話題
「大阪都構想」世論が賛成に傾いた理由 創業者 橋下徹氏いないのに?
再チャレンジのきっかけになった菅義偉首相の〝怒り〟
大阪市を廃止して特別区に再編する「大阪都構想」の是非を問う住民投票(11月1日投開票)が1カ月後に迫っています。元大阪市長の橋下徹氏が立ち上げた「大阪維新の会」がその後、政党名などは変わりつつも一貫して掲げてきた看板政策「大阪都構想」。5年ぶりにその成否が問われる機会になりますが、政治環境が激変するなか、有権者の判断が注目されます。10月12日の告示を前に、「政局」的な切り口から考察してみたいと思います。
9月29日、興味深い世論調査の結果が出ました。朝日新聞と朝日放送テレビが9月26、27両日に実施した大阪市民を対象にした電話による世論調査です。大阪都構想の是非を問う住民投票では、廃止対象となる大阪市民が有権者になります。
調査はその大阪市民を対象に行い、935人の有効回答を得ました(回答率58%)。大阪都構想の賛否を聞いたところ、賛成が42%、反対が37%。都構想の是非を問う前回2015年の住民投票を前にした3回の世論調査では、同趣旨の質問にいずれも反対多数の傾向でしたが、今回は賛成が多い結果になりました。
今度の住民投票は、維新にとって「2度目の挑戦」となります。1度目は5年前の15年5月でした。投票結果は「反対」が70万5585票、「賛成」が69万4844票。わずかの差で、都構想は否決され、実現しませんでした。
このとき、都構想の旗を先頭で振っていたのは、橋下・大阪市長でした。盟友の松井一郎・大阪府知事(現・大阪市長、日本維新の会代表)と二人三脚で住民投票の実施にこぎつけました。しかし、結果は「敗北」。橋下氏は大阪市内のホテルで松井氏とともに記者会見し、こう語りました。
「いやあ、これは僕自身に対する批判もあるだろうし、やっぱりその僕自身の力不足ということになると思いますね」
そして、政界引退を正式に表明。同年末の大阪市長の任期満了とともに政治家を辞めました。維新という異色の政党を引っ張ってきたカリスマの退場で、大阪都構想の「夢」はついえたかに見えました。
しかし、それから5年。再び住民投票が行われることになり、さらに告示前の世論調査で「賛成」が5ポイントリードという情勢に。当然ながら橋下氏は今回、政治家として表舞台で都構想推進の旗を振っていません。それでも、都構想実現の可能性はむしろ高まっていると言えるでしょう。
カギとなっているのは、吉村洋文・大阪府知事の存在です。吉村氏の存在は、5年前との政治環境の違いの最大のポイントと言えます。
吉村氏は前回の住民投票のときは、国政政党「維新の党」に所属する衆院議員。「無名」と言っていい存在でした。大阪府出身で弁護士として活躍していましたが、都構想に共鳴して2011年の大阪市議選で維新公認で初当選。2014年の衆院選で国政に転じました。その後、2015年11月の「ポスト橋下」を選ぶ大阪市長選で、橋下氏から後継指名され、松井府知事とタッグを組む格好になっていったのです。
その吉村氏は昨年春の大阪府知事・大阪市長のダブル選で知事に転じました。そして、「コロナ禍」で各地の知事の施策が注目を浴びるなか、歯切れのいい語り口などで人気が急騰。今回の住民投票に向け、橋下氏に代わって都構想推進派の「顔」となっており、「吉村人気=都構想支持」という構図になっています。
実際、朝日新聞と朝日放送テレビの世論調査では、吉村知事のコロナ対応を「評価する」が81%に上り、「評価しない」は11%でした。さらに、吉村知事の支持率は75%で、不支持率は15%にとどまっています。
2015年の前回住民投票と違う政治環境がもうひとつあります。それは、国政が安倍政権から菅政権に代わったという点です。これもまた、維新にとって「追い風」と言えるのです。
最長政権を率いた安倍晋三前首相は8月、体調不安を理由に辞職を表明。9月16日、7年8カ月にわたり安倍政権を官房長官として支えてきた「大番頭」の菅義偉氏が後継首相の座を射止めました。実はこの菅首相は、維新、とりわけ松井氏にとって「盟友」と言える存在なのです。
2年前の年末、東京都内のホテルにある日本料理店に、当時の菅官房長官と食事を共にしていたのは、橋下氏と松井氏の2人でした。そのころ大阪では、維新を率いる松井氏が都構想の住民投票の実施時期をめぐって公明党大阪府本部の幹部たちと対立していました。
2019年末である知事の任期満了までに住民投票を実施したい松井氏と、できれば先送りしてうやむやにしたい公明党側。交渉は膠着状態になりつつあり、松井氏は策に窮していました。
「任期満了までに住民投票ができなければ、政治家を辞めます」
松井氏は席上、菅氏にこう伝えたといいます。しかし、この「政界引退」発言に対し、菅氏は怒りの色をあらわにします。
「大阪の万博はどうする。辞めるって、もう大阪のことはやりませんよ!」
政府の後押しで誘致に成功した2025年大阪・関西万博に触れ、菅氏は松井氏に翻意を促しました。菅氏の勢いに押された格好の松井氏は、2019年春の統一地方選にあわせて吉村氏とともに知事、市長の職を辞し、お互いのポストを入れ替えて出直し選に臨むという「奇策」を考え出します。
そしてその考えを、改めて菅氏に伝えたのです。この出直し選と統一地方選で維新は圧勝し、公明党を押し切って住民投票が実現する「決め手」になりました。言ってみれば、菅氏が住民投票再チャレンジの「立役者」と言えるのです。
その菅氏が、自民党総裁、そしてこの国のリーダーである首相になりました。首相選出前の9月3日の官房長官会見では「大阪市を廃止して特別区を設置することにより、二重行政解消と住民自治の拡充をはかるものと認識している」と述べ、理解をにじませました。
「反維新」の急先鋒である自民党大阪府連は、都構想の是非を問う住民投票も「反対」の立場で臨む方針ですが府連内には賛成論もあり、党のトップである総裁が維新に近い立ち位置なだけに、一丸となって住民投票に取り組めるか疑問視する声も根強いのが実態です。
実際、菅首相は組閣に際し、大阪万博の担当相に地元選出国会議員を選ばず、東京選出の井上信治衆院議員を起用しました。永田町では「菅首相の大阪府連への冷たい視線の表れだ」(自民党国会議員)との指摘もあります。
1/7枚