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お金と仕事

1浪して国立大卒でもなれたプロ野球選手 今も守る仰木監督の教え

新井選手に教わった「聞く耳」の大切さ、北川智規さんのセカンドキャリア

オリックス・ブルーウェーブ(当時)にドラフト7位で入団した北川智規さんと仰木彬監督。=北川さん提供
オリックス・ブルーウェーブ(当時)にドラフト7位で入団した北川智規さんと仰木彬監督。=北川さん提供

目次

働き方が多様化する時代、セカンドキャリアを考える人は増えています。中でも、大きな「ジョブチェンジ」に直面するのがプロスポーツ選手です。現在、会社員の北川智規さん(42)は大学生時代、ドラフト7位でオリックス・ブルーウェーブ(当時)に入団しました。大学時代は日本代表選手に選ばれるなど、華々しい経歴の裏には、「質」にこだわった練習理論と、広島の新井貴浩選手から教わった「聞く耳」を持つ姿勢がありました。強豪校ではなく、あえて国立大に1浪して入った理由。仰木監督のマネジメント力のすごさ。畑違いの世界でも、引退後の会社員生活にもいきてくる「気づき」について聞きました。(ライター・小野ヒデコ)

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北川智規(きたがわ・とものり)
1978年1月埼玉県生まれ。2001年横浜国立大学教育学部卒業後、オリックス野球クラブにドラフト7位でプロ野球選手として入団。4年間の通算成績は、一軍での25試合中、1勝5敗1ホールド。04年に戦力外通告を受け、05年にオリックスに入社し、オリックス・リアルエステート(現オリックス不動産)に配属。現在は20年4月に設立のオリックス・ホテルマネジメントに兼務出向中。
 

清原和博選手や渡辺久信選手に憧れて

<小2で野球を始める。野球関連の本で学んだことを、自分なりに実践していた>

地元が埼玉県なのですが、野球が好きだった両親と、小学2年の時に西武ライオンズの試合を観に西武球場へ足を運びました。

当時は、「西武の黄金期」と言われていて、清原和博選手や渡辺久信選手がいた時代です。球場で初めて試合を見た際、雰囲気やスピード、パワーに感動して、将来は野球選手になりたいと思いました。

その後すぐに少年野球チームに入りました。最初のポジションはファーストだったのですが、その後ピッチャーになりました。実は祖父も野球経験者で甲子園にも選手として出場していました。

父親は野球経験がなかったので、父から野球は教わっていないのですが、野球に関する本をたくさん買ってもらいました。本を熟読し、その知識を元に実践して、小学生の時から自分なりに考えて練習していました。

野球関連の本は、大学時代やプロ野球選手時代になってもよく読んでいましたね。特に、科学的な理論に基づいたフィジカル面を鍛える著書は印象的に残っています。「初動負荷理論」など、様々な考え方を本から学びました。

2020年の4月から新しく立ち上がった「オリックス・ホテルマネジメント」に出向し、ホテル・旅館・研修所等の運営事業に携わる北川智規さん
2020年の4月から新しく立ち上がった「オリックス・ホテルマネジメント」に出向し、ホテル・旅館・研修所等の運営事業に携わる北川智規さん

「結果さえ残せば、出身大学は関係ない」

<大学進学は国立大学を志願。自分の意思が通る環境でプレーをしたい>

中学校では軟式、高校では硬式野球部に入り、野球漬けの毎日を過ごしていました。高校は進学校だったのですが、その中でも野球ばかりしていましたね。

進路指導の際、高校の先生には「(野球の名門の)東京六大学に行ったら?」と言われ、最初は野球の強豪校の私立大学への進学を考えていました。でも、ある程度自分の意思が通る環境で野球をする方が性に合っていると思いはじめました。

幸い、高校の先輩で筑波大学からオリックス・ブルーウェーブにドラフト1位入団をした杉本友さんがいたので、連絡を取って相談に乗ってもらいました。その時、「結果さえ残せば、出身大学は関係ない」と言ってもらえました。

国立大学は野球の推薦枠がありません。ある意味、野球部において全員同じ地点からのスタートになるので、自分の裁量次第で成長が可能だと思ったのです。そこで国立大学進学の思いが固まり、一浪して、横浜国立大学に入学しました。

横浜国立大学時代の北川さん=北川さん提供
横浜国立大学時代の北川さん=北川さん提供

まずは「量」、力がついたら「質」

<1年間は人の2倍練習。午後10時までトレーニングする日も>

大学では野球と勉強の両立をしていたのですが、優先順位は野球の方が高かったですね。練習時間は、平日は午後3時から6時。それ以外は各自で自主練でした。練習後は、ジムに通い、多いときは午後10時ごろまで4~5時間トレーニングをしていました。

私は一浪して入学したので、1年間のブランクがありました。そのハンデを取り返すためには、まずは練習量だと思ったのです。振り返ると、大学近くに住んでいたのが両立に役立っていたと感じます。

大学1年の1年間は量をこなし、人の2倍の時間、練習をしました。大学2年になり、ある程度は力がついてきたと感じたので、今後は「質」重視の練習に切り替えていきました。

野球の素質は始めから決まっていると思うので、プラスアルファを出すには「質×量」だと思いました。本や人から学んだことを元にランニングやウェートトレーニング、肩の細かいインナーマッスルの鍛え方などのメニューを自分で考えました。

その結果が実を結び、大学2年で日本代表選手に選ばれました。大学生は全国で25人ほど。日本代表に入ることが、プロへの登竜門と言われ、実際に7~8割がその後プロ契約をしていたので、プロ野球選手への夢が現実味を帯びてきました。

横浜国立大学2年生の時、日本代表選手に選ばれた北川さん(写真左)=北川さん提供
横浜国立大学2年生の時、日本代表選手に選ばれた北川さん(写真左)=北川さん提供

自分で考えた上で、アドバイスをもらう

<日本代表選手に選出。周りとの差を感じ、練習方法を変えることを決意>

その一方で、他の選手との差を感じ「このままじゃダメだ」と痛感。様々な人に練習方法を聞く中で、当時駒澤大学の学生で、後に広島東洋カープに入団した新井貴浩さんに「技術的な練習を丹念に。走り込みも大事」ということを教わりました。

私は自分で考えて答えを出すタイプですが、人からアドババイスをもらうことで新たな視点を得ることがあります。異なる意見を受け入れるのは難しいこともありますが、結果的に、それが目標への近道やヒントになることもあります。

これは、今働く上でも重要だと感じていることです。ある分野に詳しくても、それ以外の経験値や知識がないことってありますよね。その時、違った角度や視点を持つ人のアドバイスは参考になります。

まずは自分で考えた上で、足りない所を人からアドバイスで補っていく。これって、野球でも、仕事でも、何にでも役に立つと思います。

その際、自分の考えをもっていないと、毎回周りの意見に流されてしまうので、自分の意見は持っておいた方がいいと思います。

身長180cm。今もランニングや筋トレは欠かさないという北川さん
身長180cm。今もランニングや筋トレは欠かさないという北川さん

仰木監督の「適材適所の人員配置」を仕事で生かす

<高校での悔しさをバネに、念願のプロ野球選手になる>

私のモチベーションの高さの原動力は、高校3年の時に感じた「悔しさ」にあります。甲子園の予選大会の4回戦、先発ピッチャーとして登板しました。そこで、サヨナラ負けをしたのです。

こんな思いを二度としたくないという気持ちで、大学時代も練習に励みました。その結果、神奈川6大学で大学通算 36 勝、三度のノーヒットノーラン、日本記録の大学通算奪三振 553 個という結果を残しました。

そして迎えたプロ野球のドラフト会議。私はドラフト7位でオリックス・ブルーウェーブへの入団が決まりました。入団時の監督は仰木彬さんでした。

当時、「仰木マジック」と言われたように、仰木監督は適材適所で人員配置をし、私のような実績がない選手でも結果が出るタイミングで起用してくれました。その結果、自信がついていきました。

社会人として人の上に立つ立場になった今、仰木監督のマネジメント力の凄さを感じています。現在はホテル、旅館、研修施設のマネジメントをしているのですが、仰木監督がされていた人の活かし方を心がけています。

北川さんのセカンドキャリア後編
戦力外通告からの職探し、内定もたらした「憎々しいイップス」経験 元オリックス北川智規さんのセカンドキャリア。 【記事はこちら】

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