ネットの話題
初音ミク、今もつなぎ続ける「一人と一人」 失っていない「原点」
世界的アーティストになっても「私の居場所」
バーチャルシンガー初音ミクは、いまや世界ツアーの常連で、最も有名な日本の「アーティスト」の一人になった。とはいえ、彼女は最初からそんな「スター」だったわけでは全くない。2007年8月末に誕生した後、多くの人々が彼女を支持した理由は、歌やイラスト、動画などの作り手と受け手といった見知らぬ人同士を、ネットを通じて次々と結びつけていく力にあった。国内外のメディアを飾る華やかな話題の一方で、一人と一人を結びつける彼女の原点ともいえる役割は、今もネットのそこかしこで、静かに、けれど脈々と続いている。
「だれかの気持ちを歌にできたら」──この冬、ライブ配信サイト「ツイキャス」のチャンネルでその人の言葉を聞いたとき、福岡県の20代の会社員・月兎杏奈(つきうさぎ・あんな=ハンドル名)さんの心は揺れた。
引っ込み思案で、人に素直な思いを伝えたり、一歩踏み出したりできない。でもネット越しなら伝えられそうな気もした。子どものころからのつらい体験、ずっと耐えてきた記憶を思い返す。
生まれつき、下肢に麻痺性の障害があった。車いすに乗るほどではなく、両脚に装具を着ければ普通学級に通えた。
「月兎さんを手伝ってあげるように」。新学年になるたび、小学校の担任の先生は皆に言った。給食当番では、食事の重い鍋類を運ぶ役は免除され、もっぱら配膳机の拭き掃除。
「特別扱い」と、一部のクラスメートには映ったようだ。小学5~6年のときだったか、クラスで人気者の女子2人がトイレの出入り口に立ちふさがって言った。「私たちとジャンケンして勝ったら通してあげる」。意地の悪そうな表情と声。悔し涙が出て、彼女たちの腕に爪を立てた記憶がある。
「いいな」「ずるい」、そんな言葉も聞こえてくる。反論したかった。普通に生活できて、休み時間にいつも校庭を走り回れる友達の方が、自分からみればどれほどうらやましいか。でもそう言おうとすると、体がこわばり、言葉がのどから出なくなる。吃音の傾向もあるからだ。
街を歩いていると、小さな子が自分の歩き方のまねをする。「見ちゃだめよ」と、その子の親が注意する声が聞こえる。居場所がない──子どものころは特にそう感じていた。
そんな気持ちも、この人なら、自分を代弁するような歌を何曲もつくってきたこの人なら、理解してくれるかもしれない。
2014年ごろからボーカロイドの歌が大好きになり、「おすすめのボーカロイド曲を教えてください」とツイッターに書いた2016年9月、その年に投稿された「Reminiscence(レミニッセンス)」という曲を教えてもらった。
それがその人、forute(フヲルテ)さんの作品との出逢いだった。
胸がえぐられた。自分の気持ちがそのまま歌になっているようだった。
中学3年のとき、ちょっと悪友みたいな男子のクラスメートができた。気がつくといつも、他愛ない会話で盛り上がる。バレンタインデーには、冗談めかして「俺には(チョコ)ないん?」と声をかけてきた。「ないよ」と、軽くあしらう。手の込んだいたずらをする別の友達が、架空の女子からその彼に宛てたラブレターをでっち上げて送りつけたことがある。「こんなん来たんだけど」とけげんそうにいう彼に、「よかったじゃん、おめでとう」と明るく言った。
その彼を本当に好きだったと気づいたのは、卒業の後だった。
「推測ですけど」と月兎さんはいう。「彼も私のことを好きだったんじゃないかと思えて仕方ないんです。でも私、自分の気持ちにも彼の気持ちにも本当に鈍感だった」
あのとき、なぜ「おめでとう」なんて言ってしまったんだろう。今までどれほど悔やんだことだろう。障害を持つ自分より、健常な女の子の方が男子もいいのだろうな──中学時代、そう感じていたことも思い出す。
卒業式のあと、彼は「(俺の)第2ボタンほしいやつ、おらんと?」と言った。周り中にクラスメートがいた。ほしいなんて言えるわけがない。あるいは彼も、月兎さんが「ちょうだい」と答えるのを期待していたのかもしれない。せめて二人きりだったら──今もそう思ってしまう。
進学先は別々で、当時は携帯電話も中高生にはあまり普及していなかった。連絡を取ろうとしたが、行き違ってばかり。同窓会などにも、彼は来なかった。
それから今まで、彼ほど好きになった男性はいない。
「レミニッセンス」──もともとは心理学用語で、時を経るほどに強まる記憶のことを指す。歌詞も題名も、彼との思い出そのままだった。
それから、foruteさんの曲をほぼ全部聴いてきた。自分にとって一番大切な歌の作り手。その人が呼びかけてくれている。恋愛の詳細だけは控えつつ、自分の経験をまとめ、ダイレクトメッセージのボタンを押した。
メッセージを受けとったforuteさんは、自分との重なりを強く感じた。自分の作品もまた、人に伝えられない気持ちをひたすら歌ってきたものだったから。
初音ミクでつくった歌を初めて発表したのは2013年、高校3年のときだった。学校で執拗にいじめられるなか、不眠症に悩まされながら、歌詞とメロディを紡いでいった。
小学5年でアメリカに引っ越し、露骨なアジア人差別の現実にぶつかる。とはいえ子どもならではの柔軟さで、自己主張を第一に教えるアメリカの教育に適応していった。その習慣を身につけて高校1年の途中に帰国・編入。身につけたその姿勢が、日本では煙たがられた。
私物を隠されるなど日常的。いじめの事実を訴えても、教師は冷淡だった。嫌われていたのだと思う。自分の居場所がどこにも見つからない。そんな日々の連続で、やがて死ぬことばかり考えるようになっていた。
そんな時期にボーカロイドを知る。いくつもの製品のなかで、自分の条件に一番合いそうなのが初音ミクだった。自分で歌うことは全く考えていなかったので、機械に歌わせる以外の選択肢はなかった。
選んだ理由は消去法に近く、最初は楽器の一種と考えていた。だが予想外の変化が起きる。自分の気持ちが伝わるよう、細かい声の表情づけをしていくうち、いつのまにか、だれよりも自分の心を理解してくれる歌手がそこにいるような気がしてくる。
「自分の歌声やピアノを録音して聴いても、こんな感じはしない。不思議です」
だから今のforuteさんにとって、初音ミクという「歌手」は、自分に最も共感を寄せ、表現してくれる無二のパートナーだ。
性的少数者に当たるバイセクシュアル(両性が恋愛対象になる性的指向)と自覚したのも高校生の時期だ。
恋愛した相手が異性なら、告白して振られても、友人としてつきあうこともできるだろうし、いつかは相手の気持ちが変わるかもしれない。
だが自分は……同性に恋してしまったとき、相手の性的指向が異なれば、将来も含めて、決して相手の特別な存在になれない。そのまま友達でいることも、きっと不可能になる。だから決して気持ちを口に出せなかった。
それを歌ったのが「Endless Dream」だ。foruteさんの最も再生数の多い曲になっている。
初めて聴いたときから、記者は「君の特別になれないならもう意味がないよ」の部分に引っかかりを覚えていた。
少しエゴイスティックでは?と感じる。だが、その印象と作品全体のトーンが全く一致しない。その疑問が、foruteさんの説明で氷解した。記者の想像を超える孤独が、この言葉の裏にあった。
「実際に体験した以外のことを歌にできないんです」とforuteさんはいう。そんな自分の歌を愛聴し、真摯な共感のコメントを寄せてくれる人が少しずつ増えてきた。
約6年間続けてきた作品づくりが、とくに最近、本格化している。最初はただ自分の思いをつづるために始めた歌作り。それに共鳴してくれる人がいるなら、自分の体験にも意味があった、そう思える。
大学に進み、専攻した音楽の先生は、foruteさんの姿勢を認め、背中を押してくれた。そして就職。視点も変わってきた。
高校時代は学校全体に自分が嫌われていると思い込んでいた。でも本当に自分を嫌っていたのは、いじめていた数人と、教師だけだったのではないか──そう思い当たった。
今年2月に発表した「今を生きる私へ」には、その変化が反映されている。前半は、これまでのforuteさんの作品の世界観に近い。痛みと孤独に覆われるような歌詞だ。
この言葉が後半、切り替わる。
「前半は今までどおりの狭い世界です。逆に後半は自分を客観視しています。自分の痛みや傷を、少し広い視点から考えられるようになったからかもしれません」
「だれかの気持ちを歌にできたら」という考えも、そんな中で生まれた。その呼びかけに、月兎さんが応えた。書き上げたのが「私の居場所は」だ。
foruteさんの肉声と初音ミクの初のデュエット。月兎さんと二人の経験が織り交ざっているからだ。
とはいえ単純に肉声がforuteさんで、ミクが月兎さんの代弁というわけではない。境界をあえて明確にしなかった。限定を避けることで、少しでも多くの人の心に寄り添えるようにもしたかった。
「この歌の、とくに前半はまるまる私です」。公開された「私の居場所は」を聴いた月兎さんはいう。「いままで伝えたかったのに伝えられなかったことが歌になっている。私の気持ちが、歌のなかに生きている」
「小学生のころ、ずっと感じていたのが、私の居場所はないということでした。そして中学のときの彼──。自分の気持ちはだれにも届かないと思ってしまいました。でもいまはforuteさんの音楽がある。この歌がある。だからいまは、違います」
そしてしばらく沈黙したあと、言葉を重ねる。「救われました」
foruteさんはこう言う。
「私も月兎さんと同じように、自分の気持ちを誰かに伝えたり、語ったりするのが苦手でした」
アメリカに移転した小学生時代から、その孤立感は自覚していた。自分に重なる人の気持ちを歌にして、その人が救われたといってくれるなら、自分だけでなく二人の過去もきっと報われる。そうしたことがいま、音楽を続ける意味になっている。
foruteさんのネットライブ配信の視聴者は、多くて20~30人、少ないときは10人に満たない。ささやかなコミュニティ。
「私の音楽がいいと感じるから聴きに来てくださっている。私には、それが支えです」
バイセクシュアルであることも、ずっと悩んでいた。偏見にさらされる場面もいまだ多い。それでも、とらえ方が少しずつ変わってきている。
「誤解されることがとても多いのですが、同性を好きになるといっても、だれ彼かまわずなんてことは決してありません。異性愛の人にとって恋に落ちる相手が何人もいないように、私たちも好きになる人は限られています。ただ…」と、foruteさんは言葉を継ぐ。
「ただ、それでも最近思うんです。異性愛の人は世界の人の半分しか恋愛の候補にならない。でも私は、人類すべてが恋愛の候補だな、って。具体的に好きになる人は限られているけれど、人類のだれでも好きになり得る。そう前向きに考えた方がいいんじゃないかって」
「だれかの気持ちを歌にできたら」……一人と一人を結ぶ歌を生んだforuteさんのひとこと。初音ミクの代表曲「Tell Your World(あなたの世界を教えて)」のタイトルに、記者の脳裏でふと重なる。
YouTubeに公開された「私の居場所は」はショートバージョン。フルバージョンが完成したら、ニコニコ動画にも投稿する予定だ。
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