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ロバート秋山のゾクッとする批評性「冷めた目線」が生む緻密なキャラ
1990年代、複数の芸能事務所がお笑い養成所に力を入れはじめ、テレビで活躍する芸人を輩出していった。その影響から芸人を志す若者は急増。ロバート・秋山竜次も、そんな時代に吉本総合芸能学院(NSC)の門をたたいた一人だ。いわゆるお笑いフリークでなかった秋山は、誰ともかぶらない新しいキャラクターを生み出して早くから頭角を現す。なぜ素地のないところから、一目置かれる存在へと飛躍できたのだろうか。たぐいまれな芸人・秋山竜次の活躍には、変化の激しい時代において「飽きない笑い」を届ける緻密(ちみつ)で冷静な観察眼があった。(ライター・鈴木旭)
今まで数々のキャラクターを生み出してきた秋山だが、いわゆるお笑い好きというタイプではなかったようだ。
福岡県の高校卒業後、役者を目指したこともある父親から「情報がたくさん転がっているところに行け」との言葉を受け、半ば追い出されるように上京(成功者や先駆者を紹介するWEBメディア『日刊 スゴい人!』より)。幼少期に「オシャレな雑貨屋さんをやりたい」という夢はあったようだが、東京に移り住んでからは具体的な目標もなくアルバイト生活をしていた。
そんななか、書店でたまたま手に取ったお笑い情報誌の中で「吉本総合芸能学院(NSC)東京校 生徒募集」の記事を見つける。「これだ!」と感じた秋山は、地元の幼なじみだった馬場裕之を誘い、そろってNSCに入学。同校の卒業公演前にツッコミの山本博が加わり、1998年にお笑いトリオ・ロバートを結成した。
学生時代に近所のおじさんやおばさんのものまねで笑いこそとっていたが、そこまでお笑いの素地はなかった秋山。しかし、だからこそ最初から従来型のコントとは一線を画していた。
2018年10月に放送された『ファミリーヒストリー』(NHK総合)に出演した秋山は、自身の幼少期について「本当にマジで客観的に人を観察してました」「(あの人)今、正直動揺してんだろとか、冷めて見てたりしました」と語っている。この「一歩引いた視線」と「ものまねの再現力」こそ、秋山の特異なスタイルの源泉と言えるだろう。
秋山の個性は早い段階から花開いた。2000年5月には、ブレークが期待される若手芸人を集めた深夜番組『新しい波8』(フジテレビ系・2000年4月~2001年3月終了)に出演。翌年、同番組の選抜メンバーでスタートした新番組『はねるのトびら』(同局・2001年4月~2012年9月終了)でレギュラーの座を射止めた。
共演者は、キングコング、ドランクドラゴン、北陽、インパルス。個性豊かなメンバーの中で、秋山はひときわ目立つ存在として知られることになる。
とくに衝撃的だったのは、なんと言っても「グローバルTPS物語」だろう。サラリーマンの山本(博)が恋人のさおり(北陽・伊藤さおり)の自宅に訪問して両親と対面。さおりが席を外したタイミングで、父親の秋山からマルチ商法の勧誘を受け、人生が狂いはじめるというコントだ。
秋山はマルチ商法を営む「グローバルTPS」の武蔵野支部リーダーという役どころで、娘がいなくなると途端にキャラクターが急変する。
「話戻っちゃうようで、ごめんなさいなんだけど」「ちょっと特別な日になりそうなんだわ」「説明が足らないんだったら、わかるまで説明するしぃ!」「ハンコ押しちゃおうよ~!」など、甲高い声でまくし立てられるキラーフレーズは圧巻だった。それまでにないキャラクターだったのは間違いない。
また、秋山とドランクドラゴン・塚地武雅のコント「MUGA様とおーたむSAN」も強烈なインパクトを残した。ネットアイドルに夢中になるオタク2人のやり取りを演じているのだが、「○○してもうた」「○○してしまうなり」「激しく同意するのだ」「ぬぉ~その詳細キボンヌ!」「○○してくれぬか」といった言葉には、妙なリアルさがあった。
2000年前後は、まさに「マルチ商法」「オタク文化」が一般に蔓延(まんえん)しはじめた時期だ。
2002年12月12日の朝日新聞夕刊は、マルチ商法の深刻化を受け、2000年に訪問販売法が特定商取引法に名称変更され事実上、すべてのマルチまがい商法が規制対象になったことを伝えている。
当時は、ネット接続がアナログ・ISDNからブロードバンドへと変わる局面であり、光通信グループが携帯電話・PHSの普及にあたって代理店を全国展開し、新規の回線契約者に端末を無料で配っていた。一部を除いて携帯電話とネットが結びつくことなど、ほとんどの人間が想像していなかった。
そんななか、マルチ商法の勧誘をしている人間が職場に一人はいたものだ。携帯事業やIT業界に“将来性”と、なんとなくの“うさん臭さ”が漂っていた頃、これに追随するようにいかがわしいビジネスの話をする者が増えていた。
一方で、アニメやゲームに詳しい「オタク」というカテゴリーは、サブカルチャーとは別のくくりで位置づけられており、まだ“特別な人間”という視線が注がれていた時期でもある。先述した秋山のコントには、そうした時代背景や空気感が見事に反映されていたように思う。
秋山の実力は、賞レースでも結果となって現れた。ロバートでは「キングオブコント2011」で優勝。個人では、2012年の『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)で優勝している(2014年5月にも同番組で優勝)。
一方で、2012年9月にレギュラー番組『はねるのトびら』が終了。誰もが認める実力の持ち主でありながら、活躍の場を失ってしまう。しかし、秋山にとってはむしろ好都合だったのかもしれない。『はねる』は、番組の中盤からコントではなく、ゲームやロケ企画が中心になっていった。明らかに秋山の持ち味が薄れていたのだ。
そんな状況を懸念していたのか、この時期に秋山は新たな芸を生み出している。それが、俳優の故・梅宮辰夫をはじめとする「体ものまね」だった。
そもそもこの芸は、お笑いトリオ・ニブンノゴ!の宮地謙典から「(上半身の)体つきといい、色といい、梅宮さんみたいだな」と指摘されたことがきっかけで着想を得た。加えて、ちょうど「あごものまね」をするピン芸人・HEY!たくちゃんが話題になっていたこともあり、ネタ番組やものまね番組で披露するに至っている。
当初は、「大御所っぽい肉つきのいい小太り体形」を連想させる、小沢一郎、島田洋七、グッチ裕三といった著名人の「お面を添えるショー」として封切りしたが、数年を経て「Tシャツをめくり上げると、梅宮辰夫の顔が現れる芸」へと進化していった。単純に見えるが、Tシャツ1枚で「体つき」と「梅宮辰夫の顔」を見せる瞬間芸はなかなかに秀逸だ。
秋山は、さらに梅宮辰夫の口元に穴を開けて“麺をすする”というアイデアもプラスさせた。私は、この芸を単なる「体ものまね」で終わらせなかったところに秋山の執念を感じた。見る者にとっては「バカバカしいと感じる」からこそ奥深いように思う。秋山は、一つの芸を掘り下げる研究熱心な一面も持ち合わせているのだ。
「体ものまね」以降も、秋山の探究心が留まることはなかった。
2015年4月には、秋山がクリエーターに扮して取材を受ける『ロバート秋山のクリエイターズ・ファイル』がスタート。特定の書店で月1回配布されるフリーペーパー「honto+」(2019年12月に休刊。2020年1月から「月刊ザテレビジョン」に移行)の連載記事であると同時に、YouTubeチャンネルで動画配信されたことでも話題となった。
「ラジオパーソナリティー」「書道パフォーマー」「女詐欺師」「スーパーキッズダンサー」など、老若男女問わず秋山は見事に演じ分けている。
役どころも具体的で、パッと見には普通のドキュメンタリーとそん色はない。名前、衣装、話し方の特徴など、細やかな演出によってクセになる世界観が生み出されている。
もう一つ驚くべき特徴が、秋山自身を素材として扱う回があることだ。とくに際立っているのが、今年4月24日に投稿された「極東大満天」の回だった。
秋山は霊山に横たわる“アジアの巨像”をはじめ、世俗を生きる者のワンシーンを切り取ったさまざまな像に扮するのみ。とくに巨像は明らかに遠近法を使った映像だが、その体や顔つきからは美しい大仏を見ているかのような迫力さえ感じる。
基本的に秋山は話したり動いたりしない。霊山を訪れる人々や、巨像を守る清掃員の取材映像によって「いかにすごい像であるか」を強調するつくりになっている。この虚実皮膜(きょじつひまく)の独特なおかしさは、秋山の演出能力の高さを証明しているように思う。
このスタイルを継承しつつ、“テレビ番組あるある”に絞ったフェイクドキュメンタリーが、2017年から年1回のペースで放送されている『ロバート秋山のウソ枠』(日本テレビ系)だ。
今年1月の放送回は、アスリートCMを熱烈指導する架空のスクール「アスリートCMアカデミー」の校長にスポットを当てたものだった。
秋山扮する藤子康男校長は、トップアスリートたちにCMでは「抜き」が大切だと声を上げる。
「声に抑揚をつけない」「表情を変えない」「変に演技をしにいかない」ことがアスリートCMの三大要素であり、これが過去のレジェンドたちの歴史を受け継ぐことだと強調。「続きはWebで!」「トートバッグ当たる」など、CMでありがちな単語の「抜き方」を指導するという、一風変わったパロディーだった。
たしかに昔から、CMに出演するアスリートたちは妙に無表情で抑揚がなかった。心のどこかで違和感を覚えた視聴者はいただろう。しかし、どの芸人もそこをピックアップすることはなかった。こうした“微妙なニュアンス”をすくい上げるセンスが、実に秋山らしい部分だと思う。
お笑いだけでなく、別の分野からも秋山の実力は評価されている。2018年11月に放送された『A-Studio』(TBS系)にロバートが出演した際、司会の笑福亭鶴瓶が今は亡き十八代目中村勘三郎のエピソードを持ちかけた場面で明らかになった。
ロバートがデビュー間もない頃、鶴瓶は勘三郎から「秋山ってなに?」と尋ねられた。鶴瓶も一目置いていた存在ではあったが、続けて勘三郎から「ありゃすごいよ!」と称賛の声が続いたそうだ。当時、実際に秋山もテレビ局で勘三郎と顔を合わせ、同じように褒められたと笑顔を見せていた。
歌舞伎の世界も、「役柄になり切る」という意味では秋山のつくる世界観と共通している。そこに勘三郎は共鳴したのかもしれない。表情のつけ方やしぐさ、キャラクターの言い回しなど、秋山の徹底したこだわりは、もはや職人と言えるのではないだろうか。
秋山の芸は憑依(ひょうい)型であり批評型であることは間違いない。つい笑ってしまうキャラクターであっても、「自分もやっているかもしれない……」と、ハッとさせられるようなところがあったりする。それは、秋山の根底にある「冷めた目線」がキャラクターを形成しているからだろう。
これまでも竹中直人らが出演していた『東京イエローページ』(TBS系・1989年10月~ 1990年9月)など、テレビ番組のクイズコーナーやトークショーを揶揄(やゆ)したシュールなコントはあった。
秋山の作品はその進化版と言えなくもないが、人物描写の精度が異常に高い。それは、『情熱大陸』(前・同局)や『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK総合)といったドキュメンタリー番組が一般に浸透した時代背景もあるかもしれない。
また、大げさな表情は歌舞伎や洋画コメディー、コミカルな動きはギャグ漫画を連想させるが、それだけでは語れない緻密さがある。秋山の場合、キャラクターの言動に妙なリアリティーがあり、どう考えても、今生きている人間からヒントを得ているとしか思えない。だからこそ、アイデアが尽きないのだろう。
どんな世界にも、たまたま天職だった者はいるが、秋山はその典型だろう。キャラクター職人が生み出すコントや映像作品は、余計な固定概念にとらわれず身も骨も捨てるところがないのだ。
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