当時はどれだけ迷惑をかけられても「大した問題じゃない」、時には「自分が悪い」と思うことさえあったという菊池さん。自分の家庭を客観視できるようになるまでを振り返っていただきました。(朝日新聞・朽木誠一郎)
家庭が崩壊しても「普通」がわからない
菊池さんの作品『酔うと化け物になる父がつらい』(秋田書店)ではアルコール依存の父親により家庭が崩壊していく様が赤裸々に描かれました。当時、どんなことが「つらい」と思っていましたか?
――同作ではアルコール依存の人の「身内」が周囲の無理解にさらされる様子も印象的でした。「飲まない人にはわからない」「大人になればわかる」「怖い娘がいてかわいそう」……。
その都度「怒り」や「寂しい」という感情が表れることはあっても、それが自分の家庭の問題だとは認識できなかったのでしょうか。
飲むと陽気になる父親は飲み仲間や行きつけの店も多く、人気があった。もちろん、誰も本当の意味で父親に寄り添ってはいなかったわけですが。
他のアルコール依存症の身内の方から話を聞く機会があっても「こんなに大変な思いをしている人がいるんだ」「うちはまだ大丈夫だ」と他人事に感じてしまって。
「普通」がわからなくなっていたので、大変な目に遭っても、「私の心が狭すぎるんだ」「私のガマンが足りないんだ」と思っていました。母が自殺したときも「私が逃げたから死んだんだ」と。
――「つらい」と思うようになったきっかけはありますか?
きっかけは「マンガを描いたこと」
もともと私は「父と縁を切ったら後悔するから止めなよ」というマンガを描こうとしていたんです。編集者のSさんに「何、言ってんの?」と言われてハッとしましたが、それくらい当事者にとっては気づきにくいのが家庭の問題だと思います。
私が気づけたのは、マンガを描いたことと、Sさんの存在が大きいです。自分では異常だと思っていないことでも、他人のエピソードとして読むとすごく「つらい」。
「何でこの人は、普通に生まれてきただけなのに、こんな目に遭っているんだろう」「意味がわからない」。マンガを描いたことで少しずつ客観視して、自分が悪くないことは「悪くない」と思えるようになったんです。
――なぜ、この作品を描こうと思ったのでしょうか。
この作品を描くことになったのは、連載前に編集者のSさんとアルコール依存症外来のルポマンガの取材に行ったのがきっかけです。Sさんはそれ以来、「おかしい」と感じたことは「おかしい」と言ってくれて、それが気づきになることも多いです。
あとは、私の場合は、両親が共にすでに他界しているというのもあります。存命だったらきっと、この作品は世に出せなかったでしょうから。
――「アルコール依存の人を身内に持ったこと」は周囲のサポートなしには乗り越えにくいかもしれません。
私もこの作品を描いてから、心療内科に通ってカウンセリングを受けるようになりました。最初の「気づき」がないと、そもそもその必要を感じないという、抜け出しにくい状況なんです。
私にできることは、自分の経験を基にマンガを描くこと。少しでも誰かの気づきにつながればうれしいですが、親と子どもの結びつきは強いので、やはり周囲のサポートが必要だと思います。
「他人」なら「かわいそう」と思えるように
もちろん、父親がやったことは許されることではありません。でも、「他人」として彼をみると、不得意なコミュニケーションを飲酒によって明るく振る舞うことでカバーしようとした孤独な面も見えてきます。
こうやってちょっとずつ理解をしていくことによって、いずれは自分の中で消化できるようになるのかもしれません。また、それに伴って、自分にもいい変化が生じてきました。
――「いい変化」とはどのようなものでしょうか。
ずっと「何で私はこんなにダメなんだろう」と悩んでいたのですが、最近は「こういう育てられ方をしたら上手にできないよね」と、自分のことも客観視できるようになって、少し楽になりました。
「あなたのせいじゃない」というのは、私がマンガを描く上で、一つ大きなテーマになっています。私もまだその途中ですが、親のことを乗り越えた先輩たちもたくさんいる。いつか折り合いがつけられる日まで、マンガを描いていきます。