IT・科学
「電気自動車を貸せるかも…」食べ物より電気、熊本豪雨の気づき
支援できる人・モノをつなげる役
「もしかしたら電気自動車を貸せるかもしれない」。そこからはとんとん拍子に話が進んだ。豪雨で甚大な被害を受けた熊本県八代市坂本町にある旅館に届いた真新しい電気自動車。食べ物も人手も足りない中、行き着いたのが電気という支援だった。旅館とのやり取りから、コロナ禍における支援のあり方について考える。(FUKKO DESIGN・木村充慶)
各地で甚大な被害を及ぼした「令和2年7月豪雨」。熊本県中部の八代市坂本町にある「鶴之湯旅館」も大きな被害を受けた。
昭和初期に建てられた木造三階建ての風情ある旅館だが、球磨川に面しており、氾濫(はんらん)の影響で床上浸水したという。
発災後、オーナーである友人、土山大典さんに電話をすると、「1階はたたみ、障子、家具、台所家具、食器など、ほぼすべてのものが流されてしまった」という。
普段から一般社団法人「FUKKO DESIGN」で、被災地支援に取り組んでいた私は、少しでも助けになればと災害後、土山さんと連絡を取り合っていた。
被害について詳細な状況を聞くと、辛い気持ちをにじませながら、厳しい状況を教えてくれた。
今回は九州の多くのエリアで被害があったこと、そして、何より新型コロナウイルスの影響で、災害ボランティアや支援団体の数が圧倒的に足りないことがわかった。
その中でも、「メディアの報道が少ない坂本町への支援はあまり行き届いていない」と土山さん。周辺では、高齢者などを始め、基本自分たちで復旧作業を強いられている家も多いという。
そんな中でも、「鶴之湯旅館」にはもともとも関係のあった人たちを中心にボランティアが支援に駆けつけてくれており、毎日10人以上の人たちが、たまった土砂やヘドロの撤去などをしてくれていた。
実は鶴之湯旅館は土山さんのお父さんの代で1度廃業していた。土山さんは、木造3階建ての歴史ある立派な建物をこのままにするのはもったいないと考えて、自らの力で再建した。
そんな土山さんの思いに賛同し応援していた地元の人や、過去に宿泊した人の多くが支援に集まった。災害後の土山さんのSNSでの投稿は多くの人にシェアされている様子からは、リアル、バーチャルに限らない日頃のコミュニティーが災害時にもいきることを実感した。
物資についても、多くの支援があり、食料は、ごはん、うどん、カップ麺などを中心に保存食品が集まっているという。
やっかいなのは、電気ガス水道がすべて止まっていることだ。現在は、近所の知り合いの家に泊まらせてもらっているという。特に電気については、高圧洗浄機や掃除機など電動の掃除道具を使った作業ができなかったり、冷蔵庫などで食材を保存できなかったり、照明もつけられないので夜間の作業ができなかったり、様々なところで支障を来しているという。
支援と聞くと、まず、食料を送ることが思い浮かぶ。しかし、現場は、道の狭い地域であり、土砂崩れも多数で発生している。バラバラに物資を送るとかえって迷惑になると考え、物資を送ることは見送った。
その上で、自分に何かできることはないか考えていた時、日産自動車の日本EV事業部の部長である小川隼平さんと、大雨について話す機会があった。
すると、小川さんは、電気不足について、もしかしたら電気自動車を支援で貸すことができるかもしれないと申し出てくれた。
電気自動車は、電気を取り出す給電機器があれば家庭用の電源として使える。フル充電した電気自動車なら、一般家庭の4日間程度の電力をまかなうことができる。
実際、2019年の台風15号で起きた停電では、多くの場所で電気自動車が使用された。
現地で支援活動をしていた日産自動車なら、被災者に寄り添った支援ができるはず。
「これならうまくいくかもしれない」
そう感じて、旅館の土山さんと、日産の小川さんの2人をすぐにつないだ。
小川さんはすぐに土山さんに連絡。道路状況もしっかり把握した上で、現地の営業拠点を通じて、販売会社による電気自動車の支援を取り付けた。小川さん、現地の担当者と販売店、全員がすぐに行動し、あっという間だった。
小川さんに相談したのが12日。翌日の13日の夕方には車両が届いた。
ここまで迅速に動けたことについて、小川さんは「地域営業部隊と販売会社とが日常的に防災に関する取り組みを行っているなど、普段からの綿密な連携のたまもの。自らが被災されているにもかかわらず、全力で協力していただいた熊本の販売会社のおかげだ」と説明する。土山さんはさっそく携帯電話の充電や夜間での作業に活用しているという。
今回の出来事から学んだのは「現場に降りる」ことの大切さだ。
被災者の支援では、最前線の状況が何よりも重要になる。災害が起きると、まず、物資を届けたい、と思ってしまう。でも、その気持ちが現地にとって負担になることも少なくない。
電気自動車のバッテリーは、現地のニーズに合わせてどんな用途にも姿を変えることができる。それが自分で「動いて」現地まで行ってくれる。
ボランティア元年と言われた阪神大震災から、東日本大震災を経て、様々な支援の知見はたまっている。同時に、当時はなかった機器も生まれている。今、求められているのは、被災地に足を運べる人だけでなく、被災地と支援できる人やモノをつなげる役なのかもしれない。
支援の進め方も大事だ。現在でも大雨は続いている。全体で一括して支援しようとしても、なかなか支援は行き届かないが、今回のように1カ所1カ所の課題に寄り添っていくことを積み重ねていくことが支援の第一歩になり得る。
孤立している方々、まだ復旧途中で厳しい状況の方々は、まだ大勢いる。被災地と支援できる人やモノをつなげる役が広がる仕組みが求められる。
土山さんの旅館では坂本町のボランティアの拠点として様々な活動をしていく予定だ。私も伴奏しながら、より多くの人が助けられるように支援の形を考えたいと思う。
普段は災害支援の関係のない自動車会社の小川さんと話さなければ生まれなかった電気自動車を使った支援の取り組み。今回の出来事が教えてくれたことは少なくない。
1/13枚