7月7日、グーグル日本法人が日本で医療従事者および専門家、メディアと、医療情報発信についての取り組みを開始することを発表しました。withコロナの時代に高まる「信頼できる医療情報」へのニーズに応えるため、有識者とコンテンツ制作者に情報提供を開始します。医療情報におけるプラットフォームの取り組みとしては異例で、大きく舵を切ったと言えます。
専門家はこの取り組みを「プラットフォームの責任が世界的に増す中で、意義のあるプロジェクト」と評価。同時に「『信頼性』の追究はプラットフォームが生き残るためにも不可欠な姿勢になる」とも分析します。グーグルや専門家を取材しました。(朝日新聞デジタル編集部・朽木誠一郎)
今や、新型コロナウイルスに関する情報に触れない日はない、と言っても過言ではありません。飛び込んでくるニュースに対して、「調べる」という行動はより自然なものになりました。その結果、増加しているのが、新型コロナウイルスについてのネット検索です。
一方で、グーグルは、一般の利用者が検索で使用するキーワードと、医療関係者や専門家が発信する言葉の間には、ギャップが存在すると明かします。
例えば、一般の利用者が新型コロナウイルスの予防や治療について検索したキーワードには、「アルカリ電解水 コロナ」「新型コロナウイルス 太陽光で急速に不活性化」「コロナウイルス アロマ」など、科学的根拠が不明なものが含まれています。同時に、専門家にとってみればわざわざ言及しにくい内容のため、結果的に検索結果に正しい情報が少ないままになります。
しかし、このような情報こそ、一般の利用者が「知りたい」情報であるのも事実。誤った情報が拡散されないように、正しい情報が参照できるように存在することが必要です。そこで、検索最大手のグーグルが、医療関係者や専門家、医療情報を取り扱うメディアとチームを組む、というのが経緯です。
今回、グーグルは「Question Hub(クエスチョン ハブ)」というツールを日本では初めてチームに提供します。このツールは任意のトピックついて「利用者が適切な情報を見つけられていない可能性がある」と判断した“未回答”の検索キーワードを自動的に収集し、表示します。
例えば「アルカリ電解水 コロナ」という検索をした場合、その効果については科学的根拠が乏しいため、厚生労働省など公的な機関の発信する情報がなく、商品の宣伝ばかりが並びます。そもそも情報が少ないため、酸性電解水(次亜塩素酸水)の情報も出てきてしまうほど。これが未回答キーワードです。
未回答キーワードは、グーグルから医療従事者および専門家チームに共有されます。チームには慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教授で日本医師会COVID-19有識者会議メンバーの宮田裕章さん、沖縄県立中部病院医師/厚生労働省感染症対策本部メンバーの高山義浩さん、第四次産業革命日本センタープロジェクトリーダーの藤田卓仙さんらが参画。テーマの優先順位づけや、正確性を担保しながら最新の情報をどのように噛み砕くかについてのガイダンスを提携メディアに提供します。
専門家チームのガイドラインに基づいて、提携メディアがコンテンツを制作・公開。提携メディアには、日本で医療情報発信を長く続けているメディカルノートとメドレーの二つのオンラインメディアが参画しました。これらのメディアが未回答キーワードについて信頼性の高いコンテンツを制作すれば、ウェブ上に信頼性の高い情報が存在することで、検索エンジンがそれを利用者に表示できる可能性が出てきます。
日本では2016年から2017年にかけていわゆる「WELQ問題」が発生。一部上場企業のDeNA社が運営していた、不正確な医療情報を発信し、記事の盗用も発覚したWELQというメディアへの批判をきっかけに、ネットの医療情報についての関心が高まっていました。
グーグルは2017年に、日本独自の対応として検索エンジンにおけるページの評価方法のアップデートを実施。以降も調整を繰り返したことで、WELQのようなサイトが激減しました。今回も日本独自の取り組みで、極めて異例なものです。
グーグルはwithnewsの取材に「医療に関する誤った情報は、デジタルプラットフォーム、医療従事者や専門家、そしてコンテンツ制作者などが共に協力し合うことで初めて対処できる複雑な問題」とした上で、「専門や業界の枠を超えて集った共同の取り組みが、日本におけるそうした問題に対処する上での、一つの解を提示することにつながることを期待しています」とコメントしました。
なお、今回、グーグルはあくまでも未回答キーワードを提供するだけで、アルゴリズムの変更はなく、メディカルノートやメドレーが制作したコンテンツであっても優先的に表示されるなどの対応はないとのことです。
医療従事者および専門家チームの宮田さんは、このようなグーグルの取り組みについて「プラットフォームの責任が世界的に増す中で、意義のあるプロジェクト」「Googleは“Technology for Social Good."という理念を掲げていますが、まさにその理念に沿った取り組みだと感じる」と評価します。
「プラットフォーマーにとって表現の自由が重要であることは言うまでもありませんが、情報は人々に善意だけでなく悪意を伝達してしまうこともあります。ネットに拡散していく悪意が世界的にさまざまな形で問題になる中、何もしないことは罪であるとも言えます。善意を届けるために一歩を踏み出したという点に共感し、参画しました」
一方、「プラットフォーマーは、自身が好むと好まざるとにかかわらず、『善いことをする』方向に舵を切っていく」とも分析します。背景にあるのはGDPR(EU一般データ保護規則)のような個人情報保護の流れ。データを扱う企業としては、「情報を預けるに足る、すなわち信頼できると思ってもらえることが生命線」(宮田さん)と考えられるからです。
新型コロナウイルスについての情報発信の難しさとして、宮田さんは「現在進行系の問題であるがゆえに、科学的根拠(エビデンス)という点で見ても、専門家の間でコンセンサスが得られているところと得られていないところが混在している」ことを挙げます。
情報がアップデートされる頻度も高く、追いつくのも大変ですが、「社会によいインパクトを与えられるように、医療従事者および専門家としても貢献していきたい」としました。
記者は2016年にWELQ問題を提起。以降、現在まで「ネットの医療情報」の問題を取材してきました。WELQ問題から続いてきたネットの医療情報の問題は、世界的なプラットフォーマーが踏み込んださらなる一歩により、また新しい段階に至ったと言えそうです。
その意思決定には、個人情報の取り扱いへの利用者の不安など、グーグルのようなデータ企業が抱える事情が与えた影響も無関係ではないでしょう。その上で、「何もしないことの罪」を率先して乗り越えようとしている点、そしてそれが日本で起きた「正しいネットの医療情報」を求める動きに呼応する形でおこなわれていることは、画期的といえそうです。
一方で、社会のインフラとなったグーグルが、コンテンツ制作者と関わることの重大性も常に考えていく必要があります。何らかの理由で、同社に都合の悪い情報でもあっても、医療従事者および専門家やメディアは公平中立でいられるのか。それを監視する第三者機関は必要ないのか。完ぺきな情報がない以上、一時期的にでもグーグルが関与する形で誤った情報が拡散した場合はどのように対処するのか――。
既存のインフラと異なり、ネットのインフラにある特徴は、利用者の声が届く双方向性です。WELQ問題を解決に向かわせたのは、正しい医療情報を求める利用者の声だったことを忘れてはいけません。ネットの言論空間をよりよいものにするために、利用者自身が主体的に建設的な議論を続けていく必要がありそうです。