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学校が焼け野原に…校長が守った「大切なもの」戦争漫画の新しいオチ

そのままの「あの頃」を伝える内容です

戦争中、教育者が何よりも大事にしたものとは……。現代の視点からとらえたときの「違和感」を大切にしたい、と思わせてくれる漫画です
戦争中、教育者が何よりも大事にしたものとは……。現代の視点からとらえたときの「違和感」を大切にしたい、と思わせてくれる漫画です 出典: 岸田ましかさんのツイッター(@mashika_k)

目次

「学校など、なくなってしまえばいいのに」。戦時中、そんな願いが予想外の形で実現されてしまったーー。ある学校教諭が語ったエピソードを、忠実に再現した漫画が、ツイッター上で反響を呼んでいます。「歴史をジャッジせず、ありのまま伝えたい」。75回目の終戦記念日に、作品を投稿した漫画家の思いに迫りました。(withnews編集部・神戸郁人)

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留年のピンチ、襲い来る戦闘機

8月15日、「学校の空襲」と名付けられた5ページの漫画がツイートされました。

時は太平洋戦争末期。現在の神奈川県湘南地域に住み、旧制中学に通う少年が主人公です。学業が振るわず、いきなり中間試験で赤点を取ってしまいます。留年や落第を恐れ、「まずいまずい……!」と勉強し、挽回(ばんかい)しようと必死です。

そんな中、敵国の戦闘機が突如飛来し、街を空襲しました。「これだけ何もかも燃えてしまうと、もしや学校も……!?」。避難する人々に混じり、少年はひそかにそう考えます。

漫画「学校の空襲」
漫画「学校の空襲」 出典:岸田ましかさんのツイッター(@mashika_k)

灰になった校舎とうれし涙

翌朝登校してみると、学校は焼け野原に。「お早(はよ)う、諸君」。先に到着していた校長先生が、生徒たちにあいさつしつつ、こう語ります。「学校は灰になってしまった」「が、我々にとってもっとも大切なものは、命にかえても守りました。安心しなさい」

身につけた国民服はすすにまみれ、靴や足を保護するゲートルも真っ黒。校長はいち早く現場入りしたのでしょう。学校幹部に、直接話しかけることが許されていない少年に代わり、上級生が「その大切なものとは何でありますか」と問います。

出典:岸田ましかさんのツイッター(@mashika_k)

「バカ者!! 我々国民にとって何が大切か、覚えがないとは何事か!!」。彼が示したのは、皇族の写真「御真影」でした。そして、がれきの上に飾ると、生徒一同に「礼!!」と号令をかけるのです。

少年は頭(こうべ)を垂れつつ、一人うれし涙を流します。なぜなら、期末試験の結果が、校舎もろとも灰になったから。そして「こんな不謹慎なこと、当時は絶対に言えなかったという思い出です」と締めくくられます。

出典:岸田ましかさんのツイッター(@mashika_k)

「考えさせられる笑い」「人の心はいつも同じだ」。ツイートにはそんな読者の声が連なり、8千超の「いいね」がついたほか、3千回以上リツイートされています(21日時点)。

軽妙に語られた戦争体験

描いたのは、戦国時代や動物がテーマの作品を手がける、漫画家の岸田ましかさん(@mashika_k)です。神奈川県藤沢市の高校に通っていた頃、湘南地域出身である英語教諭の男性から聞いた実話が、今回の物語の基礎になっているといいます。

総務省などによると、湘南地域一帯は1945年5月~8月、米国の艦載機による空襲を受けました。本格的な爆撃の対象ではなかったものの、軍需工場や鉄道駅が破壊されるなどし、死傷者も出ています。

岸田さんの高校生当時、定年間近だった男性。学期末、授業の時間が余ると、たびたび戦時中の生活について振り返りました。漫画に登場したエピソードも、その一つです。

「戦争体験と聞くと、重く、暗い内容をイメージしてしまいます。でも先生の語り口は軽妙で、40分間ほどの話だったと思うのですが、ぐいぐい引き込まれました。オチに差し掛かると、笑わせにかかってくるんです。本当はいけないはずなのに、みんなつい笑顔になっていましたね」

戦禍による社会の傷が、まだ自覚されていた時代。岸田さんの学校には、自らの過去を、決して語ろうとしない教員も少なくありませんでした。だからこそ、成績不振に悩み、学校の焼失まで祈ったという男性の言葉は、親しみやすいものと感じられたそうです。

「一方で、二度と戻してはならない『あの頃』を、確かに象徴している。当事者にとって笑い話ではなかった出来事を、いつか漫画にしたい」。そう念じ、約半年前に下書きをしたためます。そして戦後75年目に当たる今夏、満を持して公開しようと思い立ったのです。

出典:岸田ましかさんのツイッター(@mashika_k)

「感想は読者のもの」という強い思い

創作上、岸田さんが心がけたのは「聞いたことをそのまま描き、読み手に特定の解釈を強要しない」ということでした。

「戦争の歴史は非常にセンシティブで、今も様々な見方が存在します。どう描くべきか悩んだ結果、政治色を出さず、『自らジャッジしない』という姿勢を徹底しようと決めました。感想は読者のものですから」

たとえば、下級生が校長と対等に話せないという設定は、男性の話を改変せず採用しています。往時の教師は、現代以上に尊敬を集めており、立派な人間でいなければならなかったーー。そんな事情を、素直に表現しました。

校長が御真影を守り抜いたシーンも印象的です。文部省(当時)は1943年、教師の行動要領「学校防空指針」を全国の学校に通達。空襲時、御真影や教育勅語の謄本を、まず保護するよう求めていました*註。一連の描写には、こうした背景があります。

「私たちの感覚からすれば、強い違和感を覚えるような振る舞いかもしれません。それでも、当時の人々は懸命に生きていました。たとえ価値観のギャップが生じても、かつての暮らしぶりを、フラットに紹介したいと考えたんです」

*註:「子の命より天皇陛下の分身」沖縄戦下、80日間守った:朝日新聞デジタル
出典:岸田ましかさんのツイッター(@mashika_k)

「人の数だけある」事実、知って欲しい

とはいえ、厳しい反応も覚悟していたという岸田さん。ふたを開けてみれば、「他のエピソードも知りたい」といった、好意的なコメントが相次ぎました。ツイートを確認した高校時代の同級生から、「懐かしい」といったメッセージまで届いたといいます。

ところで英語教諭の男性とは、その後連絡が取れていません。しかし漫画の制作を通じ、戦時中の現実を聞かせてくれたことに対する、感謝の念が強まったそうです。同時に、当事者が亡くなりつつある昨今、今回のような体験談の重要性は高まっているとも感じています。

「以前は当たり前のように耳にしていた『小さな歴史』が、今や貴重なものになってしまいました。実は別の方からも、戦前~戦後の経験を伺っているんです。今回同様、読みやすい漫画として、一つの記録として、いずれまとめられればと思っています」

そして読者に対しては、次のように話しました。

「もしも、戦争をめぐる語りに触れる機会があれば、まず先入観なく耳を傾けて欲しい。事実は人の数だけあります。そのことを知ってもらえたら、うれしいですね」

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