IT・科学
コロナで気づいた「大学生の違和感」画面越しで卒論?「ぞっとする」
考え直した「就職先」、オンライン新歓「30秒の沈黙」
新型コロナウイルスによって突然、始まったリモート生活は、勉強やサークルに打ち込む大学生の日常も変えてしまった。大学生活2年目という、「コロナ前」の生活を知っている大学2年生は、トラブルに右往左往する教授の意外な素顔を発見し、オンラインでの「新歓」に違和感を持ちながら、日々を過ごすことに。「リア充」とはかけ離れた女子大生の日常から、コロナで気づいた「違和感」について考える。(関ゆみん)
私は、芸人たかまつななさんの主宰する笑下村塾で学生記者として活動している。
大学生活2年目。去年よりリア充な大学生活を送りたいと意気込んでいた矢先の自粛要請、オンライン授業。家からほとんど出ず、一日中パジャマで過ごすという、想像もつかなかった大学生活が始まった。私の大学では、5月の初旬からオンライン授業が始まった。オンライン授業は、やはり教授にとってはやりにくいらしい。
基本、大人数の授業では学生たちは自分の顔を映すビデオやマイクはオフにしているため、面白いことを言ってみても、反応がなく、ウケているのかわかりにくいので、寂しそうな顔をしている教授たちを何度も見た。
進めにくさに耐えかねた教授が、学生たちのビデオを賛成するか否かについて私たちに意見を求めてきたこともあった。
オンラインだから、と高を括って、寝起きの顔で、化粧もせず、髪もぼさぼさのままパソコンの前に座っていた私は当然焦ったのだが、そんなこと教授に言えやしない。
他のクラスメートたちもなるべくなら顔を映したくなかったらしく、「みんながビデオを付けたらハウリングが起こるかもしれません!」などと頑張って反対したのだが、結局、ビデオは全員がオンにすることに決まり、私は寝起きの顔を約40人にさらすことになった。
他にも、慣れないオンライン授業にはハプニングがつきもので、教授宅に宅配便が届いて授業が中断されたり、トイレの水の流れる音が入ってしまったり。教授が話している後ろで、小さなお子さんが遊んでいるというほほえましい場面もあった。
今までに経験したことのない授業のかたちや教授とのやりとりは、私にとって近づきがたい存在だった教授たちを少し身近な存在に変えてくれた。お互いがこのオンライン授業に不慣れな中で、教授だけでなく、私たちも一緒に授業をつくっているのだという感覚も初めて覚えた。
何より、オンライン授業は、授業開始ギリギリに教室に駆け込むこともないし、不思議なことに睡魔も襲ってこない。最高だ。以前は、「時間がない」なんてよく言っていたこの私が、時間に余裕のある大学生活を送れているなんて奇跡みたいだ。
良いことばかりのように見えるけれど、実は素直に喜んでもいられないな、とも思う。
もし、この状況が大学1年生の去年のことだったとしたら、大学やサークルの友達はまだできていないだろうし、受験生だったら、模試が受けられないという不安、そもそも受験はどうなるのかという不安で頭がいっぱいだったろう。
そして、「もしも、この生活がこれからも続いていくのだとしたら」と考えてみると、いいことばかりも言っていられなくなる。
まず、ゼミや実習はどうなるのだろう。教授が一方的に話す授業と違って、より活発な議論が求められるだろうけれど、オンラインではそれがやりにくい。教授に、その場で気軽に質問できない雰囲気もある。
卒業論文は、ちゃんと書けるのだろうか。大学の図書館が立ち入り禁止になっているため、今でさえレポートの文献探しに戸惑っているのに、この状況で卒業論文を書くなんて、想像するだけでぞっとする。
そもそも、画面越しで終わる授業が「学問」と言えるのだろうか。
教授はいい意味でも悪い意味でも、その学問を究めた「権威」として存在する。読みにくい板書も、ぼそぼそとした話し声も、学ぶ立場である学生が不満を感じながら必死で食らいついていくことで得られる気づきがあったはずだ。
大学のレジャー化と言われて久しいが、オンライン授業は、その流れを一層、強めてしまうのではないかと感じた。
費用(学費)に見合ったサービスだけを求めるなら、資格試験の専門学校と変わらなくなってしまう。「権威」にはね返されながら、少しずつ成長をしていく。そんな泥臭いやりとりを、画面越しのオンライン授業で実現するのは、なかなか難しいのかもしれない。
大学2年生という自分の境遇にほっとしつつも、たまに「これからどうなっちゃうんだろう」と、先の見えない大学生活に少し不安になったりしながら、今日も私はパソコンの前でひとり、授業を受けている。
授業だけでなく、オンライン会議、オンライン飲み会、オンライン面接……最近の1、2カ月で、様々な集まりが「オンライン○○」と化している中で、私はサークルのオンライン新歓(新入生歓迎会)に何度か参加した。
Zoomで、サークルメンバーと新入生が4、5人ずつのグループに分けられて、30分ほどおしゃべりをするのだが、知らない人とオンラインでおしゃべりするのは、直接会って話すときより緊張した。
30秒ほどの気まずい沈黙の後に、やっと話題が見つかって、話が盛り上がってきたと思ったら、時間制限により自動的に打ち切られてしまった。先輩だからと気合を入れて参加したのに、うまくいかない。仲良くなれたかどうかということは、実際に会って話してみない限り判断するのが難しい。
オンラインで親しい友達と話していても、そこまで困ることはなかったので、「お金もかからないし、オンラインでいいじゃーん」なんて言っていた私だけど、直接会って話すということがどれだけ大事なことなのか、オンライン新歓の歯がゆい体験を通して痛いほどわかった。
オンライン授業も、オンライン新歓も、「今だけ」のことではなくて、今後もこれらが当たり前のように行われていくのではないか、と最近は考えている。ちょっと違和感を覚えるこのコミュニケーション方法に、私は慣れていかなければならないのかもしれない。
外出自粛期間中、気になったのは、企業が取り組む従業員の感染対策への姿勢だ。
いち早く、全社員をリモート勤務にしたベンチャー企業がある一方で、ハンコのために出社を余儀なくされるケースもあった。
休業手当を手厚くしたり、リモート勤務に必要な椅子などを補助を整える企業もあれば、内定取り消しや雇い止めに踏み切る会社も現れた。
今までは、漠然と、自分のやりがいや給料の高さを基準に会社選びをしたいと考えていた。友だちとの会話で名前が挙がるのはテレビ局や銀行などの企業が多かった。
それがコロナによって、一緒に働く人を大事にしてくれるのか、というのも大事だと思うようになったのだ。
コロナ禍においても、社員の感染リスクを減らす工夫をし、生活を守るため努力をすることは、給料の額では測れない価値だと感じた。
大学の授業は、夏休みまで全面オンラインで行われることが決まっていて、飲み会も、相変わらずリモートだ。
不便なことが多い生活だが、これまでの価値観を見直すいいきっかけになったのも事実だ。
誰もが想定しない事態だからこそ、臨機応変の対策と決断が必要になる。これからも感染症のリスクはなくならないし、地震などの災害だって起きるかもしれない。
その時、自分や自分が所属する組織は右往左往してしまうだけの存在なのか、主体的に新しい価値観を創っていけるのか。「次の緊急事態」のため、考えるチャンスにしたい。
※誤字を修正しました(2020年6月19日)
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