話題
Yahoo!ニュース「#コロナとどう暮らす」企画班さんからの取材リクエスト
休校期間後、不登校の子どもに心境の変化はあった?
やればできたオンライン授業 コロナが突きつける不登校の学ぶ機会
「不登校の子は、休校中でも『不登校の子』のままなんだ」
話題
休校期間後、不登校の子どもに心境の変化はあった?
「不登校の子は、休校中でも『不登校の子』のままなんだ」
新型コロナウイルスの影響で、長いところでは3カ月ほどの休校が続きました。「学校に行けない」という状況のみを切り取れば、全国の子どもたちが強制的に不登校状態になったとも言えると思いますが、その状況を受けて、元々学校に行かなかったり行けなかったりする子どもたちの心境に変化はあったのでしょうか。 Yahoo!ニュース「#コロナとどう暮らす」企画班
不登校を経験してきた子どもたちは、新型コロナウイルスによる休校期間をどのように過ごしたのでしょうか? 周囲の視線は「休校中も『不登校の子』のまま」だったという感じた当事者がいる一方、オンラインに取り組むフリースクールも生まれています。授業もオンライン化が進む中、様々な環境にいる子どもたちの学習機会をどうやって作っていくか。当事者たちの言葉から考えます。
奈良県に住む中学3年生のMさんは、小学生の頃から学校に行けたり行けなかったりする日々が続いています。休校期間前から、週の半分は学校に、残りはフリースクールに通う生活を続けていました。
学校に行くときも、「他の子の視線が気になる」と、教室には行かず別室で時間を過ごしています。「誰にも会いたくないから、普段過ごしている教室から廊下に出たとき、誰かがいると、すぐに教室に戻ってしまいます。それが違う学年の子でも同じです」
人の視線を強く感じるようになったのは、学校を休み始めてからです。「行きたいけど行きたくない」という感覚は、「長く学校を休むと、なんとなく行きにくくなるじゃないですか。それと同じです」
不登校中の子どもたちからは、「平日に家にいる自分に引け目を感じる」という声がよく聞かれます。同じ時間、学校にいる子どもたちと、行けない自分を比べてしまうからです。周囲の「学校に行かねばならない」という圧力を感じれば感じるほど、それは更に強まります。
休校期間中は、子どもが平日の昼間に家にいることが当たり前になりましたが、Mさんはその「引け目」の感情や、周囲からの視線に「変化はなかった」といいます。
その理由として挙げたのは、ある出来事でした。
休校前、Mさんが平日に家の近くを歩いていたときのことです。近所の人に「学校いかなあかんで」と厳しく言われたことがありました。Mさんは「不登校の子は外出るなといわれているような気がした」と、振り返ります。
そして、休校期間が始まってしばらくした頃、再びその人に会いました。そのときにも、同じように「いまは休校だけど、(休校期間が)終わったら学校行きや」と言われたそうです。
「普段学校に行ってる子は『休校中の子』とみられるのに、不登校の子は、休校中でも『不登校の子』のままなんだと思った」
みんなが強制的に学校に行けない状態になった期間があったからと言って、自分への視線が変わったわけではないと感じています。
「行きたいけど行けない」と、もがいている時に、他人に「学校に行かないといけない」という概念を押しつけられることで、さらに自分を責め、苦しむことがあると語る経験者は少なくありません。
「自分でもあがいている。教室まで上がりたいのに上がれない」という状態が続いているというMさんだからこそ、近所の人から言われた「学校行きや」という一言が、気持ちを余計に苦しくさせています。「自分でも行かないといけないとわかっているからこそ、言われたくない。人から言われることではないと思う」(Mさん)
Mさんが通うフリースクール「奈良スコーレ」の宇陀直紀さんは、都会と地方の違いがあるとした上で、「地方だと、どういう人が近くに住んでいるのかということが近所でも把握されているので、一度『不登校』と認識されたあとにその認識を変えるのは難しい」と話します。
「休校期間、(普段は学校に通っている子も含め)みんなが家にいたので、不登校の子どもたちの中には、『自分だけ家にいる』という状況から一時抜け出すことができて気持ちが楽だった子もいると思います」
近所の人の目や、学校での同級生からの視線が気になるというMさんでも、「安心できる」という場所が、フリースクールです。
ですが、Mさんが通う奈良スコーレも、全国一斉休校の少し前からオンラインに移行し、Zoomでのやりとりがメインになった期間が3カ月ほど続きました。
学校の休校は「休みが長くなったな」という感想しか抱かなかったというMさんでしたが、「自分らしくいられる」という奈良スコーレのオンライン移行については、「スコーレのみんなと会えないのは寂しい」と感じていたそうです。
宇陀さんは「オンラインに移行することで、いつでも・どこでもフリースクールに参加できる反面、『リアルな空間』としての居場所がなくなってしまったので、つながりを感じることが難しくなった面もあるのかと思います」。
奈良スコーレでは、現在もオンラインを続けていますが、週に1度集まるかたちをとっているそうです。
現在、多くの学校で進むオンライン授業は、不登校の子の学習機会についての問題を浮かび上がらせました。
休校期間中、教室で授業を受けることが出来なかった子どもたちに対して、教育現場はオンライン授業で学習機会を確保しようと模索しました。ただ、不登校の子どもたちにとって、教室で授業を受けられないという状況は、コロナ前から続いていました。
「今回、『オンライン授業はやろうと思ったらできる』ということがわかったと思う」と宇陀さん。
2019年に施行された法律(教育情報化推進法)では、学校に対してオンライン授業などを使って不登校の子どもにも十分な学習機会をつくることを定めています。
しかし、実際には不登校の子どもたちにその機会が十分に提供されている状況ではありませんでした。
宇陀さんは「数年前から同じことが言われている状況ではありましたが、これを機にオンライン授業についての議論が本格的にスタートするのであれば、不登校である・ないに関わらず、希望する子にはオンラインで授業を受けられるようになる流れができればいい。オンラインでつながることによって得られる『所属感』もあります」と話しています。
とはいえ、オンライン授業が絶対的になることには懸念を示します。「選択肢が増えることはとてもいいことですが、どの選択をするかは、先生や子どもたち同士での関係性の上に成り立つのだと思います」と、宇陀さんは話します。
長いところでは3カ月にも及んだ「休校期間」を経て、不登校の子どもたちは何かを感じたのだろうか――。そう思い話を聞かせてもらいました。
印象深かったのはMさんの「普段学校に行ってる子は『休校中の子』とみられるのに、不登校の子は、休校中でも『不登校の子』のままなんだと思った」という言葉です。この言葉を聞き、「不登校の子」と「不登校じゃない子」の「境界線」を不登校の当事者が強く感じていることを改めて感じました。
「教室まで上がりたいのに上がれない」と考えているMさんが、同じ年代の子どもたちとの「違い」を感じてしまっている状況は必ずしも肯定できるものではないと思います。違いを感じてしまうことが、Mさんの葛藤の一因にもなっていると考えるからです。
宇陀さんが指摘するように、その「違い」はオンライン授業の導入などで、学び方を選択することができれば、緩和されるように感じます。
学び方の選択がもたらす効果は、不登校の子に限定されません。
一斉休校が6月に明けた後も、感染不安から通学を控えている生徒もいました。オンライン授業に限らず、それぞれが学びやすいかたちで学びを進めていく環境作りが、不登校の子も含めた多くの子どもたちの学びを保障することにつながると感じています。
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