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テレビ批評の未来 有吉・マツコ・坂上が築いた「内輪の刺し」の限界
「外部からの批評」取り込む気概を
「もしも、ナンシー関が生きていたら……」。テレビ好きなら、何度か考えたことがあるだろう。ネットが普及し、匿名批評が相次ぐ時代、テレビ批評は、テレビタレント自身が担うようになった。有吉弘行、マツコ・デラックス、坂上忍らは天性のバランス感覚で、視聴者の“留飲を下げる毒舌”を提供。番組作りは、ますますネットユーザーの声を意識した内容にシフトしている。芸能界と視聴者の距離が近づいたともいえる状況において、「テレビ批評」の未来はどうなっていくのだろうか。特殊なタレント頼みである「内部への批評」の強さと限界から考える。(ライター・鈴木旭)
2002年6月にコラムニスト・ナンシー関が亡くなり、私たちはテレビ批評における指針を失った。その後、ブローバンド化が進み、ネットユーザーが飛躍的に増加。2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)のスレッドでは、タレントに対する辛辣な書き込みが目立ち、“匿名批評”が野放しの状態になっていった。
そんな矢先、テレビの世界に復活したのが有吉弘行だった。
「おしゃべりクソ野郎」「元気の押し売り」など、最初のうちは、お笑い芸人、タレントに向けられた毒気のあるあだ名で視聴者にインパクトを与えた有吉。しかし番組の司会を務めるようになると、ゲストによって毒の盛り方を使い分け、絶妙なさじ加減で“イジる”ようになっていく。
2020年5月に放送された『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)では、新型コロナウイルスの状況を伝える報道番組への違和感を吐露。「メインの男のアナウンサーの人とかもさ、冒頭にメッセージ言ってみたりとかさ。お前からのメッセージはいいよ。ただ伝えてくれよ」と、一部を除いて形式的な言葉を添えるキャスターに苦言を呈した。その目線は、視聴者の多くがどこかにあった違和感だ。いまだに有吉の感覚はブレていない。
有吉に一貫して言えることは、自分と同じ「業界内の他者」に対して批評性を持っていることだ。しかもそれは、息の根を止めてしまうほどの激しいトーンではなく、相手が致命傷を負わないギリギリの“甘噛み”で笑いへと消化されている。生前、ナンシー関はタレントとの交友関係を持たず、外部からの目線でコラムを書き続けた。それに対し、有吉は「内部への批評」という、ある種身を削るようなショーを見せ続けている。
巧妙に身をかわしながら、時にはほっこりするようなエピソードも口にする。しかし決して警戒心は解かず、足をすくわれないよう注意しながら綱渡りを続ける名手だ。今もなお、視聴者から信頼されるのはその芸当ゆえだろう。
有吉と同時期、性別を超えた批評で支持を集めたのがマツコ・デラックスだった。もともとゲイ雑誌「バディ」の記者・編集者として働いていたが、20代後半になって退職。以後2年間、実家で引きこもり生活を送ることになった。
なにかをよりどころに生きようと、マツコは高校の同級生に連絡して「自分より不幸な人を見つける」という行動に出る。最終的にリストは60人以上にも及んだが、もっとも不幸だったのは自分自身だったという。(ウェブ版NEWポストセブン「マツコ 引きこもり時代に同級生の「幸せランキング」作る」より)
そんなマツコを救ったのは、小説家・エッセイストの中村うさぎだった。前述のゲイ雑誌「バディ」でマツコを知り、会って話してみたいとアプローチ。実際に対面を果たすと、今度は中村がホストを務める対談集『人生張ってます』(小学館刊)の対談相手にマツコを指名。これをきっかけに、女装家「マツコ・デラックス」の外見のインパクト、トーク力が注目されることになった。
マツコは、ミュージシャン、タレント、政治家など、世の著名人を含蓄のある鋭い語り口で斬っていく。時に賛否を巻き起こすこともあるが、おおむね視聴者はマツコに留飲を下げる。まるで自分自身の外見をも含めた俗世とたわむれる僧侶のように、今生の真理を説く存在として大衆から求められている。
2010年代に入り、有吉やマツコと肩を並べる存在となったのが坂上忍だ。「天才子役」と称されてデビューして以降、数々のドラマや映画に出演。しかしその活躍の裏には、父親がつくった巨額の借金を返済するなど、目を背けたくなるような苦労があったようだ。(2016年10月に放送の『モシモノふたり ザワつく女たちの素顔 のぞき見SP』(フジテレビ系)より)
坂上自身もギャンブル好きとして有名で、2016年10月に放送された『しゃべくり007 2時間スペシャル』(日本テレビ系)の中で「その年に稼いだお金を全額競艇で使う」「全部リセットしたくなる」と語っている。自身の業の深さを悟っているかのようだ。
そんな坂上がバラエティータレントとして注目を集めるきっかけとなったのは、2012年に放送された『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)にゲスト出演したことだった。番組内の企画で「仕事とブスが大嫌い」と発言し、歯に衣(きぬ)着せぬキャラとして認知された。その後、バラエティー番組での活躍は周知の通りである。
坂上のスタンスには、好感度を無視した“開き直り”の演出がある。番組の共演者に対して「あんた黙っててくれよ!」「お前、何様なの?」といった乱暴な口調は、“予定調和を壊す”という自らの役割をまっとうしているように見える。
大のお酒好きとして知られる坂上は、アルコールが抜けきらない状態で自身が番組MCを務める『バイキング』(フジテレビ系)に出演し、「なにが悪いんだよ!」と居直っていた過去もある。
たびたび坂上の言動はネットで炎上する。しかし坂上は、自身の番組で「絶対にネットなんか見ない」と語っていた。TV業界がネットの意見におびえる時代にあって、このようなケースは珍しい。坂上は『笑っていいとも!』に出演して以降、変わらず今も“坂上忍”を貫いているのだ。
有吉、マツコ、坂上の3人以外にも、思い切った発言で話題となったタレントは存在する。たとえば俳優・梅沢富美男は、2000年代に入ると辛口のコメンテーターとして注目を集め、バラエティー番組での露出が増えていった。「本業は大衆演劇、いつ番組を降ろされても構わない」という潔さが支持される要因だろう。
2019年、一大騒動となった吉本興業の問題には、極楽とんぼ・加藤浩次が切り込んでいった。吉本興業でのパワハラ問題に対して、加藤は自身がMCを務める番組で「今の社長、会長の体制が続くんだったら、僕は吉本興業を辞める」と主張。最終的にはエージェント契約で在籍する形となったが、所属事務所にここまで反発した芸人は前代未聞だった。
「内輪刺し」とも言える 「内部への批評」は、年々赤裸々になっている。芸能界は、今や華やかなものではなく、社会と地続きのエンターテインメントとして存在しているのだ。
「内部への批評」が確立される一方、2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)に代表されるネット掲示板や、ツイッターの匿名アカウントなどには、嫌いなタレントをディスる情報が投稿され、辛辣(しんらつ)なコメントが野放し状態になっている。
2020年5月には、恋愛リアリティー番組『テラスハウス2019-2020』(NETFLIX、およびフジテレビ系)に出演中の女子プロレスラー・木村花さんが「SNS上の誹謗(ひぼう)中傷を受けて亡くなった」と報道され世間を騒然とさせた。ネット病理とも言える言葉のナイフは、いよいよ見過ごすことのできない社会問題になってきている。
このような時代にあって、個人がどんな意見を信じるべきか判断するのは非常に難しい。テレビに出る側のタレントの負担も尋常ではない。視聴者の批評を意識しながら、「揺るぎのない正解」などない中で、時にヒールを買ってでたりしながら楽しませ続けている。
一方で、ツイッターやnoteなどのブログからは、今も、読み応えのある批評が生まれているのも事実だ。
たとえば2019年にネタの一節が差別であるとSNS上で批判を受けた、お笑いコンビ・金属バットに対する批評が挙げられる。実際には何年も前のネタだったが、Aマッソの「漂白剤ネタ」の騒動を受けて飛び火し、一部のジャーナリストやネットニュースはこれを取り上げて炎上をあおっていた。
こうした傾向に異を唱えたのが、noteに投稿しているアメリカのカルチャーに詳しいライター/翻訳キュレーターだった。渦中のネタをしっかりと分析し、金属バットのネタが「無意識の人種差別を皮肉る」というメタ構造になっていることを解説。アメリカのスタンダップ・コメディーにも似た急進的な笑いであり、「あなた自身に無意識の差別はないと言い切れるか?」という批評性を持ったネタだと、むしろ称賛している。
閲覧数を稼ぐだけのネットニュースや、SNSの炎上に振り回されることのない優れた記事だが、残念なのはそこまで広く知られていないことだ。ナンシー関が活躍していた時代と違い、こうした記事の多くはフォロワー向けに発信される。マスに届くチャンネルに載る機会がほとんどないのだ。
テレビ局は、今のような、タレントへの負荷が高く職人技ともいえる「内部への批評」にいつまで頼るつもりなのだろうか。ネットで様々な情報があふれ、制作側も一喜一憂する時代だからこそ「外部からの批評」の重要性が増している。
今求められているのは、「外部からの批評」を発掘し、それをコンテンツとして取り込むくらいの気概なのではないだろうか。
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