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坂上忍がテレビから求められる理由 毒舌、ギャンブル…貴重な存在に

好感度とは逆行、勝新太郎へのあこがれ

毒舌で独特の地位を築いた坂上忍=東京都江東区青海、村上健撮影
毒舌で独特の地位を築いた坂上忍=東京都江東区青海、村上健撮影 出典: 朝日新聞

目次

かつて「天才子役」と評され、俳優としてのキャリアを経て、現在はバラエティー番組で活躍する坂上忍(53)。しかし、その道のりは平たんなものではなかった。15歳で父親が巨額の借金を抱えて離婚、子役のイメージから脱することにも悩み続けた。そんな時、一本の映画に出演したことで、坂上は活躍のきっかけをつかむ。以降、演出家・子役指導で才能を開花し、バラエティーの世界でもいかされることになる。過激な発言によって、たびたびネットで炎上する坂上が、テレビから消えない理由に迫る。(ライター・鈴木旭)

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「天才子役」の一方で両親は離婚

坂上忍は、幼少期の頃に母親から「自閉症なのでは?」と心配されるような少年だった。病院に相談したところ、自閉症については問題ないものの「友達と触れ合ったほうがいい」とアドバイスを受け、近所にあった劇団に入ることになった。(2017年10月放送の『バイキング』(フジテレビ系)での発言より)

その後、坂上はテレビドラマの子役としてデビューし、「天才子役」と評される。一方で、作家である父親が出版社経営の失敗、ギャンブル癖で巨額の借金を抱えた。15歳で両親は離婚。母親が父親の連帯保証人になっていたことから、借金を返済するために子役を続けようと決意を固める。

ただ、「子役として世間に知られている」という事実が思春期の坂上を悩ませ、何度も自殺を考えた。母親は三つの仕事を掛け持ちし、朝から晩まで働いた。(坂上忍の著書「ひとりごと」(文芸書房)より)

坂上忍『ひとりごと』(文芸書房)
 

役者の転機と新境地

都内の高校に進学するも、坂上は入学式でケンカをして自主退学してしまう。笑う芝居ができず、役者をやめたいという思いも募った。そんな気持ちから、「セルフプロデュースのアルバムを一枚完成させること」を目標に1984年から音楽活動もスタート。5年間活動し、実際に目標を実現させている。

役者としての方向性で悩んでいた坂上の転機となったのは、1988年公開の映画『クレイジーボーイズ』の出演だった。この作品で坂上は、ヤクザ役の重要なポジションを担うことになり、やっと子役のイメージを抜け出せたと感じた。(2013年5月に放送の『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系)坂上忍出演回より)

その後、俳優として活動しながら、1997年に初めて監督を務めた映画『30~thirty』を発表。2004年までに3作品の映画を監督・制作した。2005年6月には坂上が構成・演出を務める演劇集団「コントレンジャー・オニオンスライス」を旗揚げ。その4年後、子役養成所であるプロダクション「アヴァンセ」を開校し、並行してネオモデルタレントスクールの特別講師も担当。演出側での才覚も発揮するようになった。

1988年公開の映画『クレージーボーイズ』

毒舌が注目されバラエティーの世界へ

役者・演出家として、充実していたであろう坂上にさらなる転機が訪れる。2012年の『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の企画コーナーにゲスト出演し、「仕事とブスが大嫌い」と発言。スタジオの観客を騒然とさせたのだ。

しかし、この歯に衣着せぬ物言いによって注目を浴び、坂上は俳優としてではなくタレントとしての露出が増えていく。子どもたちに厳しく演技指導するドキュメント映像も紹介され、坂上の一貫したスタンスが「むしろ清々(すがすが)しい」と広く世間から支持されるようになった。

2014年4月からは『バイキング』(フジテレビ系)の月曜MCに抜擢(ばってき)され、翌年3月から同番組の総合MCを担当するなど、いよいよテレビの顔として活躍するようになる。話術のプロである芸人たちにも動じることなく、独自のスタンスを貫き、バラエティーの世界で目立つ存在となった。


「仕事はケンカをしにいく場所」

テレビの露出が増えていくうち、坂上の発言はネットでたびたび炎上するようになった。少し前には、パワハラ問題から番組降板もささやかれていたほどだ。バッシングによってテレビの世界から消えてしまうタレントがいる中、それでも坂上は出演し続けている。

その理由が、坂上の著書「偽悪のすすめ 嫌われることが怖くなくなる生き方」(講談社)の中に垣間見える。本書は、仕事観や恋愛観、ばくちをやめない理由など、坂上流の人生訓を記したものだ。そのなか、現在の立ち位置につながるものをいくつか挙げてみよう。

まず一つ目に、坂上は「仕事はケンカをしにいく場所」との持論がある。制作過程において、「いいもの」「いい作品」をつくるためなら、本気で意見をぶつけ合いたい。いざというタイミングで「嫌われたくない」「怒られたくない」という保身を優先させては、「自分のポジションを掴むことなんて到底、無理」だと主張する。

ただし、仕事場でケンカするには、それなりの「権利」が必要だとも補足している。坂上は、「セリフは完璧に覚えておく」「遅刻はしない」といった最低限のルールを自らに設け、万が一遅刻した日は、どんなことに対しても相手に絶対服従し、平謝りを徹底するという。

ここからは、仕事に妥協を許さないストイックな一面が見えてくる。

坂上忍『偽悪のすすめ 嫌われることが怖くなくなる生き方』 (講談社+α新書) 

挫折や競争が人を成長させる

また、坂上は挫折を繰り返すことで「いるべき場所」が見つかると力説する。坂上自身、子どものころから熱心に野球と向き合ったものの、プロになるのは無理だと悟って役者へと転向した。挫折と競争があったことで、今の自分がいる、と考えているのだ。

その経験は、子役指導にも役立てているという。たとえば子役志望の男の子を前に「ルックスがいいのはA君で、芝居がうまいのはB君ね」と明確な優劣をつける。すると、それぞれが「見た目だけでは仕事はもらえない」「もっと演技を磨いて、外見ではない格好よさや自分の特性を見つけてやろう」と努力するようになるそうだ。

一見時代と逆行する指導方針だが、醜い足の引っ張り合いではなく「自分を高めるための競い合いの精神は、人の成長に欠かすことのできない重要なファクター」になると強調する。坂上は、年齢や人を問わず、物事を曖昧(あいまい)にしないことが健全な生き方につながる、と信じているのだ。

ばくちと舞台演出でつかんだ視点

坂上が舞台演出を担う中で培ってきた視点も興味深い。人には演技だけでなく、あらゆる物事に対して「うまくなりたい欲求」がある。しかし、坂上はむしろ不器用で下手な人が「うまくなりたい」とあがく姿にこそ、「人間的な魅力がたっぷり詰まって」いるという。

番組MCの立ち振る舞いを見ても、坂上は小手先でコメントするタレントに厳しい。そこには、たとえ語彙力がなかったとしても、“あなたらしく伝える姿勢を見せて欲しい”という考えがあるのではないだろうか。

大好きなばくちの世界を通してつかんだ感覚もある。ベテランの役者を招いて演出した際、10ページにもおよぶ長いセリフを用意したことがある。しかも、それはフェイクであり、公演の3日ほど前に本当の台本を渡した。

坂上は負荷をかけるのは承知のうえで、芸達者な役者に「新鮮さがなくなってしまって、ドキドキ感もなくなってしまう」ことを危惧した。まさにギャンブルとも言える行為だ。結果的に、この役者は必死になって演技し、その熱量が舞台上で新たな刺激になったという。

テレビの世界でも、坂上はたびたびタレントを追い込むような発言をする。それは、“リスクを取ってでも、面白い画をつくりたい”という舞台演出の視点からきている気がしてならない。

勝新太郎の格好よさ、根底に父親の存在

最後に取り上げたいのが、坂上が思う“格好よい男”についてだ。その象徴的な人物として、型破りな生き様で生涯を遂げた俳優の故・勝新太郎の名前を挙げている。

1990年1月、勝新太郎はハワイのホノルル空港で、下着のパンツの中に麻薬を隠し持っていたとして現行犯逮捕された。しかし、それでも本人は「気づいたらパンツに入っていた」と言い切った。その後、勝は帰国。程なく、ある仕事で坂上は勝と顔を合わせることになった。

勝にあいさつするため、坂上は宿泊ホテルの一室を訪れる。ドアを開けると、浴衣の裾を下着のパンツの中に詰め込んだ、とんでもない姿の勝がそこにいた。すると、ここでも勝は「忍、(麻薬が)入ってたんだよ。しょうがないんだよ、あれは」と、悪びれる様子もなく明るい調子で語り始めたという。

坂上は、そんな勝の“無様さ”と“一生懸命訴える姿”が「なんだかとてもかわいらしい」と感じた。どこであろうと、誰の前であろうと、お構いなしにすべてをさらけ出す。中途半端なことが嫌いな坂上にとって、勝はある種の理想的な格好よさをまとっていた。

その思いの根底には、父親の存在がある。著書「偽悪のすすめ~」の中で坂上は、「あえて言えば、僕はファザコンです」と告白している。どんなに優しくされても、同時に怖くて仕方がない。それでいて、大人のたしなみを知る“粋な人”。借金を残して自分のもとを離れていったとはいえ、坂上にとってはそれが父親だった。

勝新太郎=2011年11月17日
勝新太郎=2011年11月17日 出典: 朝日新聞

誰にも代えがたい“坂上忍”の存在感

芸人がテレビの世界を席巻して久しいが、坂上のように芝居出身の人間がバラエティーの顔となる例は珍しい。しかし、だからこそお笑いの盤石な体制に対するカウンター的存在となり、テレビに新鮮な風を吹かせたと言えるだろう。

とはいえ、数年も経つと視聴者は見慣れてしまうものだ。かつて支持されていた物言いが、今ではネット上で炎上していたりする。しかし、それは坂上だけではない。露出の多いタレントが、「少し過激な発言をするとネットニュースになる構造」がルーティン化された、というだけの話だ。

フォロワーの数、リツイートの反響、エゴサーチの結果など、芸能人にかぎらず多くの人が外からの評価にさらされている。自分の本音をさらけ出しにくい時代、坂上の突き抜けたスタンスは、テレビの前の視聴者にとって、坂上がかつてあこがれた勝新太郎のような存在になっているのかもしれない。

「本気で仕事と向き合う」という坂上の姿勢は、時に共演者やスタッフと揉める要因になるだろう。しかし、役者や演出家としての豊富な経験、すべてをさらけ出す潔さ、なによりも「番組を盛り上げたい意欲」は誰にも代えがたいものがあるのではないか。だからこそ、現在のポジションをキープできているのだと思う。

坂上は好感度を上げようと、酒、タバコ、ギャンブルをやめるようなことはしない。「自分の代わりはいくらでもいる」という覚悟を持ちながら、批判を受けても常に“坂上忍”としてパフォーマンスし続けている。

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