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連載

#6 WEB編集者の教科書

「写真で埋める」発想の弊害 「フォトエディター」が守るもの

海外メディアでは一般的なこの仕事の「意義」

ハフポスト日本版ビデオプロデューサーの坪池順さん=吉田一之撮影
ハフポスト日本版ビデオプロデューサーの坪池順さん=吉田一之撮影

目次

WEB編集者の教科書
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情報発信の場が紙からデジタルに移り、「編集者」という仕事も多種多様になっています。新聞社や雑誌社、時にテレビもウェブでテキストによる情報発信をしており、ウェブ発の人気媒体も多数あります。また、プラットフォームやEC企業がオリジナルコンテンツを制作するのも一般的になりました。

情報が読者に届くまでの流れの中、どこに編集者がいて、どんな仕事をしているのでしょうか。withnewsではYahoo!ニュース・ノオトとの合同企画『WEB編集者の教科書』作成プロジェクトをスタート。第6回は「写真を編集する」プロである「フォトエディター」という仕事の役割と意義を、ハフポストの坪池順さんに説明してもらいました。(朝日新聞デジタル・朽木誠一郎)

坪池順さんが考える「フォトエディターの役割」
・記事の写真選定。ときには企画案段階から必要な写真を想定してドラフト作成に関与。
・文章と写真が相互に高め合うように写真を「編集」する。
・使用する写真が他者の権利や尊厳を侵害していないかチェックする。

「写真は後から入れます」のもったいなさ

メディアに関わる人でも、「フォトエディター」という職業名は聞き慣れないかもしれません。フォトエディターとは読んで字のごとく「写真の編集を仕事にする」編集者。しかし、その役割はレタッチのような画像加工など、イメージしやすいものばかりではないと言います。

「文章の編集者と、することは同じだと思います。記事の出稿前、あるいは企画段階で相談をいただければ、『この記事にはどんな写真が必要か』を検討します。『この写真はGetty ImagesやReutersなど契約をしている通信社にある』『この取材には独自の視点があるから自分たちで撮影にいきましょう』と。撮影をする場合は、文章の編集者がライターをアサインするように、フォトエディターが把握している外部のフォトグラファーの特性に基づき、媒体のビジョンや記事のトンマナに合わせてアサインします」

「記事の内容や予算、締切などの条件に応じて、この記事を最高の形で出すにはどんな写真があればいいのか」を考えるのがフォトエディター、と坪池さん。海外メディアでは一般的な仕事ですが、日本ではあまり知られていません。坪池さんとの議論の中では、新聞社だと『写真部のデスク』、雑誌社なら『誌面レイアウトをデザインする編集者』が近い、ということになりました。

もちろん「撮影後のレタッチ」といった業務もないわけではありません。しかしそれは、文章でたとえるなら記事を作成した後で言葉のまちがいや事実誤認を修正する校正・校閲のようなもの。それ以前に、記事作成の上流工程において、写真という記事の要素に対して編集を加えるのがフォトエディターであると言えます。
ハフポスト日本版の編集部内で取材に応じたビデオプロデューサーの坪池さん。前職のバズフィードジャパンではフォトエディターとして記事の写真の編集やリーガルチェックをおこなっていた=吉田一之撮影
ハフポスト日本版の編集部内で取材に応じたビデオプロデューサーの坪池さん。前職のバズフィードジャパンではフォトエディターとして記事の写真の編集やリーガルチェックをおこなっていた=吉田一之撮影
一方、ウェブのライターや編集者は「写真で埋める」という発想を持ちがちです。「ウェブでは長い記事は読まれない(離脱されてしまう)」ということが定説になる中で、「読者を飽きさせないためにたくさん写真を使おう」が転じて「とにかく写真を入れなくては」になってしまう、というのは、ウェブの記事を制作したことがあれば、思い当たるのではないでしょうか。結果、ウェブメディアには「挿絵としての意図しかない写真」が溢れてしまう、と坪池さん。

離脱防止という写真の効果はたしかにあるとし、また、「書いては出す」サイクルを速く回さなければいけないウェブメディアの事情も理解しながら、坪池さんは「でも、記事を書く前に相談に乗るフォトエディターがいれば、避けられること」だと指摘します。

「『写真を撮影する』という行為は取材であり、『どのような写真を使用するのか』はライティングと同様、筆者のメッセージが強く込められるポイントです。文脈に沿った写真の選定もフォトエディターにとって大事な仕事ですが、現場でよくあるのは、記事を書いた後で『写真は後から入れます』『先にテキストを見てください』と編集者に依頼するコミュニケーションではないでしょうか。写真ではもしかしたら文章では伝えられないことが伝えられるかもしれないのに、もったいないと感じます」

坪池さんはウェブの記事を読むときに、「一旦テキストは読まずに記事の上から下まで写真だけを見る」ことがあるそうです。そうすると「『写真だけでも筆者の訴えたいことが伝わる記事』と、『ただ同じ人がポーズや画角を変えて写り続けている記事』『やたらとイメージ写真ばかりが並べられている記事』に分かれる」(坪池さん)とのこと。テキスト中心に思考してしまうメディア関係者には、身につまされる話です。

「攻め」と「守り」のフォトエディティング

「写真で埋める」ではなく「写真で伝える」――当たり前のことですが、慌ただしいウェブメディアの現場ではしばしばこのことが忘れられてしまいます。このように、伝えるべきことを伝えるための「攻め」のフォトエディティングがまず業務としてあることに加え、重要な「守り」のフォトエディティングもあると坪池さんは説明します。ここで守るべき対象というのは、写真にまつわる諸種の権利や尊厳のことです。

「特にウェブでは簡単にダウンロードやスクショができてしまうために軽く考えられがちですが、写真というのは知的財産です。撮影したのが報道機関であれ個人であれ、それを利用する場合にはルールを遵守しているか、許諾はもらえているのかなどをしっかりチェックしなければならない。Getty ImagesやReutersなど契約をしている通信社も写真によって使用制限はあるし、SNSの埋め込みの規約もプラットフォームごとに違う部分が見られ、また著作物の法律は国によって異なります」

加えて写真の場合には、いわゆる肖像権やプライバシー権など、写った人の権利や尊厳もあります。「この写り込みはOKか、NGか」といったことで頭を悩ませたことがある人もいるはずです。頭を悩ませたならまだいい方で、「気を抜くと意図せず他者の権利を侵害してしまうことがある」(坪池さん)からこそ、フォトエディターのように専門知識を持ち、チェックすることができる職業が必要だと言えるでしょう。

フォトエディターがいないと何が起きるのか。坪池さんはウェブメディアに散見される「ボカシ」処理を例に挙げます。前述したように「撮影は取材」であるという意識が浸透していないと、安易に「念のためボカシておこう」という発想になってしまうというのです。
文章を書く人と写真を撮る人の間に生じてしまう意識の差を、やさしく丁寧に説明してくれる坪池さん。「専門的にチェックする立場は独裁者のようになりがち」と自戒しているという=吉田一之撮影
文章を書く人と写真を撮る人の間に生じてしまう意識の差を、やさしく丁寧に説明してくれる坪池さん。「専門的にチェックする立場は独裁者のようになりがち」と自戒しているという=吉田一之撮影
「フォトグラファーは視界に入ったものを撮る。それ自体は紛れもなくファクト(事実)ですが、どこからどこまでをビューファインダーに収めてシャッターを切るか、というのは、撮影者の主観により決まることでもある。だからこそ、フォトグラファーは『何を、どう撮ったか』を評価される。それを後からボカシ処理するというのは、ある意味では隠蔽でもあります。もちろん他者の権利を守るためにボカシが必要な場合はあるのですが、非常に重い判断です」

フォトエディターが守っているのは、こうした写真の「倫理」。それを踏まえてケースバイケースの判断、さらには「フェアユース」のように、難しい判断を迫られることになります。細かくさまざまな制約がある中で、坪池さんが一貫して注意しているのは「イヤなヤツにならないこと」だそう。

「これはまず、他者の権利を侵害しないという意味です。特にウェブでは、一度掲載した写真を完全に削除することはできません。どこかにアーカイブされたりキャッシュになったり転載されたりして、ずっとネットの海を漂い続ける。それだけに、写真によって不幸になる人を出さないというのは、まず徹底しなければいけないことです」

また、それをメディアとして防止するために「組織内でも、相談しやすくい存在であろうと努力している」そうです。「不幸なのは、『文章と写真どちらも必要だから相互に高め合う』ではなくて、『それぞれのパーツを埋めるためにそれぞれが書いている/撮っている』ような状況」(坪池さん)。文章を書く側と写真を撮る側にいつの間にか生まれてしまった壁のようなものを、乗り越えていきたいと言います。

問題意識を持って写真を見ること

世界中で広がるBlack Lives Matterデモ。6月14日、東京でも3500人(主催団体発表)の参加者が行進した。坪池さんは現地で取材し、その様子を撮影した。
世界中で広がるBlack Lives Matterデモ。6月14日、東京でも3500人(主催団体発表)の参加者が行進した。坪池さんは現地で取材し、その様子を撮影した。 出典:Jun Tsuboike / HuffPost Japan
坪池さんはフォトエディターという職業が一般的なアメリカ出身。大学時代はボストン大学でジャーナリズムを専攻していました。その必須科目である「ビジュアルジャーナリズム」では地元の有力紙のフォトグラファーが講師として授業を受け持っており、そこで写真や映像の撮り方を学んだことで「沼にハマった」と話します。

「正直、文章には苦手意識があるんです。『これが本当に自分の言いたいことなのか』と自信がなくなってしまうから。その分、写真や映像が性に合ったのかもしれません。2013年の春に、ちょうどボストンマラソン爆弾テロ事件があって、僕の課題はすべてそれにまつわるものになりました。事実を確認して、受け止め、その傷を癒やしていくプロセスを写真や映像で収めていく――すごく大事な営みだと思いました。これをやろう、と」

大学4年生の頃からフリーランスのフォトグラファーとして活動。卒業後は中国に行ってドキュメンタリーを撮影したり、米公共ラジオ局(NPR)のウェブメディアでフォトエディティングのインターンをしたりしていたそうです。写真に関わる職業は、世界的にフリーランスが多く、メディアが雇用する枠が少ない中、2015年の冬に坪池さんはネット検索である求人を発見します。それが立ち上げの準備をしていた『バズフィードジャパン』のフォトエディター職でした。

「話を聞いてみたいと連絡したら、アメリカのバズフィード本社の人と電話で話すことになって。でも、話し始めてみたらほとんど面接でした(笑)。日本で一般的な職業ではないことは知っていましたが、僕はフォトエディターという仕事の役割を強く信じています。だからこそ、新しい組織で正しく立ち上げたい、この文化を伝え、広めていくことはまたとない機会だと思った。日本に住んでみたいと思っていたのもあって、渡日を決めました」
「『フォトエディター』という文化を日本で正しく立ち上げ、広めたい」という思いで渡日。日本での生活は今年で5年目になる=吉田一之撮影
「『フォトエディター』という文化を日本で正しく立ち上げ、広めたい」という思いで渡日。日本での生活は今年で5年目になる=吉田一之撮影

坪池順さんの教え
・写真撮影は「取材」そのもの。写真は「埋める」ではなく「伝える」ために使用する。
・写真の使用にはさまざまなルールがあるが、一番は「イヤなヤツにならないこと」を念頭に。
・実務経験を積み重ねられるところで修行する。問題意識を持って写真を見ることも重要。

坪池さんは2016年1月からバズフィードジャパンでフォトエディターとして勤務、2018年5月からはハフポストでビデオプロデューサーに就任し、日本で写真や映像に関わる仕事を続けています。日本でこのような仕事をするためには、どのようなアプローチがあるのか、うかがってみました。

「日本であれば、現場で経験を積むのが早いと思います。現在、日本でフォトエディター職に就いている人は、新聞社や雑誌社で報道カメラマンをやっていた人だったり、誌面のレイアウトをデザインしていた人だったり。写真をどう撮るか、見せるかといったことに関わる現場経験があると、フォトエディター業務に必要なことが身につきます」

もう一つ、坪池さんがアドバイスをするのが「問題意識を持って写真を見ること」。海外にはフォトエディティングのアワードがあり、どんな観点で写真が撮影され、編集されているのかの視点を養うこともできると言います。「例えば、『悲劇的』と評される写真は世界的に有色人種が被写体になることが多いことが問題視されています。そうした批評的な見方で写真に向き合うことが、フォトエディターとしての第一歩になるはずです」

現在は映像を主な業務にする坪池さん。自身の原点は「ジャーナリズム」だと言います。「たまたまビジュアル(写真・映像)が自分に合った“言語”だった。ジャーナリズムは『歴史の初稿』と言われますが、やはり記憶にビジュアルが残すインパクトというのは大きいものです。そんな、テキストにないかもしれない力を引き出したいです」
 

さまざまなジャンルのメディアや会社で活躍する、WEB編集者へのインタビューを通して、WEBメディアをとりまく環境を整理し、現代の“WEB編集者像”やキャリアの可能性を探ります。Yahoo!ニュース、ノオトとの合同企画です。水曜日に配信します。

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