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連載

#3 #ウイルス残酷物語

志村けんと「100日後に死ぬワニ」、社会が学べなかった喪失のリアル

2つの「死」から、私たちがくみ取れなかったもの

亡くなった志村さんの自宅玄関前には「ありがとうございました」とメッセージが添えられた花束も供えられていた=2020年3月30日、東京都三鷹市
亡くなった志村さんの自宅玄関前には「ありがとうございました」とメッセージが添えられた花束も供えられていた=2020年3月30日、東京都三鷹市 出典: 朝日新聞

目次

新型コロナウイルスが、人々の命を奪っています。中でも注目を集めたのが、コメディアン・志村けんさんの感染死です。入院からわずか数日後に急逝し、伝染を防ぐため、親族すら亡骸(なきがら)に触れることが許されない。過酷な状況が報じられ、肺炎の恐ろしさが世に知れ渡りました。一方、その少し前、ワニの生涯を描いたウェブ上の人気漫画「100日後に死ぬワニ」が完結。民俗学者・畑中章宏さんは、これら次元の異なる「死」について「病苦がもたらす痛みを実感するきっかけになりえたのに、十分生かせていない」と振り返ります。2つの喪失体験から、私たちが学び取れなかったものとは、何だったのでしょうか?

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疫病は「目に見えない災害」

流行病、疫病も災害の一種である。しかし、河川の氾濫(はんらん)や火山噴火、大津波が目に見える災害だとすれば、新型コロナウイルスによる感染症は「見えない災害」だと言ってもよいのではないか。

コロナ禍が〝厄介〟なのは、ウイルスがどこにあるか、無症状の感染者が誰なのかがわからないところである。

歴史的に多くの人々を苦しめてきた天然痘や麻疹(はしか)は、発疹などの症状があるものの、感染者が目に見えない。それが差別を生みもしたが、ウイルス禍では疑心暗鬼ばかりを溢(あふ)れさせている。

さらに現在進行中のウイルス禍では、入院した患者や、亡くなった方の遺体も視線から遠ざけられた。ウイルスだけでなく、社会が疫病の実態から目を背けさせようとしたのではないか。今回はこうした状況について所見を述べてみたい。

病の恐怖伝えた、志村けんさんの突然死

日本に暮らす人々は、散発的なクラスターの発生が報じられても、新型コロナウイルスによる感染症を身近に感じてはいなかった。そんな感覚が覆ったのは、今年3月29日にコメディアンの志村けんさんが、新型コロナウイルスによる感染症で急逝してからであろう。

志村さんがコロナウイルスに感染していることが報じられたのは、3月25日のことだ。大手スポーツ紙3社が「コロナ陽性疑い 肺炎入院」「一時は重症 都内病院に入院中」「緊急入院 コロナ疑い せきと発熱」などの見出しで伝えた。

更に同じ日の夕方、所属事務所が「症状発症日の3月17日から入院した20日までの間、本人は自宅で静養をしており、接触のあった人物も限られており濃厚接触者の特定も完了、対象者は自宅待機中」という内容のファックスを報道各社に送った。

【関連リンク】「志村けん入院 新型コロナウイルス感染か」スポーツ紙3紙が報道:HUFFPOST

一部メディアはその後、志村さんが3月24日、人工心肺装置をつけるため、緊急入院先から別の病院に転院したことなども明らかにしている。

数年前に肺炎を患い、胃のポリープを切除する手術を受けたばかりの70歳の志村さんの容態を、多くの人々が心配していた。しかし、報道からほんの数日後に死去したのである。

そしてその死によって、ウイルス禍が、初めて「日本人の茶の間に届いた」と言っても過言ではないのだろう。

新型コロナウイルスに感染し、70歳で亡くなった志村けんさん。
新型コロナウイルスに感染し、70歳で亡くなった志村けんさん。 出典: 朝日新聞

有名人たちが伝えたウイルスの残酷さ

「ザ・ドリフターズ」の一員として1970年代にデビューして以来、多くの日本人に愛されてきたお笑い界の大御所が、感染・入院の報道から間もなく他界した。このことにより、新型肺炎の恐ろしさが多くの人々に共有された。

志村さんの死がもたらした衝撃は、それだけではない。転院後は、事務所のスタッフはもちろん、親族ですら本人に近づき、話すことはできなかったことがわかったのだ。

実兄・知之さんは、志村さんの死に目にあえずお骨上げの場にも立ち会えなかったと語り、届けられたお骨を玄関先で抱く姿が報道されたのである。

4月23日に亡くなった女優・岡江久美子さんの場合も同様だったが、そもそも入院していたことすら報道されていなかった。

夫である大和田獏さんと娘の美帆さんは、感染症防止対策の観点から病院での面会が制限され、岡江さんの死を看取(みと)ることができず、透過性の納体袋に収まれた遺体と対面したという。そして火葬された後、岡江さんはようやく家族が待つ自宅へと帰ったのだった。

新型コロナウイルスによる死別では、臨終に立ち会えないどころか、入院後には触れること話すことができないままこともあるのだ。

今回のウイルス禍では遺体が見えないだけではなく、一部の有名人がSNS上で発信している以外は、入院中の映像が報道されることも稀(まれ)である。

新型コロナウイルスの感染者の姿は、どの局面でも忌避されているのだ。

自宅前で報道陣の取材に対応する、志村けんさんの兄・知之さん(奥)。
自宅前で報道陣の取材に対応する、志村けんさんの兄・知之さん(奥)。 出典: 朝日新聞

100日後、本当に死んだワニ

志村けんさんが世を去る9日前、1頭(1人?)のワニの死が物議を醸した。漫画家・きくちゆうきさんによる「100日後に死ぬワニ」をめぐる騒動である。

この作品は、あるワニが死ぬまでの100日間をカウントダウン形式で描く4コマ漫画である。2019年12月12日から公開が開始され、2020年3月20日まで毎日午後7時に作者自身のTwitterアカウントで更新され続けた。フォロワーは150万人を突破し、1投稿で200万を超える「いいね」を獲得したこともあったという。

主人公のワニは、先輩のワニや親友であるネズミたちと、100日後に死を迎えるとはつゆ知らず、淡々とした毎日を過ごす。読者はその姿と自分たちの日常を重ね合わせて、共感を寄せたのだろう。

100日目(100話目)の今年3月20日にはTwitterのトレンドで世界1位になるなど、ワニへの注目は頂点に達した(なお最終日の第100話は午後7時20分に更新され、4コマではなく13コマだった)。

しかし、最終回を迎えた直後に、有名ミュージシャンによるオマージュ楽曲が発表され、さらに連載の単行本化、映画化、展覧会の開催など、さまざまなメディア戦略が相次いで公になったのである。

よもやの展開に、SNS上は強烈な違和感で溢れ返った。更に連載企画そのものに、大手広告代理店・電通が関わっていたのではないかという憶測さえ呼んだ。

人気漫画「100日後に死ぬワニ」では、主人公のワニが生涯を閉じるまでの日々が描かれた(画像はイメージ)
人気漫画「100日後に死ぬワニ」では、主人公のワニが生涯を閉じるまでの日々が描かれた(画像はイメージ) 出典: PIXTA

世間にあふれる「死」とワニを隔てた断絶

この漫画のTwitterにおける連載が始まった、昨年12月半ば頃、新型コロナウイルスによる感染症は中国武漢にとどまっていた。しかし、年をまたいで日本に上陸すると、各地でいくつかのクラスターを発生させながら広がりを見せた。

厚生労働省の発表によると、連載終了日の今年3月20日、新型コロナウイルスの感染者は950例、国内の死亡者は33人に達していた。

世間に多くの「死」が溢れ、その問題に近接するようなテーマを扱っていたにもかかわらず、ワニの命運は多くの読者には他人事だったのではないか。そして、読者の間で広がった違和感は、ワニの喪失体験と落ち着いて向き合うことを難しくさせてしまった。

マスク姿で通勤する人たち=2020年6月1日午前8時32分、東京都中央区、西畑志朗撮影
マスク姿で通勤する人たち=2020年6月1日午前8時32分、東京都中央区、西畑志朗撮影 出典: 朝日新聞

2つの喪失体験からくみとれなかったもの

ワニの死はもはや忘れられようとしている。あるいは記憶から消し去られようとしている。「100日後に死ぬワニ」を描いたきくちゆうきさんは、連載がまだ前半だった時期に行われたインタビューで次のように言っていた。

「いつか死ぬ」生きているということはいつか死ぬということ。自分の「終わり」や周りの人の「終わり」それを意識すると、行動や生き方がより良い方向にいくのではないか。ワニを通してそれらを考えるきっかけにでもなればいいなと思っています。
SNSで反響呼ぶ『100日後に死ぬワニ』作者の素顔…「ラストは決まってる」(「ORICON NEWS」2020年1月16日より)

ウイルス禍の渦中におけるワニの死は、展開によっては、ある種の問題提起を発することもあり得たはずだ。

漫画完結の5日後に志村さんの入院が発表され、更に数日後、死が報道される。人々は有名人の死により、初めて新型肺炎の恐ろしさを実感した。しかし闘病している様子も見えないまま亡くなったため、痛みと苦しみの共有にまでは至らなかったのではないか。

2つの喪失体験を経た今でも、ウイルスによる病苦と死がもたらす痛みは、多くの人々にとって、まだ実感が乏しいままなのかもしれない。

【連載「#ウイルス残酷物語」】
私たちの生活に大きな打撃を与えた、新型コロナウイルス。強い感染力で人々を恐怖させるとともに、「予言獣」の流行など、新しい文化も生み出しています。こうした社会現象には、現代を生きる人々にとって、一体どのような意味があるのでしょうか。民俗学者・畑中章宏さんが、日々浮かんでは消える新語を手がかりに、読み解いてもらいます。不定期配信。

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