話題
「限界点の器があふれたその時は…」 首相の「自助」障がい者の願い
だからその時はどうか私たちを支えてほしい。
先月就任した菅義偉首相は、目指す社会像に「自助・共助・公助そして絆」を掲げています。政権が国民の自助をまず促す姿勢を危ぶむ声が、報道でもたびたび紹介されています。先月まで社会福祉法人で働いていた、車いすユーザーでもある篭田雪江さんはどう考えるのでしょうか。自らを助け、共に支え合う「器」が溢(あふ)れてしまったら――。かつて共に働いた仲間たちの姿を思い浮かべながら、これまで感じてきたことを綴ってもらいました。
先月で退職した社会福祉法人の理事長の退職が、あと二年に迫っている、という話を耳にした。
前職場は、県内一般企業への就職が困難だった肺結核回復患者たちが、自ら糧を得ようと立ち上げた小規模作業所がそのはじまりである。最初は仏壇の修繕やスリッパなどの日用品を細々と作り、日々の糧を得ていたらしい。やがて、後の主力業務となる印刷事業を立ち上げ、少しずつ規模が大きくなっていった。
理事長はそんな時期に大学卒業後、就職してきた。はじめは営業に携わった後、三十代前半という若さで工場長の重責に抜擢された。以後、人員採用や設備投資を積極的に行い、一時期は県内でも中堅規模の印刷業となるまでに成長させた。2012年に障害者自立支援法(現在の障害者総合支援法)が制定されると、就労継続支援事業A型(印刷事業はこの形式で今も継続されている)、製パンや軽作業を行う就労継続支援事業B型、主に精神、知的障がい者のための就労支援事業、相談支援事業、放課後等デイサービス事業など、その事業の幅を広げていった。
小さな作業所に過ぎなかった前職場をここまで大きくしたのは間違いなく理事長ひとりの手腕と言い切っていい。
しかしその分、ワンマンな性格であることも否めなかった。特に私が入社した頃はよくも悪くも血気盛んで、仕事やミスにも非常に厳しかった。工場内に響きわたるような声での叱責はしょっちゅうで、従業員を縮こまらせた。宴席でも酒が入るとくどくなるため、皆、隣に座わるのを嫌がった。
そういう席や、全従業員が集まっての会合などがあるとよく語るひと言があった。まるで座右の銘であるかのごとく。
「障がい者にも自助努力が絶対に必要なんだ」
ここで話を少し変えたい。
前回記事でもふれたが、前職場にはSさんという全身の筋肉が徐々に弱っていく難病を抱えたひとがいる。今も前職場で働いているパートナーの話によると先日そばを通りがかったら、ちりん、と音がした。見るとなぜか胸元に紐つきの鈴がネックレスのように下がっていた。あれはなんだろう、と不思議に思っているとほどなく直属の部長から「ちょっと頼みがあるんだけど」と話しかけられた。なんでもこれから昼食の時は、Sさんの隣で一緒に食べてほしいのだという。
Sさんとパートナーは仲のよい同僚なので断る理由もなく快諾した。でもどうしてですか、と当然の問いかけをすると思いがけない理由がかえってきた。
最近、Sさんは食べ物を飲み込む力が弱ってきているのだという。少し前も昼食を摂っている時、おかずを喉に詰まらせた。誰かに助けを求めようとしたが声も出せず、手を振ったがまわりには誰もいない。幸いほどなく厨房のひとが気づいて吐き出させ、その時はことなきを得た。だがこれからまたおなじようなことが起きないとは限らない。だからそんな時は胸の鈴を鳴らしてまわりに訴え、さらに念を入れてパートナーにそばについていてもらうようにした、ということだった。
実はSさんはこれ以外にも最近、トイレで転倒して携帯電話で助けを呼んだり、膝の筋力低下を防ぐ治療を受けるための短期入院を繰り返すようになっている。仕事や普段の様子に変わりはなくても、症状は徐々に悪化しているようなのだ。
そんな理由で部長がパートナーにSさんと昼食を共にしてくれるよう頼んだ時、言い添えた言葉がある。
「共に助け合っていかないとね、うちは」
その話を聞いた時、私はかつて職場にいたふたりのひとを思い出した。
ひとりは以前も紹介したことがある。幼い頃の事故が原因で両腕が完全に動かせなくなり、日常動作や仕事をすべて両脚で行っていた女性(ここではMさんとしておく)。Mさんはパソコンのキーボードも両脚を机に持ち上げ入力し、食事も右足の指に箸をつかんで摂っていた。こう書くと特別なことのように感じるが、実際見ると実に自然で違和感はまったくなかった。ずっと彼女がそれを当たり前として生きて来た証なのだろう。
しかし両膝の痛みを緩和する手術を受けてから、両脚の動きが悪くなってしまった。食事も、以前はひとりで歩いていっていたトイレにも同僚の介助が必要となったが、それが本人にもまわりにも負担となってしまい、結局は退職となってしまった。
もうひとりはTさんという私より十近く年上の男性だ。二十代後半の頃事故で車いす生活となった後、前職場に入社してきた。パソコンのハード、ソフト両方の知識が深く、私も入社当時から数えきれないほど教えを乞うた。
しかしそのTさんも四十を過ぎたあたりから、原因不明の手の震えや体力低下に悩まされるようになり、症状悪化から数年後、力尽きたように職場を離れた。だがその技量を惜しみ、ある若手営業がTさんには在宅勤務で仕事を続けてもらえればよかったのにと思った、という話を後に聞いた。確かに在宅勤務になればTさんの負担だった車通勤や職場の空調(Tさんは職場の冬場の冷え込みに苦しんでいた)に悩まされることなく仕事を続けられる。仕事の受け渡しもメールや営業が自宅に出向いてのやり取りでいくらでも可能だ。
だが現在の状況下では常識となっている在宅勤務も、Tさんが辞めた十年ほど前は一般的ではなかった。少なくとも地方である私の町はそうだったし、当時の職場のさまざまな業務状況を考えるとそれを行うのは厳しかっただろうことも想像できる。もしTさんの退職が今の時期だったら可能性もあったろうか。それを考えると残念でならない。
先に書いたMさんもそうだ。からだはきつくなっていたが経理として優秀なひとだった。仕事量は落ちたかもしれないが、在宅勤務、あるいは仕事やトイレなどの介助を行うヘルパーを雇い入れていたらまだ働けたのではないか。実際働く意欲は本人にはあった。だが職場はそれをしなかった。人件費等の問題でできなかった、が正確なところだろうが。
Tさんが退職間際、こんなつぶやきをもらしたのが忘れられない。
「こんなんじゃ、生きてる甲斐なんてないな」
先だって新首相が選出、新たな政権が誕生した。
その新首相が党総裁選挙時から繰り返し述べているのが「自助・共助・公助、そして絆」である。
実は今まで書き記してきたひと、できごとはすべて、この「自助・共助・公助」の3つのキーワードを目にし、ずっと考えているうちに思い出されてきたことである。
発足したばかりの政権だから、これからどのような政策を打ち出していくのかはわからない。しかし新首相のスローガンと言っていいのだろうこの3つの言葉、そして並びを目の当たりにした時、私は土嚢のようなずっしりと重い荷を背負わされた感覚にとらわれ、うなだれてしまった。そして今まで書いてきたひとたち、できごとが浮かんできたのだ。
自助―自分で自分の身を助けること。共助―まわりのひとたちと助け合うこと。
もちろん、いずれも生きる上で欠かせないことである。まず自らのことは自分で。それでも無理なことがあればまわりのひとたちの手を借り、助言をもらい、支え合う。そうしなければひとはひととして生きていくのは難しい。
その自助・共助に限界点という名の器があるとしたら。当然その容量はひとによって違うだろう。しかし私自身は全体を平均すると、その器に入る水量は案外少ないのではないか、と思っている。
自らを助け、共に支え合うこと。私はこの器が溢れてしまった場面をいくつも見てきた。先に書いたひとたち、できごともそう。前職場はMさんもTさんも支えきれなかった。Sさんもパートナーが隣で食事を摂ることにはなったが、パートナーも仕事を休む日だってある。そういう時、代わりもおらず、Sさんひとりで食事を摂らざるを得ない時だってくるだろう。その時に誤嚥を起こし、鈴を鳴らしてもまわりが気づかなかったら。万一のことかもしれないが、その万一が起きてからでは取り返しがつかないのだ。
私もひとごとではない。持病悪化で職場を退職せざるを得なかった。日々、いや一日の何時間ごとの体調変化に悩まされながら過ごしている。通院日に倦怠感がひどくて車の運転もできず、近くに住む母を急に呼び出し、連れていってもらったこともある。だがそれもいつまでできるかわからない。母ももう70歳を目前にし、先日も甲状腺の手術で一週間ほど入院したばかりだ。父もやはり高血圧や脊柱管狭窄症などの持病に悩まされている。町内会も高齢の方ばかりだし、若い方は日中働いていて家を空けている。これからまわりの誰にも頼れなくなったら。収入面も含め、そんな不安はいつも付きまとう。
そうした不安を抱えながら私もパートナーも生きている。その思いはMさん、Tさん、Sさんにとってはもっと大きくて重いものだろうことは容易に想像できる。
そんな私たちに突きつけられた「自助・共助・公助」の言葉、この並び。
まずは自分たちでやってください。私たち公はその後で話を聞きます。
これ以上、私たちになにを求めるのですか。
誤嚥を訴えるための鈴をつけるまでに衰えたからだでも働き続けている。痛む両脚でキーボードを打ち、生きてる甲斐がないとうなだれながらも限界まで働いた。年老いた親を頼ってまで病院へ行く。まわりにすがりつき、崖を背にしたような状態で生きている。そんな私たちにこれ以上なにを――。
3つの言葉に対する、私の率直な思いである。
私は私の見える範囲でしかものごとや考えを書けない。でもおなじような思いを抱いている方々は多いのではないだろうか。ましてやこのコロナ禍だ。医療現場、福祉現場、飲食業、観光業、教育現場……。見識の狭い私でも疲弊しているだろう現場はいくらでも想像できる。そんななか、まずは自分たちで、はあまりに重すぎる。悲しささえ覚えてしまうのが本音だ。当然、公の場もおなじように疲弊しているだろうことは充分に想像、理解もし、また医療費控除などの公助には本当に助けられ、感謝していることを踏まえた上での意見である。
冒頭にあげた理事長の口癖、座右の銘とも言えた言葉である「障がい者にも自助努力は必要なんだ」。
ことあるごとに繰り返してきたこの言葉だが、実はここ数年、理事長はまったく使わなくなってしまっていた。まるで封印してしまったかのごとく。想像でしかないが理事長の限界点の器も、印刷事業の業績悪化などの要因が重なり、すでに溢れてしまっていたのかもしれない。
それでも今、前職場では新規事業の模索がはじまっている。それを置き土産に理事長は職場を去るつもりだろう。まだまだ前職場は頑張っている。この事業も従業員が手に手を取り合って進めていき、いずれは実を結ぶことを信じている。
このような状況だが、これからも私たちは自らを助け、まわりと支え合う。できる限りのことはする。それでも限界点の器が溢れてしまったら。そうなるともう公助にすがるしかない。だからその時はどうか私たちを支えてほしい。苦しみをわかってほしい。目を向けてほしい。
それが「自助・共助・公助」に対する、私の切なる願いだ。
1/38枚