MENU CLOSE

IT・科学

「暗闇フィットネス」の魔術 くじけた時、背中を押すノーベル賞理論

暗い室内で音楽に合わせて照明が変わる中、バイクを漕ぐフィットネスの参加者=東京都目黒区、金居達朗撮影
暗い室内で音楽に合わせて照明が変わる中、バイクを漕ぐフィットネスの参加者=東京都目黒区、金居達朗撮影

目次

人が「健康」になるために必要なものとは――。自分自身もダイエットやボディメイクに取り組みながら医療をテーマに取材する記者が、ヘルスケアビジネスの最前線を「体を張って」(全額自腹で)取材します。

第1回の現場は『暗闇フィットネス』のパイオニアであるFEELCYCLE。1レッスン最大800kcal消費をうたう高強度でありながら、リピーター続出のわけは。前編は「自然と健康になる」仕組みに迫ります。(朝日新聞・朽木誠一郎)
【PR】「あの時、学校でR-1飲んでたね」

キツくても体が動いてしまう

「Don’t slow down! Don’t slow down!」

bpm90以上のEDMが鳴り響く暗闇のスタジオ。その倍速のテンポでバイクを漕ぐ利用者に、インストラクターからの指示が飛びます。どうやら、記者は半拍ほど遅れていたよう。「ワンツー・ワンツー・ワンツー・ワンツー」舌を噛みそうな早口のかけ声に、ようやくこちらのテンポが合いました。

ステージの上、相対するようにバイクにまたがるインストラクター。こちらの足がもげそうなスピードでも、事も無げにペダルを回しています。見事にシェイプされた肉体、オリジナルブランドのウエア、そして自信たっぷりな笑顔が、ネオンカラーのスポットライトに照らし出されます。

一方、記者を含むレッスン参加者たちは必死。あまりに激しく体を動かすため、汗でびしゃびしゃになったTシャツがずり上がってきます。でも、必死にハンドルを握るわれわれには、裾に手を伸ばす余裕がありません。体幹に力を込めながら、立ち漕ぎの姿勢で、足を引き上げるようにしてひたすらペダリングをします。

曲調がほんの少しゆるやかになったタイミング。インストラクターは、サドルから下をこちらが目で追えないスピードで回しながら、上半身はリラックスした様子でスタジオを見渡します。パフォーマー然と胸に手を当て、じっとこちらに目を向け、語りかけました。

「C’mon everyone. I know you can do it, …Ruuuuuuuuuun! 」

「全速力で漕げ」を意味する「ラン」の指示に、スタジオの熱量が一気に膨れ上がります。レッスンも終盤、ここまで相当にハードなエクササイズをしてるのに、参加者たちは余力を振り絞り、その指示に呼応するのです。記者もまた、音楽を一身に受けながら、心拍数の上限まで体を動かすのでした。

「暗闇系フィットネス」の成り立ち

「暗闇系フィットネス」が世界的に流行しています。中でも暗闇バイクエクササイズの発祥は米ニューヨークとされ、現地では2000年代中盤から複数の事業者がシェアを争う状況。その暗闇バイクエクササイズを2012年6月、いち早く日本に持ち込んだのが、冒頭で紹介したFEELCYCLE(フィールサイクル)でした。

東京・銀座の1号店開店から8年、現在スタジオ数は全国に41店舗と、規模を拡大しています。同サービスを運営するFEEL CONNECTION社によれば、会員数は都度利用を含め約10万人(2020年3月時点)。フィットネスジムはいわゆる「幽霊会員」が多く、中には来店率が3割ほどに留まる大手ジムもあるほど。一方、同サービスの会員は8割以上が月に1〜2回は利用するなど、かなりアクティブだと言います。

利用者はウェブでレッスンを予約し、受講。所属スタジオが定められており、それ以外のスタジオを利用するには1回1000円の他店利用チケットを購入します。それぞれのスタジオには個性の豊かなインストラクターが在籍し、それを目当てに他スタジオに通う利用者も多くいます。1月の受講数は15〜30回まで、連続して予約できるのは3枠までで、それ以上は1回2000円のマンスリーチケットを購入することになります。

毎週金曜日にレッスンのスケジュールがアップされると、人気のあるインストラクターのレッスンや、それ自体が楽しいレッスンプログラムは、受講枠の争奪戦に。3枠の予約や他店利用チケット、マンスリーチケットを駆使して、利用者は席を押さえます。

なぜ何度もリピートしたくなるのか

実際のレッスンは、クラブのような空間で、150を超えるプログラムごとに決まった10曲前後のセットリストが流れる中で実施されます。さらに、インストラクターの指示でおこなう、コリオと呼ばれる振り付けが特徴。「プッシュアップ(腕立て伏せ)」「エルボーダウン(腹筋)」など筋トレに近いものも、バイクの上でダンスをするような特殊な動作もあり、これがプログラムの「楽しさ」につながっています。

300人を超えるインストラクターごとに盛り上げ方も異なります。ペダルを重くする指示「Turn your torque(トルク) up!」など定番の指示もありますが、基本的にはインストラクターがそのレッスンの状況、例えば初心者が多い、ノリがいいなどを見極めながら、クラブDJのようにスタジオを盛り上げるのです。

スポットライトを浴びるアイドルでもあり、同時にスタジオスタッフでもあるインストラクターとのコミュニケーションを楽しむ利用者も多くいます。インストラクターは利用者の情報――ダイエット目的、音楽が好き、スポーツ経験に乏しいなど――を把握し、接客。スタジオ内ではオリジナルブランドのアパレルが販売されており、利用者に似合いそうなウエアを勧めるのもその仕事です。結果的に、スタジオには揃いのアパレルを着た利用者が並び、スタジオの仲間意識や一体感を醸成しています。

洋楽のヒット曲を中心にしたセットリストや、コアなヒップホップやレゲエ、ハウスミュージック中心のセットリスト、そして“DEEP系”と呼ばれる音楽に深く集中できる楽曲をセレクトしたセットリストなど、すべてのセットリストはApple Musicで公開されています。レッスン後にインストラクターと写真を撮り、SNSにアップする文化もあり、アパレルだけでなく体験を持ち帰ることが可能になっていると言えます。

続けてさえいれば、自然と運動不足や肥満が解消されていく仕組み。このサービスが気に入り、通っていれば、自然と体が軽くなり、嫌が応にも効果を実感することでしょう。集団でのレッスンや、英語での指示など好みが分かれる要素もありますが、「ハマる人はものすごくハマる」サービスです。こうしてFEELCYCLEはこの8年間、静かにファンを増やしてきました。

きめ細やかな接客が作る来店サイクル

ある日のフロント。入店した記者に顔なじみのインストラクターさんが笑顔で「おっ、また来てくれましたね!」と声をかけます。

「予約しているのはBB2(中級者クラス)のHit17ですよね? BB2の中では強度が中くらいで、始めたばかりの朽木さん(記者)でも受けやすいと思います! 途中、足が速いところもありますけど、ノリのいい曲なので、きっと楽しめますよ!」

レッスン中はインストラクションやパフォーマンスだけでなく、一人ひとりの利用者に体調不良がないか、足のペースが合っているか、無理をしていないか、細かく目を向けています。

異変があれば、指示を出しながらパッとステージを降り、利用者のもとへ。必要があれば外に連れ出して、レッスン再開。レッスン後はスタジオを出たところで利用者を迎え「ラン、がんばってましたね」「フォーム、すっごくキレイでした」と声をかけていきます。

帰りがけ、またフロントを通りかかると、「お疲れ様でした!」に続けて「次、いつ来てくれますか?」「明日はこんなプログラム、週末はこんなプログラムがありますよ!」。

こうして自然と、体を動かす機会が増えていきます。時には「めっちゃやせましたね! このアパレル、似合うと思うので、ぜひ試着してみてください」とウエアのおすすめも。ウエアを買えば、それを着る場所としてのスタジオにまた来たくなる、そんなサイクルが成立しているのです。

インストラクターも「キツイです!」

2013年からインストラクターを続けるIZUさん(右)。その堂々としたパフォーマンスから「キング」「カリスマ」などのニックネームがつくほど。現在はトレーナーとして後進の育成も務める。2017年にデビューしたMeiさんは、3年目にして選ばれたインストラクターだけが出演できるLUSTERの舞台に立った。
2013年からインストラクターを続けるIZUさん(右)。その堂々としたパフォーマンスから「キング」「カリスマ」などのニックネームがつくほど。現在はトレーナーとして後進の育成も務める。2017年にデビューしたMeiさんは、3年目にして選ばれたインストラクターだけが出演できるLUSTERの舞台に立った。 出典: 栃久保誠撮影
FEELCYCLEは「IT'S STYLE. NOT FITNESS.」というコンセプトを掲げています。たしかにトレーニングをしに来るというよりは、行きつけのカフェやセレクトショップを訪れるような感覚。インストラクターさんや会員同士の交流というサポートを得て、自然と運動が習慣化していくのを感じます。

利用者の満足度を上げるために、どのようなことを心がけているのでしょうか。人気インストラクターのIZUさん、Meiさんは揃って「そもそも(インストラクターは)人と関わるのが好き」だと言います。

現在、横浜のスタジオで勤務するMeiさんは、利用者とのコミュニケーションについて「声かけが一番」として、こう続けます。
 
「まずは、お客様の名前を覚えること。その上で、少しの変化にも気づきたいので、お客様のことをスタッフ間で共有することもあります。そうすると、自分が接客をしていないメンバーも、その方を知ることができますよね。好きなプログラムとか、曲とか。お客様とコミュニケーションを取っていると、だんだんそのお客様が求めているものがわかるようになってきます。ダイエットが目的の方なら体の変化について伝えよう、もっと上手に漕ぎたいという方ならフォームについて伝えよう、みたいに」(Meiさん)
 
長年、FEELCYCLEでインストラクターとして務め、現在はトレーナーを兼務、プログラムの制作にも携わるIZUさんは「お客様の目的を大事にしながらも、“ただのフィットネス”には留まりたくない」と話します。その真意を聞いてみると……。
 
「お客様が『元気が出た』『がんばろうと思った』と言ってくれるのですが、それは当たり前のようで、ぜんぜん当たり前じゃない、本当にありがたいことですよね。一般的なフィットネスジムはこんなにインタラクティブではないので、そこが違うところであり、インストラクターにとってのやりがいにもなっています。僕たちのレッスンを受けたり、コミュニケーションを取ったりすることによって、誰かの気持ちが少しでも前向きになる。FEELCYCLEはそういう場所であってほしいので」(IZUさん)
 
インストラクターは約2カ月の研修を受けてデビューします。研修の詳細は明かせないものの「フィットネスとして成立させるもの」と「歌やダンスの要素」があるとIZUさん。運動、歌やダンスの経験がないインストラクターでも、3カ月後にはデビューできるようになっているそうです。

一方、デビュー後は「自主性に任される」ため、営業終了後の自主練や、他店舗・他インストラクターのレッスンを漕ぎに行くことで、技術を磨いていくそうです。また、デビュー後3年という短期間で選ばれたインストラクターしか出演できない1万人規模の「暗闇バイクフェス」『LUSTER』に出演したMeiさんは「日々のレッスンが一番の練習」と付け加えます。

「レッスン自体で得られる経験値がすごくあるんです。慣れてくると、ちょっとの表情の変化にも気づけるようになるので『ここでこうしたらお客様がすごくうれしそうに漕いでくれた』とか『ここは違ったかもしれないな』とか。お客様が『今すごくキツイだろうな』というときに、何て声をかけてあげられるか。そんなことを考え続けていると、だんだんいいレッスンができるようになるのかな、と思います」(Mei)
 
だからあんなに余裕を持って漕げるんですね――そう記者が相づちを打つと、IZUさんは笑って「いや、僕らもキツイですからね!」と突っ込みました。Meiさんも間髪を入れず「キツイです!」と声を上げます。「僕らも人間なんで(笑)。でも、だからこそお客様の気持ちもわかるというか。そこは練習と気持ちでカバー、です」(IZUさん)

隠れていたノーベル賞の理論「ナッジ」

FEELCYCLEにおいて特筆すべきことの一つは、結果的に健康になれるサービスを提供し、それを継続して利用するように後押ししている仕組みです。

記者も体験しましたが、レッスンはかなりの高強度。しかし、ノリのいい最新ヒット曲や懐かしい名曲の魅力、そしてインストラクターの技術により、たとえ運動ギライでも体が動いてしまう。暗闇という気安い環境の後押しもあって、「ジムに行く」ハードルは限りなく下がっています。

加えて、店舗スタッフでもあるインストラクターとの人間関係も、継続して運動を促すように働きます。肥満など生活習慣に由来する病気の治療において、他者との人間関係が重要であることは、医学の世界でも知られているものです。

そして、豊富な選択肢。150を超えるプログラムに300人以上のインストラクターがいれば、計算上は4.5万通りもの体験が提供されることになります。BB1、BB2、そして上級者用のBB3と、体力がつけばつくほど新しいプログラムに挑戦できるようになるなど、ゲーム性も高い。どこかしらにはハマる要素があることが、リピート率を高めていると言えるでしょう。

これらの特徴はまさにノーベル経済学賞で注目された「ナッジ理論」です。ナッジとは「そっと後押しする」ことを意味する行動経済学の言葉。行動科学の知見に基づき、人に行動変容を促し、ライフスタイルの変革をもたらす取り組みのことを指します。2017年のノーベル経済学賞受賞者で、行動経済学者であるリチャード・セイラーさんが提唱したことで注目を集めました。

実際、記者は忙しくなり「今日は運動はいいかな……」と心がくじけそうになったとき、声をかけてくれるインストラクターさんの顔を思い出し、トレーニングを継続することができました。以前は一時的にトレーニングができても、忙しくなると中断。そしてジムから足が遠のくことを繰り返していたのですから、大きな進歩です。一人ではダメだったことでも、人とのつながりや音楽といったサポートがあれば乗り越えられる、まさに「ナッジ」の効果を体験しました。

人気の「暗闇フィットネス」に隠れていたナッジ。人に運動をさせるためには運動をさせようとしないことが重要であることが、FEELCYCLEというサービスから浮かび上がってきます。

関連記事

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます