ネットの話題
水木しげるさんの妖怪大全「アマエビ」誤記の謎 「意図ではなく…」
誤記はアマビエだけじゃなかった!「キムジナー問題」も……
コロナ禍の中、人気の妖怪「アマビエ」。病よけのマスコットのような存在で、特に漫画家・水木しげるさんの描いた長い髪とくちばし、半人半魚の姿の絵で有名です。しかし、筆者はこの妖怪の存在を知っていたものの、30年近く「アマエビ」と記憶していました。すしネタと勘違いしていると言われそうですが、これには理由があるのです。(朝日新聞記者・鶴田智)
アマビエは「6年の間豊作。病気がはやったら私の写しを人々に見せよ」などと語ったと伝えられ、病よけに力があるのではとコロナ禍で話題になりました。
ネットでも目にするようになりましたが……アマビエ? そうだったの? 名前はアマエビじゃなかったのか。筆者は91年以来、約30年の時を経て、アマビエだったのかと改めて認識したのでした。
ではどういう事情で表記がアマエビに? 水木プロダクション代表で水木さんの長女・原口尚子さん(57)に話を聞きました。原口さんによると、「日本妖怪大全」編集の段階で、水木さんの「意図ではなく」、何かの理由で誤記、誤植があったようです。
アマビエは、他に84年出版「水木しげるの続妖怪事典」などに掲載されていますが、アマエビと出ているのは、この91年の「妖怪大全」だけだといいます。原口さんは「ファンの間では有名な話」と話していました。
もっとも、誰かを傷つけるような問題があるわけでもないし、何か気持ちが和らぐ気もします。改めて見て、「レア物」の貴重な本かも、とさえ筆者は思いました。
「アマエビの方が聞き慣れているというか、(絵も)何か海の生物っぽいですよね。エビって言われたら、そうかなって」と原口さん。
最近のネットでも、読み違えたのか、呼び方をアマエビと勘違いしたという声が散見されます。
水木さんの描いた妖怪では、「キジムナー」という沖縄の妖怪も「キムジナー」と紹介されていた時期があったそうです。全身が毛に覆われた子どもくらいの大きさの妖怪です。
原口さんも「私が小さいころはキムジナーと紹介されていて、私もキムジナーだと思っていた。70年代はキムジナーでした」と話し、「聞き慣れないものは間違えちゃうんですね」とも。この話は、妖怪ファンの間でアマエビと同じくらい有名だそうです。
実は「アマビエってマイナーで、みんなよく知らなかった。キムジナー問題の方が有名でしたけど、いきなりアマビエが浮上した。そういえばアマエビだったよねとネットにもけっこう出てきます」と原口さん。
水木さんの絵の元になったのは、京都大付属図書館にあるかわら版の絵。最近の流行について、原口さんは「アマビエの絵は可愛いんですよ。元の絵もヘタウマな感じで可愛い。本当に江戸時代なのっていう。これが可愛いから良かったんですよね」。
水木さんが描いた予言する妖怪として、他に「神社姫」などがいますが、「可愛さ」がポイント高いのか、人気の点ではアマビエがリードしているそうです。
SNS上に見える「神社姫」の絵は角が2本、人魚か竜のような姿で迫力ある顔つきです。尾の先が3本の剣のようです。
さて、アマビエという名前ですが、それ自体、元々は「アマビコ」の誤記とされています。
元川崎市市民ミュージアム学芸室長で妖怪研究家の湯本豪一(こういち)さん(70)によると、アマビエと記された資料は、京都大付属図書館蔵のかわら版だけです。そこに絵とともに、6年の豊作と、病気がはやったら自分の写しを人々に見せよという「予言」が出ています。
豊凶と病を予言する存在として、江戸~明治時代の刷り物などに尼彦、尼彦入道、阿磨比古、天日子尊(あまびこのみこと)などが登場します。他にも、あま彦、海彦、雨彦と書かれた文書があるそうです。
そこに描かれている姿形は全身が毛に覆われた動物のようなもの、猿に似た3本足の姿など様々のようですが、どれも「アマビコ」です。
湯本さんは「いろんな漢字をあてているが、ぜんぶアマビコ。(語尾が)エではない」と話します。アマビコという資料はこれまでいくつも出てきましたが、アマビエという資料は他に出ていません。
「当時、筆で書いた場合、コの字(の横)がちょっと出っ張ったりしますね。それで、アマビコを知らない人がアマビエと書き写したりしたと思うんです」
コをエと書き間違えたかもしれない、ということですね。
いろいろな表記がある理由については、まだ分析できるだけの資料は「蓄積されていない」そうです。
いずれにしても豊凶と病がだいたいセットで予言されているといい、湯本さんは「基本的にアマビコは、自分の姿を描いて拝みなさい、そうすれば病にかかりませんよという予言をする」と話しています。
湯本さんは、豊作凶作も疫病も「当時の人々にとって、生死に関わるすごく重要なことです」と指摘し、「人知を超えた存在を感じる」ことにつながると話します。疫病は、自分がかかったら家族、集落全体に病が広がることにもなり、「自分の命あるいは自分が属する共同体の存続に関わる」。
江戸時代、誰かが描いて祈っていたかもしれない、一見すると鳥のような素朴な姿の絵と「阿磨比古」という字だけの資料が残っているそうです。わらをもつかむ思いの「信仰」で、一生懸命アマビコの絵を描いたのかもしれないと湯本さん。「切なる願い」が込められていただろうと指摘します。
最近、アマビエが人気を博していますが、「現代とは、願いの重みが雲泥の差だと思うんですね」。
ところでアマビエという言葉の意味について、湯本さんは「想像つかない」と話します。その点も、アマビエが誤記ではないかとする論拠の一つと話します。
では、アマビコという名前の語源や意味はどうでしょう?
江戸時代に、「幽谷響」と書いて「ヤマビコ」と読む妖怪の資料があります。山で声が反射するやまびこを、当時の人たちは不思議な現象と感じ、妖怪を生み出す原因になったのかもしれません。やまびこ自体、山響と書く例もあるようです。
湯本さんは、こうしたことを踏まえ、予言と関連してアマビコは天の響き、すなわち天の声を意味しているのでは、と考察しています。裏付ける文献は見つかっていませんが、「何か不思議な人知を超えたものとして、天からの響きとか、そんなことが想定されるんじゃないか」と考えているそうです。
江戸~明治時代に、病をよける願いを託されたアマビコ。令和に入り、新型コロナのパンデミック(世界的大流行)の時期に脚光を浴びているアマビエ。
湯本さんは「何か不安があると、人知を超えたものに頼りたいとか、そういう素朴な心情は、昔も今も根底の所で連綿と流れている。そういう気がします」と話しています。
最後に、こんなエピソードを。
湯本さんの著書「明治妖怪新聞」(柏書房)に、明治時代、3人組の男がアマビコの写しを押し売りしようとして、当時新聞記事になったという話が出ています(明治14年、「東京曙新聞」)。
それによると、3人組は豪農の家を訪れ「天彦の御影」の写しを1枚5銭で「何百枚」も売りつけようとしました。豪農は追い払おうとしましたが、なかなか去らず、もてあまして7、8枚買い、追い返したそうです。
この天彦は「天保年間、西海」に現れ、「三十余年後に世界消滅期にいたるが、わが像を写してはっておけば安楽長久の基になる、などと予言した。うわさに高き十一月に世界一変するという説に符号する」――3人組のこんなセールストークが、簡単に通用するほど甘くはなかったようです。
1/22枚