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伊東四朗が語る「喜劇役者」志村けんの魅力「あんたがいてよかった」
「アイーン」をした後に「百分の一」の照れ
志村けんさんが亡くなって約4カ月。伊東四朗さん(83)は、志村さんと同じように「喜劇人」であることに誇りを持ち、芸能界で半世紀以上にわたって活躍してきた。『ドリフ大爆笑』での共演などで感じた「音の中で生きてきた」という志村さんの才能。そして、ギャグの後に見せる「百分の一」の照れ。「最後の喜劇役者」伊東さんが見た、志村さんについて聞いた。(ライター・鈴木旭)
伊東四朗(いとう・しろう)
――志村さんと最初に出会ったのはいつ頃か覚えていらっしゃいますか?
ドリフターズのボーヤ(付き人)時代に会ってるのかもしれないけど、まったく覚えてないんですよね。一番最初にドリフターズと会ったのは、日劇(「日本劇場」…かつて東京都千代田区有楽町に存在した劇場)の舞台です。
マヒナスターズ(「和田弘とマヒナスターズ」…ハワイアン、ムード歌謡の第一人者として知られる音楽グループ)の「お座敷小唄」が数百万枚を突破したっていう記念の公演があって、僕らてんぷくトリオとドリフターズが呼ばれたんですよ。
共演したわけではなくて、別のコーナーでそれぞれ出演する形でね。その時から、ドリフターズは会場をワーワー湧かせるような人気者。けんちゃん(=志村けんさん)は、そこに付き人でいたのかなぁ。
――荒井注さんが活躍されていた頃のお話ですからね。初めて共演されたのはどの番組ですか?
フジテレビの『ドリフ大爆笑』が最初だと思います。覚えてるのは、加トちゃん(=加藤茶さん)とけんちゃんがボクサー、僕が実況アナウンサーで長さん(=いかりや長介さん)が解説のコント。
ファーストラウンド、2ラウンド目とまったく打ち合わなくて、僕が「どうしたんでしょうか。相手の手のうちを見ていたんでしょうかね?」と言うと、「そうですねぇ」なんて、いかりやさんも首をひねる。3ラウンド目で「ここだけの話なんですけどね、加藤選手はオカマらしいんですよ」「そうなんですか!」っていうような会話をしていると、加トちゃんが突然ひっくり返ってノックアウトで負ける。
けんちゃんが「好きよ」って耳元でささやいたら倒れちゃったってオチなんです(笑)。けんちゃんと2人だけでやったってコントはないと思いますよ。
――『ドリフ大爆笑』が最初の共演だったんですね! 『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』では、自動車教習所の教官役が伊東さん、生徒役が志村さんという設定で共演されています。
TBSの緑山スタジオでやった気はするんですけどね、その回はあんまり記憶がなくて。覚えてるのは、私が店番役で、そこにけんちゃんがキョロキョロしながらやってくるコント。けんちゃんが「なにやってるの?」って聞いてくるから、私が「なにって店番だよ」って言うと、「店番っていうのは、物売ってない間はなに考えてるの?」とくるので、「うるせぇな、お前。余計なこと言うんじゃねぇよ」なんて突っ返そうとするんです。
その後、「あなたはなんていう名前なんですか?」「伊東四朗だよ」「いとうしろう……うろしうとい。嫌な名前ですねぇ」なんて言って。今度は私が「じゃあお前なんて名前なんだよ」って聞くと「志村けんです」とくるから、「しむらけん……んけらむし。そっちのほうがよっぽど嫌な名前だろ!」とか言い返すんです(笑)。「んけらむし」はできすぎで面白かったな。
加トちゃんは「やちうとか……ロシア人みたいな名前だなぁ」なんて言ってね。テレビでやったコントなんだけど、『加トちゃんケンちゃん』だったかな。
――それ、私も見た記憶があります(笑)。伊東さんはメインゲストではない場面で『加トちゃんケンちゃん』に何度か出られていましたし、メンバーからしても恐らくそうでしょうね。
そうかもしれない。けんちゃんのいいところはね、ウワァッとギャグをやるんですけど、百分の一照れるんですよ。「アイーン」をやった後に「どうだ」っていうふうな顔はしない。ちょっと照れるんです。見ている人は、あの辺にとっても共感するんだと思う。ずーっと変なことばっかりやっちゃうとダメなんだけど、スッと戻すんだよね。その辺が、けんちゃんはいいなって思って見てましたね。
――伊東さんは、石井均一座に参加してコメディアンの道に入っています。一方で志村さんは、ドリフターズで、ボーイズ(バンド)の系譜です。この下地の違いは芸風にも影響があったりするものですか?
音楽ネタができるかどうかでしょうね。もう僕らの時代から、音楽畑と軽演劇畑があったんですよ。エノケンさん(榎本健一さん)、(古川)ロッパさんは軽演劇、川田義雄(後の川田晴久)さんのいた「あきれたぼういず」(音楽コントグループ)は音楽、っていう両側があって。僕は軽演劇の人間だったから、音関係の人たちをうらやましく思っていたんです。
それがクレイジーキャッツ、ドリフのどっちのコントにも呼んでもらえて、後々には三宅裕司さんと出会ったことで、たくさんの音楽ネタをやることができた。さらには伝統的な喜劇と言っていいのか、三谷幸喜さんの作品や佐藤B作さんの「東京ヴォードヴィルショー」にも出てる。本当に恵まれているなと思います。いろんなところから声を掛けていただいたのが、私の自慢なんです。
――伊東さんほど幅広く活躍されている方も珍しいですからね。志村さんは多感な時期にアメリカのコメディアン、ジェリー・ルイスに影響を受けたそうですが、伊東さんの世代も洋画コメディーの影響はありそうですよね。
影響は受けても、それを「コントに生かせる」なんて思ってもいませんでしたよ。チャプリンの映画を見て「これがお前にできるか」と言われても、生涯かけたってできない。自信持って言えますね、あんな動きができるわけがない。
けんちゃんは、音の中で生きてきたからこそ、海外のコメディアンの動きを反映できたんでしょうね。ドリフのコントも舞台袖で見ていたでしょうし。音の世界っていうのは、自然に入ってきますからね。そこはドリフという音楽畑のメリットだと思います。
コントはなにが命かって言ったらリズムなんです。「1、2、3、4」っていうリズムは普通の人でも取れるんですけど、「ンタッ、ンタッ、ンタッ」って裏を取るのが一般の人はあんまりできない。リズムが染みついていると、裏の半拍のところでツッコミを入れられるから面白くなるんですよ。それが自然とできる強さっていうのはあると思います。音関係の人のうらやましいところですね。
――志村さんの代表的なコント「バカ殿様」のキャラクターは、歌舞伎の演目「一条大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)」のパロディーという説もあったりします。浅草で活躍されていた喜劇役者で、元祖・バカ殿様と言える方はいらっしゃいますか?
映画界にいましたよ。映画がサイレントからトーキーの時代に変わってから、コミカルな演技で人気者になった高勢実乗(たかせみのる)さん。「アーノネおっさん、わしゃかなわんよ」のフレーズで知られた方です。マゲを高く結わえて、口元にヒゲをつけててね。それがモデルじゃないのかなぁ。その役者さんが歌舞伎をまねたのかもしれないけどね。
――すると、志村さんは映画の俳優さんからインスパイアされて「バカ殿様」を生み出した可能性が高いと。
そうでしょうね。それをもっと強烈にしたんだと思います。それと、けんちゃんの『バカ殿様』は、脇役を使うのもうまかったですね。侍女をはべらせて色気を出してね。男ばっかりじゃつまらないですから。
――今のテレビでカツラをかぶるような時代劇コントは、NHKで年に数本見られるかどうかです。『志村けんのバカ殿様』が唯一の長寿番組だったように思いますが、なぜ時代劇コントはなくなったのでしょうか?
私もNHKの『コメディーお江戸でござる』をやってましたけど、作家さんも、まげもの(時代劇)コメディーを書くのが大変で難しくなっているのかもしれない。
――「作家さんが大変」と聞くと、ドリフのコントが長い会議の中でつくられていたというエピソードを思い出します。
長さんの台本づくりを見てると、あんなに我慢強い人もいないなと感じましたよ。作家はいるんですけど、内容に不満があると、メンバー全員がいるところでグーッと額に拳で考え込んじゃうわけですよ。これが始まると、3、4時間はそのまま。私が「長さん、ちょっとよその仕事やってきていいかな?」と出て行って、ひと仕事終えて戻ってきたら、同じポーズで考え込んでましたから。
その間、けんちゃんと加トちゃんが将棋を指していて、(高木)ブーたんは寝てたな(笑)。そういう積み重ねがあったから、『8時だョ!全員集合』っていうのは成り立っていたんでしょうね。やっぱり長さんですよ。
――1987年に『志村けんのだいじょうぶだぁ』がスタートして、完全に志村さんがドリフから独立されました。ただ、その後も志村さんがドリフのつくり方を継続したのは、いかりやさんをリスペクトしていたからだったように感じます。
リーダーは自分より売れるってことをあんまり快く思わないのが普通ですよ。ところが、長さんはメンバーに冠番組を持たせちゃう懐の深さがあった。その辺は、かつての事務所(渡辺プロダクション。ドリフターズは途中から同系列のイザワオフィスへ移籍)の先輩クレイジーキャッツからの伝統なのかな。リーダーのハナ肇さんも植木等さんを単独で出し、谷啓さんも出す。それによってメンバー全体の底上げを図っていたんじゃないかと思うんです。
私はこの世界に入って「いずれは天下獲ってやろう」と思ったことはありませんが、けんちゃんはそういう思いが若い頃からあったんだろうと思いますよ。だからこそ、いきなりメンバーになっても臆しているようには見えなかった。正式メンバーになった時から、レギュラーでいるのが当たり前だって顔でやってましたからね。私と違って、その点は志が高かったんだろうと思います。
――志村さんは、落語家の2代目・桂枝雀さんのファンだったことでも知られています。伊東さんも落語好きで知られていますが、はなし家の好みも芸風に影響したりしますか?
コメディーっていうのは、相手がいて成り立つもので、そこに不満が残ったりするけど、同じことを落語でやろうとしたら自分でしゃべるわけですよね。間の取り方からなにから、自分がコントロールできる。それで私は落語が好きなんですよ。
好きな人の落語を聞いてると、「うまい間を取ってる」っていうのがよくわかる。だから、好きな落語家によって、その人の“人となり”はわかります。「あ、なるほどな」ってね。
――ビートたけしさんは、5代目・古今亭志ん生さんがお好きですよね。
たけちゃん、そうなの? 私と一緒だ(笑)。志ん生さんの枕(落語の本編に入る前の小ばなし)は絶品ですからね。ちゃんとやってるように見えないんだけど、実はちゃんとやってる。そこが深いところですね。
――2006年からスタートした『志村魂』では、藤山寛美さんの演目を必ず披露していました。枝雀さんもそうですが、志村さんが上方(関西)のお笑い文化に傾倒していたのも興味深いところです。
舞台を見に行って、また不思議な感覚だなぁと思いましたね。藤山寛美さんのどんなところに惹(ひ)かれたのか、その辺は本人に聞かないとわかりませんけど。関東の人が関西のものをやるっていうのは勇気いりますよ。
ただ、悲喜劇を好むというのは私と違うところですね。私は泣かせたいという気持ちはないですから。乾いた喜劇が好きで、お客さんが「泣く」っていうのは照れます。実際に泣くような芝居が私にできるかどうかはわかりませんがね。
――最後に志村さんとお会いしたのはいつごろか覚えていらっしゃいますか?
正月特番の『芸能人格付けチェック』ですね。けんちゃんは、2019年から2年連続で出演していて、2020年はタカアンドトシの2人と芸人チームを組んでました。ただ、最後になにを話したかは覚えてないなぁ。
笑い一筋でずっとやっていたから、今年の朝ドラ(NHK連続テレビ小説『エール』)に出たのは驚きましたね。ドラマを見て、「なるほど」と思いましたよ。役者としてのけんちゃんもいい。もっと見たいと思っていたんだけどね……本当に残念ですよ。
――俳優としての活動が注目されていた矢先ですからね。伊東さんは「最後の喜劇役者」とも称されていますが、コメディアンをまっとうされた志村さんに伝えたい言葉があれば伺えますか?
「あんたがいてよかった」と伝えたい。『8時だョ!全員集合』を見て育った子どもたちも、今ではみんな立派な大人ですよ。また普通の舞台と違ってテレビですから、見てる人数が違います。本当にいいことをしてくれたなぁと思いますね。
小松政夫さんじゃないけど、まさに「あんたはエライ!」。スケールが違いますよ。「ぜんぶの責任をオレが負ってやろう」っていう気概があるから安心して見ていられたんだろうなぁ。なにかにおびえてやっているようじゃ見ないもの、人は。
「ヒゲダンス」なんて、みんな楽しみにしてたもんね。また、それをちゃんとできるのがすごい。軽く考えてる人がずいぶんいるだろうけど、あそこまでになるのは大変……いや、大変通り越してますよ。私は笑いが一番難しいし、一番上にあるものだと思ってるんです。その代わり、ちょっとしたことで一番下にもなっちゃう。やってみてこんなに難しいものはない。だからこそ、結果が出たらこんなに楽しいものもない。けんちゃんが『志村魂』をやり続けたのは、舞台が一番楽しいし、一番怖いって感じてたからじゃないかな。
舞台は快感であり、哀愁ですよ。けんちゃんには、哀愁が漂っていた気がします。子どもたちがあれだけキャーキャー言う相手が70歳ですよ? 普通なら距離を置かれます。それを巻き込んで笑わせてしまう才能と魅力……要するに志が伝わるんでしょう。まぁこんな人はもう出てこないでしょうね。
伊東さんは、ある意味で志村さんと対極に位置する「喜劇役者」だ。記事でも触れている通り、乾いた笑いが好きで、哀愁を感じるキャラクターが好きだった志村さんとはタイプが異なる。また、伊東さんは映画・ドラマ・舞台と幅広く出演しているのに対して、志村さんは基本的にバラエティーを軸に活動した。
そんな2人にもかかわらず、共通点が少なくない。志村さんは、ドリフではキーボードやギター、独立後は三味線を好んで弾いていた。謙遜されているのか記事では語られていないが、伊東さんは音楽番組でバイオリンを披露したこともある。また、どちらも落語や映画が好きで、笑いに対する考え方にも似たところがある。
両者を分けているのは、伊東さんの語っていたそれぞれの“志”に尽きるのかもしれない。志村さんは“志村流”を極めようとお笑いと向き合い、唯一無二のスタイルを確立した。一方で伊東さんは、柔軟だったからこそ誰もまねできない幅広い活躍へと結びついていったのだと思う。
過去の映像を見ると、2人の掛け合いはとても相性がよく面白い。きっとそれは、「自分は喜劇役者だ」という特別な思いが共鳴していたからだろう。
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