児童書などの装丁や挿絵を手がける作家が、高校生の頃に祖母を描いたという絵が、ツイッターで拡散されています。祖母の優しいまなざしにあたたかみを感じる作品と、「何も得意なことがない子どもだった」という当時のエピソードに「いい話」と反響が集まっています。絵を投稿した作家・橋賢亀(はし・かつかめ)さんに聞きました。
橋賢亀さん(
@katsukame)がツイッターに投稿したのは、ほほえみを浮かべる白髪の祖母の絵。こちらまで優しい気持ちになれるような、やわらかい表情をしています。投稿には、こんなコメントが添えられています。
高校生の時に描いた祖母の絵
何も得意なことがない子供だったのですが、当時先生にえらい褒められて、まさか?俺にむいてることがあるのか…?と思ったのでした
橋賢亀さん(@katsukame)のツイート
優しいタッチの絵に「なにかジーンとするものがある」「亡き祖母を思い出した」というリプライが寄せられ、「褒めた先生も素晴らしい」と反響が集まっています。リツイートは2万回以上され、「いいね」も20万件を超えています。
多くの人の心を動かした高校時代の作品は、どのような思いで描かれたものだったのでしょうか。「昔のことでだいぶあやふやですが」としながらも、作者の橋さんは当時のことを教えてくれました。
高校の頃、「不登校で学校にあんまり行ってなくて」と明かす橋さん。祖母の絵を描いたのは、美術の先生に「このままでは美術の成績の評価が付けられないけど、油彩か水彩どっちか提出したら成績つけてあげる」と言われたことがきっかけだったといいます。「油彩のセットはどこにあったかなぁ、めんどくさそうだし、と思って水彩画を提出することにしました」
水彩画の題材にしたのは、その少し前に亡くなった祖母の写真でした。橋さんは祖母のことを「いつもニコニコしていて、めちゃくちゃ優しかったです。誰からも好かれていました」と振り返ります。橋さんにとっても、「いつも優しくしてくれて大好き」な存在でした。
88歳で亡くなるまで、「怒鳴ったり怒ったりしてるのを一度もみたことがなかった」というほど、穏やかな祖母。祖母の写真が本に載ったことがあるそうですが、「ラブリーエンジェル」と書かれた似顔絵が送られてくるほど、その笑顔には人を惹き付ける魅力がありました。
そんな祖母の写真を見ながら、台所のテーブルで描いたという水彩画。後ろを通った母が「写真と肩違うくない?」と言っていたのを覚えているといいます。「別に上手く描こうとか全く考えてなくて、ただ写真見て手を動かしてただけだったと思います」
橋さんが自発的に絵を描くようになったのは、小学3、4年生の頃から。細野不二彦さんの漫画「Gu-Guガンモ(グーグーガンモ)」の表紙を模写したのを覚えているといいます。
その後も絵を描くことは好きだったそうですが、「得意ではなかったです」。というのも、当時の橋さんは、クラスなどの周囲には「もっと上手い人」がたくさんいると感じていました。
中学では部活への入部が必須だったため、心臓に疾患のある橋さんは少ない文化系部活の中から美術部を選択。そこでも「思い通りに行かないのであんまり絵は描いてなかったです」。描き始めても、仕上がらないことが続いていたといいます。
「小中高と絵を得意だとか自分で上手いと思うことはなかったです」といい、高校では部活に所属せず帰宅部に。学校を休みがちで、成績のために描いたのが今回の「祖母の絵」でした。
「美術の先生に、水彩画を提出というか、見せたら『はい、見ました、帰って良いよーっ』て感じでノーリアクションで。別に俺もそれに対して何も思いませんでした」
ところが、近くにいた女性教師が橋さんの絵を見て、「これ〇〇が描いたのー?」「めっちゃすごい!めっちゃ上手!」「生きてるみたい!」と声を上げたそうです。すると、他の先生たちも集まってきて、橋さんは囲まれる形に。先生たちの感嘆の声を一身に浴びることになりました。
当時の自身を「不登校で障害のある暗い子ども」と客観視する橋さん。先生に冷たい態度をとられた経験は少なくなく、声をかけられることもなかったといいます。距離を感じていた先生たちに褒められたことはうれしかったものの、「喜びより驚きのほうが大きかったです」。
しかし、予想していなかった展開に、自分の中にも「生まれて初めて感じた」という気持ちが生まれました。「あれ?この絵そんな良かったかな?べつにとりわけ力入れたわけでもないのに」「ん?まさか向いてるのかな」 ……。
現在、橋さんは児童書や翻訳書などの装丁や挿絵を描く作家になりました。この出来事が、絵に関連する仕事につく原体験になっているかという質問には、「それだといい話なんですが、違うと思いますね」。
話題となった祖母の絵は、パソコンのデータ整理していたら発見し、なにげなくツイートしたものでした。「意識している範囲では記憶にも残っていなくて、絵を見て思い出したくらいのものです」といいます。
「高校の時に『まさか?向いてるのかな?』と思って、何かしらうれしかったのは確かなのですが、そのうち絵が好きという気持ちの方がずっと強くなって、向いてるかどうかはどうでも良くなってしまいました」
橋さんが絵や本が好きになり、人生と分かちがたくなったのは学生時代のもっと後のこと。芸術に触れ、その中にいる自分は好きになれると気付いていく中で、進む道が見えてきたのだといいます。
描く上で強く衝撃を受けたのは、イラストレーターのいのまたむつみさんと天野喜孝さん。その天野さんが審査員を務めた1996年のメディアワークス「電撃ゲームイラスト大賞」で金賞を受賞。これを皮切りに、数々の賞を受賞していく中で、「描くのも見るのも読むのも、作るのも人よりだいぶ好きだし、これで生きていきたい……と思うようになっていました」。
多くの反響が寄せられる中で、「祖母を目の前に描いたと感じる方が多いらしく、みなさんの感想をみて写真の模写なのが、たいへん悪いような気がしました」と橋さん。
「長いこと描いてますがこんなに反響があったことはないし、こんなに褒められたこともないです。大変うれしいのですが高校生のときの写真模写が一番受けるとは……と少し複雑でもあります。力の抜けた状態でかけた絵ではありますが、なにが良かったのか……ほんとに自分ではわかりません」
20万件以上の「いいね」が集まる一方、嫌がらせの数も増えており、「これがバズるということか」と実感しているそう。「とはいえ、知ってもらうきっかけになったのならうれしいです」
橋さんにとっても人に伝える表現について考える機会となり、「今後の創作に活かしたい」といいます。「絵や本は今ではほんとに好きなのでずっと生涯の仕事として関わっていきたいです」