連載
#2 Busy Brain
音に敏感な小島慶子さんがイラつく、他人のペンの「カチカチ」
頭の中で無理やりその音を消して話に集中するように努力するのは、とても疲れるのです
40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが語る、半生の脳内実況です!
家族は、疳(かん)の強い末っ子に手を焼いていました。覚えているのは、パースの映画館で大量のイカが出てくる映画を見ている時に外に出たくて泣き喚いたこと、レストランで帰りたくて泣きながら子ども用の椅子ごとひっくり返ったこと。不快感を覚えると我慢することができず、とにかくその状況から逃れたくて泣いたり声をあげたりしてしまうのです。
以前も述べたように、それがADHDのせいなのか、私の気質のせいなのか、たまたまそんな体調だっただけなのかはわかりません。子どもなんて多かれ少なかれみんなそんなものだと思いますが、家族が口を揃えてあれは酷かったというのだから、度を越していたのでしょう。自分が子育てをしてみたら、改めて親の苦労がわかりました。
なぜイカ映画が嫌だったのか。生き物の映像を見るのは好きでした。ただあの時は、暗いところで黙ってじっとしている気分ではなかったのです。そして画面が遠かった。イカと私の間に人の頭がたくさん見えて、気になってしまう。家族は楽しんでいたようだったので、悪いなあと思いました。でも堪えることはできませんでした。嫌となったら、嫌なのです。
大人になってからも、どうも自分は、映画館や劇場でなぜかものすごく座高の高い人や、上演中にレジ袋をガサガサやる人の後ろに座る宿命に生まれついたようだな!と思っていたのですが、もしかしたら物音に敏感で人一倍気が散りやすいからそう感じるのかもしれません。物音に敏感であることは声を使う仕事には非常に役に立っているので悪いことではありません。
ただ、何かの音が一度気になり始めるとそこから注意を逸らすのが難しいため、集中力を維持するのにかなりエネルギーを使います。例えば言葉と言葉の間に歯の隙間から「スッ」と息を吸う癖のある人や、会議中にペンをカチカチする癖のある人などがいると、「スッ」と「カチカチ」にフォーカスしてしまい、非常にイライラします。頭の中で無理やりその音を消して話に集中するように努力しなくてはならないので、とても疲れるのです。
不快なものに対する耐性が極めて低いのは、今もさほど変わらないかもしれません。年齢とともに、より穏便な対処の仕方を身につけたために社会生活は大過なく送れるようになりましたが、耐性の低さを自覚しているので、不快なものとはなるべく関わらないようにしています。
その不快の感じ方というのも「なんか嫌だなあ」という程度ではなく、徹頭徹尾嫌なのです。どこがどう嫌なのか、余すところなく言葉にしてみないと気が済まず、分析に分析を重ね、そのことばかり考え続けて数日間他のことが考えられなくなり、そして考え尽くしたら急速に忘れてしまいます。実際、うんと嫌いだった人も早ければ数ヶ月ですっかり忘れてしまい、なんとか嫌いであったことを思い出しても具体的なエピソードは思い出せなかったりするのです。
しかし嫌いな人のことを徹頭徹尾呪うのではなく、分析するというのは我ながら良い性質なのではないかと思います。呪うのは悪意の濃縮ですが、分析なら人間というものへの理解が深まり対策の立てようが見えてくるだけでなく、それを不快だとか許せないと思う己の心のありようも見えてくるわけで、ははあこんなところに劣等感がとか、なるほどこんな信念が、などと発見が多いものです。
ぐりぐり考えるうちに、初めは「あいつむかつく」だったものが「人の心にはこんな歪みが生じることがあるのだな」「なるほど私にも覚えが」になり、うまくすると「その背景にはこのような社会構造があるようだ」辺りまでたどり着けることも。するともはや「あいつ」はどうでも良くなって、急速に忘れてしまうというわけです。
母子関係に悩んだ時も、夫婦関係で悩んだ時も、結局は私が相手を研究し尽くして言語化するしかありませんでした。このお喋りな脳みそはそうした作業には非常に向いており、研究の最中には時には死を思うほどに追い詰められても、最終的にはある種の諦念に至るというか、底を打って上がってくるのです。
忘れっぽさについて言えば、脳の作業机が小さいのですね。大きなデスクがあれば、同時進行している複数のプロジェクトの書類を全て並べておいておくことができる。でもせいぜいA4コピー用紙1枚分ぐらいしかない小さな作業机では、書類をどんどん積み上げるしかありません。すると当然ながらすぐに前の書類は見えなくなってしまい、取り出そうにもどこにあったかわからなくなるのです。
ですからいつもせきたてられています。「きっと忘れてしまう」という強い不安があるのです。大事なことはすぐに紙に書きつけておくようにしていますが、そのこと自体も忘れてしまうという厄介さ。今話さないと消えてしまうという焦りから、会話の流れの途中でいきなり違う話を始めてしまうことも。仕事ではそれをやると面倒なことになりますからやりませんが、そういう面が顕著になるのは身内といる時です。
あなたの周囲にも、話の途中ですぐに話題を変える人や、こちらが話し終わった途端に相槌も打たずに違う話を始める人がいるでしょう。もしかしたらその中には「今考えたことを今言わないと消えてしまう」という不安が強く、相手の話をよく聞いているからこそ頭がくるくる回転していろんな感想や意見を思いつき、口にしてしまうという人もいるのかもしれません。
私はこの「きっと忘れてしまう」不安が強すぎて、「どうせ忘れてしまうのだから」になってしまうことがままあります。本を読んでいても「どうせ忘れてしまうのだから」と身が入らないことも。日記を書かないのも、書いてもどうせ忘れてしまうから。自分が写り込んだ写真をほとんど撮らないのも、どうせ忘れてしまうから。忘れてしまうのならむしろ撮るべきだと言われるかもしれませんが、写真に撮るというのは生の目ん玉カメラを通さないということであり、目ん玉カメラを通さない物事はすぐに上書きされてしまうのです。
だから撮らずに、見る。見て脳内に入力されたものの中から、何らかの過去の記憶や経験と結びついたもの、あるいは強い情動が作用したものだけが、強く長く記憶に残ります。脳の中で自然と淘汰されてしまう記憶をしゃにむに残そうとするのはもう諦めたのです。記憶の自然淘汰、適者生存とでも言おうか、残るものは残る、大半のものは消えてしまうから追いかけない、といつしか思うようになりました。ある時点から、忘れないでいようと頑張ることを諦めたのです。全て忘れてしまう。死ぬときに残ったものだけが本当に価値のある思い出なのだろうと。
学力の高い人は見たもの読んだものを細部に至るまで記憶して、それを頭の中の書棚に並べていつでも取り出せるようにしているだけでなく、関連する情報をさっと選び出して適切なキュレーションを行い、相手のレベルに合わせて臨機応変に説明することのできる人なのだろうと思います。
私にはそのような能力はなく、なんでもすぐに書き換わってしまう脳みそが繰り出す妄想めいた私見に多少の説得力を持たせるためになけなしの知識を用いることはあるものの、それを長時間にわたって仔細に記憶しておくことができないので、体系だった蓄積ができません。いつも何かを探し、忘れ物を取りに帰るようなことの繰り返しで、その捜索作業の途中で拾った言葉を忘れぬうちにと書きつけるのが文章を書くということです。
作家の林真理子さんは万年筆で原稿を書かれるそうです。頭の中で文章になったものをそのまま書けばいいので、万年筆でもいいのだと。そんなすごい人がいるのかと驚きました。私の頭の中では言葉は落ち着きなく動き回っていて、整列して出てくるなんてことはありません。
ある人がくれた「あなたは喋れるから、喋っているつもりで書けばいい」という言葉を縁(よすが)に書いています。つまり脳の独り言なので、必ずしも整った形ではないのです。万年筆では絶対に無理です。出てきたものを眺めて、文書作成ソフトで書いたり消したり入れ替えたりしながらようやく文章になる。
ではなんで喋るときには比較的滑らかに話をすることができるのかというと、おそらくちゃんと声にしているからだと思います。何かを喋ろうとすると、頭の中に映像が見えます。でもそれは抽象的な塊で、風景のように見えるものではありません。その塊は幾ばくかの感触と質量を伴っています。
それを音で実況します。「犬」も「いぬ」も読み書きできない幼児が犬を見て「いぬ」と言うのと同じように、頭の中に見えている抽象的な塊を見て出てきた言葉を直接口に出して音にするのです。すると自分の声が耳から入力されて、頭の中で音が文字に変換されます。抽象的な塊に字幕がつきます。口にした言葉を文字で確認できるので、喋りながら文法を調整したり、言い間違いに気づいたりし易くなります。ただ、字幕はあくまで喋ったことが後から文字になるので、頭の中にあらかじめ原稿がある、というのとは違うのです。
忘れてしまうだけではなく、書き換わってしまうことも悩みのタネです。体験や知識がすぐに血肉化してしまうので、それが新たに取り込んだものなのか元からあるものなのかわからなくなってしまうのです。しかも誰かの言葉も自動翻訳されて、身のうちから湧き出たものに書き換わってしまう。偉人の名言を元の言葉どおりにスラスラ引用するなんて絶対無理です。その言葉を聞いて理解した途端に自分の一部になってしまうので、取り出すときは元の姿ではなくなっているのです。
大人になってからアナウンサーの仕事をしている時にも、紙に書いてあるものをその通りに言うというのがとにかくできませんでした。「それではこの後、衝撃の結末をVTRでご覧ください」という簡単な一言でも、どうしても違う文言になってしまうのです。なんて我の強い脳みそなんだ! と我ながら呆れましたが、できないものは仕方がない。その代わり、台本にないことなら際限なくいくらでも喋れます。言われたことを言われた通りにやる発表係であるアナウンサーとしての適性はなかったと言えるでしょう。
小島慶子(こじま・けいこ)
エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。
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