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連載

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#62 #となりの外国人

祖母が嫌いな日本、ニコ生で大好きに…留学して浴びせられた「反日」

“100%の否定・肯定”が生む分断、誹謗中傷も、謝罪も、極端すぎませんか?

幼いころのチョウ・ジーイン(張之胤)さんと、祖母のホン・ジャンレン(熊珍齢)さん。両親はシンガポールの実家ではなく、中国にいることが多く、祖母が母親代わりだった
幼いころのチョウ・ジーイン(張之胤)さんと、祖母のホン・ジャンレン(熊珍齢)さん。両親はシンガポールの実家ではなく、中国にいることが多く、祖母が母親代わりだった 出典: チョウ・ジーインさん提供

目次

「おばあちゃん、ごめんね。おばあちゃんの好きじゃない国を選んでしまって」

シンガポール人留学生、チョウ・ジーイン(張之胤)さん(21歳)は2年前、後ろめたい思いを抱えながら、日本にやって来ました。シンガポールが日本の占領下だった時代に、「おばあちゃん」の父親は、旧日本軍に拘束され、のちに亡くなりました。終戦から75年経った今も、「おばあちゃん」の心は癒えることはありません。そうと知りつつも、ニコニコ生放送や日本アニメにハマっていったジーインさん。留学先の日本では多くの出会いに恵まれた一方で、ツイッターで「反日スパイ」と中傷されたこともありました。「反日」の意味は、その時に初めて知りました。ジーインさんの心は、「おばあちゃんが嫌いな日本」と、「自分が大好きな日本」の間で、揺れ続けています。(朝日新聞記者・小川尭洋)

おばあちゃんはきっと悲しむけど

「あなたを育てたのは私だけど、所詮親じゃないから、日本留学に行きたいなら止められない。でも、どうして自分の孫を日本に送り出さないといけないのかしら・・・」

留学に行く数カ月前。ジーインさんは、ダイニングテーブルで野菜を切る祖母と、向き合っていました。

祖母の優しい表情はいつも通りでしたが、その複雑な気持ちはよく伝わってきました。本当は、孫の好きなことを応援したいけど、シンガポールとの暗い歴史を持つ日本にあまり近づいてほしくない――。

「おばあちゃんは、口では留学に反対しないだろうけど、きっと悲しむだろう」

80歳過ぎの祖母。日本の占領時代を苦しみながら過ごした胸のうちを思うと、留学のことは、なかなか言い出せませんでした。祖母の反応は予想していましたが、やるせない気持ちになりました。

早稲田大学留学中のジーインさん(右から2人目)。現在は、シンガポールからオンラインで授業を受けている=2018年
早稲田大学留学中のジーインさん(右から2人目)。現在は、シンガポールからオンラインで授業を受けている=2018年

子ども8人 裕福な家庭から暗転した歴史

早稲田大学国際教養学部3年のジーインさんは、シンガポールで中国系の家系に生まれました。仕事などで中国を行き来する両親の代わりに、祖父母に育てられたそうです。

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ジーインさんの祖母の父親にあたるホン・ゴンタイ(熊廣泰)さんは、今から77年前の1943年、旧日本軍に拘束された後、帰らぬ人となりました。

ジーインさんは、家族に何度も確認しつつ、いきさつを説明してくれました。

 

ジーインさん

曽祖父のゴンタイは、1907年にイギリス支配下のシンガポールで華人の家に生まれました。1931年に年下の女性と結婚した後、1935年ごろ、義理の兄が営むマレーシアのゴム農園の管理を手伝うため、移住しました。

世界的な貿易拠点となったシンガポールのお陰で、ゴムの売れ行きは好調でした。比較的裕福な家庭で、8人の子どもに恵まれ、育てていました。

 

ジーインさん

人生が暗転したのは、結婚から12年後。1942年、太平洋戦争中の日本がイギリスを破り、シンガポールを占領し始めたことが引き金でした。

1943年秋ごろ、農園にいた曽祖父は、旧日本軍に突然連れ去られ、拘束されてしまいました。解放の条件は、義理の兄である農園の経営者が現れることだったそうです。家族は手を尽くしましたが、曽祖父が家に戻ることはありませんでした。後で分かったことですが、当時、経営者は国外に出ていたそうです。
日本のシンガポール占領


1942年2月、太平洋戦争中の日本がイギリスを破り、シンガポールの占領を始めた。日本は、占領政策としてマレー人やインド人を優遇する一方で、中国系の住民の多くを迫害した。旧日本軍が「抗日」を理由に、中国系のシンガポール人を大量に虐殺する事件もあった。

東南アジアの日本軍政に詳しい、立教大学アジア地域研究所特任研究員の松岡昌和さんによると、日本の占領下のシンガポールやマレーシアでは、中国系の住民が、拘束され、拷問を受けたという証言が数多く残っている。ゴンタイさんの拘束について「当時、日本軍は、中国系住民の財産をほぼ強制的に接収していた。中国系だったことが、何かしらのトラブルにつながって拘束された可能性がある」と指摘する。
 

 

ジーインさん

当時、29歳だった曽祖母は、8人の子どもたちを連れ、シンガポールへ戻りました。残った財産を切り崩しながら、貧しい生活を送り始めました。祖母を含め、曽祖父の子どもたちは、1日1杯のお粥を食べるのがやっとでした。もちろん、高等教育を受ける余裕もありませんでした。

終戦後、曽祖母は、曽祖父の訃報を聞きました。拘束されていた施設で、一緒に過ごしていた知人から「降伏の何カ月か前に亡くなったばかり」と知らされたそうです。死因は不明ですが、知人の話によると、体が弱かった曽祖父は、食べ物が十分にない環境の中、胃の痛みを訴えながら亡くなったそうです。
 

ニコニコ生放送で日本語をマスター

ジーインさんは、家では中国語、学校では英語を使い分けて育ちました。

日本語に興味を持ったのは中学2年生のとき。きっかけは、ネットサーフィン中に見かけた「ニコニコ生放送」の配信番組でした。

日本語は学んだことがありませんでしたが、「リアルタイムの交流が新鮮でハマっちゃいました」。2013年当時は、まだリアルタイムの動画配信サイトが珍しかったのです。

グーグルの機械翻訳を使いながら、配信者らと交流しました。「会話内容は音楽とか色々・・・交流できれば何でも良かったんです。参考書は一切使わず、分からないことはネットで調べて勉強しました」

日本語の習得をきっかけに、日本のアニメやバラエティー番組も見始め、のめり込んでいきました。1年ほど経つと、簡単な日常会話はマスターし、生放送を自ら配信できるまでなりました。

高校生のときには、地元で日本語スピーチコンテストや、日本人との交流会に参加。祖母の残念そうな顔が浮かぶこともありましたが、「日本語は、もはや自分の生活の一部になっていました」。

「日本で生活してみたい」という思いはどんどん大きくなっていき、早稲田大学に留学生として入学することを決意しました。

ジーインさんと、祖父母、おじ、おば=2017年6月11日
ジーインさんと、祖父母、おじ、おば=2017年6月11日 出典: チョウ・ジーインさん提供

留学で多くの出会い 「日本の家族」もできた

2018年。複雑な気持ちもありつつ、夢にまで見た日本での生活が始まりました。多様なバックグラウンドの学生と議論したり、学内のスタッフとしてイベントを企画したり。
「シンガポールにいる時よりも、多くの出会いがあった。想像以上に楽しい日々でした」

学外でも、素敵な出会いがありました。知人の紹介で、小学生の3姉弟の家で、家庭教師になったとき。家族は、帰りにお弁当を持たせてくれたり、クリスマスやお正月にも家に招待してくれたりしました。
「どうしてこんなに歓迎してくれるの?っていうくらい。『日本の家族』ができたような気持ちで、感動しました」

この家のことを、祖母にビデオ通話で伝えると、祖母は「良い人たちだね。お返しに、シンガポールのお土産を準備しないといけないわ」と気遣ってくれました。

「愛する人の差別的発言は辛い」

祖母は、そんなふうに肯定してくれることもあった一方で、「日本人は残虐だ」と、たびたび口にしていました。

ジーインさんは、「日本人に限らず、悪い人もいれば、良い人もいる。それは、おばあちゃんも、頭では分かっているのだけど、戦時中のイメージが強く残っていて、心から許すことはできないかもしれません。でも、愛する家族が日本人のことを差別的に言うのは、聞いていて辛いです」と言います。

祖母(右下)と、兄弟姉妹。この8人で戦時中の苦難を過ごした=2010年
祖母(右下)と、兄弟姉妹。この8人で戦時中の苦難を過ごした=2010年 出典: チョウ・ジーインさん提供

「お前、反日だろ」 呼ばれて意味を知った日本語

日本人と交流する中で、ショックなこともありました。今春、ジーインさんは、コロナ禍の奨学金問題を取り上げるために、実名と国籍を明記してツイッターを始めました。

「留学生含めて大学生は、コロナ禍で経済状況が厳しい人が多かった。少しでもプラスになるよう声を上げたかったのです」
ところが、大学の制度や国の政策について意見するたびに、差別的なコメントが相次いで書き込まれました。

「嫌なら自分の国に帰れ」
「お前、反日だろ」
「(中国政府のために動く)工作員め」


「私は日本が好きで来たのにどうして?って。日本にいる外国人は、日本の全てを褒めないといけないのでしょうか。日本の方から、こんなにひどいことを言われたのは初めてで、ショックでした」
ツイッターでは「反日が日本選ぶな」「いい人のふりをして反日する人」などと言われた
ツイッターでは「反日が日本選ぶな」「いい人のふりをして反日する人」などと言われた

「反日」という日本語は、言われてから、初めて意味を調べたそうです。同時に、対になる言葉が「親日」だということも学びました。

「『反日』と言われるのは当然嫌だけど、『親日』と言われるのも嫌です。日本という国や日本人をひとくくりにして、100%否定・肯定するようなニュアンスがあるけれど、それはあり得ない。どの国にも、良いところも悪いところもある。私含めて日本好きなシンガポール人は多いけれど、無条件に全て好きなわけではありません。占領時代を良く思っていない人は多いんです」

現在はシンガポールで足止め 「日本に戻るのが怖い」

ジーインさんは、昨年の秋から1年弱、早大の交換留学プログラムで北京大にいました。プログラム期間はすでに終わっていますが、新型コロナウイルスの影響で日本に戻れず、現在はシンガポールの実家でオンライン授業を受けています。

現実の日本社会では、差別的なことを言われたことはありません。それでも、「SNSで何度も攻撃されるようになってから、日本に戻るのが怖い」と感じるようになりました。

ツイッターでは、戦時中の歴史に関する考えや、祖母の体験を発信し、誹謗中傷されたこともありました。
「戦時中の日本について話すと、自分のことのように怒る人が何人もいました。昔の日本が嫌いだと言っているだけで、今の日本の方々を否定しているわけではないのに」

逆に、戦時中のことについて、日本人に謝られたことも何度もあったそうです。「でも、今の日本の方々に直接の責任はないから、そんなことは求めていない」と話します。

ジーインさんは、ツイッター上から、日本社会の「分断」を感じています。「誹謗中傷も、謝罪も、極端すぎる。私は、事実に基づいた歴史を知ってほしいだけなんです」

そして、日本にハマるきっかけになったニコニコ生放送での交流と比べて、思うことがあります。
「ニコ生では、日常会話だけだったからなのか、外国人だと知られても、中傷されることはなかった。『日常について話す外国人』はOKだけど、『歴史や政治について話す外国人』を特別視する空気があるのかもしれない。お互いに同じ人間として話したいな、と思っています」

「おばあちゃんと友達になってほしい」 ジーインさんの願い

記者の私がジーインさんから話を聞いたのは、日本の「終戦の日」の翌日。ツイッターで、ジーインさんの祖母に関する投稿を見かけたことがきっかけで、取材を申し込みました。

シンガポールが日本の占領下に置かれていたことは知っていましたが、恥ずかしながら、シンガポールの華人が迫害されていた歴史は初めて聞きました。

私は、中国人の母と日本人の父の間に生まれました。日中双方のバックグラウンドを持つ日本人として、その歴史は知れば知るほど、とてもショッキングなものでした。同時に、歴史を根本から否定したり、外国人に誹謗中傷の刃を向けたりする人々がいることに、怒りを感じました。

今回の取材では、ジーインさんの祖母から直接話を聞くことはできませんでしたが、ジーインさんは私に「おばあちゃんと友達になってほしい」と言って、ある手紙の写真を見せてくれました。

それは、ジーインさんが、2年前の留学出発当日、祖母に書いた手紙でした。目の悪い祖母でも読みやすいよう、大きな漢字でつづられた青い便箋が6枚。実家で大切に保管されていたそうです。

ジーインさんから祖母への手紙

(前略)内面も外面も、とてもきれいなおばあちゃん。私は、あなたに育てられて、本当に恵まれています。でも、身近にある幸せは気づかないものですね。

普段から言うことを聞かず、(中略)日本に行く選択をして、本当に、ごめんなさい。私は、あなたの日本人に対するイメージがどんなものか、知っています。でも、私は思うのです。どの国にも良い人、悪い人はいます。私も、日本人だけが特別好きなわけではありません。

最近、友達と一緒に、日本人の知人を連れて、シンガポール観光をしました。実は、戦争博物館にも行きました。どうか、怒らないでください。私は、あなたのために、日本留学前に、歴史を理解したかったのです。(中略)私も、多くの日本人に歴史を理解してもらいたいと思っています。

私は、まだまだ未熟で、長年、大切に守られ育てられてきました。あなたは、私がだまされ、関わる友達を間違え、自分を大事にできなくなってしまうのではないかと、心配していますね。でも、心配しないでください。

できるだけ、目をこらし、自分の足でしっかり生きていきます。(中略)今まで私のために色々してくれて、ありがとう。あなたに一番、恩返しをしたいです。

私は、「コロナが収束したら、シンガポールでみんなで会いましょう」と、ジーインさんと約束しました。

ジーインさんがツイッターで受けたような、人種や国籍を理由にした差別をなくしたい。そうした私の思いは、会う約束をしてから、より強くなりました。差別が繰り返される日本のままでは、胸をはって、ジーインさんの祖母には会えないと思ったからです。

今回の取材にあたって、ジーインさんは、家族に何度も話を聞いてくれました。橋渡しの労力をいとわない原動力は「すべての人にとって、過ごしやすい社会であってほしい」という願いにあります。

私も、その思いに突き動かされるように、記事を書きました。世代や国籍を越えて、互いの思いに触れ、新しい関係を築くこと。この地道な繰り返しの先に、そうした社会が生まれるのだと、私は信じています。

ジーインさんが、日本留学に行く前日、祖母に書いた中国語の手紙
ジーインさんが、日本留学に行く前日、祖母に書いた中国語の手紙 出典: チョウ・ジーインさん提供
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