの気持ちもあったりするので(笑)、今後試しながら模索していこうとは思ってますね。
――ここ数年、SNS上に投稿されたものまね写真や動画が炎上してしまうこともあります。こうした風潮に対して意識していることはありますか?
まだそのへんの肌感覚がわかんないんですよね。ネット上で飛び交う「ディスる」「ディスらない」みたいな部分の。
ただ思うのは、不祥事とかでテレビに出られなくなった芸能人をイジってあげたほうが、本人にとってもいい気がするんですよね。上から目線で物を言ってるわけじゃなくて、問題があったまま放っておかれるよりも、笑いに変えることで本人も見る側も少し楽になるんじゃないかなって。
最初は腹立たしいだろうけど、「そうやられるとちょっと面白いな」ってなれば「悪」が「善」になりえるっていうか。その可能性を一時的な見方で全否定されてしまうのは、むしろ救いがないんじゃないかって気がします。
――そこは笑いの深いところですよね。SNS時代、以前にも増してものまね芸は支持されています。人気の秘密はどんなところにあると思いますか?
変な話、タレント側の旬とかって関係ないじゃないですか。ものまねが旬であれば誰が演じていてもいい。それって僕らからすると寂しいところなんですけど。だからこそ、ずっと求められているんじゃないかと思います。王道でずっとやってる人もいるし、ちょっと変化球的なものまねをする人が出てきたりもする。そういう全部をひっくるめて“ものまね”に落とし込めるのは強いですよね。
もう一つ大きいのは、家族で見られること。世代を超えて共有できる面白さがあります。お笑いだと子どもは大好きでも、お婆ちゃんに伝わらなかったりする。それがものまね番組ならいろんな分野が出てくるので、お婆ちゃんが笑うトコもあるし子どもが笑うトコもある。とくに今はファミリー層に刺さるって意味で貴重ですよね。
――たしかにそこは唯一と言っていい強みですよね。ちなみに神奈月さんの世代と、若い世代のものまねに違いみたいなものは感じますか?
若い人はみんな器用だし、ものまねのクオリティー高いですよ。僕らは、その部分では勝負できない(笑)。ただ、まだまだこれからだなと思うところもあります。「この人ってこういう芸風だよね」ってトコまでは確立されてないですから。ホリくんの世代ぐらいまでじゃないですか、ちゃんと芸風があるのは。
そう考えると、ものまねってすごくアナログなんですよ。芸風ができあがるまでにすごく時間が掛かる。若手がSNSでバズるってことはあると思うんですけど、家族で見ていて「また誰々さん出るよ」って言われるまでに15年ぐらいは必要なのかなって。
ずっと続けていくと、「誰々のものまねしてる人」じゃなくて、「○○さんが誰々のものまねしてる」っていうふうに見方が変わるんです。そこに到達するには、どうしても芸歴が必要になりますからね。
――11月3日(火祝)に原口あきまささんとのトークライブ「1103(イイおっさん)~今日、お誕生日なんです~」が開催されます。無観客の生配信ということですが、どんなライブになりそうですか?
トークライブですけど、ものまねもある自由度の高いものになると思います。トークしてる中で、「ここ出しどころだな」とかお互いにネタを振り合ったりとかするだろうし、常に原口くんも僕も用意はしてる状態になるでしょうね。この話、このものまねを、いつ出そうかなって探り合いみたいな。
原口くんは自分のインスタライブやったりしてるし、僕もほかの人の生配信にゲストで出たりしたことはあるんですけど、自分の主催ライブで生配信っていうのは初めてなんですよ。だから、生で見てる人の反応が気になりますよね。
たぶん見てる人がコメントでムチャぶりしてくると思うんですよ。それにどれだけ応えられるかの勝負(笑)。2人のレパートリーにないものを振ってもらったほうが面白いし、お互いを見合わせて「どっちがやる?」って探り合いするのも緊張感ありますしね。いずれにしろ、たくさんの人に配信を見て楽しんでもらえたらと思います。
――最後に神奈月さんの今後の目標があれば聞かせてください。
そりゃもう、「ものまねをしなくてもいいタレント」ですよ(笑)。お笑いライブに出始めた頃によく言われたのが、「今は100%ものまねかもしれないけど、それをいかに減らしていけるかがタレント生命を延ばす方法なんだよ」ってこと。時代も変わってますけど、やっぱりそこは意識しちゃいますね。
もともと50歳が目標だったのに、今のままだと100歳までいっちゃうペース。還暦でまだ武藤さんやってるのかな……いや、お爺の体なんか見せられないですからね。もしかしたら髪も抜け始めて、素でいるのが武藤さんになってるかもしれないし(笑)。歳とって同化しちゃうっていう。
マジメな話、年齢とともにジェネレーションギャップも出てくるじゃないですか。原口くんとかホリくんの世代よりも、僕はコロッケさんの世代に近いですからね。ただ、コロッケさんがまだやってるんですよね。それで僕もやめられないっていう。まぁコロッケさんがやめたら考えることにします。
今回の取材で、ものまねの世界は本当に奥深いと感じた。歌声が似ていること、表情や仕草が似ていること、動きや言い回しの特徴を捉えていること、その人のイメージを連想させること……。これらは、すべて“ものまね”の部類にあたる。
さらには、それを笑いにするのか、ものまねのクオリティーを見せるのか。アウトプットの仕方によって、ものまね芸の質そのものが変わる。特定のベクトルで測れないからこそ、多様性が生まれてものまねは進化していったのだと思う。
とくに1990年代~2000年代は、王道からニッチへとトレンドが移った時代だ。この時期に神奈月さんも注目を浴び、活躍の場が増えていった。以降、石原良純さん、吉田鋼太郎さんなど多くのヒットを連発。やはり実力のある方は多作なのだと痛感する。
現在、「ものまねをしなくてもいいタレント」を夢見ているそうだが、“チョコプラに刺激を受けている”と語っているあたり、まだまだ面白いことにはどん欲なのだろう。神奈月さんがパフォーマンスをやめないためにも、できるだけコロッケさんには現役であり続けて欲しいと願うばかりだ。
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