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ダンベルが買えない! ジム休業騒動から考える「オフラインの価値」
24時間・年中無休でトレーニングができるフィットネスクラブ「エニタイムフィットネス」が4月、全都道府県最後の店として高知県で開業しました。ところが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い全国に緊急事態宣言が出されると、営業を始めたばかりにもかかわらず休館を余儀なくされます。入会を心待ちにしていた記者(25)は仕方なく、ダンベルを求めてネットを検索しましたが、まさかの「売り切れ」続出。家トレはジムの代わりになるのか? ジム休業騒動から、オフラインの価値について考えます。(朝日新聞高知総局記者・加藤秀彬)
記者は大学まで陸上部に所属し、今も陸上競技を趣味として続けています。2019年は高知県代表として茨城県で開催された国体にも出場しました。競技のための体づくりのため、ジムには週3回ほど通っていました。
ただ、仕事柄トレーニングの時間は夜遅くか早朝。そのため、時間の制約がなく行けるジムを求めていました。
そんな時、24時間いつでも使える「エニタイムフィットネス」の高知本町店がようやく高知にも開業することを知り、1月にネットで入会を予約しました。
しかし、新型コロナウイルスの感染は次第に拡大していきます。クラスターが発生した事例もあり、ジムが「3密」空間として取り上げられるようになりました。世界でもジムの休業が相次ぎ、「ゴールドジム」を展開する米GGIホールディングスは経営破綻(はたん)に陥りました。
結局、エニタイムフィットネス高知本町店は4月1日に開業したものの、記者はジムへの自粛を余儀なくされました。
4月中旬に緊急事態宣言が全国に拡大されると、同店も休業が決まりました。担当者は「開店のタイミングを見計らって、『全国最後の都道府県でのオープン』とアピールしようと思っていたんですが……」と明かします。
「外出自粛が始まると、外に人がいないのに宣伝しすぎるのもどうなのかと考えました。開店後は熱心な筋トレ好きの人たちは来ていましたが、仕事への影響を考えて来られない人も出ていました。特に、医療関係者や高齢の家族と暮らす人たちの中には、感染を気にして退会した人もいました」
担当者に同情しつつも、ジムに行けないなら、「家トレ」をするしかありません。記者は楽天やアマゾンなどの通販サイトでネットサーフィンし、30~40kgのダンベルを探し続けました。
ところが、どのサイトを見ても「売り切れ」「発送は5月下旬以降」の連続。えり好みしているわけではないのに、欠品だらけでした。
「ダンベルは普段からネットで手に入りにくいのか」
疑問に思い、ツイッターで「ダンベル売り切れ」と検索してみました。そうすると、「ダンベル欲しいけど売ってない」「どこに売ってるんや」と同じ境遇の人たちが何人もいました。
考えることはみんな同じで、ジムの代わりに家でのトレーニングを試みていたのです。
ネットで買えないなら、店舗には在庫があるのか。スーパースポーツゼビオ高知インター店を訪ねてみました。
同店では、外出自粛の影響で3~4月の客数や全体の売り上げが前年同月比で4割減っていました。特にこの時期は、新入生向けのシューズやシャツ、野球のグローブなどの部活動用品が売れる時期ですが、休校の影響でほとんど売れていないそうです。
一方、店全体の売り上げが激減しているにもかかわらず、トレーニング用品は例年の約4倍の売れ行きです。特にダンベルと縄跳びは欠品状態が続き、店内には「家トレ」専用のスペースも設置ありました。家で懸垂ができる約2万円の健康器具も入荷待ちの状態が続いていました。
政府が長期的な感染拡大を防ぐために公表した「新しい生活様式」には、「筋トレやヨガは自宅で」と記されています。
ダンベルなどのトレーニング器具が品切れになっている状況から、確実に「家トレ」が普及していることが想像できます。そうなると、根本的な疑問が生まれてきます。
そもそも筋トレをジムでする必要はなかったのでは?
ジムに行く最大の利点は、ダンベル、パワーラック、筋トレマシン、ランニングマシンなど、自宅ではとうていそろえることができない器具がそろっていることです。ただ、それだけが理由なら、家に必要な器具をそろえれば行かなくていいということになります。
記者はこの間、欲しいダンベルをどこでも買うことができなかったので、30kgのダンベルを二つ持っていた千葉県に住む友人に郵送してもらいました。
自宅が狭いため、会社にある誰も使っていない1室で筋トレをしています。その中で、ジムに行くメリットでいくつか気が付いたことがありました。
一つは、普段の生活空間と違う場所に身を置くことで、気持ちを切り替えられることです。ジムではハイテンポな音楽がかかります。一方、仕事場や自宅でのトレーニングは普段の生活の延長になってしまいます。実際、「家トレ」では周囲に音漏れしていないか非常に気を使いました。
二つ目は、定期的にお金を払っていることです。お金を払えば、回収したくなるのが人間です。月に1万円弱の会費は、決して安くありません。筋トレはきつくてサボりたいこともあり、すぐに帰宅する日もありました。お金を払っていることは、筋トレを続ける大きな動機付けになります。
ただ、これらのことは同時に、「やる気」さえあればジムに行かなくてもトレーニングができるということの裏返しとも言えます。
ジムに限らず、新型コロナウイルスは、これまでの生活やビジネスを大きく変えようとしています。
例えば、「新しい生活様式」では名刺交換のオンライン化もうたわれています。
オンラインが浸透すると、これまでの対面で名刺を交換する「作法」や紙自体の必要性もなくなるのかもしれません。会社名や名前、連絡先を知ることが本来の目的であれば、オンラインでもできます。
また、塾や予備校では、既に導入されている「オンライン授業」が本格化しそうです。新型コロナウイルス禍ではオンラインの通信機能の有用性に気付いた人も多く、必ずしも対面である必要がなくなりそうです。実際、愛知県では学校の授業の代わりに民間のオンライン学習支援サービスを導入する動きもあります。
新型コロナウイルスの感染が拡大し、人と人との接触が遮断される機会が増え、それに代わる方法がたくさん生まれています。私自身、取材方法も「基本は対面」だったのが、今では電話取材や、ビデオ会議ですることも少なくありません
話を聞いてまとめるという意味では、直接、会わなくても取材に支障はありません。しかし、会えなくなったからこそ、気づいたこともあります。
先日は高知大学の荒川良名誉教授に、農薬の代わりに昆虫を使って害虫を駆除する「天敵農法」を取材しました。緊急事態宣言の最中で電話取材にせざるを得ませんでした。
正直、初めて聞いた分野で昆虫にも詳しくないと、「天敵」のイメージをつかむのに時間がかかってしまいました。声だけでなく、研究室で話ができたなら、教授が伝えたいメッセージを、もっと素早く把握できたのかもしれません。教授に繰り返し丁寧に説明していただいたおかげで、何とか理解することができました。
大型連休が明け、エニタイムフィットネス高知本町店は5月7日に再開しました。
「全国最後のオープン」プロモーションが思い通りにはできなかった担当者に様子を聞くと、予想外の声が返ってきました。
「家にいてストレスがたまり、ジムに飢えていた人がたくさん来ているんです」
その声を聞いて、ジムの楽しみが筋トレだけではなかったことを思い出しました。以前通っていたジムでは、毎回同じ時間にトレーニングをする中国籍の60代男性とすっかり仲良くなり、館内の大風呂で話をするのが楽しみでした。
コロナによって強制されたオンライン化は、逆に人と会う「オフライン」の価値を気づかせてくれた期間だったとも言えます。
社会や経済を揺さぶっているコロナ禍ですが、名刺交換や、学校の授業をはじめ、当たり前だと思っていたオフラインの中にあった「本当の価値」を見直すきっかけとしてとらえることもできるのかもしれません。
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