「おじさん」の1年を描いた漫画「人情商店街」

季節は変わって春になると、おじさんは手作りの看板を掲げ、道の端っこで「人生相談」を受ける商売を始めていました。見ると、おじさんに涙ながらに人生相談をしている人もいます。
夏になる頃には、おじさんは占いに転向。いつしかきれいな看板や机を手に入れ、おじさんの身なりも清潔な服装になっていました。
秋、おじさんの姿は商店街から消えていました。おじさんの「卒業」を知り、主人公は「しまった 人生相談すればよかった」と、かすかなさみしさを抱くのでした。
ルールに縛られないおじさんの生き方「楽しそう」
そう振り返るのは、作者の筑濱さんです。筑濱さんは当時、イベント制作会社でサラリーマンとして働いていました。残業を終えた帰り道、地べたに座って、女性から人生相談を受けるホームレスの「おじさん」を見かけ、「面白いなと思った」と話します。
「サラリーマンって会社のルールの中で生きているんですよね。机の片付け方ひとつから決まっていて、人間関係もルールの中で距離感を測りながら築いていく。おじさんがしているのは学校で教えられていない生き方というか、おじさん独自のすごく自由な生き方だと思ったんです。『楽しそう』というのが、僕の感想でした」

「おじさんは人の話を真剣に聞いたり、自分の経験を相手に伝えたりする技術が高かったのではないでしょうか」と筑濱さん。自ら生きる術を見つけて、試行錯誤していくおじさんの姿に、人間の持つたくましさを感じたといいます。
おじさんを通して感じた商店街の人たちの寛容さ
「商店街にいる方の『町人文化』といいますか、同じ通りを歩く人は受け入れるという人の情けがあるんです。商店街の会長だった土居年樹さんがおっしゃっていましたが、こうした情けが巡って『将来お客さんになってくれるかもしれない』という考え方があるようです」

筑濱さんも個人として商店街のお祭りやポスター制作に携わる中で、この街の人情を肌で感じてきたといいます。こうした寛容な受け皿が、筑濱さん自身を受け止める出来事がありました。
筑濱さんに手をさしのべた商店街の会長
ちょうど妻と続けていた漫画家ユニットの作品「SHI RI TO RI」(KADOKAWA刊)の書籍化が決まり、筑濱さんはこのタイミングで独立することを決意。しかし、毎月の給料が保証されている環境から離れ、自分の持てる技術で試行錯誤し、生活を組み立てていく……今後の不安はないとは言い切れません。「途方に暮れ、おじさんのたくましさが身にしみてわかりました」と当時の胸の内を明かす筑濱さん。
そんな時、「商店街で漫画描いて、活躍してくれへんか?」と声をかけてくれたのが前述の土居会長でした。筑濱さんは当初「期待に応えられるだろうか」と心配だったといいますが、「街の人たちに受け入れてもらいたい」という思いで、漫画やポスター、イベントなどで商店街を盛り上げてきました。
「声をかけてくださったおかげで、今、元気に生活できています。私も『おじさん』と同じように街の人情に救われました」
