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「プロ野球選手にはなれなかったけど…」甲子園優勝からの方向転換

大阪桐蔭でスタメン投手、奥村翔馬さんのセカンドキャリア

2008年8月の夏の甲子園。大阪桐蔭―常葉菊川戦でバックスクリーンに先制の満塁本塁打を放った奥村翔馬さん=2008年8月18日、日吉健吾撮影
2008年8月の夏の甲子園。大阪桐蔭―常葉菊川戦でバックスクリーンに先制の満塁本塁打を放った奥村翔馬さん=2008年8月18日、日吉健吾撮影 出典: 朝日新聞

目次

才能に恵まれ、子ども時代に抱いた夢を追いかけてきた人ほど、別の道に進む決断には難しさが伴います。夏の甲子園で優勝経験のある奥村翔馬さん(29)は、幼い頃からプロ野球選手になることを信じて疑いませんでした。順調にキャリアを積み重ねた実業団時代、情熱が「プツン」と切れます。会社も辞め無職になった時、思い出したのが幼い頃にみたイチロー選手の姿でした。「野球は目的ではなく手段だった」。アスリートのセカンドキャリアとして、新しい目標に気づくまでの道のりを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)

夏の甲子園で優勝後、野球とは別の道を見つけた奥村翔馬さん=奥村さん提供
夏の甲子園で優勝後、野球とは別の道を見つけた奥村翔馬さん=奥村さん提供

 

奥村翔馬(おくむら・しょうま)
1990年6月福岡県生まれ。大阪桐蔭高校では第90回全国高校野球(甲子園)で優勝を果たす。関西大学卒業後、NTT西日本に入社し、野球部に所属。2016年にバイセルテクノロジーズに入社。社長の付き人や査定員を経て、2018年から人事部で働く。
 

プロ野球の試合会場での「歓声」に衝撃

<受け身で始めたソフトボール。小3でプロ野球選手を目指すようになる>

小1から小6まで地元のソフトボールの少年団に入っていました。始めたきっかけは、仲の良い幼なじみにソフトボールの体験会に誘われたからです。

週5、1日3から4時間で練習する強豪でしたが、受け身で始めたため、特に目標もなくソフトボールを「こなして」いる感じでした。転機は小3の時、訪れました。

父親にプロ野球の試合に連れていかれ、当時のダイエー・ホークスとオリックス・ブルーウェーブの試合を見たんです。試合中、イチロー選手がバッターとして出てきた時、満席の福岡ドームにものすごい歓声があがったんです。

衝撃的でした。出場しただけでこれだけ観客を興奮させ、ワクワクさせる人がいることを知り、「僕もこうなりたい」と強く思ったんです。

そこから将来の夢はプロ野球選手になり、一転して積極的に練習するようになりました。

2000年10月、仰木彬監督(右)とベンチで談笑するイチロー
2000年10月、仰木彬監督(右)とベンチで談笑するイチロー 出典: 朝日新聞

練習メニューを自分で考案し、実践

<高3の夏、甲子園で優勝。優勝した時の記憶は今でも鮮明に残っている>

高校は野球推薦で全国屈指の強豪校である大阪桐蔭高校へ進学しました。ポジションはピッチャーです。まわりは野球推薦で入学してきたエースばかり。仲間というよりライバルでしたね。

個人練習は自分で目標を立てて練習メニューを組む方式だったので、その時の体調や課題を考えて、自分なりにベストなメニューを考案し実践していました。この時から自然とPDCAサイクルを回す癖が身についたのだと思います。

高校2年の時、選抜大会(第79回選抜高等学校野球大会)では、外野手としてスタメン出場しました。甲子園球場は作りが独特なんですよね。観客席が高い位置にあるのでマウンドに立つと、360度から見下ろされている感覚になりました。興奮しましたね。

初打席は3塁線を抜く二塁打となりました。試合は2−1で常葉菊川高校に敗れ、ベスト8止まりとなりました。

高3で迎えた夏の甲子園(第90回全国高校野球選手権大会)では全国制覇ができました。僕は初戦と2、3回戦、準々決勝で登板し、決勝戦では外野手として出場していました。

決勝戦の対戦相手は1年前に敗れた常葉菊川でしたが、17−0で勝ちました。優勝した瞬間は、今でも鮮明に映像として記憶に残っています。その時の気持ちは……、ちょっと言葉では表現できません。

常葉菊川の選手とお互いの帽子を交換し、肩を組んで記念写真に納まる大阪桐蔭の奥村翔馬さん(前列右)=2008年8月18日、阪神甲子園球場、西畑志朗撮影
常葉菊川の選手とお互いの帽子を交換し、肩を組んで記念写真に納まる大阪桐蔭の奥村翔馬さん(前列右)=2008年8月18日、阪神甲子園球場、西畑志朗撮影 出典: 朝日新聞

野球への情熱がプツンと切れた

<野球の強豪チームに就職。プロ野球選手への道のりはたやすくないことを実感>

高校時の実力ではプロの世界に通用しないと思ったので、大学野球を経てプロの世界へ行くことを決断し、関西大学へ進学しました。

大阪桐蔭野球部の西谷浩一監督が関西大学出身で、「お前に関大野球部を強くしてほしい」と言われ、関大に決めました。大学では、自分はプロ野球選手になるものだと思い、日々の練習に打ち込みました。

就職は野球部が強い会社を探し、NTT西日本に就職しました。ここで実績を残せば、最短ルートでプロ野球界へ入れる可能性があると考えたからです。

でも、現実はそう簡単ではありませんでした。試合に出たり、出なかったりの繰り返しで。そして、2年目の夏、練習中に突然倒れてしまって……。熱中症、脱水症、そして急性腎不全でした。

3日間入院し、退院後はすぐにチームに戻ったのですが、本調子で練習することがしばらくできませんでした。他の部員たちより練習量が落ちている中で、自分が試合に出ることに対するためらいや迷いがあり、葛藤の日々が続きました。

これまで一度も野球をやめようと思ったことはありませんでした。でも、この一連の出来事がきっかけとなり、ある日プツンと今まで張り詰めていた線が切れてしまいました。

現在、ネット型リユース事業のバイセルテクノロジーズで新卒採用を担当する奥村さん=奥村さん提供
現在、ネット型リユース事業のバイセルテクノロジーズで新卒採用を担当する奥村さん=奥村さん提供

野球は目的ではなく手段

<18年間続けた野球にピリオド。野球を始めた原点に立ち返った>

悩みに悩んだ末、退部をすることを決意しました。自ら野球をやめる選択をしたのですが、どん底に落ちた気分で、野球に関する全てのことを見聞きしたくなくなりました。

半年ほど、仕事以外のことは何も考えられずにいたのですが、ふと、自分の人生って何なのかという問いが生まれ、「何でプロ野球選手になろうと思ったのか」と思い直しました。

その時、小学生の時にプロ野球の試合でイチロー選手の姿を見て、「多くの人の心を動かす人になりたい」と思ったのが原点だったことを思い出したんです。野球をすることは「手段」であって「目的」ではなかったんですよね。

スッと気持ちが楽になりました。人の人生をプラスに導き、その人に豊に生きてほしい−−。そのために、何が自分に出来るかを考えた時、まずは自分が豊かに生きることから始めようと思いました。

これまでの野球一色の人生も充実していました。でも、一度ここでリセットをして、社会人としてゼロからスタートしてみたいと思ったんです。次の就職先の当ては何もなかったのですが、その翌日、退職届を出しました。

2008年8月の夏の甲子園。大阪桐蔭―常葉菊川戦でバックスクリーンに先制の満塁本塁打を放った奥村翔馬さん=2008年8月18日、日吉健吾撮影
2008年8月の夏の甲子園。大阪桐蔭―常葉菊川戦でバックスクリーンに先制の満塁本塁打を放った奥村翔馬さん=2008年8月18日、日吉健吾撮影 出典: 朝日新聞

半年間で約30人の社長に会いに行く

<26歳で人生をリセット。世の中の会社や仕事について無理解だったと痛感>

26歳で無職になりました。社会人経験はあったものの、世の中のことを知らない野球バカには変わらないと思ったので、つてを頼ってとにかく人に会いに行きました。

会った方から別の方を紹介してもらうこともあり、色んな会社の社長に30人ほど会うことができました。中には年収2千万円のEC業界社長の方もいて、多様な働き方や価値観に触れました。世の中にある会社や仕事について理解していなかったことを痛感しましたね。

モラトリアム期間が半年過ぎ、転職サイトを何気なく見ていた時、ある会社の写真が目を引きました。オシャレな内観で、「こんなオフィスで働いてみたい」という気持ちが先走り、無意識に「興味ある」ボタンを押していました。

そこからとんとん拍子に採用試験が始まりました。リクルートスーツに身を包み、緊張して臨んだ面接に現れたのはジーパンとシャツという姿の面接官。その男性社員に、会って早々「甲子園で優勝ってすごくない?」と言われました。

前職がかっちりとした職場だったので、そのギャップに戸惑い、「間違った会社に来てしまったかもしれない……」と内心思いました(笑)。

自由過ぎる雰囲気にカルチャーショックを受けましたが、「自分が豊かに生きる」という目標を体現している人がここにいると思い、入社を決めました。それが、現在働いているネット型リユース事業を手がけるバイセルテクノロジーズです。

奥村さんが転職したバイセルテクノロジーズのサイト。これまでの違う雰囲気に最初は驚いたという
奥村さんが転職したバイセルテクノロジーズのサイト。これまでの違う雰囲気に最初は驚いたという 出典:https://buysell-technologies.com/

夢は野球塾を開くこと

<数年ぶりに野球を再開。今の目標は野球での学びを社会に恩返しすること>

働く上でプラスになっているのは、モラトリアム期間に様々な人に会ったこと。社内外で多くの人と関わる中で、自分とは違う考え方の人に対して「こういうタイプもいるんだ」と思えるようになりました。

例え相性が合わなくても、距離を置くのではなく、その人とどう付き合っていくかを考えるようにしています。

今は人事部で新卒採用の担当をして、ほぼ毎日、大学生と会って話をしています。ファーストキャリアは大事だと考えているので、相談や迷い事に耳を傾け、時にはアドバイスをし、学生の方の将来に一緒に寄り添えることにやりがいを感じています。

こうして、大学生の人生をプラスに導く仕事ができていること。プロ野球選手にはなれなかったけど、小学生の時に憧れたことが実現できていると感じてします。

9回裏、マウンドで声をかける奥村翔馬さん=2008年8月14日、阪神甲子園球場
9回裏、マウンドで声をかける奥村翔馬さん=2008年8月14日、阪神甲子園球場 出典: 朝日新聞

実は去年まで、野球を避けていました。1年前、ふと「野球したいな」と思うようになったのをきっかけに会社の仲間と週末に草野球をするようになったのですが、やはり野球は楽しいですね。

今の夢の一つは、小学生向けの「野球塾」を開くこと。目標を決めて、そこから逆算して計画を立てていく、いわゆるPDCAサイクルを回すことを小学生から学べたら、野球がうまくなるスピードが早くなると考えています。

これからは野球を通しての出会いや学んだ経験を、スポーツにおいて恩返していきたいと思っています。

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