連載
#4 WEB編集者の教科書
「タケノコ王」発掘したのは求人情報のメディア 地域ネタ発信の意味
その瞬間の出会い、目の前の面白さを大切にした「ジモコロ」の記事づくり
情報発信の場が紙からデジタルに移り、「編集者」という仕事も多種多様になっています。新聞社や出版社、時にテレビもウェブでテキストによる情報発信をしており、ウェブ発の人気媒体も多数あります。また、プラットフォームやEC企業がオリジナルコンテンツを制作するのも一般的になりました。
情報が読者に届くまでの流れの中、どこに編集者がいて、どんな仕事をしているのでしょうか。withnewsではYahoo!ニュース・ノオトとの合同企画『WEB編集者の教科書』作成プロジェクトをスタート。第4回は編集チームHuuuu代表でジモコロ編集長の徳谷柿次郎さんと、アイデムでジモコロ担当を務める藁品優子さんに話を伺います。(取材・文=波多野友子 編集=鬼頭佳代/ノオト)
ジモコロが考える「オウンドメディア」と企業の関係
・企業と編集者はお互いに信頼関係をもち、編集方針には口を出しすぎない。
・PVなどの数字だけでは、オウンドメディアの価値を測らない。
・「オウンドメディアの運営に社会的な意義がある」と社内にも伝え続ける。
どこの地元にもコロがっている魅力的な「場所」「仕事」「小ネタ」など、地元愛を感じさせる話題を発信する「ジモコロ」。地域のニッチかつ愛されるネタを集め、老舗の「オウンドメディア」として大きな存在感を示しています。求人情報を扱う株式会社アイデムが運営する同メディアは、今年5月11日に5周年を迎えました。
「ジモコロ設立当時、ウェブメディアの記事は近場で取材を済ませて完結しているようなものが多かった印象で。足を使って取材をすれば、もっと面白いものがつくれるはずだという確信があったんです。だから、ジモコロを始めた当初の個人的な目標は、東京中心の情報発信に対するカウンターカルチャーをつくることでした」
そう語るのは、立ち上げ当初からジモコロの編集長を務める徳谷柿次郎さん。2015年、おもしろコンテンツを得意とする制作会社「バーグハンバーグバーグ」で働いていた柿次郎さんは、”たまたま代理店の担当者と接点があった”という理由でジモコロ担当者に任命されたそうです。
時代はまさにオウンドメディアの黎明期。特に求人を事業とする企業の多くは、コンテンツマーケティングに可能性を見出すべく試行錯誤を繰り返していました。アイデムの3代目ジモコロ担当・藁品優子さんはジモコロ発足の理由をこう振り返ります。
「弊社はもともと新聞の折込み広告事業から始まった会社です。良くも悪くも真面目で堅実な社風でした。これから10代〜20代の若者に認知を広げていきたいという中で、あえて“アイデムらしさ”を捨てる覚悟で、新しいコンテンツをネット上でつくっていこう、と。社内にはノウハウがまったく蓄積されていなかったこともあり、柿次郎さんらプロフェッショナルにすべてお任せることになりました」
関東・関西を中心に日本各地の求人広告を取り扱うアイデムの事業と呼応する形で、メディアの方向性は「地元に埋もれたユニークな人や物事を掘り起こす」に決まりました。「経費を使って日本各地を旅するのが長年の夢だった」という柿次郎さんの欲望も巻き込みながら始動したジモコロは、目標PVもメディアとしての明確なゴールも設けられないまま「雰囲気で始まった」(柿次郎さん)のです。
さらに、月に一度のネタ会議で編集部が持ってくる企画を、アイデムがボツにすることは基本的にありません。
「月に12本の記事制作という見積もりに対し、独断で18本作って公開するようにしていました。ネタが切れたことは一度もなく、思いついた企画をとにかく作り続けるモチベーションがやばかったです。楽しくてたまらなかったんでしょうね(笑)。今も取材予定ネタが常時大量にストックされている状態なんです」(柿次郎さん)
ハードスケジュールの合間を縫って、取材先で出会ったローカルの人たちと明け方まで呑み明かすなど、うわべだけではない関係を築きながら濃い記事をつくる。そんな編集部の情熱に対し「絶対に私たちが口出ししないほうがいい記事がつくれると思ったんです。それは互いの信頼関係にもとづいたもので、今でも変わりません」と話す藁品さん。
対して柿次郎さんは「アイデムさんはもはやクライアントというか、編集部のやりたいことを支えてくれるパトロンくらいの勢いで本当にありがたいですね……」と感謝の気持ちを伝えます。
そこには、もちろん信頼関係を作るための柿次郎さん側のさまざまな工夫がありました。例えば、毎月の打ち合わせで、「取材中にこんなことがあったんです」「あの取材がきっかけで面白い人とつながり、今度大きなイベントに誘われました」など、取材旅行を通して生まれた出来事や新たな展開など、数字以外も細やかに報告すること。
さらに、ジモコロ編集長として全国各地のイベントへ登壇するほか、音楽イベントやマーケットイベントへジモコロのブースを出店。アイデムの社員さんが、愛知県蒲郡市で開催される「森、道、市場」へ遊びに来てくれたこともあったそう。
「時には自腹を切り、自らの時間を費やして、旅をしながら全国でジモコロの魅力を伝える『編集長』としての活動に心血を注いでいました。信頼関係を作るための工夫は大きくまとめると、メディア以外の場所でもジモコロの活動をしまくるってことなのかもしれません(笑)」(柿次郎さん)
メディアづくりのプロに、企業がリスペクトをもって運営を一任し、編集者側もその期待に応える……。オウンドメディア運営における理想的な関係を、二人のやりとりから垣間見ることができました。
ジモコロのローカル取材は独特です。ときには事前のアポ取りを一切せず、「とりあえず○○県に行ってくるので、何かしらネタを持って帰ってきます」なんてやりとりも少なくありません。この大胆さ、ギャンブル性こそが、ジモコロの重要な持ち味だと柿次郎さんは言います。
「事前に企画を固めすぎると、目の前の面白さを取りこぼすんです。もちろん、突撃してみたら本当にヤバイ人だった……なんてケースもありますが、当たった時の収穫も大きいんです」
例えば、クワガタとタケノコで大稼ぎしてフェラーリを購入した風岡直宏さんの記事。たまたま静岡県にアウトドアレジャーの取材に行った道中で、道路脇に怪しい看板を見つけ、帰りに突撃したのが出会いのきっかけでした。
「許可を取る間もなく、風岡さんが怒涛のトークを始めて(笑)。これは面白いことになるぞ…と思ってレコーダーを回し、記録的に写真を撮りました。話を聞き終わってから『記事にしてもいいですか?』って聞いたら、『もちろん全然いいよ! うれしい!』って。当時、恋人を探していると言っていたので、記事の最後に連絡先を載せたら、反響がとんでもないことになったんです」
記事を目にしたテレビ局から連絡が入り、風岡さんは人気バラエティ番組の準レギュラーに抜擢。一躍、時の人となりました。ジモコロ登場を機に人生が変わったというケースはこれだけではありません。15歳でコーヒー焙煎士になった岩野響さんもその一人です。
「響くんの記事も同じパターンです。たまたま群馬県桐生市に遊びに行っていたときに、地元で活動しているプレイヤーに紹介されて会いに行ったら……『これはおもしろい!』と思っていきなり取材に切り替えました。ただ、記事が話題になったことでコーヒー店のお客さんが増えた、取引先が増えた、というように、本人の人生を変えただけではありません。発達障害を抱える彼やご家族の生き方が書籍化されたことで、同じように苦しんでいる方たちの背中を押すような効果も生まれました」(柿次郎さん)
柿次郎さんがジモコロで実現したいことの一つが、「世の中で可視化されにくい価値観を言語化してアーカイブすること」。ローカルの価値観はとかく都会で生活をする人々には届きにくいものですが、実はそこに大きな宝が眠っていると力説します。
「例えば、農家や漁師さんの話を聞くと、人間にとって普遍的なテーマを感じるんですよね。読んですぐには刺さらないかもしれないけれど、5年後、10年後に誰かの人生を少しだけ変えるような記事をつくりたい。その想いが強い一方で、何十年と積み上げられてきた歴史や文化にズカズカと踏み込んで話を聞き、その価値観を正しく記事にするという行為はとても難しいと感じています」
柿次郎さんのこの発言に、藁品さんは「客観性を保ち続けようする姿勢が大切なのでは?」と返します。
「編集部の仕事を見ていると、『取材対象者に感情移入しすぎていないか?』『読者に感想を押し付けていないか?』を強く意識されているように感じます。例えばジモコロでは、2016年の熊本の震災を多く取材して記事にしてきました。もちろん、悲しいことは悲しいこととして真っ直ぐ向き合いながらも、決して『悲しいでしょう? 一緒に悲しんでくださいね』という編集にはなっていないんです」
ローカル特有の事情も、人の感情も、「わからないことはわからないままにする」(柿次郎さん)。無理に結論づけない記事づくりのスタイルもまた、ジモコロらしさと言えるのかもしれません。
現在ジモコロは、柿次郎さん率いる編集チーム「Huuuu」と古巣「バーグハンバーグバーグ」の2社で運営しています。編集者の人数は合わせて5名。他方、在籍するライターの人数を尋ねると「正直把握していない」との答えが返ってきました。
「執筆したいというライターはたくさんいるんですが、ジモコロで書くのって実はめちゃくちゃ大変なので、なかなか定着しないんです。取材も大変だし、原稿の文字数は多い。デザイン的な演出や間の作り方も重要。あと、多くのライターがぶち当たるのが、勝手につくり出した”ジモコロらしさ”という呪いですかね。例えば、”記事中に小ボケを絶対に挟まないとダメ”みたいな。でも編集サイドからすると、メディアのイメージに寄せたお笑い的な表現よりも、本人が元々持っている個性を生かしてほしいですね」(柿次郎さん)
あたかも自由に、書き手目線でのびのびと執筆しているようにも感じられますが、柿次郎さんは「記事1本1本にしっかり編集を加えている」と否定します。
「確かに一部のライターは、読者に顔を覚えられるほど多くの記事を書いています。一方で、職業ライター以外の人、例えば学生さんなんかに書いてもらうケースも実は多い。有象無象のライターがひしめき合う中で、いかにジモコロの持ち味である読みやすさを担保するのか。そこに対してはすごく労力を使っていますね。例えば、学生やローカルのプレイヤーに執筆をお願いした場合。仮に初稿が完成度30〜50%だとしても、編集によって100%まで引き上げるようにしています」(柿次郎さん)
ライターのスキルを100%まで引き上げたところで、読者の目に留まる訳ではありません。「見知らぬ土地の・見知らぬ人の・見知らぬ価値観」に興味を持ってもらい、読者にクリックを促すための施策もまた編集者の大きな役割でもあります。具体的にどんなことに気を配っているのかと質問してみたところ、「タイトルに地名や店舗名などの固有名詞を極力使わない」というシンプルな答えが返ってきました。
「ローカルメディアでよく見かけますが、“●●県の▲▲職人××さん(72)〜”みたいな記事タイトルをつけてしまうと、その土地に興味がある人しかクリックしないじゃないですか。ジモコロが大事にしているのは、そのネタが誰の地元でも想像できるかどうか。誰にだって地元があるじゃないですか。読者に対する間口を広げるという意味でも、タイトルづけには毎回議論が白熱します」(柿次郎さん)
ロジカルに考えて実践しても、結果に繋がるとは限らないメディア運営。正解が出ないことに根気強く向き合うこともまた編集者の資質と言えそうです。
柿次郎さんに編集者の役割について尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「語弊があるかもしれませんが……。編集者って以前は『社会のはぐれ者』みたいな人間が就く仕事だったのではないか、と思うときがあるんです。もちろん一流大学から大手出版社に就職している優秀な編集者はたくさんいます。いわば編集業でしか生きられないような人もいるというか……」(柿次郎さん)
「最近は、『編集』という仕事があまたある職業の選択肢の一つになっている気がしますね。企業が求めるインハウスエディターの役割は年々広がっていますし、美大卒のアートカルチャーに詳しい人材も周りに増えていて。良くも悪くも編集者じゃないと生きていけない人が減っているかもしれません」(柿次郎さん)
”編集”の仕事を通して触れることのできる価値は、以前に比べ格段に多様化しているようにも感じられます。では改めて、「今の」編集者に求められる役割とはなんなのでしょうか。
「あらゆる境界線を溶かすことなんじゃないかな、と。世の中に散らばっている情報や知恵を、人を集めて編むことにより、狭まってしまった専門性や思い込みを取り払うこと。僕が携わっているローカル領域においては、ことさらに関わっていく領域が広くなっていきます。その結果、『わからない』が増えるんですが、それに立ち向かいながら境界線を溶かしていくことが求められるように思います」(柿次郎さん)
最後に、アイデム側が感じているジモコロの価値について、藁品さんはゆっくりと考えながらこう話してくれました。
「直接売上に繋がるわけではないので、メディアとして存続させる意義については継続的に議論がなされています。ただ、もともと紙媒体を生業にしてきた会社なので、PVという数字の意味を判断できる人間ばかりではないですし、逆に数字だけでジモコロの価値をすべて伝えることもできない。私がアピールしたいのは、やはりネット上でどんな議論を巻き起こし、読んだ人にどんな行動をうながしたのかという事実です。ジモコロは社会的に意義があると信じていますし、それを伝えていくのが自分の役目だと思っています」
ジモコロ・徳谷柿次郎さん、藁品優子さんの教え
・取材する地域では、その瞬間の出会い、目の前の面白さを大切にする。
・ローカルの価値観には、大きな宝が眠っていると信じる。
・見知らぬ土地の見知らぬ文化を、「自分ごと」として読ませる工夫をする。
KPIを設けずにスタートし、5周年を迎えた現在も、あくまで定性的な価値にこだわり続けるジモコロ。誰かの心を動かすために、今日も地元ネタを掘り起こし続けます。
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