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コラム

一生残る「障がい者はめんどくさい」 車いすユーザーが見た黒人差別

ジョージさんの呻きを聞いた時の感覚に、なぜかよく似ている

ロンドンで「BLM」と書かれたマスクを着けてデモに参加する人=ロイター
ロンドンで「BLM」と書かれたマスクを着けてデモに参加する人=ロイター 出典: ロイター

目次

アメリカで5月、黒人のジョージ・フロイドさんが白人警官に首を圧迫されて死亡した事件をきっかけに広がっている黒人差別撤廃を求めるBLM(Black Lives Matter=黒人の命も大事だ)運動。車いすユーザーの篭田雪江さんは、「差別を受ける少数派」としてこの運動をどう見たのでしょうか。全世界を巻き込んだ大きな運動に発展したBLM運動で感じた、自身がこれまで受けてきた「切り傷」についてつづってもらいました。

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警察官に重なった被告の顔

「息が、できない」

男性のその呻(うめ)きに、胸がつぶされたような思いがした。

2020年5月25日。アメリカミネアポリス近郊で、黒人(本来、黒人白人といった言い回しは好まないのだが今回は便宜上使わせていただく)男性のジョージ・フロイドさんが白人の警察官に殺害された。

8分46秒。ジョージさんが道にうつぶせにされ、警察官の膝によって頸部(けいぶ)を押さえつけられた時間である。

居合わせた女性が撮影した動画を見た。「息が、できない」。冒頭に書いたジョージさんの訴えを聞いても警察官は膝を離さなかった。その間、警察官は様子を撮影しているカメラの方をちらりと見た。不敵とも思える表情に背筋が震えた。

以前記事にも書いた、相模原障害者施設殺傷事件の植松被告の表情にそれが重なった。

【#Blacklivesmatter】
2013年に生まれた言葉。近年では今年5月、米ミネアポリスで黒人のジョージ・フロイドさん(46)が白人警官に首を圧迫されて死亡した事件をきっかけにSNSで「#BlackLivesMatter」(BLM、黒人の命も大切だ)のハッシュタグとともに怒りや悲しみの声が拡散し、街頭ではデモなどの動きもある。
朝日新聞デジタル:軽んじられた黒人の命 広がる怒り、悲しみと#BLM

その後、全世界で「Black Lives Matter」を合言葉とした運動が巻き起こっている。世界の人種差別問題の詳細な知識を、私はほとんど持ち合わせていない。だが「黒人の命は大切だ」という知識云々以前の、当然過ぎる真実を運動名にしなければならない。そのことに人種差別問題の根深さを思い知らされる。

ジョージ・フロイドさんが亡くなった現場は、弔問に訪れる人が絶えない=2020年6月19日、米ミネアポリス、渡辺丘撮影
ジョージ・フロイドさんが亡くなった現場は、弔問に訪れる人が絶えない=2020年6月19日、米ミネアポリス、渡辺丘撮影 出典: 朝日新聞

「ほとんど」受けてこなかった差別

黒人であるジョージさん。障がい者である私たち。おなじ差別を受ける少数派というくくりになるのか。だが幸いなことに、私はこれまで「ほとんど」差別、あるいはそれに準じた行為を受けたことなく生きてこられた。

ご飯を食べに店へ行っても、「ほとんど」入店拒否などされたことはない。むしろていねいに椅子を片づけてもらったり、通路を空けたりしてくれた。美術館、博物館、映画館、旅館、どこもそうだった。

列車に乗る時もそう。駅員さんは必ず車両に乗り込む際に使う折り畳みスロープを用意してくれるし、改札まで車いすを押して誘導してくれる。帰りも「お声がけください、案内しますので」とまで伝えてくれながら。これ以外にも書き切れないほどの親切や心遣いをもらってきた。だからこそ生きてこられた、と言い切ってもいい。

だが、まったく差別を感じた時がなかったか、というと嘘になる。「ほとんど」と、上記でわざわざかっこ書きにしたのはそのためだ。

母の同行を求められた高校生活

小、中学校は地元の学校に通えなかった。私が小、中学生だった約30年前、障がい者が普通の小、中学校に通学するという発想そのものが、少なくとも私の地元にはなかった。リフト付きの通学バスに乗り、片道一時間以上かかる隣市の身障者養護学校に通った。だから近所に友達はあまりいなかった。弟やいとこが近所や学校の友達と野球やサッカーで遊んでいるのがうらやましくさびしく、むりやり仲間に入れてもらった。

高校は幸い、地元の普通高校に入学できた。ただそれは学校側にたまたま養護学校の車いすの先輩を受け入れた経験があったからだ。もしそれがなかったら試験に合格していても入学は拒まれていたと思う。それでも通学には条件を課せられた。

母の同行だった。

当時、学校には車いす用トイレやエレベーターなどの設備がなかった。それらの行き来の介助や、万一の体調不良時の対応のために求められたのだ。

トイレは車いすを個室にこじいれて入ることでできたが、階段はだめだった。母が私をおぶって階段を昇り降りし、あらかじめ階段そばに用意していた椅子に座らせた後、重い車いすを脇に抱えてまた階段を昇り降りして運んだ。幸い階段に関しては、後に同級生が前後左右から四人で車いすを支え、昇降を手助けしてくれるようになった。だが私が体調を崩したり、失禁(私は下半身まひのため排泄の感覚がない)して服を汚したりした時は、同級生ではなく母の手を借りざるを得なかった。母は3年という貴重な時間を私のために使い果たしたことになる。母が私のために「犠牲」にした人生時間は、そんなものではすまないのだが。

高校生のとき、母は私をおぶって階段を昇り降りしてくれていた=写真はイメージです
高校生のとき、母は私をおぶって階段を昇り降りしてくれていた=写真はイメージです 出典:pixta

「まね」されたとき、声が出なかった

同級生には本当にお世話になったのだが、今でも胸にこびりついているできごとがある。

3年の体育の授業のことだ。体育は基本的に見学で、いつもぼんやり見ているしかなかった。だがこの時はソフトボールで、Aチームのベンチに混ぜてもらうことができた。Aチームの攻撃中、みんなが応援もせずしゃべっていると、ひとりの男子生徒が突然立ち上がった。クラスの典型的なお調子者だった。彼は両脚を妙な角度で折り曲げ、かくかくとした動きで数歩歩いた。そして言った。

「障がい者のまね」
「障がい者って、気持ち悪いよな」

みんな笑った。色のない笑いだった。私は顔が硬直した記憶がある。ただ苦情も文句も言わなかった、いや、言えなかった。そうしようとはした。だが喉がかたまり、なにも声が出てこなかった。胸がつぶされたような思いがした。今思い返すと冒頭で書いたジョージさんの呻きを聞いた時の感覚に、なぜかよく似ている。

公務員資格あったのに就活は全滅

就職する時もそうだった。私は公務員を目指していた。高校は進学校だったが、3年生になると唯一あった就職クラスを選んだ。勉強がそれほど好きではなく大学に行ってまで勉強したくない、というのが本音だったが、両親を早く安心させたい、という思いがあったのも確かだ。

国家公務員3種(各省庁の初級職員として採用される資格。合格者は主に税務署員、郵便局員など、地方の出先機関で採用される)という公務員資格を得ることができた。

今はどうなっているかわからないが、当時は国家3種に合格すると合格者リストのようなものに名前が載り、そのリストが県関係の部署や国の出先機関に配布される。それを見て、向こうから面接にこないかという連絡がきたり、あるいはこちらから面接してほしいという要望を伝え、面接をし、それで採用不採用が決まったりする、という仕組みだった。

ほどなく、家にさまざまな県の部署や出先機関から面接依頼がきた。確か10以上はきたはずだ。これくらい受ければどこかにはひっかかるだろう。私も両親もほっとした。

結果、すべて不採用だった。もちろん面接や論文の結果が悪かったのだろう。他に優秀な人材があったのだろう。それにしても、これは。紙切れを燃やし切れなかったような感覚が拭えなかった。

それならと、こちらからも面接依頼の連絡をした。学校で面接や論文の補習も受け直した。やれることはやったな、と進路指導の先生も言ってくれた。それでもだめだった。

「今までは自分のからだのことをあらかじめ伝えていなかったのが悪かったのか」――。そう考え、ある出張所に連絡する時「実は私、車いすなんですが」と告げた。するとそれまでおだやかに応対していた担当者の様子が一変した。「ああ、そうなんですか。そうなるとうちではちょっと対応がむずかしくなりまして……申し訳ありませんが、今回はご縁がなかったということで……」と、歯切れ悪く電話を切られた。結局ハローワークに相談の末、今の職場に拾ってもらった。

国家公務員3種の資格をもって就職活動を続けましたが…=写真はイメージです
国家公務員3種の資格をもって就職活動を続けましたが…=写真はイメージです 出典:pixta

「障がい者はめんどくさい」という意識

ほかにも小さなできごとは多々あった。地元のあるインターネットカフェには「お客様のような方をうちでは受けつけておりません」と入口で入店を拒まれた。東京駅構内で駅員さんに車いすを押してもらっていると、次の新幹線を待っていた60代と思しき女性から「こんなに混んでるのに、あぶないねえ」と睨まれた。ちょっとすみません、と前を通り過ぎただけなのだが。

今まで書いてきたことは私という小さな人間に起きた小さなできごとである。差別とまでいえるのかどうか、自分では判断がつけられないことも多かった。少なくとも「Black Lives Matter」運動が巻き起こるほど、大きな問題ではないかもしれない。

ただひとつ感じてきたのは「障がい者はめんどくさい」という意識を抱えたひとたちは、確かにいるということだ。

むき出しの差別意識はないのだろう。そう信じたい。でも「関わるのはめんどくさい」「自分には関係ない」「どこか遠いとこのひとだから」「ちょっと邪魔」そんな綿ぼこりのような細かい拒絶反応は、残念だけどどこにでも転がっている。「障がい者のまね」をした高校の同級生や、東京駅で「あぶないねえ」と私に言った女性のように。

「めんどくさい」は差別だ

差別とまではいかない、「障がい者はめんどくさい」という意識。

その意識に私はほぼなにも抵抗してこなかったし、できなかった。それ以上の優しさや心遣いをたくさん受けてきたからか。いや違う。弱かったからだ。「めんどくさい、はないだろう」と叫べなかった。

8分46秒、膝をついてジョージさんのために黙とうしたひとびとの強さを、「黒人の命は大切だ」とデモ行進するひとびとの強さを、私は持てなかった。

でもこうして書き綴っているうち、そんな自分の弱さに後悔の念が浮かんできている。

私の経験は小さなできごとだ。だが受けてきた「めんどくさい」が重なるたび、胸底には小さな切り傷が少しずつ増えていった。「障がい者のまね」をした同級生の姿が胸から離れてくれない。それらは今でも忘れかけた頃に疼き、痛みだす。心がすり減っていく。私たちのなかにも、そういうひとはいるのではないか。

だから今ここで小さな抵抗をする。先に書いたことを訂正する。

「障がい者はめんどくさい」は、やはり差別だ。

「めんどくさい」に私たちはずっと苦しめられてきた。小さくて曖昧なものかもしれない。でもその「めんどくさい」で受けた傷を、一生抱えて生きていかねばならないひとだっているのだ。

なにかのきっかけで「めんどくさい」に油が注がれ、手をつけられないほど燃えあがってしまうかもしれない。そうなったら今度は私たちがジョージさんになる。誰がそんな将来を望むというのか。

「黒人の命は大切だ」。ジョージ・フロイドさんの追悼式では、そう叫びながら涙を流す黒人男性の姿も見られた=2020年6月4日午後1時50分、米ニューヨーク、藤原学思撮影
「黒人の命は大切だ」。ジョージ・フロイドさんの追悼式では、そう叫びながら涙を流す黒人男性の姿も見られた=2020年6月4日午後1時50分、米ニューヨーク、藤原学思撮影 出典: 朝日新聞

みんなが求めている「なにげない日々」

先日Twitterをのぞいていたら、ある有名アーティストのツイートが目に入った。今アメリカで起きていることは歴史的な局面かもしれない、そうであってほしい、と書かれていた。

意見にまったく相違はなく、100パーセント同意だった。でもその「歴史的局面」のために、ひとりのかけがえない命の犠牲が必要不可欠だったのか。そんなことは絶対ないし、あってはいけない。ジョージさん自身が「歴史的局面」より、大切な家族やパートナーとのなにげない日々を求めていたとしたら尚更だ。

私もそうだ。差別はもちろんなくしたい。「めんどくさい」なんて拒まれたくない。

欲しいのは、なにげない日々だ。

あたたかいコーヒーが飲みたい。散歩の途中で見つけたたんぽぽに目を細めたい。好きな広島カープを応援したい。回転寿司でちょっと高いネタのお寿司を一皿だけ食べたい。私が求めているのは、そんななにげなさだけ。もしかしたらジョージさんがそうだったかもしれないように。

そしてそれは、私たちすべてが求めているものでもある。

だから最後にもう一度書く。「障がい者はめんどくさい」は、差別だ。

その想いが、誰かひとりの胸に響いてくれるのを願うことだけが、「Black Lives Matter」運動を起こせなかった私にできる精一杯である。

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