連載
#19 #カミサマに満ちたセカイ
「お父さんが可哀想…」亡き親、電話で供養「緊急事態」に下した決断
大切な人の「旅立ち」、新しい見守り方
新型コロナウイルスの流行が、社会のあり方を変えつつあります。亡き人との別れを惜しむ「お葬式」や「法要」にも、その余波は及んでいるようです。いわゆる「3密」を避けるため、お寺や斎場に、参列者を集めることが困難に。これまで通りではなくても、大切な誰かの旅立ちを見送りたい。そんな思いを抱えながら、新しい供養の形を模索する人々の今に迫りました。(withnews編集部・神戸郁人)
東京都在住の下田尚子さん(56)は今春、父を95歳で亡くしました。3月半ばに、家族や親類を招き、通夜と告別式を開催。「ウイルスが広がる中、式ができただけでもよかった。静かに冥福を祈れれば十分と思い、四十九日法要は延期するつもりでした」
しかし、別居する母(92)に相談すると「お父さんが可哀想だ。どうしてもお経を聞かせてあげたい」。僧侶に母の住まいまで来てもらえないか検討したものの、第三者との接触に当たるため、感染の不安が拭えなかったといいます。
夫の明彦さん(59)と話し合った結果、葬祭関連会社「よりそう」(東京都品川区)が提供する、「お坊さん便の電話法要」を使うことに。同社のサービスを利用し、父の葬儀を執り行っていたのが理由です。告別式を担当した僧侶に、改めて法要を依頼しました。
4月下旬、母の自宅に、僧侶から電話が入りました。父の遺灰が入った骨壺脇に受話器を置き、読経や法話に、熱心に耳を傾けていたそうです。「やっと、お父さんが仏様になった」。終了後、母は穏やかな様子で、そう語っていたといいます。
「感染のリスクは避けなければいけない。でも、母の思いも尊重したい。気持ちの折り合いをつけるのが難しかったですが、今はとても安心しています」
ウイルスの拡大により、弔いの現場には影響が出ています。
「よりそう」は今年2~3月、提携する全国の葬儀社を対象にアンケート調査を実施。回答があった64社のうち、「葬儀に新型コロナウイルスの影響が出ている」と答えた企業の約半数が、ウイルスの出現前と比べ「家族葬・密葬を選ぶ家族が増加した」としました。
「よりそう」でも、通夜と告別式を開かない「火葬式」プランについて、4月第4週の受注件数が対前年同月比で153%に。今年2月第4週と比べると170%でした。利用者の間で、集団感染を避けようとする意識が、日に日に強まっていることが見て取れます。
4月7日に緊急事態宣言が発令されるなどし、葬儀のみならず、大勢で法要を営むことも困難になっています。
こうした状況下で登場したのが、電話法要のサービスです。「よりそう」によると、4月14日のサービス開始以降、問い合わせ件数は増加傾向にあるといいます。篠崎新悟COOは、理由について次のように分析しました。
「四十九日、一回忌、三回忌など、法要の時期は決まっています。一度機会を逃すと、次の忌日まで待たなければなりません。適切なタイミングで実施することが重要であり、キャンセルのボリュームも小さい印象です」
「その意味で、電話法要の需要は高まっていると言えます。少なくとも、緊急事態宣言が終了するまでは、サービスを継続したい考えです」
新型コロナウイルスの出現を機に加速する、葬儀の縮小。その兆候は、以前から見られました。背景には、都市部への人口集中や、コスト意識の高まりがあると、篠崎さんは指摘します。
「弊社は僧侶手配事業を展開していますが、都心に住み、菩提寺(ぼだいじ)を持っていない方が利用されるケースも少なくありません。菩提寺で先祖を供養する社会的な習慣は、徐々に薄れつつあった。(密接・密集・密閉の)『3密』を避ける流れが、この動きを一層後押しした、と捉えられるのではないでしょうか」
それでもなお「故人との時間を大切にしたい」という声は引きも切らないようです。
「よりそう」では今年3月から、火葬後に同社経由で葬儀を申し込んだ場合、料金を割り引く特典を提供。篠崎さんによれば、ウイルス禍の収束後を見据え、相談が増えているといいます。故人を荼毘(だび)に付した後、改めて別れを惜しむ時間を取る営みは、「後葬(あとそう)」の名で広まりつつあるそうです。
「志村けんさんなど、有名人の死去に象徴されるウイルスの猛威は、人々の関心を集めました。家族が亡くなったら、理想の旅立ちを演出したい、という声は確かに強まっています。葬儀はもちろん、終活への意識付けも含め、サポートできればと考えています」
ところで利用者は、従来と異なる形式の法要について、どう受け止めているのでしょうか? 下田夫妻に、電話を介したサービスの感想を聞いてみました。
母をウイルスに感染させないよう、当日は自宅で手を合わせたという二人。法要に立ち会えない分、気持ちの整理をつけるための時間が持てたといいます。そのときの心境を、尚子さんはこう振り返りました。
「祈っているとき『生前お世話になった人のもとへあいさつに行ってくれ』と、父から語りかけられた気がしました。父母とも5年以上介護してきたので、『やることはやった』という気でいたのですが……。割り切れない思いが、まだ残っていたのかもしれませんね」
自分なりの「物語」として、亡き人との別れに納得するーー。ウイルスによる犠牲者が世界中で増え続ける中、「節目」の意味を、そのように捉え直すチャンスにもなったそうです。
「今は、供養の思いが表現しづらい時期。そうしたときに、電話法要のようなサービスを受けることができて、よかったと思います。何よりも、形だけではなく、気持ちがともなっていたからこそ、意味があったのではないでしょうか」
【記者の気付き】
■ウイルスがもたらした過酷な状況
東北地方の被災地では、地震や津波により、おびただしい数の人々が犠牲になりました。遺族の状況などに関する論文をまとめた書籍『呼び覚まされる霊性の震災学』(東北学院大学 震災の記録プロジェクト・新曜社)に、一人の女性のエピソードが登場します。
女性は離れて暮らす両親を津波で亡くしました。突然の災厄を受け止め切れず、やがて心のバランスを崩してしまいます。更に、子どもを失った被災者に集中するメディアの取材など、「命」を価値付けるかのような周囲の振る舞いによって、追い込まれていくのです。
救いとなったのは、被災の経験を語るスピーチ大会に参加したこと。原稿を書く過程で、それまでの思いを記したブログを読み返したり、別の参加者と身の上話をしたり。その結果、「震災に遭い両親も故郷も失った」という状況を、初めて認められたといいます。
■生き方豊かにする「死」をめぐる語り
この話を読み実感したのは、「大切な人の死を自らのものとする」プロセスの価値です。
喪失体験による痛みを引き受けるためには、亡き人との関係性を振り返り、意味づけるための「節目」が必要です。女性にとっては、それがスピーチだったのだと思います。葬儀や法要もまた、同じ役割を担っているのではないでしょうか。
下田夫妻の言葉が、そのことを端的に言い表しています。「割り切れない思い」を咀嚼(そしゃく)し、「物語化」することで、現実を受け入れる力に変える。新型コロナウイルスが明らかにしたのは、弔いの営みが持つ、そうした本来的な意味であると言えそうです。
お寺や葬祭業者の中には、法要の様子を、関係者限定でオンライン中継するサービスを始めたところもあります。時間や空間を問わない、こうした取り組みは、ウイルス禍で現実に開くことが難しい儀式を補完するものです。
対面ではなくとも、誰かと悲しみを共有し、真心を伝え合う。死をめぐるコミュニケーションの多様化は、逆説的に、生き方を豊かにするきっかけになるのかもしれません。
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