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横浜銀蠅のJohnny、37年ぶり復帰 ファンが憧れる等身大のスター

会社員として実績、経営者になっても失わない情熱

横浜銀蠅のJohnnyさん
横浜銀蠅のJohnnyさん 出典: 朝日新聞

目次

1980年代初めに「ツッパリHigh School Rock'n Roll」などで一世を風靡したツッパリ4人組の「横浜銀蠅」。結成40周年を迎えたロックバンドに、オリジナルメンバーのギタリスト、Johnnyさん(62)が37年ぶりに復帰しました。レコード会社の社員として「トイレの神様」などのヒット曲を世に送り出し、現在は社長を務めるJohnnyさんは、「悩んだりする時間ももったいない」と、バンドに打ち込む思いを語ります。(朝日新聞・坂本真子)

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「この3年3カ月が、その後の人生のベースになっているんです」

横浜銀蠅は1979年9月21日にボーカル翔さん、ギターJohnnyさん、ベースTAKUさん、ドラムス嵐さんの4人で結成。翔さんとJohnnyさんは高校の同級生で、嵐さんは翔さんの兄です。翌年9月21日にアルバム「ぶっちぎり」とシングル「横須賀Baby」でメジャーデビュー。正式名は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」でした。

「2年間でシングル1位、アルバム1位、日本武道館満タン」という目標を掲げてデビューし、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」などがヒット。Johnnyさんは端正なルックスと甘い歌声で人気を集め、バレンタインデーには4トントラックいっぱいのチョコレートが届いたという伝説も残されています。日本武道館で3度の公演。シングルとアルバムの1位も実現させ、横浜銀蠅は1983年末の解散まで3年3カ月を駆け抜けました。

1980年代の横浜銀蠅=キングレコード提供
1980年代の横浜銀蠅=キングレコード提供

「デビュー前はそこそこ勉強ができて、努力しなくてもそこそこ楽しい青春を謳歌していました。でもデビューして、夢に向かって突き進むために今までにないほど努力して、1つずつ叶えていったときに、これまで経験したことのない充実感があったんです」

「世の中には勝つ人も負ける人もいて、たとえ結果が出なくても、一生懸命やり切ったからしょうがない、と思えれば次のステップに進める。俺たちは懸命に努力したから、成し遂げたという達成感があったし、生きているという実感がありました。この3年3カ月が、その後の人生のベースになっているんです」

「この3年3カ月が、その後の人生のベースになっているんです」
「この3年3カ月が、その後の人生のベースになっているんです」 出典: 朝日新聞

「病気がなければ音楽とは出会わなかった。人間万事塞翁が馬」

Johnnyさんはもともと野球やサッカーが得意なスポーツ少年でした。しかし、小学5年のとき、溶連菌感染症で約3カ月間入院。病室のベッドでラジオの「全米トップ40」を聴き、キャロル・キングやカーリー・サイモン、ビリー・ジョエルといった洋楽と出会いました。退院後は吉田拓郎さんや泉谷しげるさんの曲を聴き、フォークギターを手にします。

「大病して運動できなかった5年間はすごくつらかったけど、あの病気がなければ音楽とは出会わなかった。人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)は、今も好きな言葉です」

中学2年の頃には、矢沢永吉さん率いる「キャロル」をテレビで見て、「俺もこういうバンドをやりたい!」と夢を抱きます。高校時代に、アルバイトでお金をためて中古のエレキギターを買い、同じクラスの翔さんとバンドを結成。大学進学後に組んだのが「横浜銀蠅」でした。

ソロ活動後キングレコードへ「相当な覚悟を決めて入りました」

横浜銀蠅を解散後、Johnnyさんは20代後半で結婚して父親に。ソロ活動で思うような結果が出なかったこともあり、キングレコードにスタッフとして入社します。

「相当な覚悟を決めて入りました。レコード会社に入って、音楽史に残るアーティストを作るんだ、それを目標に生きるんだ、と自分に言い聞かせて」

そして、ディレクターとして、中山美穂さんやAKB48の制作に関わったJohnnyさん。2010年には植村花菜さんの「トイレの神様」を大ヒットさせました。

「トイレの神様」を熱唱する植村花菜さん
「トイレの神様」を熱唱する植村花菜さん 出典: 朝日新聞

そんなJohnnyさんが音楽制作で最も大切にしていることは、ずっと一貫しています。

「どんなに有名なプロデューサーやアーティストに会っても、『僕はこういうものが作りたい』『こういう音楽が好きです』と自分が思うことを言う。それだけは銀蠅の時から変わりません」

「銀蠅はデビュー前に40回ぐらいオーディションを受けて、そのたびに『君たち面白いけど、今の時代じゃないよね』と言われて落ち続けた。でも、やっていることは変わらなかったし、デビューしたら2発目でドーンと行っちゃった。『今の時代』に合わせて音楽を変えていたら、その後の銀蠅はなかったと思うんです。だから、好き嫌いははっきり言わないと」

「『今の時代』に合わせて音楽を変えていたら、その後の銀蠅はなかったと思うんです。だから、好き嫌いははっきり言わないと」
「『今の時代』に合わせて音楽を変えていたら、その後の銀蠅はなかったと思うんです。だから、好き嫌いははっきり言わないと」 出典: 朝日新聞

「Johnnyどうよ」から始まった猛練習「楽しくなっちゃって」

Johnnyさんは2013年、キングレコードの系列であるベルウッドレコードで社長に就任します。経営者として手腕を発揮。再び表舞台に立つとは全く想像していませんでした。

2018年11月、横浜銀蠅のデビュー当時の担当ディレクターでこの年に亡くなった水橋春夫さんを偲ぶ会が行われました。Johnnyさんはそこで約20年ぶりに翔さんと再会。話が弾み、「再来年の2020年が結成40周年になるんだけど、Johnnyどうよ」と誘われます。

20年近くギターを全く弾いていなかったことから、いったんは断りましたが、徐々に気持ちが変わっていきました。

「もしかしたら水橋さんが声かけてくれたのかな、と。そんなことがなければ僕もずっと翔くんと離れていたかもしれないのに、水橋さんがまた取り持ってくれて久しぶりに会えたのかな、と思ったんです」

2013年、キングレコードの系列であるベルウッドレコードで社長に就任。再び表舞台に立つとは全く想像していなかったという
2013年、キングレコードの系列であるベルウッドレコードで社長に就任。再び表舞台に立つとは全く想像していなかったという 出典: 朝日新聞

翔さんとの食事の席で、「真剣に練習するから時間が欲しい」と伝えたJohnnyさん。3カ月間の猛練習を経て、2019年3月1日、30数年ぶりにオリジナルメンバー4人で一緒にリハーサルスタジオに入りました。

「そうしたら、楽しくなっちゃって。やっぱバンドは楽しいからやらせてよ、と言ったんです。正直なところ、よくここまで復帰できたな、と思っていますけど(笑)」

2019年夏からレコーディングし、2020年2月、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(還暦編)」など新曲10曲を収録したオリジナルアルバムと、ベストアルバムというCD2枚組みの「ぶっちぎりアゲイン」を発売しました。

「燃え尽きたいし走り抜きたい。その先のイメージは全くない」

Johnnyさんは、何かにハマると、とことん打ち込む性格。趣味は磯釣り、ゴルフ、ジム、家庭菜園……と多彩です。

「レコード会社で制作の現場をやっていると、24時間アーティストのことを考えてしまうんです。夜釣りに初めて誘われたとき、集中して無になれたんですよね。釣りの最中は他のことを何も考えないし、無になれる。これは絶対いいと思ったし、魚のさばき方も覚えたし、釣ったばかりの魚はうまい。息子は小さい頃、魚屋の魚を食わなかったけど、俺の釣った魚はおいしいって食べましたからね。全然違いますよ」

ゴルフは年80回ほどコースを回って腕を磨き、さまざまな知り合いが増えて仕事の人脈作りにも役立ったそうです。ジムには20年近く通い続けています。

「最初は翔くんの結婚式でタキシードを着るために鍛えたら、ジムで汗を流すのが気持ち良くなって。今年頑張ると決めてからはヒートアップして、体脂肪率が7%ぐらいになった時期もありました。体型や動き方、プレーは努力以外の何者でもないと思っているので。人前に立って『え? あれがJohnny? 1人だけ現役感ないね』みたいに言われるのは嫌だったし、『やっぱりJohnnyかっこいいよな』と言われたいじゃないですか」

今は緊張したり何かを悩んだりする時間ももったいない
今は緊張したり何かを悩んだりする時間ももったいない 出典: 朝日新聞

37年ぶりに復帰した横浜銀蠅での活動は、2020年末までの1年間だけと決めています。

「そこで終わり!と燃え尽きたいし、走り抜きたい。その先のイメージは全くないです。今は緊張したり何かを悩んだりする時間ももったいない。現実にもう、12分の5は終わっちゃって、毎日減っていくわけで。残り少ない2020年を1日1日、前向きに楽しんでいきたいです」

3月に始まる予定だった40周年記念ツアーは、コロナ禍で7月以降に延期されました。2019年末にカウントダウンジャパンに出演した際は、家族も見に来たそうですが……。

「ライブが終わってから、20代の娘に『お父さんどうだった?』って聞いたら、『かっこいいけど、お尻振るのやめて。恥ずかしいから』って(笑)。やっぱり、誰よりも娘に『お父さんかっこいい』と思っていて欲しいですね」

5月23日、「ツッパリ High School Rock’n Roll (在宅自粛編) 」がYouTubeで公開されました。コロナ禍の閉塞感を突き破るような歌と、最後の字幕に込められた思い。ツッパリの気概が伝わってきます。

取材を終えて

「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)」がヒットしたのは1981年。「洋楽」が憧れの存在だった一方、日本では歌謡曲が全盛で、この年、最も売れた曲は寺尾聰さんの「ルビーの指環」でした。それから40年近くたった今、音楽のジャンルは多様化し、ストリーミングサービスやYouTubeを利用すれば世界中どこでも同じ曲を聴けるように。音楽業界は一変しました。

一方、1983年に解散した横浜銀蠅は、Johnnyさんを除くメンバーで1998年に再結成。その後は不定期に活動を続けてきました。2018年にはテレビドラマ「今日から俺は!!」の主題歌として、Johnnyさんが作詞作曲した「男の勲章」がリバイバルヒット。年月を経ても色あせない、音楽の力を示してくれました。

Johnnyさんの復帰で盛り上がるファンは、主に40代~60代。彼らにとってJohnnyさんは懐かしい青春の思い出というだけではないでしょう。

会社員として30年以上仕事に打ち込んできた生き方への共感。そして、ツッパリのギタリストが社長になるという、デビューからトップを走っているようなレジェンドとは違う、等身大のサクセスストーリーが、特別な存在として受け止められているのかもしれません。

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