MENU CLOSE

連載

#7 帰れない村

帰れない村、我が家はもう「まるでジャングル」 仕事場の牛舎も今は

夏草に覆われた自宅と屋根を見上げる今野美智雄さん=2020年8月、福島県浪江町津島地区、三浦英之撮影
夏草に覆われた自宅と屋根を見上げる今野美智雄さん=2020年8月、福島県浪江町津島地区、三浦英之撮影

目次

帰れない村
東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)
【PR】指点字と手話で研究者をサポート 学術通訳の「やりがい」とは?

自宅に生い茂る夏草たち

「まるでジャングルみたいだわ」

福島市で避難生活を送る、旧津島村出身の酪農業今野美智雄さん(59)と妻津子さん(59)は8月上旬、約1年ぶりに赤宇木集落の自宅を訪れた。車を降りて、足を止める。2002年に新築した我が家が、背丈ほどもある夏草に埋もれていた。

夏草に覆われた今野美智雄さんの自宅=2020年8月、福島県浪江町、三浦英之撮影
夏草に覆われた今野美智雄さんの自宅=2020年8月、福島県浪江町、三浦英之撮影

「あんなにきれいだったのに……」と津子さんは、かつての庭を見渡してうつむいた。「『もう戻っては来られない』。この庭を見ているとそう思うわね」

約60種、100株以上のバラを植え、夫婦でガーデニングを楽しんだ自慢の庭。今はもう、生い茂る雑草で立ち入ることさえできない。

自宅の中から、かつて「庭だった場所」を見つめる夫婦=2020年8月、福島県浪江町、三浦英之撮影
自宅の中から、かつて「庭だった場所」を見つめる夫婦=2020年8月、福島県浪江町、三浦英之撮影

仕事に明け暮れた牛舎も

「牛舎の方を見に行ってみますか」と美智雄さんが誘ってくれた。父の代から始めた酪農業を継ぎ、震災直前は16頭の牛を飼っていた。

搾乳、えさやり、牛舎の掃除。午前6時半から午後8時半まで忙しく働いた。それでも酪農が好きで、体が動く限り、仕事を続けていこうと考えていた。しかし……。

原発事故後は牛乳の出荷が停止され、搾乳したミルクは泣く泣く捨てた。牛を引き取ってくれる牧場を探し、何頭かは食肉用として処分した。そして9年半の避難生活。まさか津島に戻れなくなるなんて思いもしなかった。

自宅のある赤宇木は震災直後、国の担当者から「100年は帰れない」と言われた地域だ。避難指示の解除が予定される特定復興再生拠点にも含まれず、今も帰還の見通しが立たない。

毎日仕事に明け暮れた懐かしの牛舎もやはり、夏草にじゃまされて立ち寄れなかった。進みたくても、前に進めない。

「なんだか、今の俺を表しているみたいだな」と美智雄さんが力なく言った。

1人の酪農家の前で、夏草が緑の壁のように見えた。

自宅前の牛舎に立ち寄ろうとした今野さん。夏草が生い茂り、前に進めなかった=2020年8月、福島県浪江町津島地区、三浦英之撮影
自宅前の牛舎に立ち寄ろうとした今野さん。夏草が生い茂り、前に進めなかった=2020年8月、福島県浪江町津島地区、三浦英之撮影
 

東京電力福島第一原発の事故後、全域が帰還困難区域になった福島県浪江町の「旧津島村」(現・津島地区)。原発事故で散り散りになった住民たちを南相馬支局の三浦英之記者が訪ね歩くルポ「帰れない村 福島・旧津島村の10年」。毎週水曜日の配信予定です。

三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。

南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者
南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者

連載 帰れない村

その他の連載コンテンツ その他の連載コンテンツ

全連載一覧から探す。 全連載一覧から探す。

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます