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連載

#57 #となりの外国人

佐賀に住むたった一人のベナン人 たけし日本語学校で決めた人生の夢

「日本人みたいなベナン人を育てたい」

佐賀城で「10代藩主・鍋島直正公」と写真に収まるジョゼさん=2019年5月
佐賀城で「10代藩主・鍋島直正公」と写真に収まるジョゼさん=2019年5月

目次

「佐賀県にベナン人が住んでいる」。そんなYouTubeを見て、衝撃を受けました。なぜこんなところに……、なぜベナン人が……。調べてみると、佐賀県に住んでいるたった一人のベナン人でした。ドラゴンボールがきっかけで知った日本。人生を決めることになった有名人ゾマホンさんとの出会い。あこがれの日本と現実とのギャップに悩みながら、夢に向かって進むベナン人青年の道のりを聞きました。

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西アフリカの「ベナン」から、憧れ続けた日本にやってきた、ジョゼさん。「悲しいことや、つらいことがあったときは、あえて踊りたくなるようなハッピーな曲を聴きます」。ジョゼさんを支えているベナンの曲と、日本の曲を、記事を読みながら聴いてみませんか。
 

「何もない」のすごさ

西アフリカにある故郷ベナン共和国から、フランス経由でおよそ3日がかり。
2019年4月、佐賀県の空港に、シンデテ・マティロ・ジョゼさん(26)は降り立ちました。

空港の周りは、どこまでも続く干潟の海と田んぼ。ジョゼさんは驚きました。

ベナンに住む日本人からは言われていました、「佐賀は何にもないよ」と。

でも、ジョゼさんが目を見張ったのは「何もない」ことではありませんでした。田んぼの中に続く、歪みのない、真っすぐな舗装道路。

故郷のベナンは、経済発展を続ける一方で、都市部と農村部にはまだ大きな格差がありました。道路がない村もたくさんあります。

「『何もない』のレベルが違う。どうやって『ちゃんと』道を作ることができたのか」

佐賀県に暮らすただ1人のベナン人(2020年1月現在)、ジョゼさんの長い「問い」が始まりました。

田んぼと、干潟の海に囲まれた佐賀空港の風景。田んぼを突っ切るように、まっすぐに道がのびる=2016年10月17日
田んぼと、干潟の海に囲まれた佐賀空港の風景。田んぼを突っ切るように、まっすぐに道がのびる=2016年10月17日 出典: 朝日新聞

貧困の連鎖の中

ベナンって、そもそもどこ? 日本で知っている人は多くないかもしれません。

【ベナンってここ】

でもジョゼさんによると、ベナン人にとっても、日本は同じような存在だったと言います。

「小さい頃は、私は日本を知りませんでした。日本という国があるのは知っていても、中国とは見分けがつきませんでした」


ベナンには46の部族があります。「違う民族は、言語も違って、会話もできないくらい」で、公用語はフランス語です。

ジョゼさん一家はフゥラ族。漁が得意な海の民族でした。

ジョゼさんは、ベナンのことや、自分のルーツについて、とても楽しそうに話してくれます。

「ベナンで一番数が多いフォン族と戦ったとき、賢いフゥラ族の舟渡しがフォン族を船に乗せて川に落としました。だからいまだに、フォン族と結婚したいフゥラ族は、家族に反対されてキツイです」


ジョゼさんは、ベナンのコトヌーという都市で生まれ育ちました。首都ではないけれど、経済や産業の中心地。ジョゼさん一家は、フゥラ族の先祖が移住したコトヌーの一角に今も暮らしています。そこは町の中でも荒れた「スラムのような場所」になっていました。

貧しい家庭が多く、家族を養うのに精一杯。だから子どもは学校に通い続けることができず、結果、良い仕事にも就けない。そんな貧困の連鎖の中で生きる人たちが多くいました。

ジョゼさんが生まれ育った地域。大都市の中でも、この一角は道路も舗装されていなかった
ジョゼさんが生まれ育った地域。大都市の中でも、この一角は道路も舗装されていなかった

ベナンでは、15歳から24歳の識字率が、男性で64%、女性で41%(ユニセフ)と高くありません。教育を受けるにはお金がかかります。地方では学校がない場所もあります。生まれた家の状況で、大きな格差が生まれるといます。

でも、ジョゼさんの家は、地区の周りの家とは少し違っていました。父も母も教師。父はほかにも港湾での仕事、母は看護師や貿易商をしながら、子どもたちの教育に投資しようとしていました。

父は厳しい人でした。宿題をしないと叱られ、遊泳禁止の海に入っては叱られ……。

でも、父と一緒にテレビを見る時間が好きでした。ニュースを見ながら、父はジョゼさんに世の中のことをいろいろ話してくれました。
その中でジョゼさんは、いつか自分の目で世界を見たい、「留学しよう」と決めました。ジョゼさんはまだ7~8歳だったそうです。

ジョゼさんは欧米に憧れていましたが、父はアフリカを搾取した歴史がある欧米は好きではありませんでした。「欧米以外なら、どこの国に行ってもいいよ」と言われたそうです。

保育園を卒園する時のジョゼさん=ベナン・コトヌー
保育園を卒園する時のジョゼさん=ベナン・コトヌー

「絶対ベナンの役に立つから」

ある日、テレビで、ドラゴンボールが放送されました。字幕はフランス語。でも孫悟空は、「異国の言葉」を話しています。かっこいい言葉だと、ジョゼさんは思いました。中国のアニメだと思っていましたが、インターネットで調べ、日本のアニメだと知ります。

「日本ってアニメが得意な国なんだ」

ほかにも「サムライ」や「ヤクザ」といった情報がありました。何か失敗すると、「切腹」したり、小指を切ったりするらしい……。

「日本ってなんて恐ろしい国なんだ!」

少年だったジョゼさんは、怖いもの見たさで、日本の映画を見始めて、日本にどんどん興味を持っていきました。

ジョゼさんが進学した高校には、いろいろな町から生徒が集まっていました。新しい考え方をする友人にも恵まれました。専攻を考えていた時、友人が「土木って、ビルを作ったり、道を作ったりするんだ」と語ったのをきっかけに、街づくりに興味を持ちました。

高校でも、大学でも、土木を専攻しました。

大学に入学したある日、友人が日本大使館で「国費留学生」を募集しているのを見つけました。「試験を受けると、日本に行けるらしい」。喜んで友人と受験しに行きましたが、当時は日本語はまったく分からず、英語もそこそこ。案の定、不合格になりました。

そのとき試験会場で出会った人に、「日本語を勉強できる学校があるよ」と聞いて、ジョゼさんの運命が動き出します。

何としても、日本に留学したい。父は応援してくれました。大学に行きながら、日本語学校と英語学校にも通わせてくれました。「お父さんがすごく信じてくれたんです。『いつか絶対、ベナンのみんなの役に立つから』って。感謝してもしきれない」

「日本語を勉強することができて、本当にうれしかった」。たけし日本語学校で勉強しているジョゼさん=2018年10月
「日本語を勉強することができて、本当にうれしかった」。たけし日本語学校で勉強しているジョゼさん=2018年10月

日本語を勉強して得たもの

ジョゼさんが通った日本語学校が、「たけし日本語学校」でした。

聞き覚えはありますか? 約20年前、「ここがヘンだよ日本人」など、日本のテレビ番組で人気になったベナン出身のゾマホン・DC・ルフィンさん。

駐日ベナン大使など政府の要職も務めたゾマホンさんが、「ベナン人に日本文化を身に着けてほしい」と、2003年に設立しました。ゾマホンさんが「恩人であり親分」と慕っているビートたけしさんの名前を冠した学校です。

学費は無料でした。

身に着けてほしいのは「語学」だけではない、学校にはそんなゾマホンさんの思いが詰まっていました。授業の前には「たけし日本語学校の心得」を暗唱していたそうです。

ジョゼさんは、今もすらすらと暗唱します。

『たけし日本語学校の心得』
1正直であること
2言い訳はしないこと
3心身共に健康であること
4十分に努力をすること
5最後まで手を抜かないこと
6自分以外の人は全て敬うこと
7常に感謝の心を忘れないこと
8自分の利益の為だけではなく人の為にも動くこと
たけし日本語学校で、日本やベナンの友人らと写るジョゼさん(左)
たけし日本語学校で、日本やベナンの友人らと写るジョゼさん(左)

ジョゼさんが特に好きなのは7番目の「常に感謝の心を忘れないこと」だそうです。

「『日本人は、この価値観を持っている人が多い』と教えられ、感銘を受けました」


ゾマホンさんは「厳しい人」でしたが、生徒の成長を願い、帰国するたびに学校で生徒たちと話し合いの時間を作りました。「私たちは国のために何ができるか」と問われたといいます。そして、毎回のように「人生は甘くないよ」と言い聞かされました。

元タレントで駐日ベナン大使を務めたゾマホン・ルフィンさん=2019年12月19日、東京都新宿区、山本和生撮影
元タレントで駐日ベナン大使を務めたゾマホン・ルフィンさん=2019年12月19日、東京都新宿区、山本和生撮影 出典: 朝日新聞
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自分にできることは何だろう。
日本語を勉強しながら、ジョゼさんは将来を思い描きました。

「僕は日本語を勉強して、新しい考え方ができるようになった。自分のように、日本の考え方をプラスできるベナンの若者が少しでも増えたら、国のためにプラスになるはず」

たけし日本語学校に通いながら、英語学校に通い、土木工事の会社でインターンシップし、故郷の道路整備などの経験も積んだ
たけし日本語学校に通いながら、英語学校に通い、土木工事の会社でインターンシップし、故郷の道路整備などの経験も積んだ

ジョゼさんは、ベナンに日本語と土木を学べる大学を作りたいと考えました。
国造りに必要な技術と、日本の考え方の両方が勉強できる場所。

夢をかなえるための期限も決めました。

大学を作るには、博士にならなければいけない。博士になるには、誰も成し遂げたことのないことをしなければいけない。

研究テーマも決まっていました。まだベナンには多くの村に道路が舗装されていません。でも、地方では政府の事業が来るのをただ待つしかない。「もし、大量に捨てられているパームヤシを道路の建材にできたら、住民の力だけでも道路を作れるようになるんじゃないか」。自分たちの手で現状を変えることができると思いました。


大学に通いながら4年間、たけし日本語学校で学んだことも実を結び、ジョゼさんは狭き門の「国費留学生」に合格。2019年4月、憧れの日本に到着しました。

たけし日本語学校に掲げられた「心得」
たけし日本語学校に掲げられた「心得」

「ちゃんと」ができる理由は

留学先の佐賀大学では地盤工学を専攻しました。
「地盤がよくないと、どんなに良いものを建てても、崩れてしまう。地盤が大切なんです」

佐賀を選んだのは、やわらかい有明粘土が多い佐賀の地質で、軟弱地盤に耐えられる技術を研究したいと考えたこと。そして何より、ベナンから相談したとき、ほかのどの大学よりも、よく面倒見てくれたのが佐賀大学の教員だったからと言います。


佐賀に降り立って、まず感動した「まっすぐな道路」。


日本で学び始めて、「まっすぐな道路」の理由が少しずつ見えてきた気がします。
決められた通りにちゃんとやる。約束の時間は守る。書かれた通りにこなす。

「何より、日本人は自分の利益だけじゃなく、『今から使う人』のことを考えて物を作る。みんな『ちゃんと』それができる。それは、日本の教育のおかげだと思いました」

でも、その「ちゃんと」を、どんな教育で子どもたちに伝えているのだろうか? ジョゼさんの探求は続いています。

「ゆがみのない道や、丈夫な建物を見ると、日本人が『今から使う人のことを考えている』ことが見える。そこが好き」とジョゼさん
「ゆがみのない道や、丈夫な建物を見ると、日本人が『今から使う人のことを考えている』ことが見える。そこが好き」とジョゼさん

「それは『社交辞令』だよ」

私は日本に留学したジョゼさんに、どうしても聞きたいことがありました。
「たけし日本語学校の心得」で憧れた日本。実際の日本は、ジョゼさんの目にどう映りましたか?

ジョゼさんは少し困ったように笑って、言葉を選びながら、こう答えました。

「8つの『心得』をすべて身に着けている人は、日本人でも少ないのかな、と感じます」


憧れが大きかった分、最初のうちは、ベナンとは違う文化にショックも受けました。

ベナンから持ってきた食材も使って自炊するジョゼさん。インタビューした日の夕食は、キャッサバの粉を煮た「ガリバ」とヌドゥドゥ(スープカレー)
ベナンから持ってきた食材も使って自炊するジョゼさん。インタビューした日の夕食は、キャッサバの粉を煮た「ガリバ」とヌドゥドゥ(スープカレー)

例えば、道端でこの間知り合って、とても仲良くなった人と再会したとき。
ジョゼさんが親しげに声をかけると、相手はよそよそしい態度になっていました。
「あれ? この前はとても優しかったのに。なんでだろう」

周りの日本人に理由を聞いてみました。

「日本人は、アフリカ人のように目が良くないから、遠くから声をかけられて気づかなかっただけじゃない?」という人もいました。

「日本人はシャイだし、外で声をかけられて、どんな話をしたら良いかわからないのかも」という人もいました。

でも、ジョゼさんが驚いたのはこの答えでした。
「それはきっと、『社交辞令』だよ」

初めて聞く文化でした。コミュニケーションを円滑にするために、思っていることとは違うことを伝える……。ベナンでは、思ったことは直接言うものでした。「文化の違いってすごい」

佐賀大学でポスターを使ってプレゼンをしたジョゼさん=2019年11月
佐賀大学でポスターを使ってプレゼンをしたジョゼさん=2019年11月

一時は、疑心暗鬼になり、日本にいるさみしさを感じました。
「もし僕が下手だと思っても『上手ですね』って言うんだろうか。それじゃ成長できないんだから、本当のことを言ってくれればいいのに」


でも、そんなカルチャーショックも、ジョゼさんにとっては、大きな夢への一つのステップに過ぎませんでした。日本の考え方を、自分にプラスして、新しい考え方ができるようになりたいーー。

「相手の文化と常識が分からないと、相手の気持ちは理解できないですから」


自分の行動も思い返してみました。「ぼくだって、自分にとっての普通だと思っている行動で、日本人には許せないと思うことをしてしまっているかもしれないですよね」


例えば、服。ジョゼさんはよくベナンから持ってきた服を着ていきます。
ベナンでは伝統の柄。一つ一つの柄に意味があります。「でも、日本で見たらチャラい人、怖い人と思われているかもしれない」


相手がなぜそういう行動をしたのか、背景にある「文化の違い」を理解しようとすると、だんだんと、気持ちが見えるようになってきたと言います。

「今は、『空気』を読んで、相手の思いを考えて行動するようにしています」

ベナンの文化を紹介するジョゼさん。「ベナン人は自然に踊ることができるようになる。日本人にとっての『空気を読む』みたいなものかも」=2019年11月
ベナンの文化を紹介するジョゼさん。「ベナン人は自然に踊ることができるようになる。日本人にとっての『空気を読む』みたいなものかも」=2019年11月

それでも日本が好き?

まだあまり外国人が多くない地方では、ジョゼさんの存在は、目立ちます。残念ながら、「外国人が好きじゃないのかもしれない」とジョゼさんに思わせてしまう行動をする人もいたと言います。

でも、そんなジョゼさんを、家族同様に受け入れてくれた人にも出会いました。

日本語の教師としてベナンにいたことがある大島清美さん。市役所の手続きや、生活に必要なものの調達まで、手伝ってくれました。季節の変わり目には「体調に気を付けてね」と連絡をくれます。「お母さんみたいな存在です」

大島さん一家に招かれて、一緒にご飯を食べた
大島さん一家に招かれて、一緒にご飯を食べた


「お父さんもいますよ」
佐賀県鳥栖市で、太陽光発電事業を手がける川口信弘社長。ベナンで出会いました。まだ電気がない地域に、ソーラーパネルを設置する川口さんの工事を手伝ったのが縁でした。

他にも、大晦日に自宅に招いて、年越しそばや正月料理をふるまってくれた人もいました。

「日本にはすごい人がいっぱいいます」

もしかしたら、ジョゼさんの憧れの「日本像」を崩してしまったのかもしれない。そう不安に思っていた記者の思いを、ジョゼさんは全力で否定しました。


「日本が好きです。最初は、ビギナーだからさみしくなっちゃったけど、今は大丈夫」

アフリカ開発会議(TICAD)で(左から)ジョゼさんが「おかあさん」と慕う大島さんと、「おとうさん」と慕う川口さん。右奥にいるのは、ゾマホンさん=2019年8月、横浜
アフリカ開発会議(TICAD)で(左から)ジョゼさんが「おかあさん」と慕う大島さんと、「おとうさん」と慕う川口さん。右奥にいるのは、ゾマホンさん=2019年8月、横浜

「夢」の先

「発展できた国」「ちゃんとできる国」、日本の理由が知りたい。

日本人と接しながら、町の景色を見ながら、ジョゼさんは日々、理由を考えています。

もしかしたら、ジョゼさんが憧れる「ちゃんとした日本」と、ちょっと居心地の悪さを感じる「社交辞令」の文化は、裏表にあるのかもしれませんね。

私がふとそう言うと、ジョゼさんは「それもあるかもしれないですね」と笑ってくれました。

夢に向かって日々、小さな一歩を重ねながら、近づいているジョゼさん。

「でも、僕は目標である、ベナンに大学を建てたところから、すべて始まると思っているんです」

熱気球の大会、佐賀インターナショナルバルーンフェスティバルを見に行ったジョゼさん=2019年11月
熱気球の大会、佐賀インターナショナルバルーンフェスティバルを見に行ったジョゼさん=2019年11月

じゃあ、その夢の先は?

「日本人みたいな、ベナン人を育てることかな。ちゃんとできる人が増えたら、国は発展しますから」

ジョゼさんが好きな、他人を思いやって「ちゃんと」行動できる日本の考え方を、明るくおもてなしが得意なベナンの人が兼ね備えたら……「最強ですよね」と私も相づちしました。

予定では来年、修士課程を卒業します。その後、試験に合格してさらに3年間、佐賀大学の博士課程で学びたいと考えています。

 

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