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#6 Busy Brain

小島慶子さんの疑問「思いつき発言で怒らせるのはADHDの特徴?」

はしゃぎすぎてしまったり、思いつきの発言で人を怒らせたりすることが多かったです

幼稚園の頃の小島慶子さん=本人提供(写真の一部を加工しています)
幼稚園の頃の小島慶子さん=本人提供(写真の一部を加工しています)

目次

BusyBrain
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40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが語る、半生の脳内実況です!

地道な手計算で、ミスを何度も繰り返しながら、ようやく何度目かで答えにたどり着く

 人の気持ちをわかるのは難しいものです。どんな優秀な人でも、人の気持ちを完全に解き明かすことはできないでしょう。相手の置かれた状況から推測したり、もしも自分だったらと想像したりするしかありません。おおよそ察しがついたときに、どのような態度をとるべきかを判断するのも、これまた簡単ではありません。いく通りもの掛け算が成立するので、膨大な選択肢を前に茫然としてしまうのです。

 この計算がとてつもなく早い人がいます。相手を安心させるのも傷つけるのも狙い通り。性能の良い計算機を自在に使って人心をつかみ、目的を果たす。そういう人から見たら、ぐずぐずと思い悩み、的外れな対応で人を怒らせるような人間は、要領が悪いことこの上ないでしょう。

 頭の中にスーパーコンピューターが入っている人は、見れば答えがわかるので滅多に間違わないのかもしれません。でも世の中には地道な手計算で、ミスを何度も繰り返しながら、ようやく何度目かで答えにたどり着く人もいるのです。後者は前者の何倍も回り道をする羽目になりますが、失敗をたくさん知っているので、同じように要領の悪い人のことが、スパコン人よりもちょっとだけよくわかります。「わかる」にもいろいろあるのです。

 すでに述べたように、私は人の気持ちには比較的敏感でしたが、自分の感覚をなかなか信じられず、適切な振る舞いができませんでした。警戒心の強い母の影響や、他の子どもとの接触機会が極めて少なかったことが要因かも知れません。また、はしゃぎすぎてしまったり、思いつきの発言で人を怒らせたりすることが多かったのは、ADHDの特徴である衝動性が関与していたのかも知れません。

 同時に激しい人見知りでもあったので、それをなんとか克服させようと、母は「とにかく人の前に出なさい」と幼い私を叱咤激励しました。人と上手に関われない者が闇雲に前に出ようとすれば、サバンナ並みにむき出しの生存競争が繰り広げられる子どもの世界で何が起きるかは明らかです。

 そんなわけで「自分は人の気持ちのわからない、ダメ人間なんだ」という意識は強まる一方で、ちょっとしたことですぐに傷つく自分をなんとかして変えたいと思っていました。しかも失敗するとわかっているのに、諦めが悪いというか、生来のおしゃべりゆえか、誰かに話しかけずにはいられないのです。挙げ句アナウンサーにまでなったのですから、ご苦労なことです。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: 出典: PIXTA

世間の大人が女の子に期待するジェンダーロールへの強い反発

 20代の頃、信頼していた上司に「小島さんは才能があるのだから、ペットとか子どもとか、小さき者への労りを知ったらもっとよくなると思うよ」と言われました。当時は子どもが嫌いでペットにも関心がなかったので、痛いところを突かれたなと思いました。

 そこで、上司宛てに送られてきたお歳暮のポインセチアを引き取って会社のデスクで育て、ワサワサと葉を茂らせては「ほら、ちゃんと世話してますよ!」とアピールすることにしました。多分こういうことじゃないんだろうな、と思いながら。ポインセチアは葉を毟(むし)ると白い汁が出るのが嫌だったし、箱をかぶせても翌年全然赤くならなかったので愛想が尽きて、部の引越しのどさくさに紛れて箱ごと処分してしまいました。

 山積みのゴミを乗せたワゴンを眺めながら、金魚もインコもミドリガメも鳳仙花も、すぐに飽きてしまって最後まで世話をすることなく死なせたり枯らしたりしてしまう自分には、何か人間らしい心が欠けているのかもしれないと後ろめたく思いました。

 上司は当時の私を見て、自分のことで思い悩むよりも、他者に対して目を開きなさいと示唆してくれたのだと思います。上昇志向が強く背伸びばかりしていた若者に、上だけ見ていては視野が狭くなると教えようとしたのでしょう。人の気持ちがわかる人になってほしいという上司の意図に気づいたのは、後になってからです。

 長いこと「自分には他の人のような温かい心がないのだろうか」という不安や恐れがありました。最初に感じたのは幼稚園の年長の時です。たしか卒園アルバムに「大きくなったらなりたいもの」の欄があり、女の子は「ほぼさん」「おかあさん」がダントツ人気でした。保育士や母親になりたいと思ったことが一度もなかった私は、ページをまじまじと見つめて「みんな、嘘をついているのだろう」と思いました。「これは周囲の大人の期待に応えて回答しているのだ。子どもが赤ん坊を可愛いと思うはずがない」と。

 赤ん坊は私にとっては全く馴染みのない存在だったので、そう考えるのも無理はなかったかもしれません。「大人の期待に応えて褒められようとしているだけだ」という批判には、良い子ちゃんたちへの嫉妬が含まれています。そして世間の大人が女の子に期待するジェンダーロールへの強い反発がありました。

 私は女の子なのに、赤ちゃんを可愛いと思えない。ほぼさんにもおかあさんにもなりたいと思わない。でも友人は皆、大人の期待に応えて、あるいは自発的に、その役割を引き受けている。それがショックでした。もしかしたら自分は、他の子と違って冷たい人間なのかもしれないと、怖くなったのです。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: 出典: PIXTA

「私たちは等価で無二の存在である」という認識への深化

 そんな私が子どもを産もうと思ったのは、生物として妊娠・出産を体験してみたかったからです。自分の体に何が起きるのかを試してみたかった。中学・高校で優れた生物の教師たちと出会ったことが、今も多くの面で私に影響を与えています。中学と高校で習った男性教師、高校で習った女性教師、二人とも授業が面白く、ちょっと変わり者で、生き物の仕組みだけではなく、命とは、人間とはという哲学的なことを考えるきっかけを与えてくれました。

 高校の生物の先生は、赤血球について学ぶ授業で、自らの血液を採取して顕微鏡で見せてくれました。生徒たちは赤血球を観察して、「ほう、確かに脱核して真ん中が凹んでいるな」などと教科書に書いてあったことを自分の目で確認すると同時に、それが他ならぬ先生の血であること、つまり体には名前があるということを実感したのです。先生の体の一部をこんなに拡大して眺めても良いのだろうかと、ドキドキしました。相手の赤血球を見たことがある間柄なんて、滅多にないでしょう。

 誰の血管にも同じ赤血球が流れているが、それはかけがえのない個別の体のものなのだという気づきは、やがて「私たちは等価で無二の存在である」という認識へと深化し、私の中に命に根差した人権意識を育んでくれたように思います。

 今あちこちで聞く「多様性のある社会」という言葉は、私が学校に通っていた80年代当時は耳にしたことはありませんでしたが、生物の世界は多様性そのものです。中学の生物の先生は「君たちは人間を一番高等な生き物だと思っているだろうけど、消化器に注目したら牛の方が遥かに高等だよ」「君たちは花をきれいな飾りだと思っているだろうけど、あれは植物の生殖器だよ」と教えてくれました。世界観が変わるほどの衝撃でした。

 違う視点で眺めると自分の位置づけや物事の意味が変わるという発見は、世界を何倍もカラフルに見せてくれただけでなく、私を自由にしてくれました。ある環境での評価がその人の全てを決めるわけではないという確信を10代で持つことができたのは、幸運だったと思います。

写真はイメージです
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出典: 出典: PIXTA

息子たちに与えてきたのは「世界は君を歓迎している」というメッセージ

 30歳で子どもを産んでからは、人と関わることに少しずつ苦手意識がなくなりました。我が子と一から関係を築く経験をし、相手の心の動きや要求を読む力が鍛えられたのと同時に、自分にはもともと割と性能のいい読解機能が備わっていることに気がついたからです。息子たちがどうやら私を好きらしいということも、10 年以上一緒にいればわかります。想像以上に、彼らにとって母親の存在は大きいらしい。しかも全然知らない私が彼らの中にはいるのです。一つ身で何人分もの人生を生きているようでお得ですし、ワクワクします。

 私は彼らの中の母親像を生涯知ることはないでしょうが、そうやって親しい人たちの頭の中に増殖した自分がいるのなら、たとえこの体と脳味噌が失われてもいいやという気になります。自身が認識しているのとは全然違う人物として息子たちに記憶されることによって、生が相対化されるというか、人生はいくつかある解釈のうちのひとつにすぎなくなります。体を刻むと2匹、3匹とふえていくプラナリアっていうのはこんな気分なんでしょうか。

 30代の半ばごろに、あるイベントで「テレビで何千万人に見られて勝手なことを言われるのは辛くないか」というような話になったことがありました。「会った人の数だけ小島慶子像が生まれて、それは相手の頭の中にあるので私にはどうすることもできないから、全部思い通りにしようなんてことは考えないようになりました。つまり人からどう思われるかなんて悩んでも仕方ないと思うようになったんです」と言ったら、同席していた文化人類学者の上田紀之さんが「お釈迦様がそういうことを言ってますよ」と教えてくれました。

 さすが、凡人が散々回り道して思いつくことなんか数千年前に賢い人がとっくに探し当てているんですよね。たくさん本を読んでいればもっと早く気づけたのにと、改めて浅学(せんがく)が悔やまれました。でもこの「個別の道を通って普遍に至る」ということが大事なのかなとも思います。

 ブッダもソクラテスも、人が四苦八苦してたどり着いた場所で顔を上げると、そこに立っている。くそう、先を越されたと思うと同時に、自分は一人ではないと知ることができます。賢人とは誰よりも先に荒野に分け入り、方々から血塗れでやってくる者たちを静かに迎える人びとなのでしょう。

 さて息子たちがどうやら私を好きらしいということにはある程度の確信があるのですが、それ以外の人についてはよくわかりません。まだどこかで自分は誰にも好かれるはずはないと思っている節があります。幼少時の強い不安の残滓(ざんし)であり、ある種の自己防衛なのかもしれません。

 最近は経験を積んだからか、多分この人は自分に対して好意的なのであろうという見当はつくようになってきました。ただそれがどのような好意であるかは判別できません。友人に「あなたはアンテナが折れている女だ」と言われたことがあります。もしこれを読んでいる知人で、私に対して友情以上の感情を抱いている人は、この先1000年待っても私がそれを察することはないと思うので、業務連絡並みにはっきりとわかりやすくお伝え願います。

 それにしても、息子たちが二人ともおおらかで、環境が変わってもすぐに友達を作ることができるのは実に不思議です。0歳から保育園に通ったことが大きかったのかもしれません。

 彼らに「世界を疑え」というメッセージではなく「世界は君を歓迎している」というメッセージを伝え続けてきた自覚はあるので、もしかしたらそれも奏功しているのかも。不信を植え付けるよりは信頼を築く手助けをする方が、結果として子どもを強くするのではないかと思います。

小島慶子(こじま・けいこ)

エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。

 
  withnewsでは、小島慶子さんのエッセイ「Busy Brain~私の脳の混沌とADHDと~」を毎週月曜日に配信します。

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